何ともアンビバレントな思いを持ってしまうのは、なぜだろう。
横綱の白鵬翔関が現役引退の意向を固めたとのことで、朝からこのニュースが持ちきりになっていたように思えます。
白鵬関は父親がモンゴル相撲の横綱とも言える地位の方で、レスリング選手としてオリンピックにも出場している経緯を持っています。父親のように活躍したいとの想いをもって15歳(2000年秋)の時に日本にやって来ています。しかしながら、いわゆる小兵だったため、入門先が見付からず、帰国するすんでのところで今所属する宮城野部屋への入門が決まります。今もそうだったかと思いますけど、外国人力士の入門数は部屋に1人か2人だったかの制限があったので、当時入門を決めた親方の先見の明はすごかったと思わされます。
入門後は厳しい稽古に耐え、関取になっている先輩力士衆の胸を借り、自身の相撲勘を磨いたところ、18歳の若さで新十両・新入幕(関取)の仲間入りを果たしました。その後の出世も早く、22歳(2007年秋場所)で横綱になります。
当時の横綱は朝青龍関が全盛期の時代。しかしながら、横綱昇進3年後の2010年に不祥事(暴力事件)で引退に追い込まれると、2012年の日馬富士関が横綱に昇進するまで、一人横綱としての責務を全うしています。
その間も相撲の基本(準備運動)である四股(しこ)と鉄砲を忠実に行い、他の誰よりも稽古を積みながら、かつて大鵬関の持っていた32回の優勝記録更新を目指し優勝を重ねていきます。そしてその記録は、大鵬関の亡くなった2年後の2015年初場所に達成します。
ただ、この記録を抜いた辺りから、年齢的な面や横綱のプレッシャーからなのか、取り組みなどに粗暴な面(いわゆる横綱としての品格を問われる場面)が目立ってきたように思えます。勝ち上げ・張り手・変化(立ち合いなどに急に行動を変える行為)を代表するように横綱らしからぬと親方衆が称する無理な取り口や勝利後のガッツポーズ、さらにはインタビュー中の問題行動や不平を漏らす行為などがその一例でしょう。それでもなお、彼に勝る力士というのは終(つい)ぞ現れなかったとも個人的には思っています。横綱審議委員会の矢野弘典委員長の残したコメントである「横綱在位中の実績は歴史に残るものがあった」が「粗暴な取り口、審判に対する態度など目に余ることが多かった」が、それをますます思わせます。
これも恐らくですが、ひざの状態の悪さよりも照ノ富士関が横綱に上がったことで、自分の役割を終えることができると悟ったのではないかと思いますし、東京オリンピックまでは現役を続けると言っていたので、東京オリンピックの終わった後、続ける理由が無くなったのではないかなとも思えてならないのです。現役終盤のケガがちだった点とモチベーションが無くなったことと昨今の取り口を見ていたら、引退も至極当然の流れだと思っています。それゆえに、引退意向のニュースを聞いても、全く驚かなかったですね、正直。
じゃあ何でアンビバレントとまで評したのかと言えば、やはり白鵬関を越える力士が現れなかったのと宮城野部屋で新型コロナウイルス感染者が出たために出場できなかったことじゃないのかなと。先述の通り、ひざの状態が悪かったため相撲を取れる状態じゃなかったと言っていますが、これは詭弁だなと。恐らく秋場所は土俵に上がって自分の相撲ができるか否か様子を見ていたと思います。その過程で負けが込むようなことがあれば休場→引退の流れだったのかなと思っています。これで勝ち越すようなことがあれば、彼のことですから九州場所も土俵に上がっています。だからこそ、九州場所に上がって引退を決めてほしかったとも思っています。でなければ、何でこんな潔さをもっと前に見せなかったのだと思えたからです。ちょっと後味の悪い引退の仕方だったなぁ。本人自身が不祥事を起こしたわけでないので、なおさら。
引退後は、年寄株をもらい親方の道に進むとのこと(2019年に日本国籍は取得済みのため、親方にはなれるようになった)。45回優勝の記録は伊達ではないので、後進を育てる際には基本に忠実なかつての姿を仕込んでほしいことと自らの教訓を後進にも繰り返させないよう心技体の教育もしっかりとやってほしいものです。平成の大横綱・モンゴルの新たなる英雄白鵬関、本当にお疲れ様でした。