はてなキーワード: モンペとは
「社会に出れば分かる」って便利な言葉ですけど、それ言い始めると、自分の見た範囲をそのまま“社会の真実”にしていいことになるんですよね。
例えば駅員、警察、救急、深夜コンビニ店員みたいな“問題行動が集まりやすい現場”にいる人は、そりゃ加害者男性率が高く見えるでしょう。実際、暴力や粗暴犯の統計でも男性比率は高いですし、それ自体は否定してないんですよ。
でもそこから、
「だから男はクソ」
「男は基本加害者」
まで飛ぶと、今度は単なる属性叩きなんですよね。
というか、その理屈だと、
「女は感情的で面倒」
あと、「家から出ろ」って煽ってますけど、社会に出てる人ほど普通の男性なんて視界に入らないんですよ。
静かに通勤して、迷惑かけず帰宅してる人は印象に残らないから。
結局、人間って“問題を起こした人”だけ強く記憶するので、毎日トラブル対応してると世界が加害者だらけに見える。これは職業病としては理解できる。でも、それを性別全体の本質みたいに語り始めると、分析じゃなく感情論なんですよね。
前後関係がよく分からないけれど、反戦を願う事をキモいと言われたのか?本当に?
反戦を願う事の何がキモいんか謎である。着物に謝れとのコメントも謎である。戦争になったら長い袖は切られ、さらにモンペに改造されるのだから、反戦を訴える事は着物の為にもなるのである。そして私と着物はとても仲良しだから他人からとやかく言われる筋合いは無いのである。
自称非モテ男性か女叩きをしてそれを咎められたら、「非モテだって『だけで』叩かれた」と被害者面するのと似てる。
この人が「キモい」と言われたのだとしたら多分、特権階級ならではの鈍感さや無神経さではないだろうか。
この人が売っているような高価な着物なんてものは、我々のような庶民には縁が無い。
「戦争になったら長い袖は切られ、さらにモンペに改造されるのだから」って、戦争にならずとも、農村の女性はそういう生活だった事実を無視している(モンペは喜多川歌麿の浮世絵にも描かれている)。この人に見えているのは都市生活ブルジョアの生活だけのようだ。
「私と着物はとても仲良しだから他人からとやかく言われる筋合いは無いのである」というのも、その高価な着物を手に入れるための裏にいる大勢の人間の存在が見えていない。特権階級な傲慢さだ。
この人、贅沢な着物を着て、子供を産んで猫も飼って、恵まれた優雅な暮らしをしていて、それに対して全くの無自覚で。そりゃ反発も買うだろうね。我々のような下々の人間の生活なんてまるで見えていないのだろうな。
戦争反対する事自体は別にいいと思うけれど、戦争反対「だけ」している人は結局、現在の貧富の差や搾取構造自体は現状追認しているって事なので、その無神経さが許せないし反発するよ。
戦争さえなければ豊かで幸せな生活が送れると言わんばかりの、現実に対する解像度の低さに吐き気がするんだ。
#ママ戦争止めてくるわの清繭子さんと同じだ。戦争という見栄えのする大きなテーマにだけ関与したがり、自分達が常日頃如何に多くの者を踏み付けているかに自覚がない。
階級闘争が伴わない戦争反対は、単なる格差の固定化を促すだけだ。この人が戦争反対を叫ぶのは、マリー・アントワネットが革命反対を叫ぶに等しい。
そういう態度がキモいと言われているんじゃないのか?
八王子のファストフードショップで働いてたときにできた彼氏が、彼女がポケモンセンターへの転職が成功した途端に「ポケセン辞めろ」と言い出して、彼氏より仕事を優先して別れたらストーカー化、ついには職場に来られて刺されて殺された。
これに対して「ポケモンセンターを辞めて転居して逃げ回らなかった女が悪い」と言ってる人と、「男児を甘やかして育てる男児ママのモンペっぷりが悪い」と言ってる人に分かれており、どちらにしろ元カノか母親という「女」に責任があって、
殺人犯である男性には責任能力が無いことになっていて本当に面白い。
振られた男が元カノのストーカーにならずに自分の機嫌を自分でとる責任であったり、息子をストーカーに育てないという父親の責任であったりは、存在しないものとされていて、要するに男性は無能力なため責任をとる義務がないことになっている。
すごいことだ。なんでこんなことになった?
漫画家。デビューから6年目。小さな出版社のWEBで連載経験あり。そろそろ大きな連載でも一つ立ち上げないといけない年次だな〜とか思っている。
先に言っておくけど、「大きな連載」が立ち上げられなかったのはひとえに自分の実力不足である。そこを誰かのせいにするほど腐ってはいない。
子供の頃なんて、もちろん出版社で漫画を選んだりはしていない。
それなのに自分の人生に大きな影響を与えた漫画が全部同じ版元から出てるんだってことに
驚いた。
いつか自分はここで連載をするんだろうな、と本気で信じた。
最初の単行本が出てから、本格的に連載を目指して連載ネームを練り続ける日々。
その辺から「あんまりそこの編集者は評判良くないですよ」という話を他社や業界の方から耳にすることもあったが
うるせえ、俺の夢に余計な水を差すなという気持ちで神保町のオフィスに通った。
打ち合わせを無断でブッチする者、このネームを連載会議に持っていくと言ったまま連絡がつかなくなった者
「なんか編集長の考えと俺の考えが全然違って、ちょーっとイチから考え直しですね!」と
ヘラヘラしながら担当に伝えられた時は鼻先を思い切り殴ってやりたいと思った。
ただ全ては夢を叶えるための過程なのだと自分に言い聞かせ、また新しいネームを切った。
しかし企業の発表した声明文に「作家を守ります」と明言されていたので、その言葉を信じることにした。
複数誌の編集部に渡ってトータル8作くらい連載ネームを作ったけど、成果はゼロ。
編集者は色んな言葉で自分の作品が選ばれなかった理由を教えてくれたけど、
一言に集約するなら「俺の漫画が面白くなかったから」に尽きる。
ボツがなんだ、連載会議落ちがなんだ、全ての経験が血肉に変えてやるわ、という気持ちで頑張った。
いつか憧れの先生たちと同じ舞台に自分の作品を載せてやるんだ。
こんなに読者に対する誠実さを欠いた企業に自分の大切な作品載せたいとは思えないよ!!!!!!!!!!!
作家を粗末に扱うのにもモヤってたけど、それはさぁ、ちょっとはこっちも我慢すべき所なのかなと思ってたよ!!!!!!
そういう粗末さに当てられて、伸びたり化けたりするケースとかもあるんだろうなと思って踏ん張ったよ!!!!!!!!!!
(もちろん作家を自死させるのは違うけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
でももうあんたたちは読者を粗末にしてんの!!!!!!下に見ちゃってんの!!!!!!そんな奴らにもう出版の一角を担ってほしくはないの!!!!!!
「作家にとって作品は子供」とか言うけどさぁ、あれって比喩表現じゃないからな???????????
本当に子供なの!!!!!自分の作品が粗末に扱われたら、頭真っ白になるし、モンペみたいにもなるよ!!!!!!??
「ここで主人公殺すとかどうですかね?ハハハ」とかいう放言は「ここであんたの息子殺しませんか?」って言われてるのと同じに聞こえるの!!!!!!!
それくらい本当の意味で作品もキャラクターも「子供」だと思ってこっちはつくってんの!!!!!!!!!!!
そんな大切な子供をクソみたいな保育園に進んで預けたい親がどこにいんの??????????
今だってうちの本棚にはあんたらが出版した漫画ばっかり置いてるよ!!!
あんたらの雑誌に載せてる漫画家さんは相変わらず、どれも大好きな作家さんばっかりだよ!!!!
でももうこれでおしまい!!!!子供を子供としてちゃんと大事にしてくれる所に行きます!!!!!夢は敗れました!!!!!!!
「本当はモンペじゃないけど、そのように見られる行動をしてしまっただけ」
こんな感じで整理つけてるんじゃない?であれば、しっかり自分はモンペだと自覚をしたほうが良いと思う。
モンペの人って、自分がモンペと自覚できないから、モンペ成分がどんどん蒸留されていくと思っていて、
いい機会だから、1回きちんと考えた方が良いと思う。
地域の親たち「増田子の親がモンペなんだって。増田子を気にかけてたA君を学童から追い出そうと親子で画策したんだとか」
小3息子が「学童でA君にいじめられるから行きたく無い」って言うから学童にクレームしに行ったんだけど、なんやかんやあって自己解決。
うちが大袈裟なだけだった。
「A君に悪口言われた」のも発端は息子が先に手を出したからだったし、
「A君に無理やり遊びに入れられた」のもたまにしか学童行かない息子をひとりぼっちにしないためだったらしいし、嫌なら嫌と言わない息子も悪い。
「いじめ」も、単発で起きた上記の出来事をうちが盛って言ってしまった。
学童だけじゃなく学校も巻き込んで校長や市の職員に学童とA君を視察させたりしてたけど、
たまたま住んでしまって、幼稚園に入ってから周りの話を聞いて知ったけど後の祭り。
親の言う事を素直に聞けて勉強も好きな早熟な子や、中学にやりたい部活があって自分から頑張っているような子は特に問題ない。受験する人の全体の1割だろうか?そういう人たちは自分のやるべき事をコツコツとこなし勿論難関校へ行ける。
それ以外は、重課金した金額は、あらやっぱりウチには受験は向かなかったわね、と、損切りできるような金額じゃないので、教育虐待気味になる。
そして子どもたちはそれらの重圧を解放すべく、学校内で好き勝手振る舞い、学級崩壊するのだ。
受験生の実態だけでなく、学校そのものもあまり良い環境とは言えない。
定員はとうにオーバーしているのに、受け入れを断らずに、専門教科の準備室をなんとか改装して教室にしている。すごく狭い。酷い学校だと、図書室をパーテションで区切って教室にしたり、図書室の本を体育倉庫にどけてまで教室にしている。
(隣の区では、転入生は受け入れられませんと断って、定員を調整しているのに)
戸建てでもマンションでも、今や億を超える手狭な家を買って、わざわざ狭苦しい学校に押し込むだなんて…。
児童も、なかなかすごいのがいる。
高学歴エリート同士から産まれた子は、あれこれカンスト状態なのか、発達障害の子が何人もいる。おとなしいタイプや単純に多動なだけならまだ良いが、他害する子は学年に何人か必ずいる。
親も特性ありだと、エリート思想と相まって高確率でスーパーモンスターペアレントになる。だいたい他害するヤツの親である。
子どもの高学歴を狙ってくる中国人もたくさんいる。いや、高学歴を狙っているならわりと常識的か。
高学歴を狙ってない、日本語もわからない、そんな中国の子もなぜか何人もいる。そいうのは、もれなくモンペの子と仲良しになって、常識ない者同士でやりたい放題はじめる。
こんなのが超狭い教室にいるんですよ?
そんなもんで、良い先生ほど病んでいなくなってしまう。そうじゃない先生はやたらと子どもを支配しコントロールしようとしてくる。ちゃんとしてほしいのはそこじゃない。
自分の子は受験にはとても向かない子だったので、おとなしく区立中学に通っているが、中学があまりにも普通で自由でのびのびとしていたので、小学校の息苦しい生活は一体なんだったのかと思っている。
3S1Kの言葉を見る度に、ちゃんと学校を見学したほうが良いよ?と思う。それをうたい文句にしている不動産屋もいい加減にしてほしい。
増田を使う層は、3S1Kが気になる層と噛み合わないだろうなと思うが、それでも、書かずにはいられなかった。たとえ1人でも、ちょっと考え直す人が出てくれればと思う。
クラスで選ばれる側だった娘は、些細な出来事をきっかけに、どこの班にも選ばれることなく、修学旅行を辞退した。
それまで、娘がクラスに馴染めていないことにも気づかず、結局は行くだろうと楽観していた私の予想は打ち砕かれた。
思えば、娘と同じ年の頃の私は、いつも「選ぶ側」にいた。
誰と一緒に行くか、誰を誘うか、当然のように決めていた。
そのとき、誘われなかった誰かの気持ちに思いを馳せたことなど、一度もなかった。
娘の出来事を通して、私は初めて知った。
「好きな人どうしで組む」という当たり前の仕組みが、どれほど残酷になり得るのかということを。
スレッド内で特定が試みられ、多くの参加者によって『水星の魔女』ではないかと推測されている作品について、公式の展開やヘイト管理に関して以下のような問題点が指摘されています。
ラウダの倫欠行為と無反省: ラウダがグエルに対してクズ行為、具体的には八つ当たりを行いグエルが死にかけたにもかかわらず、本編でラウダがグエルに謝罪しない、もしくは開き直ったまま物語が進行したとされます。
倫欠状態での恋愛成就: ラウダの倫欠行為が未解決のまま、ラウダとペトラのカップルが公式成立したため、ラウダは「倫欠の恋愛脳」として批判されました。
報復の不均衡: 悪行を行ったシャディクが罪を償うことになった一方で、明らかに悪行を行ったラウダがお咎めなしとなり、公式のバランスが悪いとの指摘があります。作中で明確に人を殺しているが裁かれていないキャラもいる中、ラウダだけが野放し呼ばわりされることにフィルターがかかっているという意見もありますが 、ヘイト管理が下手であるという認識が多数あります。
被害者グエルへのフォローの偏り: 公式はグエルの寛容さを描くことでラウダのフォローをしようとしたようですが、グエル推しはラウダの野放し状態に怒り、結果的にラウダへの憎悪が高まりました。さらに、公式がラウダの行為の原因補強ばかり行い、グエルがラウダ以外のキャラから責められ自責するような追加情報を出したため、公式がラウダのモンペ(モンスターペアレント)であると炎上する事態を招きました。
深刻な事象の軽視: ラウダがグエルを殺しかけたという事態(殺人未遂)よりも、人体実験や大量殺戮などの他の極悪非道な行為(経営者が孤児に人体実験を行いトンヅラしたこと、若者に殺人罪を肩代わりさせたおばさんなど)が作中で発生しており 、ラウダの罪が霞んでしまうほど、作品全体の倫理観が「終わっている」状況が指摘されています 。
展開のためのキャラ利用: 倫欠行為が「話を動かすため」にキャラが犠牲になったパターンであり、その結果、後からフォローが来ない可能性が指摘されています。
尺の不足: ラウダとグエルの衝突は、本来であればもっと早くやるべきだった「尺の無駄遣い」と見なされる側面もあり 、全体として展開が雑であるという意見も見受けられました。
スレ主はラウペト推しであると自称していますが、その投稿内容には以下のような問題点やバイアスが指摘されています。
ラウダに対する主観的なフィルター: スレ主の記述(ラウダが謝らない、ラウダはお咎めなしなど)は、既に作品やラウダの評価に対して「分ッ厚いフィルター」がかかっていると複数のユーザーに感じられています。
グエル推し視点での情報開示: ラウペト推しを自称しているにもかかわらず、ラウダへの批判や倫理欠如の強調、グエル推しからの嘲笑の記述など、その文章は明らかにグエル推し(またはラウグエ腐)の視点であると看破されています 。
人気度の強調: シチュエーションや行為の善悪を語る際に、ラウダよりもグエルのほうがグッズのバリエーションなどから「段違いで人気のあるキャラクター」であることを持ち出しており、ラウダを貶めたい意図が隠せていないと指摘されています 。
粘着質な執着: スレ主は「ラウダがグエルに倫欠なことする前の界隈の空気が楽しすぎて執着が切れない」と述べており、作品が終結してから年単位の時間が経っている可能性が高いにもかかわらず 、いまだにジャンルから離れられずにいます。
反転アンチ化の懸念: 執着を断ち切れないまま界隈に留まることは、ラウダアンチをしながらラウペト推しやラウグエ推しをするような状態、「反転粘着アンチ」になりつつある状態と見なされています。
愚痴と慰めへの要求: スレ主の行為は、純粋にアドバイスを求めているというよりも、都合の良い情報だけを開示して「自分を慰めて欲しい」 、あるいは界隈を叩いてほしいという目的であると推測されています。
スレ主の状況や、スレッド内で寄せられたアドバイスから、理想的なコンテンツ消費の在り方として以下の点が提案されます。
自己判断と許容: 最終的に、自分が公式のラウダを受け入れられるか許せないかがすべてです。周りの空気や他者の意見に関わらず、自分がそれでも好きか、推せるかで判断すべきです。
無理をしないこと: 精神的なストレスを感じてまで無理矢理好きでい続ける価値のあるフィクションは存在しません 。作者の倫理観が受け入れられないと感じたら、精神衛生のために離れるべきです 。
二次創作の活用: 公式の展開が受け入れられない場合、公式をある程度無視して二次創作を楽しむという方法があります。自分がラウダを許せる「IF(もしも)」の設定を自分で作り、その設定で推し続けることも一つの手です。
距離を置く: 嫌な空気の界隈に居続ける必要はありません。交流を断ってカプだけを推し続ける、または鍵付きアカウントなどで似た価値観を持つ人たちだけで交流する など、居心地の良い環境を確保することが重要です。
過去に焦点を当てる: 公式の展開が気に入らない場合は、問題の行動が発生する前の、好きだった時点のキャラクターや関係性だけを推し続けることも可能です 。
一旦距離を置く: 執着を断ち切れない場合は、とりあえずジャンル全体から距離を置くことが推奨されます。時間だけが解決してくれることもあります 。
新しい場所を探す: 現在の界隈に熱意が残っていないなら、別の居心地の良い界隈や、もっと楽しめそうな新しい作品に移るべきです 。
自己解決と責任: 状況が曖昧なままであれば、他者に判断を仰ぐのではなく、自分で決断を下すべきです。粘着アンチ化する前に、見切りをつけることが健全な消費態度です 。