「フランス革命の省察」を読んで
223年前の1789年の今日、英語では“The storming of the Bastille”と呼ばれる事件が勃発し、仏革命の口火が切られました。今日の教科書で習う仏革命は、「自由、平等、博愛」をその理念に掲げ、人類の進歩に貢献した出来事として肯定的に教えられているように記憶しています。しかし、海峡を隔てた隣国の島国で、大陸で進行している急進的な革命を保守主義の立場から徹底的に批判した老練な政治家がいたことを、今日の学校教育で習うことはありません。
彼の名はエドマンド・バーク(“Edmund Burke”)、アイルランド生まれの英国の政治家です。バークの著書“Reflections on the Revolution in France”(「フランス革命の省察})は、仏革命勃発から1年以上経過した1790年11月にロンドンで刊行されています。著書の中で、バークは多大な犠牲と流血の末に成し遂げられた急進的な革命に保守主義の立場から批判を加え、警鐘を鳴らしています。本書は、200年以上前に刊行された古典的名著を佐藤健志氏が時代背景を踏まえて現代日本語に再構成、翻訳したもので、大変読み易く、興味深い読み物になっています。
今日の現代社会においても輝きを失わないバークの言葉をいくつか長々と引用します(下線は小生が勝手に引いたものです)。
「『革新』に憧れる精神とは、たいがい身勝手で近視眼的なものである。おのれの祖先を振り返ろうとしない者が、子孫のことまで考えに入れるはずがない。イギリス人は、自由や権利を相続財産のように見なせば、『前の世代から受け継いだ自由や権利を大事にしなければなえらない』という保守の発想と、『われわれの自由や権利を、後の世代にちゃんと受け継がせなければならない』という継承の発想が生まれることをわきまえていた。そしてこれらは、『自由や権利を、いっそう望ましい形にしたうえで受け継がせたい』という、進歩向上の発想とも完全に共存しうる。」
「いかなる時点においても、人類の全てが老いているとか、壮年だとか、あるいは若いとかいうことはない。衰退と死、再生と成長が絶えず繰り返される結果、人類は変わることなく安定した状態を保つのだ。この特徴を国家にあてはめれば、『改革がなされても社会全体が新しいわけではなく、伝統が保守されても社会全体が古いわけではない』状態が達成される。かかる原則を踏まえ、柔軟性を持ちつつ祖先につながるのは、時代遅れの迷信に執着することに非ず、『自然になぞらえて国家をつくる』という哲学を重んじることに等しい。同時にそれは、『相続』の概念を基盤にする点で、国家を家族になぞらえることにもつながる。わが国の憲法は、血縁の絆に基づいたものという性格を帯び、さまざまな基本法も、家族の情愛と切り離し得なくなる。国家、家庭、伝統、宗教、それらが緊密にかかわり合いながら、ぬくもりに満ちたものとなるのである。」
「自由を相続財産とみなすことは、ほかにも少なからぬメリットを伴う。過ちを犯しやすく、行き過ぎに陥りやすいのが自由の特徴だが、偉大なる先祖の面々が自分の振る舞いをつねに見ていると思えば、これにも責任感や慎重さという歯止めがかかろう。過去の世代から自由を受け継いだという姿勢は、われわれの行動におのずから節度と尊厳をもたらす。 (中略) 長い歴史を持つ制度や偉大な先祖がつくり上げた制度は重んじられるべし、である。自由や権利は、観念的な推論ではなく自然な本能を基盤とすべきではないか。小賢しい知恵よりも、胸に染み入る感情を踏まえるのがふさわしい。フランスのインチキなインテリどもがいかに頭をひねろうとも、合理的で立派な自由を保持する上で、これ以上適切なシステムを考えつくはずはない。」(「国家には保守と継承の精神が必要」65頁~67頁)
「連中の手にかかると、経験に頼るのは学がない証拠になってしまう。しかも彼らは、古来の伝統や、過去の議会による決議、憲章、法律のことごとくを、一気に吹き飛ばす爆弾まで持っている。この爆弾は『人権』と呼ばれる。長年の慣習に基づく権利や取り決めなど、人権の前にはすべて無効となる。人権は加減を知らず、妥協を受けつけない。人権の名のもとになされる要求を少しでも拒んだら、インチキで不正だということにされてしまうのだ。」(「『人権』は爆弾テロに等しい」91頁)
「フランス国民議会が改革と称して、既存の制度の廃止やら全面的破壊やらにうつつを抜かしているのも、困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。物事をぶち壊したり、台無しにすることは、手腕ではなく腕力があれば十分だ。そんなことに議会はいらぬ、暴徒にやらせておけばよい。バカであろうと粗野であろうと、何も困りはしないのである。切れて逆上した連中は、ものの30分もあれば、すべてをめちゃくちゃにしてしまう。これを埋め合わせるのには、英知と先見性を持った者たちが、100年にわたって熟慮を重ねても足りない。」
「前例のないことを試すのは、実は気楽なのだ。うまくいっているかどうかを計る基準がないのだから、問題点を指摘されたところで『これはこういうものなんだ』と開き直ればすむではないか。熱い思いだの、眉唾ものの希望だのを並べ立てて、『とにかく一度やらせてみよう』という雰囲気さえつくることができたら、あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる。対照的なのが、システムを維持しつつ、同時に改革を進めてゆくやり方である。この場合、既存の制度にある有益な要素は温存され、それらと整合性を考慮したうえで、新たな要素が付け加えられる。ここでは大いに知恵を働かせなければならない。システムの各側面について忍耐強く気を配り、比較力や総合力、さらには応用力を駆使して、従来の要素と新しい要素をどう組み合わせたらいいか決めることが求められるのだ。また人間は、あらゆる改善を頑固に拒んだり、『いまのシステムには飽き飽きした』と軽率に見切りをつけたがったりもするので、その手の主張にもじっくり対処してゆく必要が生じる。」(「すべてを変えるのは無能の証拠」196頁~198頁)
ここ10数年間の標語政治や「抜本的改革」に踊らされて愚行を繰り返してきた経験を踏まえると、まことに耳が痛いバークの言葉です。しかし、東西にの果てに位置する2つの島国では、先達たちが「名誉革命」又は「明治維新」という、世界史標準からすれば奇跡に近い水準で対立抗争と流血の惨事を回避しつつ大きな社会改革を成し遂げた実績があります。バークの言うところの「『前の世代から受け継いだ自由や権利を大事にしなければなえらない』という保守の発想と、『われわれの自由や権利を、後の世代にちゃんと受け継がせなければならない』という継承の発想」をもう一度噛みしめて(そのためには、母国の歴史をしっかりと学ぶ必要があることは明らかです)、現在、目前に展開されている問題を見て、判断して、対応していく必要を強く感じました。
彼の名はエドマンド・バーク(“Edmund Burke”)、アイルランド生まれの英国の政治家です。バークの著書“Reflections on the Revolution in France”(「フランス革命の省察})は、仏革命勃発から1年以上経過した1790年11月にロンドンで刊行されています。著書の中で、バークは多大な犠牲と流血の末に成し遂げられた急進的な革命に保守主義の立場から批判を加え、警鐘を鳴らしています。本書は、200年以上前に刊行された古典的名著を佐藤健志氏が時代背景を踏まえて現代日本語に再構成、翻訳したもので、大変読み易く、興味深い読み物になっています。
今日の現代社会においても輝きを失わないバークの言葉をいくつか長々と引用します(下線は小生が勝手に引いたものです)。
「『革新』に憧れる精神とは、たいがい身勝手で近視眼的なものである。おのれの祖先を振り返ろうとしない者が、子孫のことまで考えに入れるはずがない。イギリス人は、自由や権利を相続財産のように見なせば、『前の世代から受け継いだ自由や権利を大事にしなければなえらない』という保守の発想と、『われわれの自由や権利を、後の世代にちゃんと受け継がせなければならない』という継承の発想が生まれることをわきまえていた。そしてこれらは、『自由や権利を、いっそう望ましい形にしたうえで受け継がせたい』という、進歩向上の発想とも完全に共存しうる。」
「いかなる時点においても、人類の全てが老いているとか、壮年だとか、あるいは若いとかいうことはない。衰退と死、再生と成長が絶えず繰り返される結果、人類は変わることなく安定した状態を保つのだ。この特徴を国家にあてはめれば、『改革がなされても社会全体が新しいわけではなく、伝統が保守されても社会全体が古いわけではない』状態が達成される。かかる原則を踏まえ、柔軟性を持ちつつ祖先につながるのは、時代遅れの迷信に執着することに非ず、『自然になぞらえて国家をつくる』という哲学を重んじることに等しい。同時にそれは、『相続』の概念を基盤にする点で、国家を家族になぞらえることにもつながる。わが国の憲法は、血縁の絆に基づいたものという性格を帯び、さまざまな基本法も、家族の情愛と切り離し得なくなる。国家、家庭、伝統、宗教、それらが緊密にかかわり合いながら、ぬくもりに満ちたものとなるのである。」
「自由を相続財産とみなすことは、ほかにも少なからぬメリットを伴う。過ちを犯しやすく、行き過ぎに陥りやすいのが自由の特徴だが、偉大なる先祖の面々が自分の振る舞いをつねに見ていると思えば、これにも責任感や慎重さという歯止めがかかろう。過去の世代から自由を受け継いだという姿勢は、われわれの行動におのずから節度と尊厳をもたらす。 (中略) 長い歴史を持つ制度や偉大な先祖がつくり上げた制度は重んじられるべし、である。自由や権利は、観念的な推論ではなく自然な本能を基盤とすべきではないか。小賢しい知恵よりも、胸に染み入る感情を踏まえるのがふさわしい。フランスのインチキなインテリどもがいかに頭をひねろうとも、合理的で立派な自由を保持する上で、これ以上適切なシステムを考えつくはずはない。」(「国家には保守と継承の精神が必要」65頁~67頁)
「連中の手にかかると、経験に頼るのは学がない証拠になってしまう。しかも彼らは、古来の伝統や、過去の議会による決議、憲章、法律のことごとくを、一気に吹き飛ばす爆弾まで持っている。この爆弾は『人権』と呼ばれる。長年の慣習に基づく権利や取り決めなど、人権の前にはすべて無効となる。人権は加減を知らず、妥協を受けつけない。人権の名のもとになされる要求を少しでも拒んだら、インチキで不正だということにされてしまうのだ。」(「『人権』は爆弾テロに等しい」91頁)
「フランス国民議会が改革と称して、既存の制度の廃止やら全面的破壊やらにうつつを抜かしているのも、困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。物事をぶち壊したり、台無しにすることは、手腕ではなく腕力があれば十分だ。そんなことに議会はいらぬ、暴徒にやらせておけばよい。バカであろうと粗野であろうと、何も困りはしないのである。切れて逆上した連中は、ものの30分もあれば、すべてをめちゃくちゃにしてしまう。これを埋め合わせるのには、英知と先見性を持った者たちが、100年にわたって熟慮を重ねても足りない。」
「前例のないことを試すのは、実は気楽なのだ。うまくいっているかどうかを計る基準がないのだから、問題点を指摘されたところで『これはこういうものなんだ』と開き直ればすむではないか。熱い思いだの、眉唾ものの希望だのを並べ立てて、『とにかく一度やらせてみよう』という雰囲気さえつくることができたら、あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる。対照的なのが、システムを維持しつつ、同時に改革を進めてゆくやり方である。この場合、既存の制度にある有益な要素は温存され、それらと整合性を考慮したうえで、新たな要素が付け加えられる。ここでは大いに知恵を働かせなければならない。システムの各側面について忍耐強く気を配り、比較力や総合力、さらには応用力を駆使して、従来の要素と新しい要素をどう組み合わせたらいいか決めることが求められるのだ。また人間は、あらゆる改善を頑固に拒んだり、『いまのシステムには飽き飽きした』と軽率に見切りをつけたがったりもするので、その手の主張にもじっくり対処してゆく必要が生じる。」(「すべてを変えるのは無能の証拠」196頁~198頁)
ここ10数年間の標語政治や「抜本的改革」に踊らされて愚行を繰り返してきた経験を踏まえると、まことに耳が痛いバークの言葉です。しかし、東西にの果てに位置する2つの島国では、先達たちが「名誉革命」又は「明治維新」という、世界史標準からすれば奇跡に近い水準で対立抗争と流血の惨事を回避しつつ大きな社会改革を成し遂げた実績があります。バークの言うところの「『前の世代から受け継いだ自由や権利を大事にしなければなえらない』という保守の発想と、『われわれの自由や権利を、後の世代にちゃんと受け継がせなければならない』という継承の発想」をもう一度噛みしめて(そのためには、母国の歴史をしっかりと学ぶ必要があることは明らかです)、現在、目前に展開されている問題を見て、判断して、対応していく必要を強く感じました。
2012年07月14日 18:00 | その他