自分の今の状態を、障碍といいきってしまっては、従来の意味での障碍を持つ人たちから、何を甘いことを、と言われることだろう。
しかし、たとえば四肢障害を取り上げて考えても、 手小指を失った人、親指を失った人、上腕部を失った人‥‥と、その障碍度の重さは、人それぞれだ。
その「人それぞれ」の連続現象の端に、私も席を占めているのだな、と思うくらいなら、許してもらえる、と思いたい。
身内に四肢障害を持つ人がいる私でさえ、障碍という問題は、遠い世界のことだった。 しかし今、自分の今の立場を想うと、誰もが背中合わせの問題であり、同時に程度や濃度の問題に過ぎないのだ、と、実感が持てる。
そんな中、思い出す言葉がある。
「失ったものを数えるな 残されたものを最大限生かせ」
パラリンピックのスローガン‥‥もともとはパラリンピックの主唱者;グッドマン博士の言葉だ。 発達障害の例でいえば、凸凹した能力の凸の部分をどう生かすか、を探さないとねぇ。
実は、障碍のありなし軽重にかかわらず、 これが理想的な「人生の選び方」であり、もっとも適切な処世でもあるのだろう。 そう考えると含意が深い。
テーマ:アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム - ジャンル:心と身体
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