No 527
Date 2013・11・26・Tue
アニメ【NARUTO】第559話感想■第559話「お前をずっと愛している」2013年11月21日放送
脚本/宮田由佳 絵コンテ/サトウシンジ 演出/濁川敦 作画監督/大西雅也 堀越久美子 ついにこの日を迎えました。 イタチファンとしてこの回は、待ち望んでいたと同時にこれで出番も最後だと思うと(現段階で原作にはもうイタチは回想すら出て来ていないので)、まだ先にとっておきたいという相反する思いが交錯していました。 サスケが本当に知りたかった事。 そして、何よりも欲しかった兄からの言葉。 仲が良かったから、敬愛していたからこそ、 サスケのイタチへの憎しみは相当なものでした。 今までの人生の半分以上は兄への憎しみを胸に生きてきたサスケ。 ですが穢土転生後のイタチとの邂逅と、共闘の短い時間で、サスケは本来のイタチとの絆を取り戻していました。 抜け忍にされ罪人と言われようと、木ノ葉の忍である事を胸に生きてきたイタチ(そして転生後も尚)。 この戦争に荷担しているカブトすら救おうと、失明もいとわないイタチの自己犠牲。 常に忍の世界の平和の為に動くイタチだからこそ、サスケには耐えられない。 何故赤の他人に見返りを求めずにそこまで出来るのか。 里の為、平和の為に身を呈して戦ってきたイタチに対する里の仕打ちを、サスケは近しい肉親だから、敬愛しているからこそ許せないのです。 サスケを危険から遠ざける為、また木ノ葉から英雄として迎えられるようにする為とはいえ、イタチのサスケに取った行動は、イタチが里を抜けてからずっとサスケを苦しめてきました。 なのに「もうこの世に未練はない」、というイタチの言葉はあまりにもサスケには理不尽なのです。 イタチの思惑がどうであれ、 サスケはイタチの口から「辛い思いをさせた」とか「お前の為だった」とかの、サスケの納得が行く言葉を掛けて欲しくて必死です。 ですが、 「未練はない」発言は≪木ノ葉の忍 ≫としてで、≪うちはイタチ個人≫の思いではなかったようです。 兄を思っているからこそ、イタチの思い通りにはならないと宣言するサスケ。 唯一無二の兄を苦しめた里を決して許さず、復讐すると。 ≪イタチの真実≫をサスケが知っているとナルトから聞いた時から、イタチはサスケを説得出来るのは自分ではないと分かっていたのです。 早々にナルトへその役目を任せたのが当時意外だったのですが、今なら分かります。 これ以上の言葉があるでしょうか? イタチは、この先サスケがイタチの望まない道を選んだとしても、 どんな生き方をしてもイタチのサスケを思う気持ちは変わらないと言ったのです。 サスケの前から成仏して姿は消えても、この言葉によって永遠の絆となり、愛情、信頼、その他サスケを丸ごと肯定するという意味です。 「アンタ」呼ばわりしていたサスケもこの共闘で「兄さん」と、仲の良かった頃の呼び方に変わっていました。 いつまでも守られているだけのサスケではありません。 守られている立場から同等に見て欲しいと願ったサスケの気持ちを、勘の良いイタチが感じ取らなかったはずがないのです。 「許せサスケ」のデコピンでもなく、 兄弟の死闘の末のデコトン(転写封印天照を授けたアレ)でもなく、 最期はコッツンこ… これこそ、もうサスケは同等であるのだとイタチが認めた証ではないでしょうか。 サスケの問いに「ちゃんと場を整えてから」と最初に約束していたのを、イタチは果たしたのです。 「お前をすっと愛している」は多分サスケが聞きたかった以上の言葉だったと思います。 それにしてもダンゾウのイタチに提示した選択の巧妙さと、シスイの右眼を奪った真相に、いくら里を守る為とはいえ強引すぎると感じたのは私だけでしょうか(^^;) そしてシスイとイタチが本当は≪兄弟の様ではなく、親友だった≫という真実。 今戦争を仕掛けているのがマダラと仮面の男なのに対し、 平和を願ったのも同じくうちはのシスイとイタチだと思うと やはり忍の世界でうちは一族は特別な存在なのだと分かります。 色が着いて動いて喋べる、≪イタチ本人が語る イタチの真実≫は、私には相当の説得力がありました。 原作で展開は知ってはいるものの、感無量です。 そして(もう見られないかと思うと)虚脱感です。でも充実した余韻でいっぱいです。 アニメスタッフさま、綺麗で素晴らしい作画で仕上げてくださり、ありがとうございました。 お礼申し上げます。 |
No 526
Date 2013・11・26・Tue
拍手お礼11月22日 アニメ【NARUTO】第426話、第558話
拍手をありがとうございました。励みになります! |
No 525
Date 2013・11・19・Tue
アニメ【NARUTO】第558話感想■第558話「イザナギとイザナミ」2013年11月14日放送
脚本/彦久保雅博 絵コンテ・演出/白川巨椋 作画監督/一ノ瀬結梨 浅井聖子 原作ではイザナミの無限ループと脱出の仕組みを図解の説明でありましたが、アニメではオリジナルストーリーを挿入して分かり易くしていました。 ◆そのオリストに出て来たキャラの名前 ≪ライ≫と≪バル≫、それに≪ナカ(男)≫と≪ナオリ(女)≫って…(^^;) 以前ダンゾウがサスケと戦った際に使ったのがイザナギ。 その時は「イザナギだけ?イザナミは?」と思ったものです。 やっぱり術は対だったのですね。 そして対というか、補うものの説明もイタチは自分と重ね合わせていたのが意味深でした。(完璧と言ってくれるな、とは単に謙遜なんかじゃない、っていう…) ◆視覚ではなく感覚 仙人仕様のカブトには幻術が一切効かないのに、イタチのイザナミでどう対抗しようというのか気になっていたのですが、うちは同士のイザナギの掛け合いを止める為のイザナミだという事で納得。 瞳術を得意とするうちは一族同士のイザナギの掛け合いなら、視覚相手に視覚では幻術にハメられない。≪イザナミの術者とその相手の『体の感覚』によってハメる瞳術≫、それがイザナミ。 ◆もろ刃の剣と自己犠牲 イザナギを失明してまで発動させるなんて、この術はもろ刃の剣的。そうまでして己の欲望を遂げたい術者は≪自己中心的≫と言えると思います。一方それを失明までして救うイザナミの術者は≪自己犠牲的≫と言えると思います。 ◆イタチがカブトにイザナミを掛けた理由 カブトにイザナミを掛けたのは、勿論穢土転生を止める印を聞き出す為でもありますが、と同時にカブトを救いたいという思いがイタチにはありました。 ◆「こんな奴の為に何で兄さんがそこ(失明して)までする義理がある!?」 とサスケは言うのですが、イタチはカブトに同情する部分があったのです。 他者の力を頼らずに死んでしまった自分とは違い、カブトには自分自身を受け入れ、認め、見失ったものや大切なものに気付いて欲しいとイタチは思ったのです。 二重スパイとして己を消す作業をするうち、自分を見失ってしまったカブト。 カブトはあたかもこの世に自分が存在しないかの様に思い込んでいましたが、実はカブトの事を覚えている者は居たのです。 血は繋がっていなくても、同じ空の下、同じ孤児院で育ったウルシはカブトを≪弟≫の様だと思い続けていました。 院を出てカブトは院での繋がりの一切を失ってしまった様に思っていましたが、絆はちゃんと繋がっていたという事です。 イタチに救ってもらった彼が、その事に早く気付く日が来ることを願って止みません。 そしてサスケも救って欲しいのです。 カブトを止める為のイタチとの共闘で、優しかった兄の記憶と、その兄を慕っていた頃を思い出したサスケ。 イタチが里を抜けてから今までの方が、兄弟の至福の期間よりも長かったのですが、この共闘の間に長かった憎しみの念からサスケは解き放たれていました。 その証拠に、共闘している内にイタチへの呼称が≪アンタ≫から仲の良かった頃の≪兄さん≫に戻っています。 ですが、イタチが里を抜けた当時の様な守られてばかりのサスケではもうありません。 サスケも力を付けました。 兄への憎しみはもうありません。 サスケの望みは≪イタチの真実≫の真相をイタチ本人の口から聞きたい、という事でしょう。 そして、サスケを翻弄し続けてきた事への労いの一言を掛けてもらいたいのだと思うのです。 それがもうこの世に未練はないと言って成仏されてしまっては、サスケにはあまりにも納得が出来ないのです。 そんな悲痛なサスケの思いがひしひしと伝わってきた回でもありました。 |
No 524
Date 2013・11・19・Tue
拍手お礼11月16日 アニメ【NARUTO】第557話
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No 523
Date 2013・11・14・Thu
アニメ【NARUTO】第557話感想■第557話「発動・イザナミ」2013年11月7日放送
脚本/彦久保雅博 絵コンテ・演出/西村博昭 作画監督/Eum Ik Hyun スパイで、里から疎まれた者同士のイタチとカブト。 イタチにとってカブトは≪対立≫と≪共感≫を抱かせるそうです。 共感は、今までスパイとして己を消し、里の為に働いたにも関わらず里に裏切られた事でしょう。 ですがイタチは抜け忍となった後も自分は木ノ葉に所属していると思い続けてきました。 心までダークサイドに堕ちなかった事こそイタチの真の強さだと思いますが、カブトにはイタチが何を言っても受け入れられません。 それは多分に羨望の所為だと思います。 イタチがイタチであるのは彼の血統と類まれな能力を兼ね備えていたからだと理由づけようとします。イタチの説得が正当なものであっても、それは持てる者の理屈に聞こえるのでしょう。 ◆理想の存在 自分の出自が分からず、スパイとして己を消してきたカブトにとって、有名一族出身で数々の術と力を持っていたイタチは、カブトが欲しいと思っていたものをいろいろ持っている様に感じるのです。 それがイタチ自身にはカブトの買被りに思えても。 ◆底なしの欲求 後から自分に付け足す事で無いものを手に入れようとしたカブトにとって、術者ごと言いなりに出来る穢土転生ほどうってつけの術はなかったかもしれません。 師である大蛇丸さえ取り込み、今やカブトは大蛇丸を『彼』と呼んだりします。多分カブトはまだまだ満足してはいない。というか欲求に対し、麻痺しているとしか思えません(^^;) 自分の弱さ、欠点を認める事は恥ではない。 それを認めた上で、出来ない事は仲間を頼る。 ですがそこには 信頼関係=絆 が無いと成り立ちません。 イタチは他に漏らすまいとして全て自分で背負った結果、失敗してしまったと自覚しています。 何でも自分一人でこなすには限界がある。 でも抜け忍で暁の構成員という事を考えたら、あまり他者を頼る事は出来なかったのではないかとも思うのです。まぁ穢土転生後の長門との会話を読む限り、長門には他の暁のメンバーとは違うものを感じますが、暁の中で木ノ葉に害を及ぼす様な行動を監視していたイタチとしては、暁のメンバーの協力は得られなかっただろうと思います。 話をカブトに戻して。 何度も繰り返される戦いのループシーンに、カブトもようやくそのおかしさに気付きます。 この穢土転生の印を知るのはカブトだけ。 イザナミに掛かったカブトの、穢土転生解除のカウントダウンが今、始まろうとしているのです! |
No 522
Date 2013・11・14・Thu
拍手お礼11月1日 【NARUTO】第555話
11月9日 サイトへ拍手 11月10日 【NARUTO】第556話 それぞれ拍手をありがとうございました! 励みになります。 |
No 521
Date 2013・11・06・Wed
アニメ【NARUTO】第556話感想■第556話「薬師カブト」2013年10月31日放送
脚本/彦久保雅博 絵コンテ/香川豊 演出/河合滋樹 作画監督/甲田正行 自分が何者だか分からなくなっているカブトの過去のお話。 マザーとの絆を感じたカブトは、医療忍術を習得し、忍を治療して院の生活の足しにしていました。 ◆マザーの過去 「歩きの巫女」の別名を持っていたマザー。根の忍の時は「ノノウ」と呼ばれていたらしい。 諜報活動はダンゾウの説明によればたいがいの者は心を壊すか寝返るとあります。でもマザーはそのどちらもなかったので、ダンソウから信頼されていたのでしょう。 きっと強い精神力を持ち、そのうえ心優しき人。 ですが、 ダンゾウが、心を殺しきれなかったからこうなったと言った事や、 以前、戦争孤児となった幼い弥彦達を見て、大蛇丸が戦争孤児の行く末を語った時、殺すかどうかの話をした件から想像するに、 マザーは子どもまでは手に掛けられなかったのだと想像できます。 罪滅ぼしのつもりで身寄りのない子ども達のマザーとなったのだと。そして孤児が増え続けた結果、院の運営が苦しくなっていった様です。 ◆素質を役立てたい、マザーの手助けをしたいカブト 院が経済的に困っているのを知り、カブトは自ら根の要求を受け入れ、マザーの助けになればという思いから木ノ葉の忍となることを志願します(原作では、カブトが聞いているのを知っていて、ダンゾウがわざと話している様な描写でした)。 ◆悲劇の始まり カブトが院を離れてからも「歩きの巫女」の長期任務は続いていました。ですが最期の彼女は「ナニガシ」と呼ばれていました。 何某なんて酷過ぎる… スパイとしての任務で里を転々としながら、カブトが辛い任務を遂行していたのはマザーの為。ですが、彼を襲ったのは外でもないマザー。 優秀過ぎてかえって里にとっては邪魔となったカブトとマザー。 ダンゾウは彼なりに里を守っていたのですが、彼の守るべきものとは人ではなく里であると思えて仕方がありません。 ◆根の常套手段 長い時間を掛け、別人をカブトだとマザーに刷り込ませた根。 カブトが院を出た本当の理由を知ったマザーは、彼を解放する為にある忍の抹殺任務を受けました。ですが、その標的はカブトその人。 真実を聞かされたカブトに大蛇丸の部下としての人生が始まりました。 己を殺す“根”とは違い、 己を導き出す人生を歩むことになったカブトですが、納得が行くまで代わりのものを見つけて次々に足していく内に彼はキメラの様になり、今度は何を足しても満たされなくなっていった様です。 |
No 520
Date 2013・11・01・Fri
アニメ【NARUTO】第555話感想■第555話「互いの木ノ葉」2013年10月24日放送
脚本/鈴木やすゆき 絵コンテ/石井久志 演出/熨斗谷充孝 作画監督/Shi Min Seop 石崎裕子 木ノ葉の里で利用されるだけ利用されて、挙句裏切り者の汚名を着せられたイタチとカブト。 ですがその行く末は180度違ったものとなりました。 ◆木ノ葉のうちはイタチ イタチは里がどんな闇や矛盾を抱えていようが、自分は「木ノ葉のうちはイタチ」だと言います。周りが自分を抜け忍で暁だと思おうと、イタチ自身は自分は木ノ葉に帰属していると自覚し続けていました。 ◆自分を消す作業 一方、スパイとして里を転々としたカブトは、素性を隠す為に自分を消す作業をし続けたと言います。 里に裏切られたという思いしか残らないカブトには、イタチの様に自分は「木ノ葉の薬師カブト」だとは言えないのです。 ◆イタチ以上のスパイ 出生が分からないカブトは木ノ葉の里で拾われて、敵に信用される様にと医療忍術を叩き込まれます。 ◆やっぱりカブトも≪イタチの真実≫を知っていたんじゃん! サスケは長い間イタチを憎んでいた筈なのに、今のカブトには“ずいぶんと仲が良く見える”らしい(笑)。 一度死んだ人間に何を訊きたいのか? というカブトの問いに、サスケは真実を知りたいと答えます。 自分を討つ事でサスケは木ノ葉の英雄として迎え入れられ、里で再び暮らせるというイタチのシナリオが、≪イタチの真実≫を仮面男がサスケへ話した為に変わってしまい、サスケは木ノ葉への復讐を企てる様になりました。 それこそがイタチの危惧している事。 でもサスケがそんな風になってしまったのには責任がある。 だから、一言だけサスケにちゃんと言っておきたい言葉があるとイタチは言います。 それはサスケにとってとても重要な一言なのですが…(後に分かります)。 ◆カブトの戦略 2対1では厳しいと認識しているカブト。 サスケの純粋さを狙い、口八丁でサスケを味方につけようとします。 サスケが木ノ葉の里を狙うのなら、カブトも目的は同じだと。同胞を殺しても里を守ったイタチとは逆である、とダメ押しです(^^;)。 カブトの言い分は、 イタチとカブトはスパイにさせられた挙句に里の裏切りを受けた者同士という共通点があり、 今生きているのはカブトだから、イタチが死んだ今はサスケの兄になると言って親近感を持たせようとしています。 サスケはカブトと違い、大蛇丸を師として尊敬してはいません。だから木ノ葉崩しが大蛇丸の遺志であると言ってもピンと来ないでしょう。 サスケの木ノ葉への復讐は兄の汚名返上と名誉回復の為ですから、カブトには関係ないのです。 戦場となった町で怪我をしていたところをマザーなる人物に助けられたカブト。 幼い頃からカブトはなかなか賢かった様です。 マサーの優しさに触れ、今まで無表情だったカブトは涙を零して感謝の言葉を言い続けます、「ありがとう」と。 マサーのカブトへの接し方は、カブトの心の琴線に触れたのでしょう。 そのカブトの軌跡がこれから語られるのです。 ≪独り言≫ 今週の作画、イタチが鍾乳石に串刺しにされた(!?)後で、サスケが天照を発動する場面、サスケが回転しながら黒炎を出して欲しかったな(ボソ)。 |
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