昨年から今年にかけて大規模な騒乱となり、遂には政権までひっくり返したチュニジアのジャスミン革命。
これほどのうねりは中東・アフリカ諸国では珍しく、さながら東欧革命になぞらえることも名称から色の革命にもなぞらえることができるわけです(ただし、色の革命は平和的に解決できたことが大きなポイントになるため、それに当てはまらないという捉え方もある)。
その市民革命の飛び火は、周辺の長期独裁国家や国民生活が困窮した国家に向けられています。
そして次のターゲットになったのがエジプト。
観光業や高い経済成長率、そして親米国家でイスラエルとの関係も良好とされ、欧米諸国からも中東諸国からもアラブの要と称されたエジプト。実はその恩恵は、『ナイルのたまもの』ならぬ『ムバラク(大統領)のたまもの』で生じたものでした。
1981年、イスラエルとの第4次中東戦争を戦った後、当時の独裁者だったサダト元大統領が暗殺。後任に空軍出身者で当時副大統領のムバラクが大統領にスライドしました。
それ以来、安定した成長と多角的な外交を築いたのは先述の通り。しかし、その成長の裏で貧富の差は止め処なく拡大したとされ、国民の中には1ドル以下での生活を強いられているとも読み書きもままならない生活を送っているとも言われていました。
今までは生活保護に当たるパンの低価格での配布を行うことでしのいできましたが、リーマンショック後の世界経済の悪化や世界的な食糧価格の高騰で、それがままならなくなり、支援の打ち切りに動いたことで生活状況はさらに悪化。我慢できなくなった国民の一部がデモを始めていました。そこに1月に起こったコプト教(キリスト教の一派)へのテロ事件で政府が無能だったことも政権不信に油を注いだとされています。
当初は焼身自殺が相次いだだけだったものの、1月下旬から本格的なデモに発展。その後政権への不満がショッピングセンターでの略奪や政権与党のビルへの放火、しまいには政権が出した数々の禁止令の放棄に発展し、鎮圧する治安部隊との衝突で数多くの死者が出ました。混乱した情勢を終息させるために、国民がデモ集めに使っていたインターネット(フェイスブックなど)や携帯電話のメールの遮断や夜間外出禁止令を発布。それに加え、数々の懐柔策(ムバラク大統領以外の内閣総辞職。副大統領ポストへの投与)を打ったものの、国民の怒りは収まる気配がありません。一部地域では無政府状態にあるとされ、予断を許しません。
現在、ノーベル平和賞受賞者のエルバラダイ元IAEA事務局長が半ば指揮する形でデモを扇動しているようにも見え、一部のデモにはイスラム過激派の影もあるとされています。
ところで、政権が崩壊した時、どうなるのかが気掛かりです。私が見るに、2パターンが想定されます。一つはイランのように民衆が起こしたイスラム革命。もう一つはグルジアで起こったパターン。ただ、私が一番起こる可能性があるのは後者のパターンだと思っています。
というのも、グルジアで起こったことと今のエジプトで起こっていることは似通っていると思うからです。
グルジアでは、ソ連崩壊後に民主改革派として国を引っ張ったガムサフルディア元大統領が初代大統領に就任すると、民族主義と独裁政治を強行。民衆の中では反政府運動が活発化していました。その反政府運動で担ぎ出されたのが、旧ソ連外相でゴルバチョフ元ソ連大統領の右腕ともされたシェワルナゼ2代目大統領。1992年にクーデターでガムサフルディア初代大統領が追放されると、シェワルナゼ2代目大統領が就任し安定するかに見えました。
ところが政治基盤の脆弱なこともあって、自身の暗殺未遂後は安定しかかった経済も破たん。さらに汚職などがまん延したため、再び反政府運動が活発化しました。結局2003年に行った大統領選挙の不正がきっかけでシェワルナゼ元大統領が辞任。暫定政権の後、再び民族主義・強硬論者のサーカシビリ大統領が就任することになったわけです。
この一連の動きを見て、10年経てば元通り・・・という点と、隙あらば引きずり落とそうという動きが見られます。
エジプトとの違いは、先述の通りイスラム過激派が介在している点。仮に民衆革命が成功し、国際的な知名度のあるエルバラダイ元IAEA事務局長が大統領に就任した場合、イスラム過激派が似たようなことを起こす(つまり、とりあえず泳がせるだけ泳がせて、あっぷあっぷしだしたところを叩く)のではないかと思うわけです。あるいは一気に潰しにかかるか。そのあたりどうなるのか気になるところです。