はてなキーワード: ル・モンドとは
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。
もし、WADA(世界アンチ・ドーピング機関)のディック・パウンドが告発した驚愕の事実が、第2回目のWADA調査委員会の報告書のページの下に小さく付けられた注に影響を与えていたとしたらどうなっただろうか?
1月14日に行われたWADAの記者会見では、驚くような情報は出てこなかった。しかし世界のスポーツ界を揺るがす爆弾は、報告書の34ページの下の注に隠されていた。
https://www.wada-ama.org/en/resources/world-anti-doping-program/independent-commission-report-2
調査委員会の報告書は、注36で、1999年から2015年までIAAF(国際陸上競技連盟)会長だったラミーヌ・ディアックが、IAAFに有利なスポンサー契約をもたらすために、IOC委員として影響力を行使していたことを述べている。
こうした取引が存在した疑いは、ディアック前会長の息子の一人であるイブライマ・ディアックとトルコの陸上選手アスリ・アルプテキンの親族との間で行われた話し合いの中で言及されたものだ。この発言によれば、2020年オリンピックの開催候補地・イスタンブールにラミーヌ・ディアックIOC委員が投票しなかったのは、IAAFにとって旨味のあるスポンサー契約を提示しなかったためである。
しかしこの発言は慎重に取り上げる必要がある。ディアックの息子の目的は、ドーピング検査で生体パスポートの異常値が見つかった場合に、もみ消す力があると信じさせることだったからだ。
「(会話の中で)トルコがLD(ラミーヌ・ディアック)の支持を失ったのは、4~500万ドルのスポンサー料をIAAF陸上ダイヤモンドリーグあるいはIAAFに支払わなかったからだと述べられている」とWADA独立調査委員会のレポートは例の注36に書いている。
注は「(会話の)報告によると、日本はこうした金額を支払った模様である。2020年のオリンピック開催地は東京に決定した」と続けている。
IAAFの5つのオフィシャルパートナーのうち、TDK、セイコー、キャノン、トヨタの4つが日本の企業である。
調査委員会の関係者はル・モンドに、情報は十分信頼のおけるものであり、公表されるべき価値はあるが、管轄外のために委員会はこの問題を深く掘り下げないと説明した。
反対に、報告書に関するミュンヘンでの記者会見にも出席したフランス経済検察庁が、この件について調査することを妨げるものは何も無い。
独立委員会がどのような形式でこの情報を入手したのか(トルコ人関係者の証言によるのか、電子メールでのやり取りを入手したのか)は明らかになっていない。
2020年五輪開催地の投票は、2013年9月にブエノス・アイレスで行われ、決選投票は60対36で東京がイスタンブールに勝利した。
イブライマ・ディアックとアスリ・アルプテキンの親族との取引は、この開催地決定の3ヶ月後に始まり、2014年2月まで続いた。アスリ・アルプテキンは2012年ロンドンオリンピック1500メートル金メダリストで、生体パスポートの異常値により懲戒処分を受ける恐れがあったが、イブライマ・ディアックはアルプテキンの親族に対して、IAAFによる追跡調査をやめさせることができるとほのめかしていたのである。
兄弟のパパ・マサタ・ディアックの後、イブライマ・ディアックも金銭を強要しようとしていたという印象をアルプテキンの家族は持っていた。
この要求に応じなかったため、アスリ・アルプテキンはIAAFによる8年(2021年まで)の出場停止処分を受けた。この処罰はスポーツ仲裁裁判所を通じて決定され、オリンピックのメダルは剥奪された。その後、ラミーヌ・ディアックはIOCを辞職した。IOCは世界陸上界を揺るがせた汚職スキャンダルに関わったとして、ラミーヌ・ディアックに一時停職処分を下していた。
この数年間のIAAFを見ていけば、パートナーシップ契約と世界選手権開催地の割り当てに関係があることを確認できただろう。韓国・大邱の2011年世界陸上大会、モスクワの2013年世界陸上大会、北京の2015年世界陸上大会、そしてドーハで行われる2019年大会である。多くのパートナーシップが契約されたのは韓国のサムソングループであり、中国の大石油企業シノペックであり、ロシアのVTB銀行であった。
最後に、2021年の世界陸上大会はオレゴン州ユージーンに決定したことに触れる。陸上界の大立者の出身地である。スポーツ用品のナイキだ。一つの反対もなく決定したことに、PNF(フランス経済検察庁)は大きな関心を持っている。
報告書によると、WADA独立委員会は、独立した組織によって、パパ・マサタ・ディアックが関わった契約およびマーケティング・スポンサード協定の完全な監査を行うことを提言している。
http://www.europe1.fr/sport/enquete-autour-des-candidatures-aux-jo-de-2016-et-2020-2681386
17h01, le 01 mars 2016, modifié à 18h08, le 01 mars 2016
par Pierre de Cossette avec J.R.
新たなスキャンダルの火種がスポーツ界を脅かしている。フランス経済検察庁(PNF)はEurope1の取材に対し、2016年と2020年のオリンピック候補地選考に関して行われた汚職事件の捜査は昨年12月から開始されていると答えた。取材は英ガーディアン紙の報道についてコメントを求めたものである。
この調査は特に、ラミーヌ・ディアックIAAF(国際陸上競技連盟)前会長を巡る汚職事件と関わりがある。
2016年五輪開催地は2009年の投票で決定され、2020年オリンピックは2013年の投票で決定した。捜査は新たに1999年から2013年までIOC委員として投票に関与したラミーヌ・ディアックの周辺に及んでいる。ラミーヌ・ディアック前IAAF会長は2020年オリンピック開催地選考において自分の票を売ったという嫌疑をかけられている。
オリンピック候補地のイスタンブールは、ラミーヌ・ディアックの票を、ル・モンド紙が報じたように、「IAAFに有利なスポンサー契約を提示しなかったため」失った可能性がある。ル・モンド紙の記事はWADA(世界アンチ・ドーピング機関)調査委員会の1月中旬のレポートに基づいて書かれたものである。
この取引は前IAAF会長の子息、イブライマ・ディアックからトルコのアスリート組織に持ちかけられた模様である。
「(会談についての)報告書によると、日本はこのような対価を支払っていた模様である。2020年オリンピックの開催地は東京に決定した」とWADAの調査委員会は述べている。
ラミーヌ・ディアックには資金と引き替えに一連のドーピング事件をもみ消そうとしたという疑惑があるが、この汚職については既に捜査が開始している。IAAF前会長は金銭を受け取り、見返りにドーピング事件、とくにロシア選手のドーピングについて目をつぶったという疑惑があり、この疑惑の発覚直後にIOCを辞職した。
この報に接して,2004年,イラクにおいて日本人が人質となった事件を想起した.そこで,その際,わが国の異常なまでの「自己責任論」の跳梁が他国でどのように報ぜられたのか,あらためて確認してほしい.
大場祐香・大渕みほ子・岡田孝子・金澤哲也・越村格・沢野次郎・下井隆幸・深田結美・吉村由理(2004)「イラク日本人人質事件とメディア報道」『21世紀社会デザイン研究』3,143-165.
(http://www.rikkyo.ne.jp/web/z3000268/journalsd/no3/no3_note1.pdf)
上の文献にのべられているとおり,洋の東西を問わず,わが国の「自己責任論」はまったく是認されていなかった.たとえばカナダ人の人質は解放後に「大歓迎」をうけ,「英雄」として遇せられたが,日本人の人質は「囚人扱い」(カナダの報道)されたのである.そのようなありかたに対しては,「お上に楯突いたから非難?」(NYタイムズ),「恥辱と犠牲」(米CNN),「人質は日本人だが,その扱いは人間全体の侮辱」(英タイムズ),「メディアや政府が三人を殺そうとしている」(伊イル・マニフェスト),「人質批判は政府の責任回避?」(南ドイツ新聞),「人質への思いやりなし」(独公共テレビ第一放送),「ゆっくり右傾化する日本」(仏ル・モンド),「日本社会の不気味さ」(東亜日報)のように,もっぱら批判的な見方が大勢を占めた(大場ほか2004,p. 163).まさしく,わが国の「自己責任論」は「きわめて異質で,世界の常識から外れた議論」(米フォーブズ誌アジア太平洋支局長のベンジャミン・フルフォード;大場2004,p. 155)なのであったし,いまなおその状況に変化はないように思う.あるいは,近年の弱者バッシングをみるかぎりでは,むしろ悪化しているのかもしれない.
上の論文については,pp. 154-157において,特に海外メディアの報道がとりあげられているほか,ほかにも見るべき点が多いので,一度清覧をたまわりたい.