うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

くすねたもん同士なのに・・・

2021å¹´05月31æ—¥ | ã»ãã‚ãŸã‚Œè”µã®äº‹

昨夜は、叫んだ。

雄叫んだのではなく、もはや悲鳴だった。

 

おはようございます。

仕事が遅くなる、おじさんの晩御飯を

クレラップをして台所に置いておいたのだ。

我が家は、クレラップだ。

サランラップではない。

実家の戸棚に、いつもストックしてあるのが、クレラップだからだ。

だから、我が家は自動的にクレラップなのだ。

実家のをくすねて来ているからだよ、内緒だよ!

 

そのクレラップを、たれ蔵が突破した。

私がごろんと横になっている隙に、

爪で突破して、マカロニをくすねて走った。

「こら、たれ蔵~!」

 

さすが、猫の優等生め!

さて、次は何をしてんだい?

 

うんこのシッポで遊んでるのか。

 

たれ蔵、うんこに叱られるぞぉ。

 

シャーされるぞぉ。

 

うんこ「いいのよ。たれちゃんは、これが好きなのよ、母さん。」

なんか、私の心の狭さが際立ってない?ねえ?


お久しぶりの、うめさん

2021å¹´05月29æ—¥ | ã†ã‚ã®äº‹

私は、

野良猫みたいに怖がりだ。

 

おはようございます。

子どもの頃は、黒豚と呼ばれていたけれど、

なんでもかんでも、怖かった。

ひょうきんな振りをしていたけれど、

本当は、なんでもかんでも怖かったから、人を笑わせて誤魔化していた。

 

誤魔化していたくせに、

明日はきっと良い日だなんて期待して眠りにつくほど、

楽天的ではなかった。

 

今だって、そうだ。

なんでもかんでも怖い。

明日、私は生きているのだろうか。

1年後、母さんは私を覚えているだろうか。

10年後、私はこの家にいて、猫達は穏やかに過ごしているのか。

人を笑わせていられるのだろうか。

ダサいダジャレしか言えず、すごくスベッていたら、どうしよう?

それは、今と大して変わりはしないから、まあいいか。

 

そんな怖がりな私には、やり過ごすための呪文がある。

胸の中に、ざわっと風が吹いた時、

私はいつだって、「うめさん、守って」と口にする。

そうすると、たいていは風が止まる。

止まらない時は、「うめさん、見ててね」と言ってみる。

そうすると、胸の中に日の光が差すような、微かな勇気が湧いてくる。

 

うめが居た17年間だけは、私は怖がりじゃなかった。

それまで重かった自分の命が、半分に軽くなった気がした。

私は独りで私を生きなくて良かった。

うめと一緒に生きていれば、なんでも半分になった。

布団も座布団も机も、半分はうめのスペースだったし、

私のどちらかの腕は、いつも、うめを撫ぜるためだった。

おかずが刺身だった時は、その時だけは例外だった。

うめが6、私が4の割合で食べることになるから、

この時ばかりは、理不尽だと嘆いた。

「稼いでるのは、私なのに」と、まったく大人げない事を言ってしまった。

 

猫を拾ったら、私とうめで育てた。

猫達が喧嘩したら、私が叱り、うめが慰めた。

うめが叱る時は、私も続いて叱ってしまうから、

叱られた猫は、私への遺恨だけが残った気がした。

 

考えてみたら、力量は半分ずつじゃない。

完全に、うめが上だった。

器量も気立てもだろうが、それは仕方がない。

だって、うめは、柔らかな被毛を持つ、美しい猫だったのだから。

私は、超合金みたいな髪質のくせに体毛は薄いから、仕方ない。

これを読んで、「そこじゃない」と言いたい人も多いだろうが、

分かっています。

 

うめが居なくなって以来、

私の半分が私に返されたから、

私は、また野良猫みたいに怖がりに戻ってしまった。

 

おたまとたれ蔵は、仲良く過ごして行けるのだろうか。

酷い喧嘩なんてしたら、どうしよう。

20年後、私は私のもとに居る猫達を、

無事に極楽へ見送ってやれているだろうか。

私は、空を見上げて、笑っているのだろうか。

 

そんなことを考えると、ざわっと風が吹き、

私は、ほんの少し、うめに似ている、のん太に言う。

「うめ、守って。見ていてね。」

 

のん太、たれ蔵を頼むぞ。

 

なぜか、のん太は人望ならぬ猫望が厚い。

というか、猫達の愛されキャラだ。

 

そういうところも、うめに似ている。

似ていると、思いたいだけなのかもしれないな。

 

うめさん、見ててね

うめ「へっ?あたしゃ、とっくにプロバンスの豪邸で

美人のお姉さんとテレビ観てるんだけど?」

生まれ変わって、プロバンス地方の豪邸で暮らしてんの?

プロバンスて!


産まれ持った、運気

2021å¹´05月27æ—¥ | ã‚«ã‚ºã‚³ã•ã‚“の事

認めたくはないのだが、

でも実際に、『生まれつき、ついている』人はいる気がする。

 

おはようございます。

母かずこは、結局手術をキャンセルすることとなった。

「引きずってでも、手術をさせる!」と息巻いていた父さんでさえ、

いつからか、

「もう、やらんでいい気がする」と言うようになっていた。

火曜日、母の通院日、私は主治医に

「手術の予定を取りやめにして頂けないでしょうか?」

と願い出た。

 

白髪のベテラン医師は、

「そうなんですか。カズコさん、今、痛くないの?」

と問いながら、おもむろに、かずこの右腕を取り左右へ動かした。

「へえ、全然、痛くありません。」

かずこは、きっぱり答えた。

 

医師は、そんなはずはないと言わんばかりに、

「こうしたら、どう?」

と立ち上がり、肩を片手でぐっと押さえ、

掴んでいた右腕を、これでもかといった具合に激しく揺さぶった。

その時、かずこの体が強張って見えたが、かずこは、

「へえ、痛くないですね。」

と答えた。

健常者でも、痛いのではないかと思われる激しい揺さぶりに、

私は疑念を抱いた。

かずこの顔を覗き込んでみれば、

かずこは痛みに耐えるため、歯を食いしばっているような表情をしている。

 

医師も勘付いたのか、かずこの腕を離し、

自身の長年積み重ねてきた功績を崩さぬ覚悟で、こう言い放った。

「腕、どれくらい挙がる?」

 

私が、家で検査してみた時は、

カズコの腕は90度程度しか挙上できなかった。

とはいえ、着替えも手仕事も出来ていたことから、

あえて手術をする必要を感じなかったのだ。

 

しかし、ベテラン医師なら検査せずとも

挙上に困難が生じるだろうことは分かっていたに違いない。

白旗も、ろくに上げられない、かずこの肩にメスを攻め入りたいのだ。

そのためのカードを切った。

挙げられるもんなら、挙げてみろ!と。

 

その時だ。

かずこの腕はゆっくりと90度を超えた。

そろそろ、止まる。

そう思った矢先、かずこの腕は天をつんざく勢いで、

天を掴むかのように、まっすぐ伸ばされた。

 

医師は思わず

「あららら、挙がっちゃうねぇ。」

と溢した。

医師が驚くのも無理はない。

肩鎖関節の完全脱臼で、180度の挙上は、

解剖学的に、稀だ。

しかし、かずこの腕は、挙がっちゃっていた。

 

「じゃ、今度は回してみて。」

無慈悲なまでの医師の追求に、この時、

私はいささか引いたが、かずこは一歩も引かなかった。

「ほい、すっごく普通に回せるんですよね。」

かずこは、いぜん歯を食いしばっているせいで、表情が強張っているが、

腕の旋回は、前田健太のマエケン体操を超えた滑らかさだった。

 

あかん、もうあかん。

笑ってまう・・・・

 

私は、ついに口を開いた。

「こんな感じですので、

大変勝手を申してすみませんが、手術の方は・・・」

「うん、今回はやめとこう。

痛みが出たら、また、その時になんか考えよう。

かずこさん、それでいいでしょうかね?」

医師は、快く負けを受け入れた。

かずこは、勝ち誇った表情を見せるかと思いきや、

数分間の集中力が切れたように、放心状態だった。

 

そんなわけで、

私はジジィとババァの意地の張り合いを目の当たりにして、

どうにか、笑いを堪えるのに必死だった。

 

※医師の行為は、手術の有無を確認するための行為であり、

意地でやったことではありません。

記事の中の医師の思惑部分は、私の脚色です。

かずこの思惑は、書いた通りかと思われます!

 

しかし、かずこは、昔から何かとついてるんだ。

まあ、本人の努力も、凄まじいものがあるけども。

そういえば、この子もそうかも・・・

え、なにが?

 

いじめないし。

のん太って、いつも、ついてるな~っと思ってさ。

 

そうなのね?

いるんだとね、なぜか、ついてる人って・・・


夢の立ち位置

2021å¹´05月25æ—¥ | ã†ã‚“この事

嘘?!

ほんと?

いや、嘘でしょーーーー?

 

おはようございます。

我が家の宝である、うんこさんが、6.85キロだなんて、

そんなこと、あるのか?

 

うんこさんの体重の歴史を辿れば、

拾った時は、130グラム程度だった。

今考えてみれば、平均より大きな乳飲み子だったのだが、

乳飲み子には違いなく、

私はジャンジャン、ミルクを飲ませていた。

親孝行なうんこは、

そんな私の期待を全身で受け止め、浴びるようにミルクを飲んだ。

 

離乳後は、感染症のオンパレードで、

病院でも「ほぼ、死ぬ」と言われたものだから、

私は、なんでもいいから食えと、

甘酒(ノンアルコール)を飲ませるほどに必死だった。

私もうんこも、必死に必死で、ひたすらに必死だった。

 

必死を数年継続してみたところ、

うんこの体重は、8.2キロになっていた。

うんこがとっくに、米俵みたいになっていることに

当時、きっと、今は極楽に居る、うめさんは気付いていたと思うが、

私とうんこは、気が付かなかった。

愕然とした私とうんこは、

「どうして、誰も教えてくれなかったの?」と、世間のせいにした。

 

そんな、ある日、救世主が現れた。

川から拾って来た、あやだ。

あやは、生まれつきアスリート心臓を持っているのか、

疲れを知らない、それでいて独り遊びも知らないおかげで、

私は、あやの遊びに付き合ったせいで、血尿を出した。

うめも出した。

実家のばあさんは、右腕がジャラシのせいで腱鞘炎になった。

そして、一番相手をさせられていた、うんこは、痩せた。

7.6キロになった。

 

この勢いに乗って、さらに痩せるべく、ダイエットを続けようとなり、

うんこのフードのカロリーを下げた。

そのおかげで、うんこは巧妙な『盗み食い』を覚えた。

若い猫の高カロリーフードを、私の目を盗んで爆食いした。

老猫の高カロリーフードも、私の目を盗んで爆食いした。

おじさんの高カロリーおやつも、私の目を盗んで爆食いした。

棚に置いてあったお饅頭も、私の目を盗んで爆食いした。

だったらと、棚にしまいこんでも、前足で棚を開けて爆食いした。

お手上げだった。

 

この頃は、うんこがたまにご飯を吐き戻すと、

愛情深い飼い主なら、

「あら、吐いちゃったの?かわいそうね」と言うべきだろうが、

私は、「よし、ひと盛り減った!」と心の中でガッツポーズをしてしまっていた。

「うんちゃん出しちゃったから、おかわり」と言う、うんこを、

気付かぬふりで誤魔化した。

もはや、ほくそ笑んでした。

絵に描いたような、仮面親子だった。

 

ところが、うんこが14歳を過ぎた頃だろうか。

うんこは、自然と痩せてきた。

7.6~7.8を死守していたはずが、7.2キロになり、

「よし、夢の6キロ台も近いぞ!」と言いつつ、

なんだか少し、複雑な気持ちになった。

 

昨日は、ご飯も食べずに寝てるものだから、

「そんな時もあるさ。」と笑いながらうんこを抱いて、

体重計に乗った。

そして、次は、うんこを降ろして、私だけで再び体重計に乗った。

私は「おい、嘘だろ?おい!おい!」と叫んだ。

最近、顔が浮腫んでいると思っていたが、

私の顔は浮腫みではなかった・・・太っていたんだ。

愕然としたまま、計算器で引き算をすると、

6.85と算出された。

「うんこが、6.85キロ?」

夢の6キロ台だった。

 

私の足元で見上げているうんこが、なんとも愛らしかったから、

私は「すごいな、うんちゃん」と言いながらしゃがんで、

うんこの丸い頭を撫ぜた。

なぜだが、涙が出そうになった。

 

「うんこ、まだまだ、なんだからね。」

目立った病気ではない。

ただ少しずつ、軽くなって行っている。

それは、ある意味、順調だ。

もっと軽くならないと、空へは飛んでいけないのだから。

 

うんこさん?

うんこ「ちょっと、ぼけてるじゃないのぉ、母さんめ!」

ごめんご、めんご。

 

今朝は、残さず食べたね。

今日の調子はどうだい?

うんこ「だめ、最悪。うんちゃん、かわいそう」

どこがだよぉ!

 

うんこ「どこもかしこもよ、母さん!」

どこもかしこもて?!

 

まあ、不平不満も、元気の証拠だな。

うんこ「そんなこと言ってる暇があるなら、プリンを出せ!」

ダメだろ。

 

うんこ「うんちゃん、ガリガリなのにぃ。」

いや、考えてみれば、

6.85キロは、普通にデブだぞ!


ツチノコは、座布団に

2021å¹´05月23æ—¥ | æ—¥è¨˜

ツチノコは、

いまだ捕獲されていないようですね。

 

おはようございます。

しかし、

アミメニシキヘビは、ついに捕獲されたようで、

良かったね~。

 

飼い主さんも安心しただろうが、

考えてみると、3メートル以上の生き物を

アパートの一室で飼えるのか?って疑問に思った。

そこで、調べてみたが、

蛇の場合、とぐろを巻いた状態の3倍の面積の飼育スペースが必要らしい。

我が家で3メートルの蛇を飼育するとなると、

南側にリビングダイニング、北側に同等の広さの一室、

そのどちらかの部屋を、蛇のお部屋にしてやらなければならない。

 

相当、好きな人でなければ、飼えんですな!?

 

私は、そんな生活、

ちょっと・・・やってみたい。

 

とはいえ、

私は、狭いお家で5匹もの猫を飼っている者だから、

決して偉そうなことは言えない。

我が家は、5匹が暮らす適正な環境とは思っていない。

せめて、少しでも猫が暮らしやすいようにするために、

あらゆる工夫を凝らすがゆえ、すでに人は暮らしづらい家と相成っている。

今後も、努力あるのみだ!

ただ、限界はある。

そんな時、

『好き』と『適正』とは必ずしも=ではない場合ってあるんだよなって思う。

 

好きだから飼いたい!

そう思うのだろうが、好きならこそ、

迎える前に、その生き物を幸せに出来るのか?

それを誰よりも考えるべきだと思う。

 

生き物と暮らすのって、重いもんね。

いやんなっちゃうくらい、重いんだもん。

時々、

「どうして、こんな重い命を引き受けちゃったんだろう?

私は、バカなのか?バカなの?バカなんだね?」

と、自問自答しながら過ごしているんだ。

 

さて、ツチノコに戻りますが、

実は、我が家ではこっそり、ツチノコを飼っているんです!

ほれ!

これ、ツチノコやろ?

 

どう見たって、ツチノコやろ?

 

のん太「これが、ツチノコなんらな、かかぁ?」

そうだよ。

 

のん太「のんより、つおいのか?」

のん太より、強いぞ。

なにせ、ツチノコだからな!

 

うんこ「いつまで見てんの、あの子?」

共に暮らして早2年、のん太にはまだ、ツチノコは見慣れないらしい。