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ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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地震に勝てなかった平成の松浦武四郎
松浦武四郎、かなり有名な人で著作も多いけれど、彼の出身地である旧明和町には小さな記念館があるだけ。その記念館も地域の公民館に併設されているもので、活動としては、地道に彼の日誌の解読をする研究会がある程度。
が年に一回のお祭りが、2月の末。……ことしは、今日だった。
もっとも、お祭りにを見に行く人の多くにとっては、アイヌ民謡や舞踊が見られる機会だからという人が多いようで、伊勢中川駅の東口でシャトルバスを待っている私に、ご夫人が声を掛けてこられてTaxiで現地へ向かったのだけど、車内では、アイヌ舞踊の継承者の方について、いろいろ話されるだけだった。すみません、舞踊とかそちら方向には疎いので、ぜんぜん判らない話だったもので。

彼の出身地は、津市の南端にあたる櫛田川のさらに南岸で、生家は伊勢街道に面してある。その生家も一部が特別公開になっているので、後で見に行くつもり、だった。
ともかく、まずは、記念館前の普段駐車場にしている祭り会場で、公演を見よう……。
と会場に入ろうとしたら、舞台が解体されはじめている。
張り出されたプログラムでは、13:30……あと15分くらいで始まるはずなのに、と思っていると、そのプログラムの紙面に上から張り紙がされる。
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テーマ:三重 - ジャンル:地域情報

斎宮梅まつり
同じ松阪市内で、2つのお祭りがあったのをハシゴしました。
旧明和町の「松浦武四郎まつり」斎宮の「梅まつり」
斎宮は午前中、12時くらいまでいて、近鉄で伊勢中川まで戻ってシャトルバスに乗れば、13:30までには「松浦武四郎まつり」に着けてメインイベント「アイヌ舞踊」をみることが出来る、という算段。
え、「アイヌ舞踊」は午前にも1回あるのに、なぜ後回しなんだ、と質問が来そうですね。「梅まつり」を先行させるのに理由はきっちりあったのです。
甘酒と、お茶席の接待が、午前中(先着順!)にあった、
そう、食べモンに釣られて……。

まず「梅まつり」
斎宮歴史博物館の前にある広場で、「太鼓の演奏」というちょっと斎王には関係しないようなイベントがありつつ、参加者は8割方「何かを食べている」という状態。
「ひじきうどん」「赤米のご飯」「おでん」「甘酒」「御抹茶」等々、食い気のほうが勝りそうなブース配置に、お客さんの胃袋も正直に反応するだけなのでしょう。

「斎王行列の再現」という最大の呼び物企画があるのですが、それは午後から。午前中は、毬杖や、梅の種飛ばしコンテストといった、参加イベントで和めました。

その毬杖、子供さんに結構人気だったのです。

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テーマ:三重 - ジャンル:地域情報

アタクシの話(その1。民族あるいは文化を「背負う」まで)
もう亡くなって6年にもなる鷺沢サンの私的なことを掘り起こしてしまったのも、寝覚めが悪い(苦笑)
いくらエッセイなどを通じて公言されている内容とはいえ、面識のなかった方なのだし、
あのゴーカイな「姉御」様にアノ世でお会いする可能性を考えると、
懺悔も覚悟しないといけないし、その予行演習として……
と冗談はともかく、同じ話題でわたくし自身のことを。

ひとつは、民族・文化を私がどういう背景で意識し、そのことについて何を考えているか、ということ。そして、別項にしますが、わたくしと韓国とがどう出会い、どう関わろうとしているか、ということを。
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テーマ:Resistance-日本 - ジャンル:政治・経済

向かい合う「差異」(鷺沢萠著「ビューティフル・ネーム」によせて)
更新が1週間以上開いていまいましたね。
この間、強烈な想いに取り憑かれ、何か書かねばならないと思いながらも、手に付きませんでした。

ことの発端は、桑名市立博物館に行った帰り、駅前の通り沿いにあるブックオフで、一冊の文庫本を買ったことでした。

その本は鷺沢萠サンの「ビューティフル・ネーム」という短編小説集。

サギサワ・メグム……彼女は、私にとって直視できないほど眩しい人でした。年齢でいったら、1学年上なだけの女性が、すでに高校時代から作家活動をしている、それだけでも眩しいのに、
写真を見るに整った目鼻立ち、エッセイ類でかいま見える自信に満ちた言動、都会的かつ国際的な生活センス、文章に表れる繊細すぎるほどの心理描写、どれも私にとって異世界の人。
違った世界とはいえ、高校から大学の最初の2年くらい文筆家(サイエンスライター)を目指していたからこそ、彼女が眩しくそして妬ましく、何かの機会に仮にお会いできたとしても、逃げ出してしまうだろうな、といじけていた私。
そう、私は、天王星くらいには太陽から遠ざかった世界の住人でしたので。

疼くものがあり、その小説集を買い求め、帰りの電車の中で読んだわけです。
在日外国人の参政権問題について書く、とかいっている私にとって、何と重い内容であるか。

あまり知られている小説集でないかも知れないので、若干の予備知識として、彼女自身とこの小説とについて、紹介しておきます。
広く知られている通り、彼女は6年前に亡くなっています。この「ビューティフル・ネーム」は、彼女が急死する時点で書きかけであった、3部作の連作小説集であり、それらすべてが、同世代の在日韓国・朝鮮人にとっての「名前」に関わる話なのです。
こう書き直すとお分かりになる人も多いかな?
「通名」という問題についての話なのです。
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テーマ:本の紹介 - ジャンル:小説・文学

黒い月
日本には、かつて、月を黒く描くシキタリがあった。
日本画とよばれる全ての画法に共通していたのとは違うが、
大和絵と呼ばれる流派では、何の疑いもなく、空へ黒丸を描き込んで月を表すことにしていた。17世紀くらいの作品でも、ほぼ例外なく、そのように描いていた。
もちろん、理由があってのことだろう。
私が推測するだけでも、二つくらい理由がある。

(1)太陽と区別するため
絵に描くときには、月にしろ太陽にしろ、それらをアップで書くことがなかった。
だから月に見える「海(黒い模様)」を書き込めば、太陽と区別がつけられるにしても、それを筆で描ききれるものではない。……とすると、太陽も月も「白い丸」で描くよりなくなる。が、両者を区別つけなかったら、場面が、昼なのか夜なのかを区別する術がなくなる。その混乱を避けるため、陰陽に大別すれば陰のものである月を黒く描くようになった。

(2)夜の空を「黒」で表現できなかったため
画面を黒・灰色に塗りつぶす風習がなかった昔の日本の絵にあって、白の丸は、描いたところで目立たない。まして、ハーフトーンなしのベタ絵である大和絵では、漆黒の空と、月に照らされる雲と、さらに月影の浮かぶ遠景、それらを描き分けることができない。……夜の場面をすべて黒に描いては絵としてなりたたないわけで、必然的に夜の空をも白で、月を黒で描くよりなかったのだ……。
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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術