フランス シュノンソー 京都 修学院離宮 西洋人は「美」を人工的に創造し、日本人は「美」を存在から発見すると言われますが、このことは、西洋庭園と日本庭園の造り方を見るとよく分かります。
フランスのロワール渓谷にあるシュノンソー城の庭園は、人工的に造られた美です。京都の修学院離宮は、自然の地形と植生をベースにして、不必要な植物などを抜き去って造ったという意味で自然的美と云えます。(写真1、2)
美というイメージが初めにありきという場合と、白紙の状態で自然を眺めていて美を発見する場合とでは、美に対する基本的立場が異なります。前者の態度はアクティブであり、後者の態度はパッシブです。
造園や彫刻や絵画と違って、写真撮影は存在するものを写すわけですから、基本的にはパッシブな態度と見なされます。存在するものを眺めて、その中から美しいと思うものを取り出すという意味では日本庭園の造り方に似ています。
活花を撮影して写真芸術だという人もいますが、それが成り立つのは実物より写真の方が美しいという場合でしょう。しかし、実物の造形と写真の撮影のどちらが美の発見により多く貢献しているかと問われれば分からなくなります。
写真の場合は、被写体が自然物でも人工物でも構いませんが、その中に美を発見することです。平凡な被写体に人の知らない美を発見すると嬉しくなります。何気ない情景に感動する場面を発見すると楽しくなります。
新しい美の発見は、じゅっくり観察して行うこともあれば、瞬時に直感的に行うこともあります。貝殻やチューリップの造形美を撮影した写真家ロバート・メイプルソープが前者なら、決定的瞬間を唱えた写真家カルティエ・ブレッソンは後者です。
写真機を片手に美の探訪者になることほど楽しいことはありません。 (以上)
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