金で未来を買うことは出来るか。 [ C ] CONTROL 第6話 『conflict(葛藤)』 のレビューです。
宣野座と三國、どちらも、ミダスマネーによって世の中を良くしようとしているのですが、方向性が正反対なのが面白いところです。
三國の方法論は、日本国債を大量に引き受けるというもので、前回のレビューでも書きましたが、これは今現在は良いかもしれないけれど、日本の借金が増えていることには違いありません。 将来にツケを残しているとは言えます。
宣野座は、「今をどうやって生きるかだけではなく、未来に目を向けるべきだ」という考え方であり、NPO法人の代表として、主に新興国の子供たちに支援しています。 子供たちが「未来」ということなのでしょう。
つまり、三國は「今」の「日本」のために金を使っていて、宣野座は「未来」の「世界」のために金を使っている。 見事に反対だと言えます。 どちらがより、正しい金の使い方なのでしょうか。
三國は、「未来も現在からの地続きだ」と言い、今現在をなんとかしないと未来は無い、という考え方で、より危機感が強いのですね。 自分が国債を買い支えないと、日本経済は破綻するという自負があるのでしょう。 借金を増やし、未来にツケを残してはいますが、それによって景気がよくなり、企業や国民が税金を払えるようになると、借金を返すことも出来ます。 一方で、日本経済が破綻したら、たとえ借金が少なくて済んだとしても、返すことが出来ません。
でも、「可能性が失われた未来しか残らないなら、現在のある意味が無い」という意見も分かるのです。 「今をしのぐため」に借金をして、未来にツケを残していると、人々は未来に不安を感じて、お金を使わないようになり、経済を萎縮させるでしょう。 これはこれで悪循環です。 また、子供達に投資すべきだという考え方もごもっともです。 子供がいないと未来は無く、借金返済も年金も無いのです。 ”子供手当て”の議論に通じるものがあります。
ジェニファーは、そもそもミダスマネーは悪で、それに頼るべきではないという考え方です。 応急的には役に立っているかもしれないが、長い目で見れば「未来を食いつぶしている」と。 確かに、ミダス銀行は、未来を担保に金を貸すわけで、本質的に「そういうもの」だと言えます。
公麿は、そんな人々の間で悩んでいます。 宣野座のやり方に理解しつつも、積極的に協力することはできませんでした。 そもそも彼は、宣野座と最初に会ったときに「感じ悪りぃ」と思ったわけで、最後にはその印象に従ったのかもしれません。 宣野座の、どこか上から目線の様子が、「感じ悪りぃ」と伝わったのでしょう。 彼はそれなりに立派な人物だけれど、まだ甘いところはあるのだろうな。 今回の敗戦で、成長できるのかもしれません。
公麿は、最初のうちはアセットの性能で勝っていたのですが、最近は、戦い方を工夫することで勝てているようですね。 「ギリギリで勝つ」というタスクを自らに課して、バトルをコントロールする練習をしたことが、今に繋がっているのでしょう。 これまで全力を見せていなかったことで、宣野座に油断させる効果もあったかもしれない。
この調子ならば、いずれ影響力のあるアントレになれそうですが、そうなったとき、彼は自分の金をどう使うのだろう。 彼の最終目的は何だろう。 最後のシーンで、宣野座は野球場のベースを一周して、ホームベースだけは踏みませんでした。 野球は三塁まで進んでも、ホームを踏まないと点にならないわけで、自分の目的に向け、いいセンまで行ったのに、達成できなかったことを表しています。 結局、高校野球のトーナメントのように、金融街では誰か一人しか勝者はいないのかもしれません。 公麿は、他の人の目的を踏み台にして、自分の目的を達成することができるのでしょうか。
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この作品が、そのテーマをどこまで本気に追及するのかは、興味があるところです。
”若造”は、あまり関係無いんじゃないですかね。若くても、洞察力がある人はいると思えます。人生を重ねないと分からないこともありますが。
このストーリーは、まず巨大な財力を身につけて、それによって世の中を変えるという話なので、草の根の庶民の視点では無いですね。
三國と宜野座の立ち位置はメルクマールさんのおっしゃる通りだと思います。未来を生きるか、現在を生きるか。その両極端に配置された両者がぶつかれば、現在を生きようとする三國が勝利する。
>そもそも彼は、宣野座と最初に会ったときに「感じ悪りぃ」と思ったわけで、最後にはその印象に従ったのかもしれません。
というメルクマールさんの洞察からもわかるように、公麿は三國寄りで、だからこそ戦って、そして勝利したんだと思います。
個人的にアセットの能力は関係ないと思っています。(最初の戦いではかなり影響しましたが……)
公麿は『今を生きる人達』を投影する役割を担っているのではないかと。だからこそ未来を生きる――言いかえれば理想に生きる宜野座に勝ち得たのだと。そう解釈できるのです。
今のところ『公麿の成長=社会への適応≒三國の考え』ようにアニメは進行しています。
三國のように生きるしか現在を生き延びられない、というように感じられます。
このアニメは『現在社会の人間(一般人)の生き方』をテーマにしている気がします。
公麿が三國と同じ選択をすれば、今の日本と同じ選択になり、それは何一つ変わらない事を意味します。
まだ序盤なのでどう転ぶのか不明ですが、最終的に三國を越えられるような選択を公麿が選べるのか、というところに焦点が集まりそうですね。
うまくまとめられなくてすみません……
長文・乱文失礼しました。
では
個人的には踏まなかった、ただの真似事だった、をあらわしているのかなと思いました。
宣野座もジェニファーも金融街に飲み込まれていなくても歩みを止めてしまった者たち。
本当に未来を救いたいのならどこまででも力が必要なはずです。
下っ端役人や「パスしてくれ」な人ではダメでそれこそ三國すら超えないといけない。しかしジェニファーも宣野座もそうしなかった、それは自分は三國のように強くはなれない、弱くて何が悪い、と開き直ってと吠えているだけの負け犬根性丸出しの行為で、初めから野球(世界を救おう)なんてしていなかった、してるつもりで真似してごまかしていただけ。
宣野座は可能性の失われた未来といいましたがなぜそう言い切れるのでしょうか。
少なくとも三國は可能性が失われたとは思っていない、だから戦い続けられるんです。
なのに自分のいる場所にたどりついてもいない奴が勝手に決め付けて逃げてしまうのか、
少なくとも俺の場所までは諦めるのはまだ早い、諦めるのは俺を超えてからにしろ。
宣野座を限界といったのはそういう意味だったのではないかと思っています。
もしくは、お前らのいうことは強い者の言葉だ。俺より弱いお前らが何をいっている?でしょうか。
>金融街では誰か一人しか勝者はいないのかもしれません
今の金融街においてはそれから外れているのは三國くらいでしょう(情報屋も?)
彼なら公麿が勝っても金融街(世界)相手に「俺の勝ちだ」って消えていけるのではないでしょうか
公麿に最期の教え
願いがあるのなら三國(師?親?)すら踏み潰していくしかない、戦い続けるしかない
そのことを教えておわりかなと思いました
現在か未来かという軸では、公麿は現在重視に違いありません。 身近な人を守ることを第一に、戦っているから。
三國よりもさらに、近い未来や狭い世界しか見ていないとも言えます。 仰る通り、公麿は”普通の人”の代表なのでしょうね。
とはいえ、公麿はアントレ(起業家)の端くれなので、先を考えることや、より広い社会との関わりについて、考える必要があるはずです。 現代を生きる我々に必要なのは、アントレとしての視点だというお話なのかもしれません。
■野良猫さんコメントありがとうございます!
宣野座が、未来を変えるためにどれくらい本気だったのかは、確かに疑問なところはあります。 格下の相手でも、バトルの棄権を勧めるなど消極的ですからね。 自分の目標のためならバトルも辞さないのか、なるべく人や現実世界に影響を与えないように最小限のバトルで生き延びるのか、どちらかでしょう。 三國は前者で、ジェニファーを後者で、宣野座は中途半端な立場でした。
彼の言う”可能性の失われた未来”というのは、借金を子供に押しつけるような未来のことなのでしょう。 それは難しい問題ではあります。