阪神・淡路の震災から15年。 その後の西宮から神戸にかけての都市で、復興していく様子は、 都市が「有機体」としてもつ再生力を感じざるを得ませんでした。
そこには、愛郷心と、ヒューマニズムとが、麗しいかたちで生かされ、 あらたな町の物語をつくっていきました。
だからといって、兵庫県南部にルーツを持ちつつも、 震災後、他の地域へ移り住んだ人も、多数います。 何年か前、NHKの朝のドラマでも題材になっていましたね。 移住したイナカになじめず、一方、復興させつつある「地元」への隔たりに負い目を感じながら 生きる、 それも人生。 (そりゃね、あのあたり並に洗練された都会なんて、 日本中探しても、そうそうない。だから、どこへ生活拠点を移しても、イナカと感じることでしょう~)
また、同じ町に残った人でも、持ち家の位置が変わってしまった人が沢山おられるのは、各種報道でも明かです。 そのために、1/17の未明には、今や他人の家となったもとの自宅の土地を前に、人知れず合掌していく人が見られるというのです。
人の一生のうちでさえ、そう。 在来の「日本人」だけが 同じ日本列島の中に住み続けることができる、 実は、この状態は当たり前でないのです。 災害・人災・戦争…… そんな数々の出来事をきっかけに、人は、生きる場所を探さざるを得ないのです。 もちろん、国境を越えることも少なくありません。 そんな人たちにとって、故郷は、故国は、どこなのでしょうか。 仮に故郷があるにしても、そこの構成員は、つねに変化し、外国人も入ってきます。
その人生がかかった選択を、政治で押さえ込むことができる、とおもっているならば、 その考え方は、北京政府の移住労働者(内陸農家出身者)に対する考え方と何も変わりません。
だれか任意の人にとって、故郷も自明でない どこか任意の土地にとって、それが誰の故郷であるかも自明ではない
結局は、混ざって住むよりないのです。 今日本にある、自動車工場・電子部品工場の周辺地域で、 起きている定住外国人との混住、……必然的にそこへ行き着くのです。
そんな人々にとって、土地にとって 民族ってなんなのでしょうか、国土ってなんなのでしょうか
結局は、同じ土地をシェアする人同士で、 常にルールを構築しながら、あらたな「故郷」を作るよりありません。
外国人参政権は、いや、外国人に限らず参政権は 異なる不特定の人々が混ざって住む社会を構成しなおすための、ツールにすぎません。
政治というから、大それたものに見えるでしょう。崇高なものであり、国民固有の権利と見えることでしょう。 それを外国人に奪われると、怖れるのは、なぜですか。 怖れる理由は、考えるまでもなく、 [READ MORE...]
テーマ:外国人参政権問題 - ジャンル:政治・経済
|