scepticxさんが、この前の捕鯨についての記事へ、たびたびコメントを下さったのですが、結局相違点がひとつだけと判明しました。 曰く「クジラを獲る自由自体を否定するな」
私は、これっぽっちも「クジラを獲る自由」を否定していないのですが、それは、ひとまず置きます。 しかし、scepticxさんは「自由(権利)」としばしば書いておられる。……これを見ると、自由が即ち権利のある状態、と考えてはる様子なのです。
自由と権利 ……リバタリアンにとって、これほど大好物な話題があるでしょうか!(爆)
scepticxさん。 リバタリアンである私の前で、自由論をはじめたアナタは非常に鋭いと思います。よい着眼点だと思います。 (多分、自由論を前面にだせば、リバタリアンが自由を侵す、という矛盾に陥ると考えはったのでしょうね)
いい機会ですので、クジラを例にして、私達がモノを所有する権利とは何か、 その権利には、自由という「概念」から具体化する過程で、どのような前提や制限が生じるか、を整理しておこうと思います。 そして、リバタリアンな考え方で通常「泣き所」とされている「共有物の悲劇」への 対処法を提案したいと思います [READ MORE...]
テーマ:捕鯨・反捕鯨問題 - ジャンル:政治・経済
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