こういう構成の物語もあるんだな、と感動さえ覚えました。 花咲くいろは 第26話 『花咲くいつか』 のレビューです。
この作品のストーリーを辛口に評すれば、「これといった盛り上がりも、カタルシスも無い、平板な物語」とも言えるでしょう。 実際、僕が最初に思っていたものとは違いました。 都会っ子の緒花が、慣れない田舎町での仲居修行に苦労しつつ、周囲の人に好影響を与えて、寂れた旅館を盛りたてていく、という物語だと思っていたからです。 でもそうはならず、努力の甲斐なく旅館は廃業になり、仲間たちは散り散りになるという、残念な結末になりました。
それなのに、この物語には不思議な魅力があり、なんだろうかと考えたのですが、要するに『一体感』なのでしょう。 視聴者は緒花と一緒に知らない土地に来て、最初は戸惑いながらも、次第に馴染んでいきます。 でもこの心地よい空間が、物語の終わりと共に失われて、また元の日常に戻ることになります。 その郷愁と、でも未来があるはずだという希望を、緒花と視聴者が共有できるのです。 このシンクロ率が非常に高いのですね。
旅館が廃業になるのは残念な結末ですが、『物語との一体感』のためには、そうである必要がありました。 物語が終わっても、旅館が存続して、緒花たちがそこで楽しくやっているのであれば、それは視聴者とは別の世界になってしまいます。 物語の終わりとともに、舞台も無くなって、人々も去ったから、この一体感があるのです。 なるほど、こういう物語の作り方もあるのだなと思いました。
同じ岡田麿里さんが物語を作った、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』とは対称的です。 あれはベタな幽霊譚をストレートにやって、わかりやすく説明して、わかりやすく盛り上げていました。 あれはあれでアリなのでしょう。
でも、僕はあの作品は、尽太たちが子供時代を卒業して、大人になる話だと思っていました。 彼らは事件によって大人になれずにいたけれど、それが解決したことで、最後には『仲良しグループ』は解散するべきだと思ったのです。 そうならなかったのが、若干残念だったのですが、この作品によって、そこが埋め合わされたような気がしています。 全然関係無い筈ですけれど。
そんなわけで、この物語の終わり方はとても良かったし、ここに向かうために全てが準備されていたことに気付かされました。 大きな事件が起らないのは、それも一体感(親近感)のためだし、人物の日常動作がきめ細かく描写されているのも、やはり一体感のためです。 湯乃鷺の町も、そこに住んだ気になるくらいに、いろんな角度から描写されていました。 それらの積み重ねによって、このラストの感動があるのです。 true tearsを産んだ、岡田麿里さん&P.A.Worksのパッケージは期待を裏切らず、true tearsと同様に、ありそうで無かった新鮮な青春ストーリーでした。 次回作があることを期待したいものです。
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