今回の原発事故の、補償について、政治家さんたちが大張り切りで議論をしてますね。 皮肉をいうつもりはないけれど、こういう熱意で、死刑の問題とか、財政健全化とか、話してほしいんですが。
さて。 国民の負担が増えることはまかりならん、と大見得を切る政治家とそれに喝采する、多くの国民の皆さんに、 私……仙人(修行中)から、一言
「金は天下の回り物でしかない」
と申しておきましょう。
今政府から出されている原案では、確かに、東電の「利益」を原資に、補償していくことになります。ですから、”適正な”利益を東電を出すことが前提になります。現状、原発を止めると、発電の原価が騰がる(帳簿上では騰がることになっている)のですから、利益を出すためには、電気料金を揚げるよりありません。
(ところで、「ステークホルダーにまず責任を負わすべき」という、政治家の発言に大笑いしました。 この人たち、「受電している顧客」もステークホルダーの定義に含まれるのを無視してます)
そんな議論を始めると、私のような仙人ならばいざ知らず現世の有権者からそっぽを向かれるからでしょう、 株主責任や債権放棄、あるいは東電自身の資産売却にも言及しています。 とりわけ、阿部知子サンは、送配電を事業分離し、その売却で得た資金を原資にせよ、と言い張っています。 が、こういう議論を聞くと、「かんぽの宿」のときの議論が再来しそうで、情けない気分になります。
配電施設だけを売ることはできません。「配電」という事業を売るのです。その事業の売却価格は、やはり「配電」という事業でどれだけ儲けることができるか、で決まるのであって、資産の価格で決まらないのです。 そこへ、電気代を上げずに……との大方針が先にあったら、結局「事業」の売却価格が下がるだけなのです。
政府が価格統制する企業へ、再建までも政府が関与しようとすると、 この「事業価値と料金」のジレンマに必ず直面します。 が、その混同に、高学歴であるはずのマスコミ・評論家諸氏や政治家諸氏は、気づこうとしません。
また、かんぽの宿の頃の不毛な議論に陥りそうで、今から憂鬱です。
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