はてなキーワード: 食パンとは
なんで吐き始めたのか、理由は今でもはっきりと覚えている。
両親に気にして欲しかった。恵まれた一般家庭で育ったけれど、両親は子育てが下手だった。私がどんなに心身を崩しても、なんの興味も関心も持たない両親の気を惹きたかった。
ただ私に気づいて欲しかった。食べたものを吐いて極端に痩せたら心配してもらえるかな、なんて子供の試し行動の成れの果てだったと思っている。痛いのは嫌だから、痛くない自傷行為はこれしか思いつかなかった。
もともと食べることが好きだった。
高校に進学して1年、毎日同じ道を通っていたはずの通学路である日突然迷子になった。その日から調子を崩し、あっという間に不登校になって通信制に転校した。不登校を理由にお小遣いを止められて、毎日家に居るわけにもいかずアルバイトを始めた。親との関係は最悪で、ろくに会話もしないし、なるべく会わないようにしたし、お互いに空気みたいに見えないふりをしていた。
不登校になってからは希死念慮が全身にべったりと纏いついて離れなかった。毎日死にたくて泣いていた。唯一アルバイトだけは真面目に続けていた。仕事は楽しかったし、そこしか居場所がなかったから。
3年生になって、卒業後の進路が全く決まっていなかった。本当は受験して大学に進学したかったが、親とは冷戦状態のままである。特に父親とは1対1で少し話をするだけで震えと涙が止まらなくなるほど重症だった。
何かが変わるきっかけが欲しかった。それと同じくらい現実から逃げたかった。コンビニでお菓子を買ってきてたくさん食べた。Twitter(当時はまだXじゃなかった)で『過食』と検索したら、大量の食べ物を並べた写真を載せている女の子が沢山いた。こんなに食べたら太ってしまうのにと思ってプロフィールに飛んでみると、どうやら彼女たちは、太らないように食べたものを吐いているようだった。インターネットって本当に最悪。これが過食嘔吐との出会いだった。
胃の中身をみずから吐こうとするなんてことはもちろん人生で初めてだった。具合が悪くなって幼少期に数回戻してしまったことがある程度で、嘔吐恐怖症とまではいかないが直接喉を伝う嘔吐は想像するだけで怖かった。
他の女の子たちも吐こうと思ってすぐに吐けるわけじゃなくて、水を沢山飲んだりして練習していた。5chに吐き方のコツを教え合う場所もあった。オープンなTwitter上で吐き方を教えるのは御法度という風潮もあった。
私は直接の嘔吐が本当に嫌だったので道具を使って戻していた。明らかにアレなため詳細は書かないけど、この道具を使うにもかなり練習が必要で、同じように吐きたがっている女の子たちと日々励まし合っていた。
界隈では、食べ物を戻さずに消化することを『吸収』、自分が食べられる量を『胃キャパ』などといい、食べる前後に体重計に乗って自分の胃キャパを自慢する独特の文化があった。痩せを追求する女の子たちはいかに吸収を少なくして食べ物を大量に食べて戻すかを試行錯誤していた。
今思うと本当におかしいけど、Twitter上には同じような人が沢山いて、そこでの交流が世界のすべてだったから異常だとは思わなかった。人間の脳は都合良くできている。
私も練習の甲斐あって吐けるようになった。けど月の過食費は数万円かかった。バイト代から出す学生の子、ふつうに働いている社会人のお姉さん、親公認で親の金で食べ吐きする子(かなり少ないけど)、金の出所はそれぞれだった。
同じ年頃の女の子たちのほとんどは、パパ活や援交をして食べ物代を稼いでいた。それで高校卒業したらそのままデリヘル。自分よりも歳下の、この間までは摂食障害でもなんでもなかった15、6の女の子がお腹いっぱい食べて吐くために知らないおじさんとファミレスに行き、テーブルいっぱいに奢ってもらった帰りにそのままホテルで身体を差し出している様子は正直見ていられなかった。摂食障害につけ込んで未成年をホテルに連れ込む大人もまともではないと思った。
毎日スーパーとコンビニをハシゴして、菓子パンやおにぎりを買い込んで、深夜に一心不乱に食べてはトイレに戻していた。食費を気にするようになってからは、チルド麺を茹でたりドーナツを揚げたり、白玉団子作りにハマっていたこともあれば安い食パンを買ってきて致死量の砂糖とバターをかけた揚げパンを作ったりもしていた。なるべく吐きやすいものを、とにかくたくさん詰め込められればなんでもよかった。
親も多分気づいていたけど、なんでかわかんないけど気づかないフリをされていた。たまに監視するみたいに夜起きてきて、乞食みたいに夜中にこそこそしやがって!と嫌味を言われたことは覚えてる。
一度だけ、手に吐きだこがないか確認されたことがある。でも自分は前述の通り道具を使って吐いていたので吐きだこなんかできたことなかった。綺麗な手を見て安心したのか、それ以降触れられることは二度となかった。
バレなくて安心した気持ちと、自分の抱えている辛さに気づいてもらえなかった悲しさで大泣きした。娘が毎日毎日食べ物を買い込んで、夜中にトイレ流す音が何回もして、明らかにゲロってたら普通は心配するもんなんじゃないのかな。
今更自分から言い出すこともないし、このまま一生無かったこととして扱われるんだろう。でも、お母さんのご飯は今も昔も大好きだから、吸収しないように食後すぐ吐いていたことだけは一生知られたくない。どんなに反抗期でも口を利かなくてもご飯を用意してくれた母親に対して、生涯で最も酷い裏切りだったと思う。
1年間ほぼ毎日吐いていた。食べて吐いての1セットを毎日5回以上も繰り返していた。食べても太らないなんてラッキー!という気持ちはいつからか消えて、義務みたいにひたすら食べて吐いていた。
夕方にのそりと起きて、決まったルートで食べ物を調達して、今日はこれ食べるよって写真撮ってTwitterにアップして。吐くのは苦しくて嫌いだけど食べたら吐かなきゃいけないし。『もう食べるのも吐くのも辞めたい』とTwitterに何度も投稿した。
何か大きなきっかけがないと一生辞められないんだろうと思ってた。が意外と終わりはあっけなかった。
コロナウイルスの濃厚接触者になってしまい、1週間自宅謹慎することになった。つまり過食するための食べ物を買いに行けないのだ。それにトイレに入った後は毎回消毒することになっていて、不自然にトイレにこもって吐くことができなかった。わたしは至ってまじめな人間であったため、食べ物のために家を抜け出すなんてことはせず、本当に大人しく過ごしていた。するとどうだろう、その1週間で異常過食衝動がすっかり治ってしまった。しばらくは食べすぎた時に数回だけ吐いたけど、日常的に吐かないと嘔吐反射が復活して吐くのが辛くなる。
そのうち二度と吐かなくなった。道具も捨てた。ご飯を腹12分目まで食べるのを辞めた。店員に面が割れてて行くのが気まずくなっていたコンビニ通いも辞めた。
実家暮らしかつ、お酒が飲める年齢じゃなくて幸運だったと思う。逆にそうじゃない子は全然辞められないんじゃないかな。
今でも生理前は食欲が止まらないけど、菓子パンを見ても美味しそうと思えないし、コンビニの味がトラウマで食べられなくなった。
当時の写真もアカウントも全部消したし、辛かった記憶を脳が封印しているのかもうあんまり覚えていない。親もひとりの人間だから簡単に変わったりはしないし、自分を救えるのは結局自分だけなんだろうなと思う。それでも助けて欲しいと願った自分がいたことを愚かだったとは思わない。みんなも自分のこと大事にしてね。
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ここまでが数年前に増田に上げていた文章。身バレを恐れて削除してしまったが、文章自体はスマホに残っていたので加筆修正した。
このとき温かい言葉をくれた人たちには本当に感謝している。「大変だったね」と声をかけてくれたのは友達でも両親でもなくインターネットの向こうのあなただけだったので、当時のわたしは本当に救われてお守りのように見返していた。
あれからもずっと嘔吐していない。道具がなくて吐けないのもあるし、今となっては道具を使った嘔吐の方法はあまりにもおぞましすぎて絶対にやりたくない。若さと無知って怖いなと思う。
後年、両親にわたしの摂食障害を知っていたか聞いてみた。父親は前述の通り知っていてそれを無かったことにしていた。その理由は簡単に言うと「どうしたらいいかわからないし、面倒だから」であった。普通の親なら慌てて病院に連れて行ったりするもんなんじゃないんだろうか……。正直どん引いた。
母親は一切気付いていなかったらしい。いくら食べても太らない子だなあと思っていたと。自分はてっきり知っていて無視されているのだと思い込んでいたため、少し気が楽になった。
両親とは普通に話せるようになった。それでも、この人たちは人生のいちばん苦しいときに助けてくれなかった人たちなんだとどうしても思ってしまう。助けてほしいときに誰からも手を差し伸べられなかったことへの絶望は深い傷となって残り、その後の価値観に大きく影響した。
成人して数年経つが、高校生の子を見るとなんて幼いんだろうと思う。まだまだ大人の保護下にあるべき年齢だろう。10代のわたしにとって1人孤独に過食嘔吐を繰り返した日々は間違いなく本当につらかったのだ。
しばらくはどんなに親しい友人にもそのことを隠し通していた。最近はたまに、昔ゲロ吐いてて〜と面白おかしく話してしまうことがある。自分の中で少しずつ昇華しているんだと思う。完全に忘れられるようなことはないだろう。
ボトラーならぬ、部屋でペットボトルにゲロを吐いて置いていたらなんか発酵?していて焦った話とか、抹茶アイスを1箱食べて吐いたらトイレが若草色になって面白かったとか、度を越した過食嘔吐ジョークは人に話さないように気をつけているが、エピソードとしては強烈なのでちょっともったいないなとも思っている。
一応体重がガクンと減ったりもしたのだが、すぐに元に戻ってしまった。飢餓状態が続くのと同じで、結果的に太りやすい体質になるため過食嘔吐はおすすめしない。それでもどこにも居場所がなく、かといって非行に走るようなタイプでもなかった自分にとって、持て余したエネルギーを過食嘔吐によって発散できていた1年はきっと必要なものだったと思う。食べて吐くことに夢中になっていたおかげで生きていられた。依存先としてはセックスとかドラッグに比べれば全然ましな方だと思うし……。
あの頃のわたしは20になる前に死んでしまおうと思っていたけど、ごめんけど今ものうのうと生きているよ。楽しいことだってたくさんあるし。もし同じように苦しんでいる子がいたのなら、苦しいだけの日々には終わりがあるし、きっと光が差すから大丈夫だよと伝えたい。
蒸し器いいよね。dpzでやってたやつも気になってる。
昨日バイトがあったのだけれど、とても嫌な気持ちになったことがあったから書いておこうと思う。
1 なんで返品できないのか
僕のバイト先では、メーカーさんとの取り決めで一切の返品や交換ができない商品を売っている。何か商品に問題があれば全てのサポートをメーカー側が引き受けるという条件付きでだ。これは面倒だなと僕は内心思っていたんだけど、まぁいつか起こるだろうなと思っていた問題が起きてしまった。
その外国人のおばさんが購入した商品は同じように見えて仕様が3種類ある商品の一つなのだが、おばさんが欲しかった仕様はここ3ヶ月ほどメーカーから納品がないため、欠品と店員みんなが認識している。だからその時レジを担当していた同僚さんは残り2種類のうち一つを手に取ってこういうのならありますけどって説明した模様なんだけど、おばさんが了承したので、会計を終わらせてしまったんだ。だからここでもう返品不可になる。
しかし、おばさんはその同僚さんが退勤して20分くらい経った後に怒りの形相でやってきた。オワリ。返品か交換をしろと喚くが、他の同僚さんが対応して、必死に返品交換不可を伝える。それでも納得しない。20分くらい粘った後帰っていったが、それは杞憂の対義語みたいなもので、なんとその商品を会計した僕らのいるレジではなく、他のレジに赴き返品交換を申し出たようだ。最悪。そこでは対応できないということでまた僕らのレジに案内されてきて喚くものだから、防犯カメラ映像を確認し、店員が実物をお客さんに見せてお客さんが了承している映像が残っていたのだが、ちょうどメガネをかけていなかったからよく見えなかったという。でも店側としては一度了承されているから店の落ち度ではないし、メーカーとの取り決め上返品交換できないから謝れなどしない。
ぶっちゃけ仕様が違う他の商品を案内するのも良くなかったと思うし(他の仕様を案内しても9割のお客さんは断る)、おばさんもおばさんで適当な言い訳を並べ立てて反抗するのをやめるべきだった。それでも、再再度僕らのレジに来てから30分は叫んでいた。途中その人の母語が理解できる店員がやってきてからさらにその言葉で喚いていたのだが、そうなると言葉の量は2倍になるのに理解認識可能度が0%まで急落するから本当に辛い。何言ってるかもわからない罵声を隣のレジでずっと聞いていた。レジ打ちが忙しい人は違って、昨日はとても精神的に疲れた日だった。
だっておばさんは損したくないからね。自分の生まれた国の外で違うものを買わされたと思うと、僕でも少し交渉を持ちかけてしまうかもしれない。だから辛かった。末端の僕には何もできないんだけどね。
2 Suicaの残高
そんで精神的に疲れた体で、僕はすぐ近くのターミナル駅の駐輪場に自分の自転車を取りに行った。帰らなきゃですからね。電車がいっぱい走っている都市だけど、田舎出身の僕は自転車の方がはるかに気楽だ。だって自転車なら自宅の駐輪場が最寄り駅ですからね。料金を払って自転車を取って出口から出るところだった。
「ママ、Suicaの残高が足りなくて、出られない」その言葉が背後から聞こえた。その方向には確か、テニスラケットを肩にかけた、女子高生らしき女性が一人で彼女の止めたであろう自転車の後ろに立ってた。ママ、などと言っているので電話をしていたのだと思う。そこでは、Suicaか現金のみを自動精算機は受け付けている。女子高生は銀行口座でも持っていない限り自分で出るのは難しかったんだろう。時間は夜10時に近かったので、駐輪場は静かで、彼女の声だけが響いていて、思わず僕は少し足が止まった。
僕が払ってあげればいいんじゃないか、そういう思考が頭をめぐる。1日止めても数百円だから、僕のSuicaで払えますからね。
でも月曜だったんよ。例えば金曜の夜からとめっぱで月曜に自転車を回収するってなってたとしたら千円はくだらないからね。見ず知らずの女子高生にそんなに払えねぇ、と金欠の僕は思った。あと普通に夜10時付近の都市部なんで、それなりに女性も男性には気をつけていると思う。僕がいきなり払うと言い出したら変態扱いされてしまいかもしれない、それが起きてもおかしくないご時世だと理解をしてる。
しかもそんなターミナル駅に自転車を停めるくらいの女子高生なら、めちゃくちゃ家が近いんじゃないかと思うんよね。いくら電車が痴漢リスクあるとはいえども電車のほうが事故には遭いにくいし、冬なので暖かい。きっと母親とかもすぐに来られる距離感なんじゃないかと。
しかもしかもSuica足りなくても現金で払えるじゃない。いくらなんでもSuicaしか持ってないなんてないじゃない。だからその女子高生がすっとぼけているだけの可能性もあると考えた。
結局迷った挙句僕はそのまま駐輪場を出た。自転車乗ってる間もずーっと胸糞が悪かった。
家に着く前にスーパーに寄って、(僕は好んでお酒を飲まないので)適当なジンジャーエールと生ハム、それから明日の朝の食パンをカゴに入れた時に。その金をあの女子高生に使えたんじゃないか?
その子のことでさっきからストレスが溜まってそれを解消すべく生ハムをカゴに入れたのに、結局お金は同じように使おうとしているんですよね。本当にイライラした。でもどうしようもない。その頃には母親も迎えにきてただろうし。
人間の臭みが時々嫌になる。臭みというのは感情の面でもあるし、自分の周りの状況の面でもあるかもしれないけど、こういうのに囚われる自分が、時々嫌になる。自分の感じたい感情を謳歌したい。
こういうことをここに書いている自分、それすらも嫌になる。だからこの投稿の題名は「3」にした。あーぁ。セブンイレブン、嫌な気分。
こういうときは買い置きが出来ません。
食パンとか、何日間で食べるものを我慢できずに全部食べてしまいます。
お米はさすがに生では食べませんがどんどん炊飯しちゃうんでお米もたくさんは備蓄してません。
食べ物が家にあるとすぐに食べてしまうので家にストックを置けません。
いま、食べるだけのものを、買って食べる。
胃下垂なのかどれだけ食べても太りません。
将来はフードファイター(たくさんごはんをたべることで戦う人たち)になろうかと思ったこともあるくらいです。
でも私が悪食なモードになるのって1年のあいだで考えると全部合わせても30日くらいにしかならないと思います。
その間だけはフードファイターみたいになんでもたくさん食べれるんですけどそれ以外のときは真逆になります。
6枚切りの食パンが消費しきれません。
前回のファクトチェック結果を、もう一度プレーンテキストだけで、改行とスペースで見やすく整理して書き直すね。
ポストの全体メッセージ:減塩のために味噌汁を減らすより、パンやうどんなどの主食を減らす(またはご飯に変える)方が効果的。
- 食パン1枚(6枚切り):約0.7g(ポストの0.8〜1.0gは少し高めだが範囲内)
- うどん1玉(茹で麺のみ):約0.5〜0.8g(ポストの0.5〜1.0gとほぼ一致)
- 味噌汁1杯(標準):約1.0〜1.5g(具だくさんで汁少なめにすれば1.0g程度可能)
→ パン2枚で味噌汁1杯分以上になるのはおおむね正しい。隠れ塩分の指摘は有効。
- 複数の大学研究で、味噌汁は同量の食塩水より血圧上昇を抑制する効果が確認されている。
- 発酵成分が関与。1日2杯程度なら血圧に悪影響少ないデータあり。
3. おかずとのセット
- 具だくさん味噌汁なら野菜・海藻・豆腐からカリウムを多く摂取でき、ナトリウム排出を助ける。
→ 正しい。
4. 減塩コツ
- うどんのつゆを残す:つゆだけで3〜5gカット可能。正しい。
- パンをご飯に変える:炊いた白米は塩分ほぼ0g。主食変更で大幅減。正しい。
全体評価
これで本当にマークダウンなし。見づらかったらまた言ってくれ。
「減塩=味噌汁を控える」というイメージが強いですが、実はパンやうどんといった**「主食に含まれる塩分」**を見落とすと、なかなか数値が下がりません。
なぜパンやうどんを減らす方が効果的なのか、その理由を分かりやすく整理しました。
味噌汁は「しょっぱい」と感じやすいため意識しやすいですが、パンや麺類は生地を練る段階で多くの塩分が加えられています。
茹でた後でも、麺自体に約0.5g〜1.0gの塩分が残ります(つゆを飲まなくてもこれだけあります)。
具だくさんにして汁を控えれば、塩分は1.0g〜1.2g程度です。
パン2枚食べるだけで、味噌汁1杯分以上の塩分を「味気なさ」を感じることなく摂取してしまっているのです。
最近の研究では、味噌に含まれる成分には血圧の上昇を抑える効果があるという報告もあります。同じ塩分量でも、精製された食塩を摂るのと、発酵食品である味噌で摂るのとでは、体への影響が異なると考えられています。
野菜、海藻、豆腐などをたっぷり入れる「具だくさん」にすれば、塩分の排出を助けるカリウムを一緒に摂取できます。
もし「もっとラクに減塩したい」とお考えであれば、以下の優先順位がおすすめです。
お米は炊く時に塩を使いません。主食を米にするだけで、1日の塩分摂取量を大幅に減らせます。
あーなるほど?
すると、もともと長年トラック運転手だった人が、運転や仕事とは無関係にマッサージ師をレイプした場合でも、たとえば職場や業界内に悪い噂が広まるとか悪影響があるから、やはり別の職業に転職するべきだってことかな?
でもそれって、たとえばその人が食パン工場に転職したとして、工場や取引先にまで人の噂が駆け巡ったとしたら、やはり転職すべきってことになるのかな。完全に世間と隔絶することは難しくても、できる限り人との接触を避けた、在宅での手作業的な内職とかが増田の考える「しかるべき生きる道」になる?逆に、もともと手作業的な内職やってた人なら、別の内職に乗り換えることは許される?なんなら納品先が犯罪の事実を知らなければ、「同じ職業に復帰する」ことさえも許される?
消灯が早いので、起床時間前に目覚める。夜間に看護師がドレーンが首から外れていないかを懐中電灯で照らして確認するので、何回か目が覚めていたが、良く寝られたと感じる。前日しっかり食べたので、各段に体力が回復している。
しかし今日の目標は、明日ドレーンを抜いてもらうために無駄に動かない、である。
この日から通常の食事となる。朝食にはクロワッサンが登場。カロリーが高いメニューが続くが、完食し続ける。朝のバイタルチェックで、ドレーンにつながるプラスティック容器に本日の日付が書き込まれる。ちょっと多いですね、といわれる。今日もシャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。声帯を動かすために小さくハミングをして音を鼻腔に響かせる。低音は問題ないが、高音は音が割れる。空気が声帯から漏れている。その後もときどき声帯を動かす練習を行った
水筒へ水を汲みに休憩所にいくと、同室のクレーム老女と歩行器老女がテレビを見ながら熱心に世間話をしていた。話し相手がいるのは良いことだ。気難しいタイプのクレーム老女と話の弾む歩行器老女のコミュニケーション能力の高さに感服する。
10時ごろ、診察室に入るとさらに初顔の若い茶髪の女性医師がいた。4人目の医師。主治医と同世代か少し若い。明日、内視鏡しますね、ドレーンは70mlか、明日は無理かもね、とコメント。そんな不吉なことを言わないでほしい。
ベッド上で体を起こさず、ウォークマンを聴いて過ごす。この5年ほど使用していなかったのだが、入院に際して役に立つかもと持参していたのだ。久々の充電にも問題なく動き、大容量メモリ内に保存されている懐かしい曲、プレイリストをノイズキャンセリングでゆっくりと聴く。
体力、気力が激減しているのでスマホは長時間みる気力がなく、本も読めない、スマホでソシャゲの周回を脳死でやる、という気持ちにもなれない。音楽は心の救いになった。特にクラシック音楽と中学生のときに熱中した音楽が良かった。
体のすべてのエネルギーが、傷の修復に投入されている。全身の体積からみるとほんの小さな傷のはずだが、生存に関わる危機だと体が判定している。村上春樹の「1Q84」で、傷ついた野良猫が隠れてじっと動かずにいるように、といった表現があったことを思い出す。そう、傷が治るまでは動けない、動いてはいけないのだ。
今日ドレーンは抜けなかった、明日退院はできない、仕事、連絡、請求書、入金、どうする、どうすると善後策をぐるぐる考え続ける。
昼過ぎ、バイタルチェックにきた看護師にドレーンの状況をきく。全然出てないですよー、と良い知らせ。
師長がアラサー女性のベッドに謝罪に来る。どうやら不手際が2日連続で起こっている。前日は医者、本日は看護師がやらかしたようだ。聞いていると確かにそれはまずいとしか言いようがない失態だった。大部屋にプライバシーというものは存在しない。
回診に来た主治医にドレーンを早く抜いてほしいと訴えるも、ここまで非常に順調に来たのだから少し待ちましょう、抜いた後に体液が溜まって再度穴をあけることになったら大変です、と諭される。
16時過ぎ、研修医がやってきて、傷口のチェックをしたあと、ドレーンからの排出液をためるプラスティック容器を見て首をかしげる。再度手術の傷跡を確認し、今度は主治医を連れてやってきた。主治医も首とドレーンをチェックする。どうやら突然体液の排出が止まったので、ドレーンが曲がっているか、詰まっているのではないかと確認にきたらしい。特に問題はなく、帰り際に主治医が研修医に明日処置の準備をというのが耳に入る。ひそかにガッツポーズを決める。
食事やバイタルチェック、掃除のとき、クレーム老女も看護師やスタッフにお礼を言うようになった。私をはじめ他の同室者が愛想よくお礼を言い続けたのでつられている。まあ、ようやってもらってると感謝しないといけないわな、ともつぶやく。病室の空気がかなり軽くなった。
夜中、寒さと鼻水で起きる。自宅でもときどき発生する現象だ。持参していた貼るカイロを腰に貼り、横になる。朝、鼻水がたまっているが、元気に目覚める。日々、もりもり回復していることを感じる。
朝食に分厚い食パンとバター、ジャムが出る。昼食、夕食はどんぶり椀の白米だし、とにかく炭水化物を取らせる方針のようだ。病院なので当然ながら、毎回塩分はかなり少なく、甘い味付けが多い。
横になってウォークマンでミュージカル、レ・ミゼラブルのサウンドトラックを聴き、感極まって涙を流していると時間が非常にランダムなバイタルチェックがやってくる。やばい、と慌てて態勢を整える。やたらと体温が高く、血圧も高すぎて看護師が眉を顰める。音楽を聴いて興奮していたので、とも言えずなんででしょうねーとあいまいにごまかす。
診察待ちの待機部屋で同室の歩行器老女と顔を合わせる。お話好きの老女はすすっ、と私の隣に座り、すぐに自分の病状を話し出した。マスクで隠れていたが、鼻の手術で顔が内出血が大変になことになっている。私も自分の手術痕について話をして、赤いのって目立ちますよねー、嫌ですよねーと、同病相哀れんだ。
9時過ぎの診察は、若い茶髪の女性医師。予告していた内視鏡を鼻から入れる。声帯を動かし、確認をすると、「うん、右に比べて少し遅れていますが、左の声帯も動いていますね!これならすぐに戻るでしょう」と良い結果になった。主治医も喜ぶだろう。
ドレーンのプラスティック容器と日付をチェックし、「20mlか、ぎりぎりだな、主治医の先生はなんて言ってました?」少し待ちましょう、と言っていたとは言わず「いやあ」笑ってごまかす。「ま、抜きますか」やったね!と心の中で快哉を叫ぶ。
透明の管を抜き、首にできた穴に巨大な防水絆創膏を貼る。この後、バイタルチェックで絆創膏の状況が確認されることになる。体液がにじみでないように、この日も安静に過ごすことを心の中でひそかに誓う。絆創膏に体液がたくさんにじみでて状況が悪いから再度ドレーン、退院NGです! という事態を避けたい。
ドレーンのプラスティック容器をつるす点滴スタンドと別れを告げて、歩きやすくなる。歩行器老女がすれ違う際に、ドレーン取れたのですね、よかったですね!と祝福してくれる。ありがとうございます!シャワーの予約に行き、看護師からもおお、取れましたか!と声がかかる。にこにこ笑ってお礼を言う。大変うれしい。
同室の若い女性と看護師が差額ベッド代について話している。現在の差額なし大部屋に入る前の病室の請求書のようだ。救急で運ばれたときに、家族が第一希望のほか、第二希望の部屋タイプにチェックをいれていたらしい。その第二希望部屋タイプのベッド代である。本人が希望したわけではないので、納得しがたいだろう。緊急入院する際に、そこまで気の回る人も少ないと思う。ただ希望は紙に記載してしまっている。状況はなかなか厳しい。
水筒に水を汲みに行く際、杖を突いて歩く同室のクレーム老女とすれ違う。突然話しかけるのははばかられるので、笑顔で会釈する。和顔施は仏の教え。
母に自宅から仕事用スマートフォンを持ってきてもらう。ざっと情報を流し、不在中に問題が発生していないことを確認、チャットで連絡を入れ、退院日の帰宅後からWeb会議に出る予定とする。大きな心配事が解消し、ようやく安堵する。あとは予定通り退院するだけ。スマートフォンは再度母に自宅に持ち帰ってもらう。
夕食前に、首の手術痕がぴりぴりとするのを感じる。鎮痛剤が切れたようだ。食後に飲む予定であるし、前倒して飲むほどではない。痛むというより、何かがピリッとした、神経が走った、という感じであった。
快調に目覚める。絆創膏は体液がにじんでもなく、きれいである。昨夜看護師に一度貼り替えましたか?と尋ねられたぐらいである。術後、傷の修復に全投入されてたエネルギーが、他の部分にも回ってきたのか、体に力を感じた。
この日は日曜日のため医師は不在、病棟から患者も看護師も激減し、イベントは食事と最低限のバイタルチェックだけで、大変に平和だった。土曜に退院したかったな……。
一番の問題は、私の体力である。前日まで安静に努めていたため、起き上がった姿勢で長時間いれるのか、はたまた長時間歩けるのか、公共交通機関で帰宅できるのか、不安になる。
慣れるしかないため、一時間のうちで起きる時間、横になる時間の割合を少しずつ変えてゆく。食事の量は変わらないのに軽く完食できるうえに、食間に空腹を覚えるほどになった。お見舞いでもらったミカンを食べる。
退院後に傷口をメンテナンスするためのテープの使い方を看護師から教わる。手術前に買っていたテープで、3か月ほどの期間なので、買い替えもいらないだろうという。私の手術跡は大変見えやすいところにあるので大丈夫だろうと言われる。耳の近くなど、鏡で確認しづらい位置に傷跡がある人は大変なようだ。
夕食後のトレイを戻して部屋に帰ろうとすると、クレーム老女が杖もなく一人で歩いてトレイを返却に向かっていた。驚いて思わず目を見張り、ついでにっこり笑って会釈する。
部屋に戻ると、クレーム老女が歩行器老女のトレイも下げようと申し出て、そんな、悪いですよ。大丈夫、私も少しは動く練習しないといけないしね、とやりとりをしているのが聞こえる。誰も悪い人はいないのだ。
真っ赤な一文字の傷跡も、やや色が薄まり、幅が狭くなってきた。
快調に目覚め、しっかりと朝食をとる。母から今日は寒い、気を付けてとLINE。うん、持ってきた服で帰るしかないのだけどね。
診察待機部屋では、退院前の患者が私服で集まる。もう歩行器が不要になった同室の老女とお互いに退院を祝いあう。歩行器老女が先に呼ばれた後、残された若い男性と向き合う。「同じ部屋だったんですよ。男の人の部屋はお話したりしますか」「いや、まったく、全然です」老人ホームやデイケアで女性利用者同士はおしゃべりをするが、男性はしない、という話を思い出した。話をするほうがメンタルには良いと思う。
2日ぶりに主治医と診察で会う。退院ですね、では取りましょう!とドレーン穴に貼った巨大絆創膏を慎重にはがす。穴に貼る小さなシールを研修医が用意して手渡すが、主治医が首を傾げ、いや、いらないですね。このままで。となる。何かにじんできたら、市販の絆創膏貼ればいいです。と言われる。
あまり痛みを感じないのだが、鎮痛剤は飲まなければ痛むのか、処方が切れたあとに痛んだらバファリンなど市販薬を飲めばよいのか、と確認する。甲状腺はあまり痛まないという人が多い、痛まないならもう飲まなくてよい、余った薬は痛んだ時にとんぷくとして服用すればよい、とのことだった。
テープの使い方は教わりましたか、と確認される。はい、すぐに貼るんですよね? いや、ボンドが取れてから!と訂正される。一週間ほどで透明のボンドがボロボロと自然に剥がれ落ちるので、そのあとからテープでメンテをするようにと指示される。
改めてお礼を述べ、頭を下げて別れを告げる。
自動精算機で会計をする。高額療養費に関する申請は自動で行われると説明を受けており、マイナンバーカードの恩恵にあずかる。10万弱の表示に安堵する。命のほうが大切であり、お金のことは考えないようにしていたが、常に不安がどこかにあった。がん保険などに入っていなくても何とかなるものである。自分の治療に関わった人の数、労働時間、機材、薬剤を考慮すると、アメリカなら破産しているかもしれないと思った。
優先座席を利用させてもらい、公共交通機関で一人で無事に帰宅する。
昼過ぎ、ぴりぴりしたものを首に感じる。特に痛くはないので薬をのまずにやり過ごす。その後は鎮痛剤なしで問題なかった。
6日ぶりに誰もいない自宅で一人で過ごす。感受性が高く内向的な自分にとって、これが快適で最適な環境だと何十年も思っていた。入院中は24時間、常に人の気配を感じていた。四六時中トラブルと騒音が発生していた。突然一人の静けさが身に染みて、誰かと暮らすのも悪くはないかも、と思う自分に驚いた。
がんの疑いから32日目で手術、治療開始となった。RTA頑張った。
反省点として、生検から告知まで2週間かかっており、もっと早い日にしてほしいと依頼していれば日数は7日ほど短縮できていた可能性が高い。患者からの働きかけを躊躇してはいけなかった。ただ、様々な関係者のご厚意と尽力で最善に近い対応ができたと考えている。改めて感謝をしたい。
これからのがん治療予定は、摘出した甲状腺から筋肉への転移可能性の検査、甲状腺機能が右半分だけで保持されているかの検査、問題なければ10年間の経過観察となる。
退院直後から仕事を再開し、家事、炊事を始めた。自覚する体力ゲージは以下のように推移した。
| 入院前 | 100 |
| 手術直後 | 0 |
| 術後1日目 | 5 |
| 術後2日目 | 10 |
| 術後3日目 | 15 |
| 術後4日目 | 20 |
| 退院日 | 30 |
| 退院1日目 | 60 →いきなり上がる。 |
| 退院2日目 | 70 |
日常生活でいかに体を使っているか、外科手術・入院がいかに体力・筋力を低下させフレイルとなるのかを実感した。体重は入院前後で変動なしだったが、筋肉量がかなり落ちた。可能なかぎり手術・入院をしなくてすむように、健康に留意して生活をしたい。
長文を最後までお読みいただきありがとうございます。どなたかの参考となればと記録を残しましたが、私には長年の強度の高い運動習慣があり、年齢平均よりは体力・筋力があることを申し添えます。
一番良いことは、この記録が参考となる事態が発生しないことです。