我謝京子監督の作品『311:ここに生きる』というドキュメンタリー映画を先日見てきた。上映後の監督のトークがむしろ印象に残った。福島の環境物質の分析会社の経営者(女性)が、監督へメールを送っていう。
『311以降、福島はカタカナやローマ字になって、世界を飛び回ったが、今は、フクシマのネタに飽きられたようですね』
そんな彼女の会社では、地銀から借りた1500万円で長期リースされている分析機で、自家用の井戸水の持ち込みサンプルの測定が続いているという。 もちろん、有意なレベル(言い換えれば、自然放射線のレベル)を超えるような水のサンプルは滅多に出ることはなく、今後も、更に頻度は減っていくことだろう。 だが、安心感を担保するために、そして周囲の誤解を解くために、図り続けなければならないと、社長さんは心に決めているとのことだった。
口先でなく、データを示すこと、 そして、データでのみ決着をつけること、 出発点はそこにあるだろう。
この映画の続編は、今後10年オーダーで撮り継がれることだろう。 それら続編で、データの積み上げが、どのように安心感へつながるのか、 私も見守りたいと思っている。
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