擁護しないし批判もしない・・・・・ 大津署がマスコミの砲撃を受けているが、この問題の本質は、学校における「いじめ」である。 いじめを把握できなかった学校の責任、被害届出を受理しなかった警察の責任を取り上げる以前に、少年の父母は、自分の子供の日常生活の状況や心の悩みに対して平素から真剣に対応したかが問題である。 責任転嫁は子供の生命を守る親のあるべき姿でないだろう。 明石花火大会の雑踏事故は、当時の... いじめ問題の論点は?
という意見を、滋賀在住で警察を退職したした爺様が書いただけで、 大津市の中学生自殺の事件の加害者の祖父だと決めつけられ、Blogが炎上している。
意見の内容については、あとで丁寧に私の意見を書いていくけれど、
こういう理詰めで対策を組めないし、理詰めで指導されても反発するだけだからこそ、子供なのだし、 子供だからこそ、いじめが起きるのだ。 子供は自分の不完全さに気づけない。一方相手の不完全さには過敏に気づいてしまう。 そういう知覚と、知恵とのアンバランスでいじめられる側もいじめる側も、苦しんでいる。
それだけのことなのだ。
さて、この種の、「さらし」行為は、どちらかというと大陸中国や韓国のネット社会で盛んになり、 中国では不祥事のたびに「人肉捜査」といって大騒ぎを起きる(※) ネットという閉鎖空間での異様な光景が、日本でもこのように起きたわけで、 正直戦慄を覚えた。
(※いや、もう少し正確に言おう。 中国や韓国では、この種の騒動が起きると、かならず、確証もないのに騒ぐな!事実でないことまで混ぜて書くな!というカウンター的な意見も出てきて、 ネット上の意見は、やがて自浄されていくことが多い。 (有名なところでは、チェホンマンがやり玉に挙がったとき) 日本では、その動きがない。 これでは、日本は中国や韓国のネットヘビーユーザーの「子どもな」反応にも劣る、ということが、露呈するわけで、 日本のネット世界の暴走もここまで来てしまったか、と嘆かずにいられない)
これもまた、過敏な正義感の知覚と知識が、感情を突き動かし、 この問題をどう収めるべきなのか、という知恵がおいつけない、という「子ども」な人が、やりばなく騒いでいるにすぎない。その「正義感」はいじめている人間と同じレベルにすぎない。 (そう、いじめている側には、それなりの正義感がある。自分たちが「迷惑している。彼(イジメル相手)に時間や手間や感情を乱されているから、それを「是正させよう」としているだけだ」と、なかば本気で思っているのだ。そして、表面的には、それは「正しい」場合が多い。ただ、そういう自分だって、同じように不完全で人に迷惑をかけているだろ、いじめる前からすでに、とツッコむ人が回りにいないだけで‥‥)
しかも、彼らがもっとも信用していないマスコミの報道に操られて、ネタを探している。 今はもっと別なことが問題なはずなのだが‥‥。
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