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ここは「CLANNAD」 カテゴリの記事です。
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総集編は朋也の回想でしたが、これは、朋也が街にささげる”祈り”だと思いました。クラナド アフターストーリー 第24話(総集編) 「緑の樹の下で」 の感想です。

最終回のラストについて、賛否両論の議論が各所で盛んでしたね。僕は”賛”の立場のレビューを掲載して、ありがたくもいろいろなところで引用して頂き、ブログ村の応援ポチもたくさん頂きました。僕の記事に共感していただけたとしたら、何より嬉しいことです。このところ多忙で、更新が滞りがちなのですが、がんばって書いてきてよかったと思います。

今回の総集編で、僕の解釈と矛盾する事実が出てきたらどうしようと思ったり、逆にそれはそれで楽しみだったりしたのですが、ラストや幻想世界の解釈について、新事実は特にありませんでしたね。むしろそれについては最低限で流した感じで、やはり、視聴者それぞれで解釈して欲しいというスタンスなのでしょう。

ただ、ラストの朋也のモノローグには注目したいですね。

この街で俺と渚は出会い、この街で汐が産まれた。

この街でいろんな奴と知り合って、この街でいろんな経験を重ねてきた。

俺達はこれからも、大勢の人と支えあいながら暮らしていくんだ。

この街で。

クラナドで言う『街』とは、地理的なものというよりは、人々の絆の集まりを象徴したものだろう、ということは最終回のレビューで書きました。この絆で結ばれた人々の想いが、街の意思となり、願いを叶えるパワーを持つことが、クラナドのファンタジーとしてのキモです。

人々の想いが、その根っこでは繋がっていて、全体としての意思を持つとしたら、それは『神様』と言えるほどのパワーを持つのかもしれません。
そもそもこの世界(時空)は、人間の意識が生み出したもので、人間の意識が無ければ世界は存在しない、ということを真面目に唱えている物理学者もいます。だとしたら、『街の意思』は世界を作り変えるパワーを持つでしょう。結末の”奇跡”のカラクリは、そういうことだと僕は解釈しています。

つまり、今回の回想と、このモノローグは、街への感謝の言葉、あるいは祈りだと思いました。街と人は持ちつ持たれつの関係で、朋也はこれまで、街の人々の想いを遂げさせるために、ずいぶんがんばってきて、だからこそ街に助けてもらえました。 朋也は、「絆の力、街の力を信じているから、これからもよろしく」と言っているのでしょう。 それを、街の精霊である汐にも聞かせたかったのでしょう。

以下は僕のSFオタクとしての戯言なので、SFオタクでない方は読み飛ばしてください。

原作をプレイしている方のブログを拝見すると、どうもゲームとアニメとではラストの解釈が違うようですね。ゲームはマルチエンディングのアドベンチャーゲームであり、汐が死ぬのはバッドエンドで、幸せになるのはハッピーエンドということみたいです。そのゲームシステムをファンタジー的に翻訳したのが、ゲームの結末なのでしょう。

アニメはマルチエンディングではないですから、アニメのスタッフはラストの解釈を変えたのだと、僕は思っています。
上でちらっと物理学の話をしましたが、アニメ版のラストは、人々の意識(観測)が世界を作るという、いわば量子力学のコペンハーゲン解釈だと言えます。
一方でゲームの方は、世界が多くの可能性に分岐するという、量子力学の多世界解釈に基づいていると考えることができるでしょう。 量子力学の論争がここに持ち込まれたようで、一人で面白がっているのでした。

全体としてですが、とてもいい作品ですよね。正直言えば、1期では朋也や渚にあまり共感できなかったのですが、アフターに入ってからは、彼らとずっと友達だったような、彼らの側で一緒に人生を歩んだような、そんな親近感を持っています。

泣かせる演出は神がかっていたし、人々の絆が幸せな奇跡を起こすという結末も、ハートウォーミングで良いものでした。この作品に出会えてよかったと思える、心に残る作品になりました。

また、コメント欄で特にたくさんの意見を頂いて、そういう意味でも思い出深い作品になり、これも人々の絆の力かな、と思ったりします。これまで私のつたないレビューにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

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なぜいまさら前日談、とも思っていたのですが、これはこれで良いものでしたね。クラナド CLANNAD アフターストーリー 第23話(番外編) 「一年前の出来事」 感想です。

クラナドは、朋也と渚の絆を軸に、街の人々の絆を描く物語です。 朋也と渚には、お互いに意識していない頃から絆があって、人生に影響を与えていたというエピソードでした。 最近少なめだったコメディ成分も補給され、とてもクラナドらしい回だと言えます。

このアニメは、ゲーム原作ということもあって朋也の一人称視点が多いのですが、朋也が第三者視点で描かれるのは新鮮でもありました。特に杏視点が多かったような。

杏はなにげに、アフター(9話以降)での出番は多いんですよね。いわば友達代表なのでしょう。視聴者は、朋也や渚に感情移入しつつも、彼らを友達のように感じているところがあると思うのですが、杏がその友達視点を与えてくれています。 

杏と朋也のシーンは、旧知の友達に会ったような、会った瞬間に年月を超えて当時の自分に戻れるような、そんな気持ちにさせてくれるのでした。

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「人と人の絆が集まると、素晴らしいことが起きるよ。」という、人間賛歌なのでしょう。クラナド CLANNAD アフターストーリー 第22話(最終回) 「小さな手のひら」 の感想です。

さまざまな不思議な出来事があり、それらの繋がりを十分に説明しないままに終わりました。すべてを綺麗にシンプルに説明するのは難しそうに思えますが、人それぞれの解釈をして欲しいという、制作者の意図なのでしょう。以下に私なりの解釈を書きます。

まず、キーワードは『』ですね。これは地理的なものというよりも、『人と人との絆の集合体』を象徴していると思えます。2人の出会いがあり、家族になり、家族が集まったものが『街』です。街が人と人の絆だとすれば、そこから生まれるさまざまな『想い』の集合体は街の意思と言えるのでしょう。渚もそう言っていました。

は、本来は子供のころに死んでいたはずが、街の意思によって命を与えられました。生き返った後の渚は、『街の精霊』とも言える存在なのでしょう。でもそうして与えられた命は不安定なものであるようで、街の変化の影響を受けて弱りがちで、ついには命を落としてしまいました。このとき、何かが足りなかったのです。

渚から生まれたも、街の精霊としての性質を受け継いでいて、渚と同様に命を落としました。このときも、何かが足なかったわけです。その何かに気づくことが、今回のポイントでしょう。

命を絶たれた精霊(汐であり渚でもある)は、『終わった世界』に閉じ込められました。この世界は、もう一つの本当の世界からは切り離されていて、肉体も記憶も行き来できないけれど、『想い』だけは行き来できるようです。それが光の玉で、朋也の『想い』も、光の玉に乗ってこの世界にやってきました。

朋也の想いは、少女(精霊)が戯れに作った人形(ボク)に宿りました。記憶は失っていたけれど、「この少女を救わなければならない」という想いだけは持っていたボクは、その想いを実行に移します。

その結果は、失敗に終わったように見えました。「これはいつか通った道かもしれない」、とボクは思い出します。ボクがいたから、この少女をむしろ不幸にしてしまったのではないか。ボクと少女は最初から出会わないほうが良かったのではないか。

少女は、そうではないと言いました。人々の想いが集まれば奇跡だって起こるのだから、それを信じなさい、と。

前述の『何か足りないもの』とは、つまりこれだと思うのですよ。人と人の絆の力を信じること。つまり街を信じることです。

渚が妊娠した頃から、彼女の体を心配するあまり、朋也は”渚と出会ったこと”に疑問を感じるようになりました。自分と出会ったことで、むしろ渚を不幸にしたのではないか。知らないもの同士で、絆を作らないほうがよかったのでは、と。 汐が病気になったときも、その気持ちに囚われていました。2人が出会ってしまった、この街がすべて悪いのだと。

でもそれではダメなのです。渚や汐は街の精霊なのだから、そうやって人と人の絆を否定して、街を否定することは、渚や汐を否定することに他ならない。彼女たちが急速に生命力を失ったのはそのせいでしょう。街も助けてはくれなかった。

でも朋也(ボク)は、幻想世界で自分のあやまちに気づかされました。渚と出会った、その絆を信じることにしたのです。こうして”足りなかった何か”が補完され、街が奇跡を起こしてくれたのが、あの結末ではないでしょうか。

人と人の出会いは、必ずしも幸せなことばかりではなく、むしろ厄介ごとは常に人間関係から発生します。でも、そうだとしても、全ての幸せもまた、人との絆から生まれるのであり、その絆を集めていくことでみんなが幸せになれるのだ、という、性善説に基づく人間賛歌が、この物語のテーマだと思いました。

ラストを風子で締めたのは、やや意外でしたが、彼女もまた、街に命を与えられた街の精霊なのかもしれません。汐に惹かれているのはそのせいでしょう。ここで新たに汐と風子の絆が生まれ、そのことがまた沢山の幸せを、この街にもたらすのでしょう。そんな予感を残したハッピーな結末でした。

前回が、感想を書けないくらい辛かったので、このエンディングでよかったと素直に思えます。”感動の嵐”というよりは、じんわりと”いい話”ですね。

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朋也と汐の日常をコメディタッチで描きつつも、汐の散歩シーンが不安感を煽り、ラストシーンにつながりました。辛いヒキですね。クラナド CLANNAD アフターストーリー 第20話 「汐風の戯れ」 の感想です。

この『街』は何なのでしょうか。朋也は以前から、自分のトラブルの源は『街』だと考えているようで、街から出たいと常々言っていました。一方で、街が変わっていくことには”生理的”とさえ言える不快感を表しています。朋也の『街』へのコダワリは普通ではありません。

実際のところ、この街は実在していなくて、現実世界とは繋がっていないのでは?と以前は思っていました。つまりこの街も『幻想世界』だろうと。 でも、汐との旅行で街の外に出ていますから、「おや、やっぱ現実と繋がってるんだ」と多少意外に思ったものでした。 いずれにしても、普通の街では無くて、そこが核心なのでしょうね。街と幻想世界がどう繋がるのか。

汐が散歩していた病院は、元はアッキーが「渚を助けてくれ」と願をかけた森ですよね。そして汐は渚と同じ病気を発症したと。2人はどこかで繋がっていて、生まれ変わりと言えるのかもしれない。だんだんファンタジーらしくなってきました。

「神は奪い、そして与える」と言いますが、この街は何を朋也から奪い、そして与えるのか。最終的に救いは得られるのか。汐が不幸になるところだけは見たくないと思いますが。 次回の「世界の終わり」というサブタイトルの意味が気になります。

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親に感謝の言葉を言えますか? クラナド CLANNAD アフターストーリー 第19話 「家路」の感想です。

難しいですよね、たとえ心で思っていても。 自分語りをしてしまいますが、うちの父親は厳格で、機嫌が悪いときは殴られたりで、怖くて好きじゃなかったのです。でもなぜか、幼い頃の思い出を探すと、父親とタケノコ狩りに行って、竹鉄砲を作ってもらったことを真っ先に思い出すのですが。

就職して家を出るときに、やや冗談めかして、「これで独立するけど、これまで育ててくれてアリガト」と言ったら、父親が目を押さえてうつむいてしまい、泣かせてしまったようで驚愕しました。父親がそんなふうに感情を出すところさえ、初めて見たから。

直幸(父親)は、そもそも脆い人だったのだろうけれど、決定的に崩れたのは、朋也に怪我をさせてスポーツ選手の道を諦めさせた時でしょう。自分のせいで朋也の人生を台無しにし、不良にしてしまったと。その自責の念につぶされてしまった。

でも今回、朋也が訪ねてきて、孫に引き合わされ、息子がいつのまにか一人前の男になっていたことを知りました。「やり終えた」ことを知ったわけです。それでも直幸はあまり感情を表さず、一見手ごたえがないですが、朋也には確かに伝わっていました。僕にはあの時わからなかったけれど、すでに父親になっている朋也には、直幸の気持ちが分かるのでしょう。「やり終えたのか」という言葉だけで、全部伝わったのでしょう。この抑えたシーンはとても味があり、感動的でした。

『家路』というサブタイトルもよいですね。”やり終えた”直幸は母親の待つ家に戻り、汐は朋也の家に居場所を作った。朋也にとっても、家族が待つ家ができたわけです。迷える人々が、落着く場所を見つける物語だったのでしょう。

汐はまだ、新しい生活環境に移り、知らない人にたくさん合って、順応するのに精一杯という感じでおとなしいですけどね。でも子供はすぐに環境に慣れますから、次回から本領発揮なのでしょう。次回予告のほとんどが汐のアップでした。

光の玉を見たのが汐だったのは、なぜでしょうか。これまでは朋也にだけ見えていたのに、今回は朋也には見えなかったようです。光の玉のオーナー?が代替わりしたということなのかな。

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親子の話は卑怯であって、「わかったから!もう泣いてるから勘弁してください!」って感じでした。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第18話 「大地の果て」 の感想です。

僕はてっきり、朋也も育児拒否されていたのだと持っていました。彼のダメな父親ぶりは、まともな父親を知らないせいだろうと。実際は、そこまで根は深くなかったのですね。彼の父親はそれなりにがんばって育児していたのだけれど、問題は、朋也がそれを忘れていたことでした。

朋也と汐は徐々に打ち解けていきましたが、朋也がはっきりと変わったのは花畑に来てからです。肩車したり、手を振ったりで、もうすっかり『良いお父さん』状態。それは、朋也の心の底に、この花畑での良い思い出があったからでしょう。父親と楽しく遊んだ時の記憶。それを完全に思い出した時、朋也の中に初めて『父親であること』の自覚が生まれました。

幼い子供は、それが本能なのだけれど、親のことが大好きなんですよ。多少つれなくしても、怒っても見捨ててくれません。
自分のことを無条件に全力で愛してくれる存在がいる、ということが子育ての醍醐味なのでしょう。だから自分も全力で守らなければならないと思えるし、そのことは癒しとか、生きる力になりえます。朋也はこの世に夢も希望も無いと思っていたけれど、すぐそばにそれを見い出しました。

朋也が渚の思い出を話したとき、最初に思い出したのが「弱々しい渚」であることが印象的でした。弱い渚を守ってやりたい、というのが朋也の恋愛の始まりだったのでしょう。渚の代わりに守るべき存在を見つけて、朋也は完全復活できそうです。父親とも仲直りできそうですね。

となると、あとは幻想世界ですか。これがどう現実とリンクするのか、予想がつかないので楽しみです。

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汐がとてもリアルな”普通の子供”として描写されているだけに、痛々しいです。クラナド CLANNAD アフターストーリー 第17話 「夏時間」 の感想。

コショウのかかったチャーハンが苦手で、白ゴハンとふりかけがあれば満足というあたりなど、いかにもな描写。実際に子供がいる人が書いてるんでしょう。
いつも自分のことを見てもらいたくて、褒めてもらいたいと思っている。片時もじっとしていなくて、余計なことばかりしている。そんな普通の子供です。

児童虐待とかネグレクト(育児拒否)とかが、ニュースになったりするわけですが、たいていの母親は「気持ちはわかる。ひとごとではない」と思うようです。どんなに子供を可愛がっていても、子育てってやっぱ大変なんですよ。楽しいことも多いけど、思うにまかせないことも多く、ストレスで子供に感情をぶつけてしまうことは誰にでもあるはずで。

朋也は、出産と同時に妻を失うという経験をして、それが受け入れがたいために、現実を否定して見ないようにしているようです。汐はそんな辛い現実の象徴だから避けているという事情はあるでしょう。
でもそもそも、育児拒否に陥る可能性は誰にでもあって、小さなキッカケでどちらにでも転ぶと思えます。朋也は渚を亡くした後、しばらくは育児どころではなかっただろうし、娘との関係を正常化するキッカケをつかめないままに今に至っているのでしょう。

早苗さんたちが画策しているのは、その『キッカケ作り』でしょうね。二人きりにして、早苗たちに遠慮しない状況でぶつかりあえば、分かり合えるものもあるんじゃないかという。親子の情はあるはずだと。危険な賭けな気もしますけどね。『親子の情』は容易にマイナス方向にも振れるので。

育児拒否する親は、自分が子供の頃に育児拒否されていた確率が高いそうです。朋也は、嫌っている父親と同じことをやってしまっているのですが、それには気付いているのか。

ストーリーとしてはシリアスですが、汐の無垢な可愛さは救いでした。今がどん底で、ここからは浮上していくといいなぁと思いますが、あのスキップは幸せな未来を暗示しているのでしょうか。

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こうなることは散々暗示されていたし、ありがちな展開ではあると思いつつも、涙は止められませんでした。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第16話 「白い闇」 の感想です。

この作品、特にアフターからは、一人称の小説のような趣きですよね。ほとんどが朋也の視点で、特に会話シーンで一人称視点を多用しています。モノローグが多く、画面転換のたびに入るモノローグは日記のようでもあり、私小説に近いかもしれない。

だから、朋也にガッツリ共感してしまうのです。家族に恵まれず、スポーツ選手になる夢も破れ、ひねくれて自堕落な生活をしていた彼が、やっと見つけた幸せ。それは額に汗して働いて、小さな部屋に帰れば妻子が待っているという、それだけのことだったのに。そんな慎ましい願いが、なぜ奪い取られなければならなかったのか…。

雪に閉ざされ、何かが『終わってしまった』朋也の世界は、幻想世界とリンクしているようにも感じられました。今回は幻想世界が何度も挿入されて、本編でも伏線らしきことが語られましたが、いよいよ本編と関わってくるのでしょうか。それは悲しみの淵に落とされた朋也にとっての救いになるうるのか。

岡崎家に昔の仲間が遊びに来ましたが、当時のようにわいわいとバカをやっているように見えて、どこか無理があるというか、そう演じている雰囲気が出ていました。『全ては変化し続けて、過ぎ去ったものは戻らない』ことを強調しています。街の変化について何度も描写されていて、今後の展開に関わってくるのでしょう。

来週からは汐ちゃんとの楽しい生活、というわけにはいかないようで、予告映像は終始モノトーンでした。渚を失った悲しみと後悔のあまり、汐を拒絶することにならなければいいが、と気がかりです。

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幸せと悲しみの先にあるものは。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第15話 「夏の名残りに」 の感想です。

昨日、オバマ大統領の就任演説を聞いたのですが、いいこと言ってるんですよね。オバマの演説といえば”Yes, we can.”という文句が有名ですが、実際彼は、就任演説で「私はこれができます」とはほとんど言ってなくて、「私たちならできる」と国民に語りかけています。
アメリカの歴史にまつわるエピソードを繰り返し引用し、アメリカは困難な時にこそ力を合わせ、それを乗り越えてきた歴史があるのだから、今回の困難もきっと克服して、我々は前よりも強くなる、という語りは感動的でさえありました。

国に歴史があるように、家族にも歴史があります。秋生は朋也に、「苦しいことや悲しいことが待っているはずだけれど、俺たちなら乗り越えて行ける」と言いましたが、困難を乗り越えてきた彼の言葉だから重みがあります。
幸せな時間がずっと続くことはありえず、困難な時も必ず訪れるわけで。それを乗り越えるために力を合わせることが、人を強くするのでしょう。

朋也たちの未来に悲しいことが起こるのは、もう確定しているのかもしれません。だとしても、それをどう乗り越えて、確かな『家族の歴史』を作っていくかを見届けたいと思います。

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微笑ましい新婚生活が描かれつつも、通奏低音のように漂う不安感が気になります。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第14話 「新しい家族」 の感想。

街は生き物なので、刻々と変わっていくのは普通のことでしょう。新しい店ができたり、古い建物が取り壊されたり。でも朋也はそのことに不安感を抱いていて、その理由が自分でもわからないようです。言及していた、この街の『伝説』と何か関係あるのでしょうか。幸せなシーンがあるほど、この幸せは長くは続かないのではないか、という儚さを感じてしまい、それが確かに物語のスパイスになっています。

ともあれ、例によって家族漫才は爆笑ものでした。アッキーと朋也は好敵手すぎる。あの二人は一生戦いつづけるのでしょうネ。

「エッチなこともしちゃってます」の内容は、もっと追求するべき。ウエイトレスの制服は使ったよな、とか。ファミレスのシーンは、正直お友達のほうに惹かれてしまいましたが。

そしておめでたということで。OP/ED映像の女の子がそれなのでしょうけれど、顔は巧妙に描かれていないので、どんな子なのか楽しみです。

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『卒業』というシンプルなサブタイトルですが、渚の卒業であると同時に、朋也にとっての卒業でもあるのでしょう。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第13話 「卒業」 の感想です。

子供時代を卒業して大人になるのは、いつなのでしょうか。法的には18歳からなのかもしれませんが、まだ学生だったりするので大人という意識は薄いような。就職は一つのタイミングですが、働くことはアルバイトで既に経験しているし、それほど明確な区切りでも無い気がします。

きっと、子供が大人になるステップはいくつもあり、人それぞれのステップを踏むのでしょう。結婚はその一つですね。入籍するということは、親の戸籍から抜けて、嫁と新しい戸籍を作ることであり、「大人になったなぁ」と思う瞬間です。朋也君は今回、子供時代から”卒業”して大人になったということなのでしょう。

次回のサブタイトルは「新しい家族」ということで、つまりそういうことなのでしょうか。それもまた、ひとつのステップですね。

渚の酔っ払いシーンは可愛かったなー。普段、真面目であまり面白みのない性格なだけに、ギャップがよろしいです。「スゲェ修羅場だ!」と他人事モードで見物しているオヤジに噴きました。

学園編の仲間たちが勢ぞろいして、久しぶりに賑やかでした。女性陣があまり変わらないのは、まだ学生だからでしょうね。春原はすっかり大人しくなっていましたが、彼も大人になろうともがいているのでしょう。今後も仲間たちは、朋也と渚の『人生』に関わってくるのでしょうか。

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クラナドがどういう作品なのか、ようやく多少分かった気がします。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第12話 「突然の出来事」 の感想です。

「ガキの頃の夢、叶えた奴って、何人おるんやろうか…」

これは、『明日があるさ THE MOVIE』 の冒頭で、主人公の少年時代の回想シーンと共に流れるセリフです。ダウンタウンの浜ちゃん主演だけれどお笑いだけではなく、ロケットに取り憑かれたマッドサイエンティストと、浜ちゃん扮する商社マンとの交流を描いた、大人のファンタジーとも言える作品でした。

クラナドは、『ガキの頃の夢』を叶えられなかった人々の話です。朋也や春原はスポーツ選手になる夢が早々に破れたわけだし、秋生や早苗もそう。そして今回、 芳野もそうだったことが語られました。

現実的に、ガキの頃の夢を叶えられる人のほうがずっと少ないのであり、それをシビアに突きつけるストーリーだと言えますが、それでも前向きな空気があるのは、それぞれの人々が地に足をつけて生きて、それぞれの幸せを見つけているからでしょう。

芳野さんの過去話も良かったのだけれど、父親のことが発覚してからの展開は圧巻で、朋也に感情移入してしましました。これまで、なぜ彼が父親をあんなに嫌うのか判りにくいところがあったのだけれど、あれじゃあ怒りもするというものです。

激情を抑えきれない朋也を、必死に取り押さえる渚。渚の良さというのも、これまでわかっていなかったのですが、ああいう強さを秘めているところが魅力なんだなとわかりました。冷めているようでありながら激情家の朋也にはいいパートナーですね。あのシーンからのプロポーズも自然な流れで感動的でした。見ようによってはヘタレだしムードが無いけれど、彼ららしいと思えます。

普通のラブストーリーであれば、プロポーズしたところで終わりですが、この作品はそうではなさそうです。朋也と父親との話が軸になるのでしょうか。盛り上がってきたので先が気になります。ただ、高校の頃のクラスメイトたちもたまには出て欲しいですね。

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大事の前の平和な日常、ということなのかな。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第11話 「約束の創立者祭」 の感想です。

社会人になりたての朋也君ががんばる話。デジカメの写真を見ながら「自分の世界が広がったような気がする」と話すシーンが、地味に良かったと思いますね。学生のうちは箱庭の中で過ごしているようなものですが、社会に出ると、自分が確かに社会の一角を占めていることを実感して、ふいに感動したりするものです。学園祭なんかで、お客さんよりは裏方のほうが楽しめたりするものですが、その裏方になった感覚、と言ってもいいかもしれない。

もちろん社会には厳しいこともあるけれど、心がけ次第なんですよね。朋也のように真剣に仕事に向き合っていれば、多少のハンデはカバーしてもらえるし、失敗してもフォローしてもらえる。職場の人間関係というのはある意味シンプルで、要は仕事ができるかできないかであり、裏表なく真摯に仕事していれば新人でも一目置かれるものです。

まぁ、あんな可愛い彼女(新妻?)が応援してくれれば、仕事をがんばる気にもなるよね。その点では朋也はすごく恵まれているでしょう。この幸せがずっと続くのかはわかりませんが…

朋也の腕のことや、仕事が忙しくてすれ違うことが火種になるのかなと思ったら、今回のうちに解決したようで。爽やかで良かったと思いますね。

古川家のドタバタは、久しぶりで楽しかった。春原が登場しなくなったので、当面は秋生がギャグ担当でしょうか。

と、いつになく平和な日常でしたが、次回の『突然の出来事』というサブタイトルが気になります。このささやかな幸せを壊すような事件が起こるのでしょうか。

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良くも悪くも、朋也は渚とリンクしているのですね。渚が病気で臥せっていると朋也も元気が出ず、渚が学校でがんばっていると朋也もがんばろうと思う。このままポジティブな方向で影響を与えていければいいのですが。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第10話 「始まりの季節」の感想です。

ここからアフターに突入らしいですが、僕は原作ゲームではアフターは未プレイなので未知の領域です。

朋也のスーパーな活躍が見られた1期とは違って、アフターでは現実は厳しいようです。渚は演劇部の部員を集めることに失敗したようだし、クラスに溶け込むのにも苦労している。朋也は仕事を覚えるのに四苦八苦している。でもそれがあるから、二人でいられる時間の幸せが引き立つのでしょう。難しい現実と、ささやかな幸せのコントラストが人生ってやつなのでしょう。

秋生とキャッチボールしながら、朋也は渚を連れて行きたいと言うわけですが、このときの間と、妙にフツーな秋生の回答がいいです。いつもならおちゃらけたり、芝居がかったカッコいいセリフを言うところだけど、そうしなかったことでむしろ、秋生の内心の動揺が現れている気がします。当然ショックはあるよね。でも率直に話してくれたのは嬉しいはずで、複雑なところでしょう。

杏&椋とのシーンは和むな。二人とも微妙に腫れ物に触るような感じで、でも心配している様子が伝わってきます。朋也も最初は居心地悪そうでしたが、二人との会話で朋也はキッカケをつかんだようです。あれこれ考えるよりも「とりあえず行動する」ことが必要な時ってあるものです。

朋也はみんなから「丸くなった」と言われていますが、社会に出るってそういうことでしょう。無責任な学生のうちは突っ張っていられるけれど、社会に出ると社会と折り合いをつけなければならない。でも丸いだけの人間はツマラナイのでバランスが必要ですが、朋也はまだそれどころでは無いでしょう。

全体に地味な話ではありましたが、細やかな心理が伝わる演出や、温かい人間関係が良くて楽しめました。今後もしばらくはこういうタッチなのでしょうか。コメディ風味が薄くなったのは残念だけれど、これはこれで見続ける価値がありそうです。緊迫してきた幻想世界のことも気になるし。

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朋也はガキだなーと思うけれど、自分があの年頃どうだったかと言えばガキだったよなと。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第9話 「坂道の途中」 の感想です。

愛する女性が病気と戦っているのであれば、そんな彼女に何をしてやれるかを考えるべきで、それは悶々とするとか、一緒に留年することではないはずです。彼がやるべきことは、きっちり就職して、渚を支えられる男になることでしょう。でも結局それもできなかったみたいですね。

とはいえ、18歳とかで就職という人生の大事に直面するのは大変なことでしょう。僕は大学だの大学院だのでモラトリアム期間を引き延ばした人なので、朋也に偉そうなことを言う資格は無いのでした。しかも、朋也よりもずっと年上だったにも関わらず、就職を決めるときには心理的に不安定だった覚えがあります。子供のころから、自分は『何にでもなれる』と思っていたのに、就職するということは『何かになる』ことで、つまりは自分の限界を知る事なんですよね。朋也はそういう人生の転機での不安感と、渚が心配な気持ちを混在させてどちらか分からなくなっているのではないか、という気がします。

実際には、就職して終わりではなく、就職してからいくらでも転機は作れるのですが、ガキの時はそういう風には考えられないものですね。朋也にはここからどんな転機が訪れるのでしょうか。

僕は原作ゲームを途中までしかやっていないので、未プレイの領域に入ったようです。というかもうアフターなのかな。前回までワイガヤと学園ものをやっていたのに、あっという間に卒業してしまったのは驚きました。今回は杏の出番が多くて嬉しかったですが、次回から学友たちがあまり出ないとしたら残念ですね。

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原作とはニュアンスの違う話になりました。原作は「有紀寧の救済の話」だと思うのですが、アニメはすっかり「有紀寧と朋也が町を二分する抗争を防いだ話」ですね。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第8話 「勇気ある闘い」 の感想。

以下、原作との違いについて語っているので、原作ゲームのネタバレが微妙にあります。

 

原作で好きなポイントは2つあります。1つは、不良たちに一目置かれる存在である有紀寧が、朋也の前では無防備さを見せるところですね。「今日も膝枕、お願いできますか?」と甘えてくるのが萌えポイントでした。でもこれは、アニメでは渚と付き合っているのでやりにくかったのでしょう。

もう1つは、有紀寧が努力して兄の死を乗り越えるところです。兄が死んだとき、兄の世界を理解しなかったことを後悔した有紀寧は、兄の仲間たちに近づくのですが、最初は全く相手にされませんでした。でも差し入れをしたり、怪我の手当てをしたりするうちに、少しづつ仲間に入れてもらえるようになった。そしていつの間にか、自分にとっても大切な居場所になっていったと。これについてアニメでも有紀寧が語ってはいましたが、描写はあっさり目でした。ここがポイントではなかったのでしょう。有紀寧はすごく努力して、それに朋也や不良たちが少しだけ手助けをして、ついに彼女は兄の死の呪縛から救われたというお話でした。

アニメ化にあたって、せっかくアニメは動くのだから喧嘩シーンを迫力満点に描きたい。ゆえに不良の抗争話をメインにしよう、という狙いになったのだと想像します。確かに、痛さがリアルに伝わってくる喧嘩シーンは流石でした。原作そのままでなきゃヤダとは言いませんので、これはこれでアリ、とは思います。

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これはきっと『絆』の話なのでしょう。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第7話 「彼女の居場所」 の感想です。

例えば、こうしてブログ(Webサイト)を見る場合、サーバーとパソコンとはTCP/IPという下位レイヤのプロトコルと、HTTPという上位レイヤのプロトコルとで通信しています。みんなが共通に使う、基本的な通信部分を下位レイヤとしてまとめて、用途ごと(ブログとかメールとかIP電話とか)に違うところを上位レイヤとして別々に作っているわけです。

何の話かといえば、人間関係において『絆』というのは下位レイヤなんだな、とふと思ったのでした。上位レイヤには『友情』、『恋愛感情』、『家族の情』、などいろいろあるわけですが、『絆』はその下位にあって基本となるプロトコルです。 インターネットで言えばTCP/IPです。

春原は、「離れていても絆が結ばれている、それが家族ってもんなのさっ」と言いましたが、家族の絆って本来そうですよね。友人は疎遠になると友人ではなくなりますが、家族は離れていても家族です。利害関係を超えて、いざと言うときはいつでも自分の味方になってくれるのが『家族プロトコル』に期待される実装でしょう。

でも有紀寧によると、兄のグループの連中は、兄も含めて、家族とうまくいっていない人が多いそうです。本来、自分を中心とした『絆ネットワーク』で一番安定した接続相手であるべき『家族ノード』を失った人々は、その代わりとなる絆を求めて集まるのでしょう。上位レイヤーは「友情」だったり「親分子分」だったり「敵対関係」だったりするのかもしれませんが、なんにしても『絆ネットワーク』には接続されるわけです。

でも血の気の多い連中の集まりですから、その『絆ネットワーク』は本質的に不安定かもしれません。1箇所のほころびが全体に波及して、致命的な破壊に繋がる可能性があるということです。そこで、有紀寧の存在が重要になるのでしょう。有紀寧は、あのグループで『安定したノード』として存在していて、それだけで良いのでしょう。彼女に接続される上位レイヤプロトコルは『恩義』、『姉御への甘え』、『愛情』など、いろいろあるだろうけど、いつでも接続できて、さらに彼女をハブにして他の絆にも必ず繋がる、という安心感が重要なわけです。この安定したネットワークが、朋也が言うところの「家族のような存在」であり、そのおかげで連中が「大きく道を踏み外さない」でいられるのでしょう。

僕は原作ゲームは途中まではやっていて、有紀寧ルートはクリアしているのですが、細かいところは忘れました。かなりオリジナル入ってますよね。有紀寧ルートといえば印象的な、例のシーンをやらなかったですが、それは次回なんでしょうか。今回は『不良たちに慕われる聖母のごとき有紀寧』を強調したのでしょう。次回が楽しみです。

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ゲームと違って一人称視点では無くなったことで、やや普通の話になった感はあります。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第6話 「ずっとあなたのそばに」 の感想です。

原作ゲームのネタバレあります。今回のストーリーに関するところだけですが。

 

美佐枝さん編が完結して、ゲームがどうだったかを今更に思い出しました。ゲームではプレイヤーは志麻になるんですよね。つまり志麻の一人称視点であり、でも自分のことは何も覚えていなくて、ただ美佐枝の願いを叶えなければならないという使命感がだけがあります。「自分のことがわからない」という不安感が、プレイヤーにリアルに迫ってくるわけです。

やがて、自分が志麻では無いことに気付き、志麻だった姿は消えてしまうのですが、このクライマックスで、フッと三人称視点に移るのが印象的なのですよね。『一人称』という叙述スタイルを利用した仕掛けでした。

でもアニメで一人称はやりにくいので、普通に三人称になっており、その『仕掛け』によるドラマチックさが失われているとは思います。でもアニメならではの良さもありました。秋祭りにからめているのはオリジナルですよね。夜祭の、この世とあの世の境目のような幻想的な雰囲気が、ストーリーを盛り上げていました。もちろん、美佐枝さんのダイナミックかつ可憐な動きもよかった。

あと、志麻の女装ですね。可愛すぎだし・・・ この娘がヒロインでもいいんじゃないかと思いましたが。 百合ものでも可。

アニメ化しにくい所もあったかと思いますが、うまくまとめたんじゃないかと思いました。ところで、志麻の光の玉はなぜ無くなってしまったんでしょうね。志麻が美佐枝の失恋の痛手を癒して、傍にいることにした時点で、玉が使われていたということでしょうか。そのあたりは想像で補えということなのでしょうけれど。

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元気で前向きな女の子の、悲しい恋のお話。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第5話 「君のいた季節」 の感想です。

前後編の前編のようなので今回は簡単に。 たぶん童話だった思いますが、起きている時の『現実世界』と、寝ている時の『夢の世界』の中間に『まどろみの世界』があり、その世界では他の人の心の中に入ることができる、みたいな設定の本を読んだ記憶があります。美佐枝さんの過去話に入っていくシーンで、それを思い出しました。なかなかうまいですよね。

制服姿の美佐枝さんには、なにか背徳的なエロさがある気がするのだが、実際に高校生なのだからそんな気分になるのは間違いです。>俺

ラストの歩道橋のシーンでは、顔が見切れるほど寄る構図を多用していて印象的でしたが、そもそもワイドで作られた画面なので、4:3だと切れすぎているのが残念。DVDを売るためでしょうけど、やっぱ端を切るのは止めてほしいなぁ。

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なんという春原END。クラナド CLANNAD AFTER STORY 第4話 「「あの日と同じ笑顔で」 の感想です。

原作を中途半端に知っているといのは、感想が書きにくいものですね。1期のアニメが終わったあとでPSP版のゲームを買ったのですが、まだコンプリートはしていません。特に渚ルートは途中でやめてしまっていて、僕の「渚が好きになれない病」は重症です。

でも、有紀寧、美佐枝、芽衣といったサブキャラのルートは好きで、2期はそのあたりも拾ってくれる様子なので楽しみですよ。というか、2期でこのあたりをやるのであればゲームは後回しにするべきだった…。

今回は春原兄妹ルートでした。芽衣ENDというよりは春原ENDなんですよネ。春原兄がサッカー部に戻るというのはそもそも無茶な話であり、芽衣としてはそんな無茶している自分を見せて、兄に構ってもらえればOKだったのでしょう。そしてその目的は達したわけです。かなりのブラコンです。一方で朋也と春原兄は、拳で語り合って友情を確認することができました。

サッカー部の嫌らしさは原作より大幅UPで、もう生理的に嫌な感じ。なので喧嘩のシーンはカタルシスはありました。ってかこの学校、進学校(という設定)のわりには柄が悪いですな。運動部ってこんなものなのかもしれないけど。

次回は美佐枝さんルートのようで、コメディもあるだろうし楽しみにしています。

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