うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

何の自慢だ?!

2022å¹´06月30æ—¥ | æ—¥è¨˜

昨日は、もはや発熱だった。

 

おはようございます。

この地域は、気温38度を超えていた。

しかし、群馬は40度を記録したらしく、

そうなると、なんだか負けた気がして悔しいって思うのは、なぜだろう・・・

 

負けず嫌いなのは、我が母もだ。

昨日は心筋梗塞でお世話になっている大病院の通院日だった。

さすが大病院は、数種類の検査をするのに棟を移動しなければならない。

一旦、外に出て歩いて別棟へ移動だ。

余りの暑さがゆえ、

「かずこさん、車椅子を借りようか?

その方が、すいーっと早く行けるからさ。」

と、母に伝えても、負けん気の強い母は、

「それくらい、わしは自分で歩ける!」

と、気丈にヨタヨタ歩いていた。

 

そして、血液検査では看護師さんから

「アルコールは大丈夫ですか?」

と、聞かれた。

腕に針を刺す前のアルコール消毒液は平気かと聞かれたのだが、

母は恥らないながらも、しかし若干、自慢げに言った。

「ふふふ、アルコールは毎晩、少々ね。

結構いけるクチだもんですから、毎晩やっとります。うふふふふ」と。

さすが、負けん気!

 

しかーし、母は寝相はいいのだ。

死んでるみたいに行儀よく眠る。

それに比べ、自慢じゃないが私の寝相は癖が強いかんね!

夜中に帰ってくる我が家のおじさんを、毎晩のようにビビらせてるかんね!!

 

ある日の0時

「悩ましい寝」

これは私の寝相の中で、もっともスタンダードな恰好だ。

 

また、ある日の0時

「キョンシー寝」

出た、お得意の寝相!

絶妙なバランスによって、脱力した状態で手を挙上し続けている妙技だ。

この状態で、一時間以上保っている時もある。

 

またまた、ある晩の0時

「起きてる寝」

もはや、起きてるでしょ?と声を掛けてしまう。

それっくらい、真顔だ!

 

この状態から、新たな寝相へ展開される時もある。

「撃ってる寝」

バキューンしてるよね?

何かに、バキューンしてるよね?

こうなると、私自身でさえ感服だ。

 

そんな我が家には、寝顔が凄いのもいる。

白族は、なぜか寝顔が凄まじい。

代表は、おたまだ。

 

「イッちゃってる寝」

 

そして、のん太も

「空っぽ寝」


最強は、暑さでなくサイレントにゃー!

2022å¹´06月28æ—¥ | æ—¥è¨˜

それはもはや、体温やないか!

 

おはようございます。

体温と見まがう気温は、認知症のカズコでなくとも混乱する数字だ。

これが、心の準備をしてファイティングポーズで受けて立つ、

7月下旬なら混乱もしないけれど、まだ6月だろう?

あれ?6月だったっけ?

もう7月に入ったんじゃないっけ?

となる。

日付も分からぬうちに、ノックアウトされそうだ。

 

セミも鳴かぬうちの、この暑さ。

堪えているのは人ばかりではない。

カラスを見てみると、パカッと口を開けている。

巣で卵を抱くツバメも、同じように口を開けていた。

鳥類は汗腺を持っていないから、

暑くなると口を開けて体温調整をしているらしい。

この暑さの中、さらに卵を温めないといけないツバメは、

口を開けながらも、卵を抱いている訳だ。

黒い鳥たちは、さぞや暑いだろう。

そう思うと、この暑さがさらに憎らしくなる。

 

そんな我が家の黒い猫も、口を開けいる。

おかしい・・・

惜しみなくクーラーを稼働させているのに、おかしい・・・

 

たれ蔵?

たれちゃん、どした?

 

たれ蔵「・・・・」

ん?

 

たれ、大丈夫?

たれ蔵?

 

たれ蔵「(ひゃ~)」

聴こえたよ。

 

撫ぜて欲しいのね。

ひっそり甘える甘ったれに、ノックアウトされる私であった・・・


軽い粉の重いテーマ

2022å¹´06月26æ—¥ | æ—¥è¨˜

私には、

永遠のテーマだった。

 

おはようございます。

私は基本、肉を食べない。食べられないといった方が正しい。

うんと幼い頃から、肉を食べずに、ここまで大きくなった。

といっても、身長は160ちょっとだ。

それほど大きくないが、骨格は見事だ。

例えるなら、牛だ。

骨格が、牛っぽいのだ。

肋骨の作りの大きさなどは、本当に牛みたいだ。

だけど、牛肉は一口たりとも食べられない。

 

豚は好きだ。

あれは本当に可愛い。

知人の可愛がっているフレンチブルドックのハナちゃんと会った時、

私は褒めるつもりで、

「ハナちゃん、豚みたい!豚みたい!」

と連呼して、今でも、その知人に嫌味を言われる。

でも本当に豚みたいに可愛い犬だったんだ。

だからではないが、豚も基本食べるのは苦手だ。

 

要するに、四つ足の哺乳類の肉は、その味がどうしても苦手なのだ。

辛うじて食べられる肉は鳥だ。

とはいえ、ササミが好ましい。

魚はといえば、ジャコと塩鮭とマグロの刺身しか食べたことがなかった。

 

私が育った家庭は、よくいえば放任主義だった。

実態は、ただの放ったらかしだ。

子どもが健康に育つための世話や教育なんて、まったく受けていない。

ここでも少し書いたことがあるが、

母を認知症外来に連れて行った際、受けた診断は、

「認知症はアルツハイマー型だけど、それ以前に重度のアスペルガーだね。」

だった。

母さんは、アスペルガー。

これは私にとって、やっと腑に落ちた瞬間だった。

だろうねっと深く納得したのだ。

あの人が悪意のある毒親だったら、今頃ぶっ飛ばしているが、

私の母は昔から悪意を感じなかった。

まるで無邪気なじゃじゃ馬のように、我が子を蹴散らかした。

だから幼い頃は大変だった。

とにかく自力でなんとか生き抜かなければという意識が強かった。

そのせいか、子供のくせに、非常に猜疑心の強い子供だった。

先生も同級生も親も食べ物も、なにもかも信じなかったし、知らない食物は口にしなかった。

なにもかも怖かったんだ。

私の周りの全ての存在が私を脅かすものとしてしか認識できなかった。

振り返れば、まるで捕らえられた野生動物の心境だ。

私の記憶では、5歳だ。

5歳で、心のシャッターをぴしゃっと閉めた。

そんな私の成長を支えたのは、カルビーポテトチップス・コンソメパンチと給食の食パンだった。

本当に、それ以外まともに食べた記憶が無い。

私にとって安心する食物が、これらだったわけで、

私は食物を美味しいかどうかではなく、安心かどうかで判断していた。

すすめはしないが、人間はイモと小麦で案外育つものだ。

 

それでも、成長しきってから、

私はいろんな人やいろんな食べ物に出会い、少しは食の幅が広がった。

とはいえ、人としての幅はまったく広がっていない。

鶏肉(主にササミ)は食べらると気付いたのも、大人になってからだ。

食べ歩いて学んだというより、料理をすることで、私の食は広がった。

早めの結婚が、私に様々な学びを与えてくれたのだった。

それなりに辛かったけれど、一人の男を愛しただけで、

それだけで、私は多くを学んだ。

あの鬼みたいな舅さんが、鬼のように様々な魚を釣ってこなければ、

私は魚をさばくことも、食べることも無かっただろうし、

姑さんに、息子可愛さから来る嫁いびりを受け、

私は「これは悪意だ!」と気付いた。

息子を盗られたような気分や若い女への嫉妬や

なんかもう、とにかく気に入らんと思う、

その悪意が手に取るように理解できた。

おかしな話だが、私はそんな姑さんに安堵を覚えた。

実に人間臭くて、私は姑さんが嫌いじゃなかった。

離婚するとなった頃には、泣いてくれた。

別れ行く私のために、あの人は泣いてくれた。

やっぱり人間臭くて、可愛らしい女性だった。

 

話は大幅に逸れてしまったけれど、

永遠のテーマとは、唐揚げの衣なんだ。

私は長年、ササミの唐揚げの衣について、様々試してきた。

小麦粉だけにしてみたり、片栗粉をまぶしてみたり、

小麦粉と片栗粉をブレンドしてみたり、

そこに卵白を加えた日、マヨネーズを混ぜるといいと聞いた日、

あらゆる衣をササミに纏わせてみた。

もちろん、ササミも色んな汁に漬け込んできた。

「しっくり、こない・・・」

そう、どれもこれも、しっくりこないのだ。

 

ところが、ある日、

日清製粉から揚げ粉でササミをまぶしてみた。

期待なんてしていなかった。

その日は、ひどく疲れていて、夕食を作る気にもなれなかった。

投げやりな気分で、から揚げ粉をまぶした。

「おぉぉぉぉっおいしいやんけ!」

何十年、追い求め来た我が人生のテーマが、

まぶして3分で解決してしまった。

なんだったんだよ、この数十年は!!

 

さて、我が家の無邪気なじゃじゃ馬といえば・・・

あやが窓の外を見ていると、

他の猫は、迂闊に近づかない。

 

あや「あら、のんちゃんも見たいのね?」

 

あや「はい、どうぞ~」

退いてくれる訳だ。

 

あや「今度は、たれ蔵か?!」

 

あや「仕方ないわね~もぉ」

と、やっぱり退いてくれる。

案外、優しいのだ。

 

おい、おたまは?

おたま「あや姉、来ないかな~?」

もはや、優しいじゃじゃ馬に、ぶっ飛ばされたいらしいが、

その気持ち、なんか分かるわ~

 


美の基準

2022å¹´06月24æ—¥ | æ—¥è¨˜

口汚く罵り合う様子は、

世にも醜い有様だ。

 

おはようございます。

まるで、小川の岸に溜まるゴミを眺めているみたい。

私は、両親の言い争う姿を前に、そう感じた。

「わしは、もうあんたとなんか離婚して出てく」

「だったら出ていけばいいだろうが。とろくっさい」

母が認知症になったって、この類の言い争いは絶賛継続中だ。

何十年も続いている。

呆然自失だ。

 

私は、自分の精力を奪われないように、窓の外に目を移した。

月は見えない。

鮮やかな草木も、雨夜の闇に覆い隠されいる。

それもまた、美しい。

そのことを確認して、次はスマホ画面に視線を落とし

保存した画像を次々と見ていく。

淡く赤らむ空。

可憐に咲くぺんぺん草。

完璧に丸い、タンポポの綿毛。

子猫を抱く母親。

 

「ねえ、これ見て。これ、3年前のかずこさん」

「この頃はまだ、ババァもここまでボケとらんかったな」

父はそう言って笑った。

「ねえ、かずこさん?

この世はね、美しいもので溢れているんだよ」

それを聞いて、素っ頓狂な表情を浮かべた母に、ハッとした。

 

「わかった!入れ歯だわ。

そうだ、入れ歯を装着しているからだ!」

入れ歯を装着したかずこさんは、可愛くない。

俺が俺がと主張する父さんにも呆れる。

だから、こんなに醜く見えるんだ。

「そういうことなんだぁ」

私は、独りで深く納得して、

「うん、よし!ほい、喧嘩続けて。

あっ、かずこさん、入れ歯を外してから、続けてみて。」

私は、入れ歯有り無しを、検証したくなった。

入れ歯のないかずこさんは、もう何言ってるか分からない。

そうなれば、さすがの父さんも、俺が俺がと被せることは不可能だ。

「早く入れ歯を外しなさい!早く!!」

戸惑うばかりの母の口をこじ開ける勢いの私に、父も狼狽え、

気が付けば、喧嘩どころではなくなっていた。

 

結局、雨夜にもっとも醜く狂気じみたのは、私であった訳だけれど、

私は、可愛いと美しいは、この世の正義だと思っている。

だから、可愛いもの、美しいものを守っていれば、

この世の大方の問題は解決すると信じている。

それだけは、ブレずに主張したい。

歯の抜け落ちた老人が懸命に訴える様は、内容はどうであれ、

可愛らしくも切なく、そして美しい。

それはまるで、

ボロボロになりながら懸命に生きる野良猫みたいだ。

 

我が家にも、美しいものが溢れている。

そして私は、そんな美しいものに囲まれて気が気ではない。

美しいものは正義だから。

この正義を前に、私は常に試されている気分になる。

私に向けられた宝石みたいな瞳は、私の真価を問うてくる。

美しいものは守りたい。

折れるなよ、私め。

のんちゃん、なにして欲しいの?

ん?

撫ぜる?

ん?

のん太「うんとね、えっとねぇ。どうちようかな~?」

君は、本当に美しいな。

ちょっと鬱陶しいけど正義だもんな。頑張る。


願いの栞

2022å¹´06月22æ—¥ | ã†ã‚“この事

一年で最も太陽が長く留まっている日、

私は、猫ベッドをひとつ捨てた。

 

おはようございます。

いつ買ったのか覚えていないくらい、

うんと前から置いていたベッドだった。

鼻炎持ちの猫の鼻水で酷く汚れていたが、

いつからこんなに汚れが酷くなったのかも覚えていない。

けれど、これ以上鼻水が飛び散る心配は、

もうしなくていいということは、はっきりと分かっていた。

 

だから、私はそのベッドを捨てることにした。

ようやく、捨てることに成功した。

死んだはずの鼻炎持ちが、

呑気な帽子を被った姿で栞になってて、それを見たら笑っちゃったからだ。

                       ポンちゃんまま作

「君は呑気だな」

そう思ったら、気持ちが楽になって、

部屋の隅っこに置き去りになっていた汚れたベッドの現実がはっきりと見えた。

「汚いなぁ」

本当に、哀れなほど汚れていた。

この、呑気な帽子を被った猫が、こんな汚いベッドで寝ていただなんて嘘みたいだ。

だいたい、なんという面白い帽子を被っているんだい?

誰が被せたの?

あっ、私だ・・・。

「うんこ、これ、もう捨てるね」

そう呟いて、ベッドをゴミ袋に押し込んだ。

 

私は、栞が好きだ。

自分でも、いくつか作ったことがある。

そして、それは大体、なにか願いのある時に作る。

四つ葉のクローバーを見つけて、それを栞にすれば、

願いが叶うような気がするからだ。

 

けれど、願いが叶った記憶は無い。

だから、猫が死んだのは、栞を作って願わなかったせいじゃない。

猫は死ぬものなのだ。

神仏に跪き、滝に打たれ、万策尽きて栞を何百枚も作りながら願ったって、

猫は死ぬ。

そして、私もいつか死ぬんだ。

 

だけど、私は呑気な栞に願う。

「あの子らを、どうか、最期まで私に守らせて。」と。

この願いは叶うだろうか。

私は運命をへし曲げたって生き続け、

また猫は死に、あり得ないぐらい泣き、

それでもまた猫が死んでも、私は生き続ける。

最後の猫が、呑気な姿の栞になって、思わず笑っちゃったら、

その時が大願成就なのだ。

 

大丈夫。

とりあえず働いて、飯食って、屁こいて、寝て、

その合間に猫の頭を撫ぜていれば、

この願いは叶うのさ。

呑気なのは、猫ばかりだ。

それでいいんだ。