ラストで小梅がセーラー服を着ていたのが、とても憎い演出で、作品のテーマを表していました。大正野球娘。 第12話(最終回) 『土と埃にまみれます』 の感想です。
この作品、単なる野球モノではないと思うのです。以前の感想でも書きましたが、大正時代は女性の地位は低く、選挙権さえもありませんでした。その状況を変えようという動き(大正デモクラシー)が起こった時代でもあり、それに対する反動もあったでしょう。そういう時代背景で、女学生が野球をすることにはさまざまな障害があるはずで、それらを乗り越えていくのが、この物語の大きなテーマでした。
乗り越える原動力となったのは、彼女たちの『がんばり』ですね。スポーツを見て感動するのは、選手たちが積み重ねてきた膨大な努力に共感するからです。櫻花會は最初はへっぽこだったけれど、努力することで男子と遜色無いプレイができるようになり、女子でも『土と埃にまみれて』がんばれることを証明しました。それが朝香中の選手にも伝わり、認められたことで、試合には負けたけれど成功だったと言えます。晶子も岩崎君に認めさせるという、当面の目的を果たしたようです。
またそれは、小梅の親父さんにも伝わったのでしょう。彼は典型的な明治男で、女は家庭を守るべきという古典的な価値観に固まっていたはずですが、がんばる小梅の姿を見て考えが変わったのだと思われます。1話では小梅がセーラー服を着ることにも反対していましたが、ラストシーンで着ていたのは、親父さんが小梅を一人の人間として認めたことを暗示しているのでしょう。
野球シーンのほうも、王道の展開ですが、テンポが良く、一通りのキャラに見せ場を作って良かったと思います。全体に丁寧で安心して見られる作りの作品でした。
1クールで終わってしまうのが残念ですが、原作ストックが少ないようなので仕方ないのでしょうね。彼女たちが、女性にとって難しい時代の中でどうがんばっていくのか、もっと見てみたいと思いましたが。
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このアニメを見ていると、内容よりもつい時代考証のほうに気が取られてしまします。大正野球娘。 第8話 『麻布の星』 の感想。
「おまえモダンじゃないな。今は映画って言うんだぞ」というセリフがありましたが、確かに、大正時代末期は「活動写真」から「映画」への過渡期だったようです。「映画」という呼び方が一般的になるのは昭和からですが、『大正活動映画』という会社もあるので、大正時代末期であれば”モダン”な人は「映画」と呼んでいたのでしょう。
この件を調べていて知ったのですが、日本映画に初めて女性が出演したのは大正8年だそうで、この物語のわずか6年前ですね。それまでは歌舞伎と同様に女形だったのです。いろいろ過渡期だったのだなぁ。ゆえに女優さんの絶対数は少なかったでしょうから、小梅が本当に代役で出られていたら、映画スターになれたかもしれません。
小梅たちの学校、東邦星華女学院は、麻布十番にあるそうで。フランス風に言えばアザブジュヴァーンの、あの麻布十番ということは、東洋英和女学院がモデルなんだな。創立は明治ですし。制服も古くからセーラー服を採用しているのですが、昭和2年からだそうなので、作中ではややフライングです。ただ、セーラー服自体は福岡女学院が大正10年から採用しているので、時代考証としておかしくはないでしょう。
僕は福岡出身なんですけど、福岡女学院はその歴史と、古風なセーラー服からお嬢様学校のイメージがあり、男子学生の憧れの的でありました。この物語の時代では、セーラー服は最新モードでしょうから、なおさら男共の目には眩しく映ったでしょうね。
本筋としてはあまり進んでいないのですが、晶子の魔球(ナックル)はやはり実戦では使えないようで。メジャーリーグにはナックル専用の捕手がいるくらいで、小梅が捕れなくても無理はありません。ともあれ、ナックルをマスターしたのはすごいので、別の変化球も覚えられるでしょう。晶子はサイドスローなのでシンカーがお勧め。
今回、小梅がかなり気の毒な役回りでしたが、三郎との仲を深めるキッカケになったのでまぁ良しということなのでしょう。
次回は親バレですか。また小梅のエピソードですが、この作品はこのまま小梅メインで描かれるのでしょうか。他のキャラクタを掘り下げたエピソードも見てみたいですが、1クールのようなので難しいんだろうな。
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魔球ときましたか。女性投手が活躍するコミックスの『野球狂の詩』(水島新司)でも、ヒロインの水原勇気の武器は制球力と魔球でした。 大正野球娘。 第7話 『麻布八景娘戯』 の感想です。
水原の魔球、『ドリームボール』はシンカーの一種だといわれています。シンカーはサイドスローやアンダースローの投手に向いた変化球で、晶子のフォームがサイドスローになっていたので、覚えるのはシンカーかなと思っていました。女性の手のサイズではフォークは無理でしょうし。でもナックルとは、これはまた難しいものにチャレンジしています。確かにナックルはほとんど『魔球』で、60km/h程度のスローボールでも三振がバンバン取れるそうなので、覚えられれば強力な武器になるでしょう。 さらに、縫い目のない軟球ではナックルは変化しないので、軟球しか知らない中学野球の選手にはナックルは魔球に見えるでしょうね。
夢中で投げたときに1回だけ成功したようですが、その感覚を思い出すことができるか。ナックルはボールを回転させないことがポイントなので、腕を振りすぎず、泥棒に投げたときのようにコンパクトに投げるのが良い気がしますね。
辻打ち、辻投げのエピソードは、ほとんどドタバタコメディでした。相手の中学生がノリノリで笑った。気がすすまないのに巻き込まれてしまう小梅の様子も可愛いくて、なかなか楽しめました。巴や胡蝶の身体能力の高さも印象的で、さらにスコアラーを得てID野球をやるようなので、着々と勝利のための伏線が整いつつあるようです。
小梅の許婚の件は今回はお休みでしたが、次回にあるのでしょうか。野球とはあまり関係の無い日常エピソードっぽいので、これはこれで楽しみにしています。
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野球娘。たちの成長の過程がテンポ良く描かれていました。大正野球娘。 第6話 『球は広野を飛び回る』 の感想です。
なにげに乃枝が凄いんですよね。1回試合しただけで、問題点を的確に挙げ、改善策まで提案するという。今回アンナ先生が欠席していたのは、乃枝にスポットを当てるためでしょう。
硬球を見せて男の子たちを煽るのもうまい。男の子は、普段は軟球を使っているのでしょう。ちなみに軟球は日本で発明されたもので、調べてみたら大正8年からのようなので、この物語の時代(大正14年)にはすでに普及していたはずです。 櫻花会が硬球を使っているのはアンナ先生の影響なんでしょうね。
僕がこのアニメを高く評価しているのは、大正時代の時代背景をさりげなくドラマに編みこんでいることです。男の子たちが「お嬢様のお遊びには付き合いきれない」と言っていましたが、この時代の女学生は、世間の多くの人からそう思われていたはずです。女性は家を守るのだから、高等教育なんて必要無いという。
練習試合をすべて断られたのも、男尊女卑の風潮が残っているからでしょう。この時代、女性には選挙権も無く、男と対等な存在とは認められていなかったんですよね。でも、それはおかしいだろうという風潮(大正デモクラシー)が盛り上がっていた時代でもあり、いろいろと過渡期なのでした。
そういう難しい時代の中で、彼女たちが問題を克服していく姿が描かれることを期待しています。練習試合を受けさせることが、次のハードルですね。
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短距離選手から野球に転身ということで、あだち充の『ナイン』を思い出しました。大正野球娘。 第5話 『花や蝶やと駆ける日々』 の感想です。
『ナイン』は、Wikipediaによると「作者(あだち充)の最高傑作とされることもある」とありますが、僕も大好きな作品ですね。野球漫画の主人公といえば、普通はピッチャーや主力打者ですが、この作品は『1番打者の外野手』が主人公という珍しい作品です。いまならイチロー選手というスターがいますが、彼が登場するずっと以前の作品なので、先見の明があると言えるでしょう。復刻された文庫版にイチロー選手がエッセイを寄稿してるそうです。
菊坂胡蝶さんは、ナインの新見克也と同様に短距離選手の出身で、おそらく1番で外野なのでしょう。足が速い1番打者は貴重な戦力ですが、守備範囲の広い外野手も、地味だけれどすごく重要ですね。弱かった外野が補強されて良かったです。
野球の国際大会では、日本人選手はパワーでは外国人に負けるので、足でかき回すことを基本戦略にして、足が速い選手を中心に選抜することがよく行われますが、桜花会もそうなのでしょうね。男子に力でかなわないところを機動力でカバーすると。アンナ先生がランニング中心の練習にしているのも、その狙いがあるのかもしれません。
各キャラの役割がはっきりしてきて、ドラマの納まりが良くなってきました。小梅は直感で行動して周囲を引っ張るタイプで、やはり主人公属性ですね。今回の人力車は失敗しましたが。
乃枝は参謀としての能力を発揮しはじめています。野球部を辞めた記子も、何気に情報通として役になっていますね。晶はボケ役ですが、「8人でやればいいんじゃない?」とか普通じゃない発想力はなかなか。
あと細かいところですが、陸上部のシーンで「オン・ユア・マーク」と言っていたのが印象的でした。「位置について」の英語ですが、大正時代は陸上競技などの外来文化が入ってきたばかりで、英語が敵性言語にされる前なので、英語の用語をそのまま使っていたのでしょうね。
あとスターティングブロックが無い時代なので、足がかりのために穴を掘っていたりとか、そういうディティールが、よく調べていて凝ってるなと思えます。
かなり正統派スポーツものっぽい展開なのですが、そろそろ日常エピソードも見てみたいかな。水着回とは言いませんが。
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小梅がしっかり主人公していました。大正野球娘。 第4話 「これから」 の感想です。
主人公不在のストーリーって、最近多いと思うんですよ。登場人物がみな、状況に流されて、その場その場で対処しているだけという。そういうのも手法としてアリですが、”物語の軸がぼやける”というデメリットを上回る効果を出すのは難しいのでしょう。
その点この作品は、小梅が行動力で局面を打開するという、主人公性を発揮しているので、安心して見ることができます。普段は晶子の影に隠れがちだけれど、いざというときは頼りになる、というところもいいですね。キャッチャーにふさわしい性格ではないでしょうか。
あとこの作品、色遣いがとても好きですね。色彩設計と言うんでしょうか。少し褪せたようなトーンで統一しつつ、ピンクや薄紫など”モダンな”色も多く使われていて、大正時代の雰囲気が出ているように思います。水彩っぽい背景も良い。
「アニメーションの色職人」という本があり、ジブリで色彩設計をされている保田道世さんのドキュメンタリーなのですが、アニメの色彩の奥深さが分かって興味深いですよ。この本で、ジブリは既存の絵の具に無い色を多用するので、毎回多くの色を特注するとありました。今はデジタルなので絵の具から作る必要は無いだろうけれど、この作品用の色配合を(デジタル的に)かなり作ったんじゃないかな、と想像しています。
先生が対戦相手を”17歳”と言っていたのは、前回も書きましたが旧制中学だからですね。5年制なので、13歳から17歳までの男子がいるはずです。
物語のほうは、一難去ってまた一難のようです。ただ、内野には比較的人材が揃っているのに対して、外野が弱かったので、外野に強力な新メンバーが追加されるとしたら良いことかもしれません。
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舞台設定はちょっと変わっているけれど、展開は王道ですね。いいんじゃないでしょうか王道。大正野球娘。 第3話 『娘九つの場を占めて』の感想です。
3話目にして初レビューなので、まず全体について。大正時代を舞台にしたのは面白いと思いますね。明治と昭和の間のわずか15年間ですが、大正時代には特別なものがあるでしょう。
まず、第一次世界大戦で(一応)戦勝国になり、そのおかげもあって産業が発展し、日本全体が楽天的な機運でした。戦勝国仲間の米英には特に親近感があり(第二次大戦では敵になるんですけどね…)、欧米の文化を取り入れることがカッコイイとされ、モダンボーイ・モダンガール(略してモボ・モガ)という言葉が生まれました。また、婦人参政権運動などが起こり、”男尊女卑”の伝統が変化しつつあった、そういう時代です。
女子高を舞台にした少女小説のルーツも大正時代にありますね。”少女画報”が創刊されたのは明治末期ですが、少女小説の大家である吉屋信子さん(”マリ見て”なども明らかに彼女の影響を受けています) の活動は大正からですから。
で、この作品からも、大正時代の空気が感じられ、タイムスリップしたようで楽しいのです。「ランデブー」とか古風な言い回しも面白い。
ストーリーのほうは、この手のスポーツものの王道ですね。メンバーを集め、学校に認めさせ、練習する。そして最初の相手には負けて実力を思い知る。展開がずいぶん速いとは思いますが。
相手は中学ですが、この時代の旧制中学は5年制なので、主力選手は今で言う高校生のはずです。女学校に入ったばかりの小梅たちには、年齢差だけでも不利すぎるでしょう。
でも、王道展開だとすれば、この状態からなんとかするのでしょうね。小梅が弁当とおにぎりをキャッチしたときの動きは、彼女の身体能力が高いことの伏線でしょう。巴もかなりのもののようですね。晶子は球速は遅いけれど、コントロールは良いので、うまくリードすれば通用するのかもしれません。
他の連中も、わずかな練習期間でそれなりの格好はついているので、素質はあるのでしょう。また、本場のベースボールを知るカートランド先生の指導もなかなか的確です。彼女たちの躍進を期待したいですね。
その一方で、ラブコメ展開もあるのでしょう。今のところ小梅がモテモテで、ギャルげーにおける主人公のポジションでしょうか。晶子の事情も気になるところです。
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