うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

うめの闘病 (完結)

2015å¹´11月11æ—¥ | ã†ã‚ã®é—˜ç—…

「前記事のつづき」

 

11月10日(朝)

へたって歩けない様子のうめ。

朝ごはんを食べたら、また歩き出した。

うん、大丈夫だ

そう思い、あやに留守を託し出勤。

 

11月10日(昼)

昼休みに、うめの飲水のため家へ。

水を飲ませて、再びあやに託し、社へ戻る。

道中、我が家のおじさんから電話が。

「今日は、手が空いたから、僕、家に帰りますね。」と。

 

11月10日(17時過ぎ)

帰宅した私に、おじさんが、

「うめさん、さっき、お水飲めたのに、今になって動かなくなってる。」と。

寝ているうめを見た瞬間、まずいと感じた。

反射反応がない。

急いで、病院へ向かう。

「どうして?なんで?痴呆じゃ死なんだろ?

数値だって死ぬ程じゃないはずだろ?」

 

病院にて

院長は、うめを見るなり急ぎ出す。

診察順をすっ飛ばし、強力なステロウド注射と輸液。

「おかっぱさん、覚悟いるかも。

とにかく頭を下げさせないで。意識混濁するから。

もう、精算は後でいいから、すぐ家に戻って!」

 

11月10日(18時~)

家に戻り、うめを寝かす。

しばらくして、うめが小さく、「うぅぅ」という声。

「おじさん、あかん!うめ逝くよ!」と。

うめの息が少しだけ荒くなる。

私は、「うめ、頑張れ。あともう少しだ、逝け。逝け。」

おじさんは、「うめ、頑張れ。逝くな。逝くな。」

お互い、うめを撫ぜながら、

「逝け!逝くな!」の引っ張り合戦をすること、約5分。

二人して「うめ!うめ!うめ!うめ!うめ!うめ!・・・

ん?・・・うめ?・・・あれ?・・・死んだの?」とスットンキョウな瞬間。

お互い顔を見合わせ、

「死んだの?はないだろうが。」と笑う中、うめは静かに逝きました。

 

11月10日(18時15分)

うめ、永眠。

 

 

17年前、

定価25万円のところ、なんと4万円。

大幅に値下げされた、メインクーンの子猫。

それが、うめでした。

食べても食べても、下痢ばかり。

痩せた子猫でした。

 

下痢を乗り越え大きくなって、うめ3歳のころ

よねを迎え、優しく世話してくれました。

 

多頭の難しさなど全く感じないまま、うめ4歳、

きくを、優しく迎え入れてくれました。

 

離婚してボロアパートに越した直後、うめ8歳、

混乱の中にあっても、うんこを穏やかに世話してくれました。

 

流れ流れて今の家に越して、うめ14歳、

あやを、そっと舐めて迎え入れてくれました。

 

これで我が家は打ち止めと思っていた時、うめ16歳、

小さくて、性別に悩んでいた時、おたまを見るなり、

「この子、オスよ」と教えてくれました。

 

今年、うめ17歳、

保護猫3兄妹、お尻を優しく舐めてくれました。

 

その後、闘病に入る、うめ。

私の不慣れな強制給餌、投薬、頻繁な通院、

寝相の悪い私の添い寝、うっとおしい程のマッサージ、

うめは、全部全部、穏やかに受け入れてくれました。

「あんたの気が済むまで、やんなさい」

そう言われているようでした。

 

歩き続ける、うめ。

もう、いいよ。うめ、もういい。

そう思った、私に、

「そうかい?じゃ、そろそろ逝くよ」と言わんばかりに

穏やかに、そして最後も笑顔をくれて、逝きました。

 

闘病は辛いモノ。

そう思い込んでいた私に、

楽しい、優しい、面白い、闘病を体験させてくれました。

 

うめは、出会ってから今まで、

私の永遠の「憧れの師匠」でした。

うめ師匠、ありがとうございました。

うめの写真を探すも、うめだけの写真は、無いなぁ。必ず、誰かと。

 

「うめと愉快な仲間達」

これで、おしまいおしまい。

訪問いただいた、皆様。楽しいコメントをたくさん下さった皆様。

本当にありがとうございました。

一旦休んで、ブログをリニューアルしようと考えております。

どうぞ、皆様が素敵な笑顔で日々を過ごせますように。

あっ、あたし?あたしは、おっかない程の笑顔で過ごしていきますよ~!


うめの闘病 (11)

2015å¹´11月11æ—¥ | ã†ã‚ã®é—˜ç—…

おはようございます。

皆様には、ご心配や激励いただき、

誠にありがとうございます。

 

今回は、うめさんの更なる闘病の記録です。

現在、うめが患っている病気は、

「慢性腎不全 末期」と「認知症」。

腎不全に対しては、週4日の輸液と諸々の投薬。

それに加えて、やってきたのが「認知症」

 

そこで、我が家の対策

「安全うめルーム」

 

1日中、くるくる延々歩くうめさんの危険を回避するべく、

留守中、我々の就寝中は住スペースを制限。

粗相し出したので、ペットシーツを敷いている。

完全隔離はあえてせず。

理由は、

これ。

私の留守中、あやさんが見守り隊長を買って出てくれたので、

健康なネコなら飛び越えられる仕切りにした。

 

「時々停めましょうルール」

 

ずっとじゃ、うめさん疲れますからね。

手の空いている時は、なるべく抱っこして停めましょう。

何者をも避けぬ覚悟の、「うめさんかっ歩」。

夜中、うめルームで寝る私の顔を踏みつけて来るので、

その時も、当然停めましょう。

 

「鳴いたら、声を掛けようルール」

うめの大絶叫の中、熟睡できるという特技を持つ私が故、

このルール、あまり出来ていないかもしれない。

我が家のおじさんも同類が故、

「夜、うめ鳴いた?」の問いに「解んない」という大人2人。

 

「飲水はこまめにルール」

自力で飲もうとしなくなったので、

1回20mlほどを、何度もこまめにチューするも

私のせいで、半量溢している可能性大!

 

「必殺 監視カメラ」

 

留守中の様子のチェックに、打って付けアイテムです。

帰宅したら、うめルームのトイレにオシッコがしてあって、

「うめ、すごい!まだトイレで出来るのか。」と

感心しながら、監視カメラの録画を確認すると、

大体、おたま。

という情報が得られます。

 

 

昨日からは、よたってしまって、あまり歩けなくなってきた、うめさん。

何日も何日も、頑張って歩いたもんなぁ。

こうなると、今後の課題は

「うめさん、ウンチ踏ん張れますか?」であろう。

 

と、昨日の朝、書いたのですが、

なぜか投稿せず・・・

この記事、要らんようになる予感がしたのです。

「次の記事へつづく」

 


うめの闘病一週間 (10)

2015å¹´11月08æ—¥ | ã†ã‚ã®é—˜ç—…

11月2日(月)

病院にて、輸液。

 

11月4日(水)

病院にて、輸液。

月1の血液検査。

滅多なことで、怒らんうめが、

血液検査で激しく怒った。

院長は、「数値も改善してるし怒るほど元気、元気!」と。

私は、違和感を覚える。

 

11月6日(金)

病院にて、輸液。

うめの様子がおかしいように思うと院長に相談。

まるで、空っぽの様なのだ。

「痴呆かな?でも猫の痴呆は滅多にないけど・・・」

ということで、様子見。

 

11月7日(土)

病院にて、輸液。

うめの様子が更におかしい。

院長も、

「おかしいね。うめさんの眼に感情がない。

おかっぱさん、やはり痴呆だ。」

猫は、痴呆になりにくい、もしくは飼い主が気付かん程度の痴呆なら

たまにある、という程度らしいが、

うめの痴呆は、かなり重症だと驚く、院長。

 

 

〇体重  

3、3キロ→3,2キロ

 

〇血液検査

・尿素窒素 104 (10月は125)

・クレアチニン 5、1 (10月は6、2)

・貧血、多少改善。

 

〇投薬

・カリナール1・2

・セミントラ

・ぺっとチニック

・プレドニゾロン(ステロイド)

・ジルケーン

精神を安定、睡眠の改善などを目的とした、サプリメント。

効く子と効かない子の差がある。

 

〇うめの今の状態

・1日中、徘徊。(止まると、顔が揺れる)

・睡眠は、ほとんど摂らず。

・自力飲食に、一切の興味を示さず。

・排泄は何度かトイレに入れてみると排尿する程度。

・呼びかけに、一切反応を示さず。

・他猫の接触に、一切反応を示さず。

 

ここ、2、3週間、うめは驚くほど元気だった。

私は、その元気に違和感を覚えていた。

その違和感がなにかが、はっきりと解った。

「痴呆」だ。

少しの違和感が、たった2日で一気に確信へと変わるほど、

酷い症状に陥った、うめ。

ベテラン獣医の院長でも、

ネコで、これ程の症状は初めてだと驚き、思わずこう言った。

「うめさんが、うめさんじゃ無くなっている。」と。

 

まるで、別ネコ。

いや、もうネコでもない。

生きる、抜け殻。

 

さぁ。ここからだ。

「心得」

・知恵は絞るが、完璧は求めない。

・改善という期待に、すがらない。

・今を、受け入れる。

・看る側と、看られる側を、切り離す。

 

うめの心と体は、うめのもの。

うめの運命に、我々は従い、受け入れるしかないのだ。

うめよ、一緒に歩こう。

到着する、その手前まで、一緒に歩こう!

今、あなたの眼に映る世界が、安楽なものでありますように

 

 

手の掛かり方が、以前より増してきたので、

今後、更新はかなーり気ままになると思います。

いつも、訪問頂いている、皆様、ありがとうございます。

我が家は、大丈夫!大丈夫じゃないところが、我が家流でつ!

 

 


うめの闘病一週間 (9)

2015å¹´11月01æ—¥ | ã†ã‚ã®é—˜ç—…

10月26日(月)

病院にて、輸液。

うめの体調はかなり安定。

院長いわく

「尿素窒素が100を超えると、普通、痙攣が起こり出す。」とのこと。

うめには、まだ痙攣が起こった事はないが、

一応、その時の対処を聞く。

「静観して。下手に手は出さず。」だそうだ。

頻発してくれば、その都度薬などで対処するしかないらしい。

 

10月28日(水)

病院にて、輸液。

うめ、相変わらず体調安定。

この頃から、ウェットもドライも自力で多少食べるようになる。

以前のように、「腹減ったよー」と、

寝ている私の耳元で、すごい大きな声で叫べるようになる、

朝3時半に。

 

10月30日(金)

 ç—…院にて、輸液。

さーっと行って、ぽちっと刺して、すーっと帰る。

病院が空いていた、そゆ事である。

 

10月31日(土)

・朝は、尿だけ持って病院で、検査。異常なし。

・夕方、病院にて、輸液。

朝は、尿検査なんともなくて良かったですと伝えると、

「おかっぱさん、大変なことが起こってるよ」と

かなり真剣な表情の院長。

「近くで事故があって、テレビ局来てる。

ぼくも、さっき見てきたよ。」と。

あぁ、そーですか・・・

 

〇排尿  1日に5回(セミントラによる尿量増大)

〇排便  1日に約1回(便軟化剤使用)

〇体重  3、3kgで、安定(病院にて、毎回測定)

〇食事  先週同様を強制給餌

・ウェット(小1)程度と、ドライフード(数粒)を自力で食べる。

・おやつ用ウェットは、かかさず自力で食べる。

 

今日は、ちょうど月末ということで、

うめの病院での、お会計を記しておきます。

9月の合計  ¥50,980

10月の合計  ¥48,768

それなりに掛かりますね。

大丈夫、馬車馬となって働きます・・・

おじさんが。

 

男は、才能だけが認められる世界で凌ぎを削った。

いかなる努力も惜しまない男は、

多くの人間を蹴落とし、多くの人間に認められてゆく。

面白いように、驚くような速さで。

 

やがて男は、豪華な部屋に暮らし、良き妻を得た。

それでも男の心は満たされる事なく、

更なる高みを求めて走った。

ただひたすら走り、どんどん走り、

そして、つまずいた。

ようやく気が付いた時には、すべてを失っていた。

 

「眠るように生きたい」

男は周りの人間にそう語るようになり、

ある日、猫の棲む家へ迷い込む。

 

「我が家、猫ルールその1。紐の付いた靴、禁止ー!」

この雄叫びにより、男の次なる苦難が始まった。

 

座布団に腰を下ろせば、猫に退けと言われ、

トイレに篭れば、開けろコールが凄まじく、

開けっ放しのトイレでは出るモノもなかなか出せず

生まれて初めて便秘となる。

癒しの入浴も、風呂の蓋に乗る猫が退かず、

もう寝ようと布団をめくれば、嘔吐物。

目覚めの枕元にも嘔吐物。カバンにも嘔吐物。靴にも、服にも・・・。

食事をするにも、箸を動かすたび、

叩き落とされる食物が、なかなか口まで到達せず。

膝に乗って来ようものなら、気を良くしている場合ではない。

「関節が、そろそろ関節がいかれる。」と泣いても退いてはくれぬ。

大切な話をしている電話口で、猫が叫ぶ。

ウンコを付けた猫を追いかけ、咄嗟に素手でウンコを取ってしまい、

ときには、撫でてやっているのに、どつかれる。

終いには、訳もなくどつかれる。

職場では、猫の事ばかりか、犬の事まで相談される。

 

そんな受難続きの男は、

うめが通院するようになって以来、仕事を急いで切り上げて、

病院に付き添うようになった。

仕事はいいのかと聞かれ、

「仕事も、うめさんの事も、馬車馬となって頑張ります。

それが、この子達への恩返しだから。」

そう言って、男は大事そうに、うめを抱き上げる。

 

うめの乗るクッションも、おじさん用に買ったのだ。  受難はつづく

 

 


うめの闘病一週間 (8)

2015å¹´10月25æ—¥ | ã†ã‚ã®é—˜ç—…

10月19日(月)

病院にて、輸液。

 

10月21日(水)

病院にて、輸液。

 

10月23日(金)

病院にて、輸液。

久しぶりに、奥さん先生だ。

うめの顔を見るに、やはりうめさんは女性好き。

別に院長に手荒な事をされた訳ではないのになぁ・・・。

まあ、意思表示が出来るという事は、元気な証拠。

 

10月24日(土)

病院にて、輸液。

待合室がどんどん込んでいく。

ちょっと難しい手術が必要な患者さんへの説明が長引いている模様。

静かな待合室に「頑張れ頑張れ」の空気が広がる。

 

この一週間は、体調、体重共に、安定。

ただ、手書き記録以外の、私の記憶がぶっ飛んでしまった。

おそらく、院長とも話しは色々しているだろうが、

雑談だったので、ぶっ飛んでも仕方あるまい。

 

〇排尿  1日に、5回

〇排便  1日に、約1回

〇体重  3、3㎏で増減無し

〇食事(朝・夕)

1回につき、a/d缶(1/4量)+チューブダイエット(小3)+カリナール1・2

 

 

驚くほど元気に見える、うめさん。

治った?という、有り得ない期待を持ちそうになる。

 

ある日、ふらっと立ち寄ったペットショップで出会った、パンチョ。

ゴールデンレトリバーの子犬だった。

子犬らしい元気な男の子だった。

その頃、私は自分の子宮が子を宿すには難しいという事を知った。

よし、パンチョを私の子にしよう。

 

楽しい日々が始まる。

そして、そんな日々は3日で終わった。

全く動こうとしないパンチョを連れて、急いで病院へ向かう。

心臓の奇形と、恐ろしい感染症。

「期待をしないでください」

そう言われた。

 

そんなはずない。パンチョだけは助かると期待した。

諦めずに積極的に治療してくれる病院を探し、

そこへ、毎日通った。

 

私は、ガリガリでグッタリしたパンチョを抱え、

会う人会う人に、

「この子は、大きくなる犬種だから、

そのうち、家を壊される。」と笑った。

でも、誰一人笑わなかった。

その後、パンチョは生後3ヶ月で、この世を去った。

 

うめよ、長生きしてくれて、ありがとう。 

パンチョよ、私のもとで死んでくれて、ありがとう。

 

うめさん、しっぽ乗ってますよ。