No 437
Date 2012・08・30・Thu
アニメ【NARUTO】第496話感想■第496話「外道魔像の襲来」2012年8月23日放送
脚本/千葉克彦 絵コンテ/サトウシンジ 演出/高山秀樹 作画監督/洪範錫 次の展開への繋ぎって感じで、どうもこういう回の感想はテンションが下がる… ●VIPの警護 この有事に花札を興じる大名。しかもかなり退屈なご様子で緊張感ナシ。 こういう人達を警護しなくてはならないのかと思うとなんかもう、忍の皆さんに同情するわ… でもこんなに緊張感がないのも、水影を筆頭に警護をバッチリと固めているからこそ! ●原作では普通の花札が!? アニメでは『NARUTO花札』に変わっている、欲しいゾ! ●退場はお静かに! 第四次忍界対戦は八尾と九尾を守る為でもあるのだけれど、結界からナルトとビーが出てしまった事で事態が急変。 そんな彼等を止められるのはもうそれぞれの忍里のトップだけ、という事なのか、エーは綱手と共に現場へ赴こうとするのだけれど、もう壁とかガラスとか壊さないで静かに退場してもらわないと里の無駄な出費がかさみます(^^;) でもまぁ、ああやって机だの扉だの備品(?)にあたる事によって雷影はストレスを発散させているのかもね(^^;) ●外道魔像が歩く、飛ぶ! 長門の回想で這っているシーンはあったけれどね、あんな機敏な動きが出来るなんて意外(^^;) 「チョウジよりでかい」って(^^;) ●父子で 敵だと厄介な奈良シカク&シカマルの頭脳。 てか、こういうキャラが居ないと、複雑な状況説明の時って困るよね。 ●笑えない突っ込みの応酬、角都VSダルイ(^^;) ●山椒は小粒でピリリと辛い 「ちっちゃいおじいちゃん」を舐めんなよ! ●嵐の前の静けさ 海岸での戦いで、敵も味方も半分の人数が減り、忍連合はとてもではないが『水際で防いだ』とは言えません。 八尾と九尾のチャクラを奪い、仮面の男は積年の念願『月の眼計画』を明日、実行しようとしている。 てかもう、 仮面男、いい加減に正体明かせヨーー! |
No 436
Date 2012・08・30・Thu
拍手お礼8月26日に『BEST HIT NARUTO』へ拍手を下さった方、ありがとうございました!
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No 435
Date 2012・08・25・Sat
2012年劇場版【ROAD TO NINJA NARUTO THE MOVIE】感想ROAD TO NINJA NARUTO THE MOVIE
脚本/宮田由佳 監督/伊達勇登 劇場版9作目にしてやっと 兄さん が登場した! (ヒャッホ~♪) 期待するなと言うほうが無理! この劇場版を見ると、封切の前日に放映されたTVアニメ版の『ROAD TO SAKURA』の位置づけが分かる(脚本も同じ宮田さんだし)。 ちなみにそのTV版の感想↓ http://tukiyono.blog37.fc2.com/tb.php/430-4ae7a53f 『限定月読』の世界では、飛ばされて来た者の最も望む姿が具現化される。 だから寒いギャグを飛ばす万年中忍のサクラの父が『限定月読』の世界では英雄となって他界していて、口やかましい親から干渉されずにサクラはせいせいして羽を伸ばしている。 サクラはこの世界では四代目火影(!)春野キザシの娘。 またこの世界ではナルトの両親のミナトとクシナは健在。 天涯孤独のナルトが初めて家族愛を味わう姿に、それがたとえ仮面男の作り出した世界の中だと分かっていても「良かったね」と言ってあげたくなってしまう。 辛い少年期を送って来たのだから、せめてここでは、と。 ヒナタをはじめ、NARUTOの世界で生きる仲間の性格がここでは真逆であっても、それはそれで一度は見てみたい姿として楽しめるし、お馴染みのキャラがこういうIfの世界であり得ない姿で描かれていても「原作者が考えた話だから」と妙に納得させてしまう力がある。 どんなに練られた話であっても、原作者がかかわっていないとパラレルワールドに感じてしまうので、そこが今までの劇場版と違う点だと思う。 ただ「全て良かった!」と手放しで絶賛出来るか、といえばそうではなく(^^;)。 『限定月読』の世界のサクラとNARUTOの世界に生きるサクラが入れ替わったTV版がとても納得が行ったのに対し、劇場版では『限定月読の世界』にナルトとメンマの二人が居るのがどうも腑に落ちない。 まぁそうしなければナルトとメンマを戦わせる事が出来ないので仕方がないにしても、それならそれで納得が行く理由が欲しい。 というのも、両親の愛情を一身に受けて育ってきたであろうメンマがダークサイドに落ちる描写が無かったのが気になっているんです(私、居眠りでもしていたんでしょうか???)。 何不自由なく育ったメンマだからこそ、警戒心の無さから簡単に仮面男の術中に嵌った、という様な描写が無かったのが惜しい(私、見過ごしていますか??? ) 今までナルトは『誰かの為に戦ってきた』のだけれど、今回は『敵は自分』。 テーマは『家族愛』であり、「自分自身の為に戦うナルト」なので、その辺りはとても良かったです。 ナルト出生の際に両親が死んだエピソードはアニメでも丁寧にやってくれたのは記憶に新しいので、原作とリンクしていると感じられる作りになっているのは原作者がかかわっているからこそ。 今回も原作やTVアニメ同様、イルカ先生がイイトコさらって行っちゃうし、 原作でサスケにとどめをさせずにダメダメなところを見せ付けてしまったサクラが、久々にカッコよく描かれていたし、 ミナトの矜持を背負っていると思わせる、四代目火影の法被を身に着け戦うナルトがいい! そして何よりも味方として活躍する ボロボロの穢土転生ではない暁の皆さん が見られてシアワセでございました!!! |
No 432
Date 2012・08・13・Mon
アニメ【NARUTO】疾風伝スペシャル第493、494話感想誓いの時~さらば猪鹿蝶!! 2012年8月9日放送
■第493話 脚本/鈴木やすゆき 絵コンテ・演出/岸川寛良 作画監督/富田佳也乃 ■第494話 脚本/鈴木やすゆき 絵コンテ・演出/福田きよむ 作画監督/Eum Ik hyun チョウジの優しさを誰よりも理解し、いずれは力となって里を守ると信じて励まして来たアスマ。 そして、数々の教えを弟子であるいの・シカマル・チョウジに託してアスマは帰らぬ人となった…ハズ。 ですが戦いの現場へ駆けつけてみれば、かつての師とかつての敵が居て、それだけでも困惑を隠せないのに、今回はアスマが敵として三人の前に立ちはだかる! アスマの死に際に三人は教えを受け取り、今は導く立場として活躍し始めている。 三人は今の姿をアスマに見てもらいたい、という気持ちが心のどこかにあったと思います。本来ならばそんな事は叶わない。でも成長した姿を見てもらえたのが、敵としてだなんて… シカマルやいのが覚悟出来ていたのとは違い、どうしても師を攻撃出来ないチョウジ。 分かりますよ、チョウジの気持ちは。 それでも討たなくてはならないし、それをアスマも望んでいるのです。 守られる立場から守る立場となったという事は、心を鬼にしなくてはならないときもあるという事。 チョウジはとても優しい性格で、それが長所だけれど、ともすれば臆病だと受け止められてしまう。 チョウジもかなりの戦力になったのだけれど、尊敬する師と戦う事など想定外だったでしょう。 優しさを力に。 そしてそれを自信に… 大人になれば自然と精神的にも忍としても強くなるだろうと、漠然と考えていたチョウジの試練の時が今なのですね。 試練の時は何も想定内とは限らない。 一族の教えや次期当主となる誓いはただの儀式ではなかった。 優しさ故に攻撃をためらうチョウジをずっと見守り、でもいつかはその優しさを力に変えるだろうと信じていたアスマは、チョウジの成長をとても嬉しく思ったに違いないのです。 こんな形での再会だけれど、アスマはチョウジの立派になった姿が見られました。 そしてかつての教え子の成長した姿を見られた事で、アスマは笑顔で封印されたのです。 あーーーイイ話だ!!! 第十班ってこうしてみると、ナルトら同期のどの班よりも師弟関係も含めて統率が取れていると思える。 第十班の師弟の今昔を丁寧に描いた回で、うるっと来てしまった(マジで)! |
No 431
Date 2012・08・06・Mon
アニメ【NARUTO】第492話感想■第492話「ミフネVS半蔵」2012年8月2日放送
脚本/千葉克彦 絵コンテ/阿部記之 演出/富永恒雄 作画監督/阿部弘樹 Shin Min Seop Lee Boo Hee 若かりし頃敗れたかつての敵・半蔵。 月日は流れ、穢土転生した半蔵とミフネは再び相見えた! ミフネが半蔵に負けたのは、まだ名も知られていない頃ですが、負けたミフネに敵ながら信念を感じた半蔵は、信念を貫き通す事の難しさをその後のミフネの生き様で確かめようと、止めは刺さずに逃した経緯がありました。 だが時の流れと共に半蔵の信念は曲がり、勢力を伸ばしつつあった弥彦に脅威を感じて騙し討ちにしてしまう。保身をはかった半蔵は、皮肉にもペインとなって甦った弥彦に殺されてしまった… 大名を守る忍とは異なり、侍にはもう忠を尽くす主はないという。 侍であるミフネが忍連合に加担するのは、忍に与する事だと半蔵は考えているようです。ですがミフネはかつてより『和』に忠誠を誓っているのであり、忍の配下として戦っている訳ではないのです。 ミフネの『和』も、かつての半蔵の『和』も元は同じ考えだった筈。 かつて二人は忍と侍という立場の違いをも超えた同じ理想から平和を目指していた筈。 死して名前を残す名誉より、命と引き換えても仲間を守る事で『和』を願ったミフネに半蔵は心を打たれた筈。 結果命拾いしたミフネは『和』の為に生き続けていますが(『中立』もミフネの目指す『和』の遂行には必要な事だったのでしょう)、半蔵は戦いに明け暮れた事で疲弊してしまったのか、目が曇ってしまった様です。だからミフネの事も覚えていなかったのかもしれません。 ミフネにとって刀こそ人であるというのは、その太刀筋から見て分かる様に『和』を求める信念に曇りがありません。 ミフネにとって名刀・黒澤はいうなれば木ノ葉の『火の意志』と同じ。 刀は道具に過ぎないという半蔵は見解の違いから、ミフネの真意が伝わっていません。 「研ぎ続けた刀は名刀となり受け継がれ残ってい」き、 「信念を貫き身を削り(仲間を守り和を保つ事)、己を磨き続けた人は、英雄となり語り継がれ残っていく」。 戦いに明け暮れて死んだ後は何も残らないと考える半蔵と違い、真っ直ぐな信念を貫いた者は死んでもその名は語り継がれるというのがミフネの『悟り』なのでしょう。 ミフネの一太刀で、半蔵は目が覚めた(って一旦は死んだのですが)。 忍である半蔵が切腹とは、信念を貫いたミフネに敬意を表したって事でしょうか。 ペインに殺された不名誉な死と違い(だから墓が無いのでしょう)、ミフネに封印された今回で名誉挽回になった気がします。 名誉ある死を遂げた半蔵は、今度はちゃんと墓に埋葬される事でしょう。 ところで。 口寄せ山椒魚の名前『イブセ』は井伏鱒二から取ったのですよね。井伏鱒二の小説に【山椒魚】というのがあるので。 そして侍・ミフネは、黒澤明監督の【七人の侍】からで、名刀の名前が黒澤というのも小ネタですね。 そんな小ネタの方に反応してしまった今回でした(^^;) いや、いい話なんですよ! |
No 430
Date 2012・08・01・Wed
アニメ【NARUTO】第491話感想■第491話「ROAD TO SAKURA」2012年7月26日放送
脚本/宮田由佳 絵コンテ/香川豊 小柴純弥 演出/小野田雄亮 作画監督/徳倉栄一 岩田幸子 映画公開を記念した特別版。 今年の劇場版『ROAD TO NINJA』の封切の前日にテレビ東京で放映されましたが、劇場版を先に見た方がしっくり来たと思います。 だってこの491話のラスト、「これで終わりなの?」という印象でしたから。 今回491話で出て来たサクラは劇場版で仮面の男が作り出した『限定月読』の世界からやって来た(というか飛ばされた)サクラで、通常のサクラと入れ替わってしまったという設定なのでしょう。 一応NARUTOのヒロインはサクラの筈 (^^;)なのですが、今まで家族構成や家庭環境が謎なままだったのに、ここへ来て 一般家庭出身なのかと思ったら、両親は忍だったんですね~ まぁとにかくサクラの不可解な行動というか、心の機微は劇場版を見たら納得が行くと思います。 そして、 何故今回のアニメでナルトが登場しなかったのかも! この491話も劇場版も脚本が宮田由佳さんなのですが、この方の話の回は大好きです! 今回はすごく短い感想ですが、多くを語らない(てか語れない)のは劇場版を見れば納得すると思います。 |
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