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Landscapes by the roadside

路傍学会


界隈のLandscape 203

船橋市西船界隈
  240831-1 東中山駅

 京成の東中山駅で下車し、船橋市西船界隈を歩いた。

  240831-2 西船6丁目

 県道180号を北上し、西船六丁目の坂道を下る。

  240831-3 葛羅の井

 突当りに欅の大木が見える。

  240831-4 葛羅の井

 欅の傍らに説明板がある。この欅は船橋市内で最大のものという。説明板には「葛羅の井」と記されている。

  240831-5 葛羅の井

 「葛羅の井」である。今では、水は濁り金魚が泳いでいるが、昔はこの水脈が竜宮界まで通じていて、いかなる日照りにも涸れることなく、マラリアの一種を患う者がこの水を飲めば治るともいわれていた。これまで、路傍学会では「勝間田の池」、「二子浦の池」、「二子藤の池」などを報告してきたが、かつての葛飾の地は水に恵まれた地域だったようだ。

  240831-6 葛羅の井

 「葛羅の井」の前に石碑が建っている。戦後、この辺りを散歩していた永井荷風は、宣伝広告が貼られた石碑の、僅かに露出していた文字が気になり、傍の井戸でハンカチを濡らし石碑をきれいにすると、現れた碑文と筆跡は大田南畝の揮毫によるものであった。後日、これが新聞に掲載され葛羅之井は一躍有名となったという。

  240831-7 葛羅の井

 路傍に建つ説明板には、この石碑の傍らに立つ永井荷風の写真が掲げられている。

  240831-8 西船6丁目

 葛羅の井から南へ歩く。

  240831-9 宝成寺

 西船六丁目の路傍に宝成寺が境内を構えている。

  240831-10 宝成寺

 参道の坂を上ると山門の右手に六地蔵や十九夜塔と並んで馬頭観音が祀られていた。元号の部分が剥落しており、造立年は不明である。

  240831-11 宝成寺 成瀬氏の墓

 この一帯はかつて栗原郷といわれ、江戸時代の初期は成瀬氏が治めており、墓地の奥に成瀬正寿の巨大な墓石がある。高さ約3.6m、幅90㎝、厚さ40㎝余りで、千葉県内で最大級の墓石という。

  240831-12 葛飾明神社

 江戸名所図会の「葛飾神明社」である。画面右の赤い丸の中に「葛の井」とある。葛羅の井である。画面左のオレンジ色の丸が宝成寺である。右上の文章に、宝成寺に椿の大樹ありとあるが、今、その姿はない。この名所図会を見ると、葛羅の井、宝成寺などは江戸時代から近接した名所として認識されていたことが分かる。

  240831-13 京成西船駅

 宝成寺から南下し、京成線を越えるが、踏切から京成西船駅が見えた。

  240831-14 西船5丁目

 さらに南下し、総武線の地下通路を通る。うーむ、こうした通路の落書きは何とかならないものだろうか。

  240831-15 福泉寺

 市川市に入り、二俣日枝神社を参拝してから県道179号を越えると福泉寺がある。行徳山福泉寺は江戸時代に本行徳の金剛院から移されたという。

  240831-16 福泉寺前

 福泉寺近くの県道の路傍に庚申塔が祀られている。左端の青面金剛碑の右側の側面には「左 舟はしミち」とあり、道標を兼ねた庚申塔である。文政元年(1818)の造立。

  240831-17 福泉寺前

 背後を流れる水路を見ると、体長15㎝程の魚が泳いでいた。ボラの幼魚だろうか。

 この後、西船橋駅まで歩き帰途に就いた。

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