うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

癖と宝

2019å¹´11月29æ—¥ | æ—¥è¨˜

最近、私は、

鼻ばっかり、ほじっている。

 

おはようございます。

この季節になると、鼻炎持ちのうんこさんの鼻に、

よく、鼻くそがへばり付いているんだ。

それを取ってやると、くしゃみの数が劇的に減る事を覚えてから、

私は、うんこがくしゃみを連発させている時、

必ず、うんこの鼻に鼻くそがへばり付いていないかを確認するようになった。

さらりと、「鼻くそ」と表記しているが、

もはや更にあからさまな言葉「うんこ」という表現を、

幾度となく記さねばならないのだから、お気になさらずに。

 

続けます。

ところが、くしゃみも鼻水も出てる様子のない、のん太も、

気が付くと、必ず右の鼻にだけ、鼻くそが付いている。

これは、うんと幼い頃からだ。

これもやはり、ぼじってやる。

 

そんな私は、何かをほじくり出すという事に快感を覚えるタチがゆえ、

もちろん、自分の鼻も、鼻くそが溜まっていようがいまいが、

そんな事お構いなしで、鼻をほじる癖を持っている。

当然、耳もほじるので、外耳炎の経験も豊富だ。

今、ここで、あなたの宝物は?と聞かれれば、

「父さんがカスタマイズした、銀の耳かき」と迷いなく言える。

ちょっと前の記事で、うんこは私の宝って書いたくせにだ。

いやちょっと待てよ。

うんこが、私に鼻をほじらせてくれてるという事を踏まえて、

宝と思っているのではないか?

そんなはずない!

違う!

いやでも、のん太の事も宝だと思えている自分がいる・・・。

 

そんなのん太を別角度から、宝だと思ってる猫がいる。

あやさんだ。

あやは、基本、オス猫が嫌いだ。

ついでに、人間の男も嫌いだ。

嫌いというより、注意している感じだ。

「男って何をするかわかったもんじゃないわ」っといった具合だろう。

実際は、何もされていないのにだ。

何かしようとも思っていない時点で、ぶん殴るから何もされていないんだ。

されているのは、オスたちだ。

しかし、のん太の尻には、並々ならぬ愛着があるらしい。

だから、正確には、のん太ではなく、のん太の尻。

もっと言えば、のん太の臭腺の匂いだ。

 

あや「あぁぁ、たまらないわ。炙ったイカの匂いがする~」

 

かなり、深く行っているが、

時々、注意は怠らない。

あや「おい、見てんじゃないわよ!ぶつぞ!シャーーーー」

理不尽だ。

 

無邪気な幼子が、無になる努力をしているが

 

あや「ちょっとぉ、喧嘩売る気?やってやんよ~!」

ってね。

こんな理不尽、あっていいのでしょうか?


約束

2019å¹´11月27æ—¥ | çœŸé¢ç›®ãªæ—¥è¨˜

おじさんのお父さんが亡くなった数日後、

私は、白い子猫を拾った。

 

おはようございます。

49日まで毎週日曜日に、

7日参りのご供養をすることになっていたが、

私は子猫の世話で行けなくなってしまった。

 

その5年後の今月8日、

おじさんのお母さんが亡くなった。

私が初めて会った時には、もうすでに寝たきりで認知症を患い、

人と話すことも、ままならない状態だった。

そんなお母さんに、私はどう自己紹介していいか分からなかった。

施設に入所していたから、介護らしいことなどしていない。

お父さん亡きあと、手続きや支払いなどの事務的な事をしてきただけだから、

当のお母さんは、私を、全く認識できないままだった。

そして、お母さんが亡くなった今も、

やっぱり、我が家には白い子猫が居て、

ご供養も、ドタバタする中で行う事となってしまっている訳だ。

 

私は、今更だが、お嫁さんではない。

おじさんと暮らし始めて、10年ほど経つが、

法律上は、れっきとした独身だ。

私などに、お嫁さんなんて務まらない。

 

それでも、お父さんは亡くなる数日前、私と二人きりの病室で言った。

「息子を、どうか、よろしくお願いいたします」と。

うわごとのように、しかし丁寧に、2回繰り返した。

この言葉が、お父さんが声に出して発した最後の言葉だった。

当時の私は、今も治っていないが、かなり適当な人間だったが、

あの言葉は、とても重くてとても真剣で、痛いほど伝わってくるから、

私は、うろたえたまま、はいっと答えてしまった。

 

そうして、

お父さんが亡くなった直後から、その家族の間では、

おじさんの事だけでなく、妹さんの事やお母さんの事で

様々な問題が起こった。

私は、それらを解決する手助けをせんと、

自分なりに奔走してきたつもりだが、

傍から見たら、迷走状態に見えただろう。

所詮私だ。

出来のいいお嫁さんだったら、もっと良く手伝えたに違いないんだ。

それに加え、私は私で、

大事な時に限って子猫の世話で思うように動けなかったりで、

全く、どうなってんだい?と天を仰いだ。

 

私は今、せめて、小さな骨壺に話しかけている。

今なら、きっと、お母さんに伝わるだろうと、なぜかそう思えるからだ。

そして、お父さんに問いかけている。

私は、貴方との約束を守れているだろうかと。

 

あなた達の息子さんは、

今、こうなっています。

なんと、2本のじゃらしを、器用にさばきこなしている!

こき使い倒されています!主に私に・・・。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。あんま見ないでってね。

そして、ありがとうございます。

 


猫と私

2019å¹´11月24æ—¥ | æ—¥è¨˜

猫の1年は、

人の4年分だと言われている。

 

おはようございます。

だから、人は猫に追い越されてしまう。

出会った時は、私はまるで親の気持ちになったのに、

10年も共に暮らしてみれば、すっかり追い越されいる。

 

うんこさんは、もう13歳だ。

拾った時は、眼もまともに開いてない、小さな小さな猫だった。

あの日から、私は、うんこの親になった。

なったつもりで育てたのだ。

努力なんて要らなかった。

意識しなくとも、私は親の気持ちでいた。

辛いくらい、親の気持ちになっていたから、

うんこが病気にかかった時、全身が震えて立てないほど取り乱した。

そんな私を支えてくれたのは、当時8歳だった、うめさんだ。

猫の8歳といえば、人に換算して48歳。

13年前の私より、うめは年上だった訳だ。

うめさんだって、子猫の頃は、私の子だったのに、

あの頃にはとっくに、私を追い越して、師匠のような存在だった。

もはや、敬語で話しかけていた。

 

そう考えてみれば、

わざわざ換算しなくても、

猫は歳を追うごとに、ちゃんと私を追い越していく。

 

そして、猫同士の関係も、歳を追うごとに変わっていく。

おたまが子猫だった頃、あやは面倒見の良い姉のようだったが、

今じゃ、時々、見てらんない位の見苦しい喧嘩をする。

おたまは、ぶん殴られても、あやが好きだが、

あやは、気分次第で、おたまをぶん殴る。

かと思えば、私に叱られたあやを慰めるのは、いつも、おたまなんだもんな。

それじゃ、悪者は私になっちゃうやないか!

8歳のあやは、私と同世代。

今の私達は、ちょっとライバル的存在だったりする。

かと思えば、慰めあったりもする訳で、親友のような関係だ。

おたまは、私にとって、つれない男の子だ。

年下の男の子。換算すれば30代なかば。

付き合ってみたい!

 

たれ蔵とのん太は、ちびっ子ギャングと言いたいところだが、

たれ蔵が良い子のお手本を担って、まるでボーイスカウトのようだ。

とっても健全な子供たちだ。

もっと、怒鳴らせてほしいと思ってしまうくらいだ。

私は、のん太の曲者っぷりは、いつ突出してくるかな?と腕まくりしている。

 

うんこさんは、今や我が家の最長老だ。

常に穏やかにどっしりと存在している。

子猫だろうが我儘な中年女だろうが白い舐め魔の男だろうが、

分け隔てなく、落ち着いて接する。

そして、私にとっては、宝だ。

あれ?鼻にクリーム着いてるぞ。

また、盗み食いしたな~?!

 

あの暴れん坊過ぎて、泣きが入ったほどの猫が、

今や、私の宝物だ。家宝だ。

 

そして、換算さえ出来ない歳で逝ってしまった子猫もいる。

たった23日間しか居なかった子猫だったが、

私は、いまだに、あの子の事が語れない。

語れるほど思い出の数もない。

ただ、心の中の、あの子のためのスペースがぽっかり空いたままで埋まらない。

こんな気持ちは、初めてだ。

辛いけど、愛おしい痛みだ。

こしょうは、ずっと、私を母親のままにしてくれている。

私の可愛い子、そのままに。

だから辛いのなら、私はそれさえ愛おしく思えるんだ。

 


私の毛色は、バイカラーです(白髪交じり)

2019å¹´11月22æ—¥ | æ—¥è¨˜

ちょっと前に、

猫の模様(毛色)人気ランキングを目にした。

 

おはようございます。

順位は覚えていないが、上位は

三毛猫やキジトラ、そして黒猫だった。

トップは茶トラだったと思う。

かくいう私も、茶トラには憧れを抱いている。

ライトなブラウンって、素敵ですよね。

10代の頃、ライトなブラウンヘアーにしたくて、

ブリーチ剤を買って自分で脱色してみたら、

深い闇を背負ったヤンキーみたいになってしまったのを思い出す。

私が目指したのは、高橋ひとみさんだったのに。

そういえば、

先日行った美容院では、往年の高島礼子さんヘアーを目指してみたのだ。

結果は、部活動に勤しむ、老けた中2に見える。

ある意味、局所的には若返った印象になった訳だから、

成功だと思い込むよう、日々心掛けている。

 

そんな我が家には、茶トラの猫はいない。

実は、触った事もないのだ。

それどころか、考えてみたら至近距離で見たことさえないなぁ。

いつか、絶対、ポンちゃんに会いに行こう!

 

と、少し話が逸れたが、

我が家には白猫が2匹もいる。

白猫は人気ないのかな?

繊細なイメージが強いから、飼い辛そうと思われがちかな?

飼い主の感想を申せば・・・

白猫は顔に模様がない分、とっても表情豊かに見える。

それがゆえ、表情が気になるのだ。

だからか、話しかけ率は高まる。

「ねえ、おたま?こっちとあっち、どっちに進めば運気があがるの?」ってね。

もはや、白猫の表情で、人生の選択さえ占おうとしてしまうのだが、

当の白猫は、どこ吹く風といった具合なのだろう。

 

おたまとのん太は、もちろん、性格の違いはある。

しかし、独創的な世界観を持っているのは共通している。

平たく言うと、癖が強い。

 

おい、おたま!

君は最近、新たな食事方法を開発したんだよな?

そうやって、食べるのがいいんだな?

 

そうでなくっちゃ、食べないんだもんな?

 

ねえ、のん太?

やめて!

普通にやめて!

君は、まだ何かしらの紙を食べようとするの、やめて!

ヤギか!?

 

のん「これは、のんの物ら!」

かかぁのだ!

 

とはいえ、黒猫だって

たれちゃん?

ご飯は座って、食べよう?

その恰好、食べ辛くないか?

たれ「食べづらいです」

だろうな!

毛色に限らず、猫はどの子も個性豊かで面白いですね。


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2019å¹´11月20æ—¥ | æ—¥è¨˜

昨日は、

久しぶりに、

コンサートなるものに行ってきました。

 

おはようございます。

長渕剛さんって、かっこいいですね~。

いえね、別にファンという訳ではないんですが、

誘われたから行ってみた。

映画とその後ライブという構成だった。

 

長渕剛主演の映画、「太陽の家」映画館でも公開される予定だが、

是が非でもおススメという訳ではありません。

こらー!こらー!こらー!

とはいいつつ、長渕さんの魅力は満載です。

そういう意味で、観る価値はあります。

 

あくまで個人の感想としては・・・

ストーリーはシンプルに温かいものだが、

あまりにも展開がシンプルすぎて、これは浅いのか深読みすべきかと

戸惑いながら観る事になりそうだったが、

いかんせん、長淵さんの演技がとても魅力的だもんだから、

もういい。純粋に観ようって思えた。

ウルっと来るポイントは、何度かありました。

そこも、長淵さんの魅力がなせる力技が抜きん出ていた。

上腕二頭筋の盛り上がりくらい、抜きん出ていた。

テーマは家族愛だろうゆえ、幼い子も出演しているのだが、

私ね、映画でもドラマでも、近所のスーパーに至っても、

幼い子を見ると、必ず、我が家の猫たちとかぶってしまう。

今は、子猫がいるから、特にだ。

駄々をこねてる幼子や、淋しそうな幼子、無邪気な幼子、

どんな様子の幼子を見ても、「のん太~たれ~」と、

うるうるしてしまうので、

そもそも、映画の評論など出来る立場ではない!

 

映画が終わり、ライブになれば、

音楽に浸りつつ、心は我が家を思っていたさ。

 

たれ~!

のん太~!

おーい、かちゃんだぞ~

 

はっ、のん太、かかぁに気付いたな?

気付いたよな?

 

こらーーー!

無視すんなーーー!