先週の金曜日、朝日新聞に水野和夫サンが興味深いことを書いていた。 大意を抜き書きすると、
・鳩山内閣がおかしくなり始めたのは、 経済成長戦略を、批判を繕うように急ごしらえで造った時期からだ ・現在の日本を見て、経済成長は可能なのかという洞察がないまま、 経済成長をあって当たり前と見なしている人が多い。 ・しかし、経済成長は、近代(そしてそれに続く現代)の”思想”なのであって 成長自体が、自明なものではない ・よって、新内閣は、経済成長戦略を作る必要がない(「ない」と開き直ればよい)
5年ほど前、住友生命のシンクタンクに勤める市来治海サンがよく似た話を本にしていたのを思い出す (「諦観的日本経済論のすすめ」NHK生活人新書)
再び不況期が来て、同じような思想モードが来ただけなのかも知れないけど、 繰り返し提起されるこの問題意識。 儒教に対する、老荘思想みたいなものなのかもしれない たしかに、 経済成長が自明なものでなければならないか、と問われると、 自信を持ってYesと言えない。
まして、自国の経済成長を政府の義務と考えるのは、政治史をひもとくまでもなく、19世紀に入ってからだろう この種の、モダン(近代とも、開化主義とも言えるだろう)を唯一無二の社会原理と考えては、現実があわなくなってきている。
脈絡もなく考えつくのだけど、 口蹄疫に対する、対策がなんとも、モダンな発想だな、と気づいた。 口蹄疫を撲滅した国家は、家畜の輸出に優位に立てる……そういう約束があるらしい。 これ自体は、合理的だが、 「口蹄疫を撲滅した国家」というのは、 長期的にはありえない。 仮に、病原体をまったくない状態を作れたとしよう。 衛生管理、検疫、そんな、近代的な手段を積み重ねれば、達成できる(現に日本が達成していた) が、その社会に、一度病原体が流入すると、 ……そう、今の事態のように、爆発的な流行へつながる。 なにせ、いっさいの家畜に、口蹄疫への免疫がないからだ。
・日本脳炎 ・狂犬病 ・肺結核 これらの人間の病気も、何年か前、「根絶宣言」まで出した日本。 それは、近代の方法論と理想との勝利のはずだった。
が、実際には、それから20年も経たずに、再度の流行が始まろうとしている。 衛生管理や、検疫などで、病気が「社会的には」克服できない……。
ドラッカーさんが言った(「ネクストソサエティー」など)言葉 「日本政府の経済政策がうまくいった理由は、 対症療法に徹したことにある」
上のような、伝染病の近代史を考えたとき、 この言葉の含意の深さを、改めて考えてしまうのだ。
テーマ:これでいいのか日本 - ジャンル:政治・経済
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