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ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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くまなく測る。 その2(2013春 福島市)
【情景】
それでは、測定の流れを描写していくことにしましょう。

ただし、機械の中身のことを書き始めると長いし、表面的な描写にとどめます。
かなり長い円柱状の機械で、その円柱の底面からガンマ線を取り込んで、姿勢を安定させるために補助として使う金属製の4本足がバンドで固定されています。
測定自体は、土壌が含んでいるセシウム(Cs-134,Cs-137)などを定量測定するというもの。
測定時間は2分(120秒)で打ち切りになり、数値が誤差とともに表示され、コントローラに記録されていく。

測るのは、多くの場合は、一枚の田んぼを対角に横切って、両隅と中央との3点を測っては、歩きしていく。
その淡々とした作業を、遠目に見ていたら、4年前に公開された映画「剣岳・点の記」に似ていないでもない。
(というと、ちょっと誇張があるか?)

あの120年前の世界と違うのは、三角測量をするまでもなく、位置がわかってしまうのだ。……GPSの測地機能が端末側についていて、すくなくとも緯度・経度は、待つまでもなくリアルタイムでわかるしくみ。

ITの力を借りながら、それぞれの場所の放射線源の量を、ハンディ型の機械へ記録していくのです。


【「数列」が、生きてくるまで】
 私が加わらせていただいたのは、上に書いた測定のみです。
そのデータの処理については、聞いた限りのことだけを記すことになります。

 上に書いたとおり、場所は緯度経度であらわされ、放射性物質の濃度も当然数字だ。その一組の数字に意味を与えるまでには、二つ、手続きが必要です。

最終的に得たいものは、(1)地図上をプロットし、(2)同時に地番,地主さんとデータを結び付け、(3)そして何より、作られる作物への影響見積もり。となります。
(1)は、地図のクラウドサービスで枠組みが用意されています。が、隣接する点どうしで、矛盾が出るほどのの濃度の数値差がないか、をモニタしながら入力せねばならず、データの感覚を研いでいかないとならない。
(2)は、手作業での照合である(意外かもしれないけれど)。地籍簿が作られた時点から、分割されたり、逆に1枚の田に繋いだりの変更があるのは、現場で修正しながら記録せねばならない。


そして、ゴールとなるべき、作物への放射線源の残留量と、土壌汚染の度合いとの相関を取る話。

 何度か全国ニュースで流れているが、福島県内でのお米は流通に乗る前に、全袋検査をしている。だから、アウトプット(結果)をくまなく測る体制に、すでになっている。
 が、この因果の「果」のデータが積み上げられていたが、土壌でのセシウム濃度は大まかにしかわかっていない。一枚の田圃で米袋1袋以上収穫できることを考えれば、前項で紹介した市の土壌調査のマス目で500袋も生産されることになる。……原因のデータ不足で、仮に両者に比例関係があるとしても、お米への残留量の「揺らぎ」が、比例係数を幅を持ったものになってしまう。
きめ細かく土壌側のデータを取ることで、比例係数(専門的には「移行係数」といいます)を確定していく。
きめ細かい調査が、相関関係をより確かに評価していき、
最終的に、予測をより確実なものにしていくのです。

 (注 なお。このように蓄積されていくデータが一覧化され、また、作物の品質がどのように管理されていくかは、順次、JAさんから公開されていくことでしょう。
 今は、数値を挙げずにこの項目を書き終えますが、発表されしだい、紹介していきたいと思います)


【意味づけ】
さて。
ここまでは、ひたすら、農産品の「品質」という側面で、放射線源の残留を予測し、管理に役立てるという側面に注目して書いてきました。
が、冒頭にも書いたように、測定が順調に進み始めると、計測が終わるまでの120秒、間が持たない。

私の悪いクセで、興味が、どんどんそれていく。

畦に咲く草花や、そこここに開いているカエルや蛇が出てきた跡の穴を見つけ、
ツバメの飛来を発見し、耕作放棄されている茂みの近くにキジを見つけ、

それらの中に、見慣れない出来事が一つだけあった。
が軽率なことを書けないので、タンポポの咲き方が見慣れないものだった、とだけ書いておく。
そう、もとの状態を知らないので、異常かどうか、まではわからないのです。

もやもやしたものを残しながら、一日目の作業を終え、コーディネータの方に案内いただいて、福島大(うつくしふくしま未来センター)の先生との3人で、焼き鳥屋さんに行く。「よね久」という住宅地の中のこじんまりしたお店で、カウンターに並んで、お話ししました。

これまた私の悪い癖で、このプロジェクトについて深めたお話を聞くことをせず、あくまで自分が……自分のような一介の自然観察趣味の人間が、フクシマの問題にどうかかわっていけるか、ということで頭がいっぱいな状態で質問していました。……この点本当に失礼な話です……。

(この文を読まれる方には、私の二の舞になってもらっては大変困りますので、できれば、プロジェクトのホームページを見てください)

幸い、応対してくださった先生が、生態系にも精通れている方で、ちぐはぐにならずにすみました。
その話の流れで、今は滋賀県知事になっている嘉田サンの言葉が出てきました。
彼女が博物館(博物館設立準備委員会)の学芸員時代に述べていた言葉が、今の福島への視線を表していると。

「湖水が生活圏から遠ざかるにつれ、湖水や水辺の環境悪化に過敏なとらえ方をする」
(後に調べてみると、こういう表現でした。
「生活行動のなかで、“疎遠”になった水は汚れているのである。逆に“疎遠”になったことが汚れていることをよりいっそう強く感じさせるのかもしれない。」

今の場合は土だけど、土の世界にかかわりを持ち、生活上の感覚の中に組み込むことで、数値で測定・評価した結果を補い、より「ヤバさ度合」を適格に知ることができるのでないか?

「自然現象は繰り返さない」
と、今から70年くらい前に中央気象台(今の気象庁)のトップだった岡田武松という人が言い、「観測者精神」といって、自然に向かい合う観測者の心構えを説いたといいます。

 「観測の記録は、精度を増すために測器による読み取り値を用いるが、実は観測者の観察にによる諸現象の記述が、最も大切なものなのである
(中略)
  単に読み取りだけならば、ある種のものは自記器械による方がましである。
  気象全体の模様などは決して測器には出てこない。
 これらは観測者が絶大の注意を払って観察し、できるだけ詳細に書き付けておくより方法はない」


 この文章を書き終わる前に、できるだけ詳細に書きつけられたか自信がないけれど、
 見極める目を、仲間とともに磨いていき、折りを見て、今後かかわりを持っていきたいを願うのでした。

【讃歌】
このようにして、3日間計16時間の実測作業にかかわらせていただき、最後の最後に、見かけた農家の方の姿を紹介して終えることにします。

3枚ほど耕作放棄された田が並んだその隣りで、小柄な、かなりお年のご老が、どかっと腰を下ろして畔の手入れをしておられた。半日経ってもほとんど場所を動かない。
何をしてるのか、と遠目に、不思議に眺めていたのだが、最後にその田圃へ測定に入らせていただいた。
彼は、その間にも、ほとんど同じ場所に座り、畦の縁にプラスチックのシートを添わせていってた。杭代わりには直径1㎝くらいの竹を20㎝程度に切りそろえて使っています。

見るからに丁寧な作業でした。
リーダーの方が、彼に声をかけると、彼はこのような意味のことを言われた。

  -ここの田圃は、土地がぬかるむし、畦から水漏れするから、こうしてシートをつけなければならんが、うまいんだから、ここで採れたコシヒカリは。

 穏やかで、職人さんが道具をいとおしむ口調にもちょっと似てました。

テーマ:環境汚染 - ジャンル:政治・経済

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【2016/11/01 16:18】 | # [ 編集]


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