あえて、私が何を批判しようと、この文章を書くのか、明言を避ける。ケンカを売るよりは、同志を探すほうがはるかに建設的なのを、人生経験から身に染みているから。
が、私は、モーレツに呆れ、かつ怒っていることだけは、最初に表明しておく。 その怒りを、災害史の1エピソードで包んで、今日の記事をお届けしよう。 最近きな臭い動きのある富士山がl、一番最近に噴火したのは、江戸時代・宝永年間のことである。 年号をとって宝暦の大噴火、と呼ばれているその災害、たしかに、当時の幕藩体制の行政の規模で、十分に対処できないような大きな災害だった。だから、不手際には、仕方がない面もあった。
しかし、あまりに我田引水的な決定が次々に政治の世界で決定されていき、 被災地は見捨てられていった。
被災地は、富士山の南東~南の方向、駿東郡や相模国の西の端あたりにかけてがもっとも重大なな被害を受けた場所であった。 噴火後数か月は、領主の小田原藩が被災民の救援をしていた。が、田畑の作付をし始めねばならないころになって、火山灰の除去を小田原藩の力で行うことを断念し、それらの被災地を幕府に返納していしまう。
幕府は、それを受けて、代官を指名し、復旧活動にあたらせようとするが、 それに先立って、責任逃れのような決定をする。 その決定が、表題にある 「亡所」の指定だった。
亡所‥‥今風にいうと、「全滅宣言」だ。 [READ MORE...]
テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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