好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。
今回は日本の稲荷の拠点の一つ、最上稲荷を巡ります。
備中高松駅からタクシーで妙教寺、通称最上稲荷へ。仁王門は火事で焼けたあと、焼けないものを作るぞということでこういうものに。1957年の建築で登録有形文化財。
なお、シャトルバス的なものがない時期で、しかもタクシーも駅前にないタイミングでまずいぞ……となりましたが、ちょうどタクシーが駅前に来てくれて助かりました。
実質、一番目立つのは神社部分ですがあくまでも日蓮宗寺院なので、その部分もあります。
山門は1921年の建築で登録有形文化財。
御水舎は1954年の建築で登録有形文化財。
客殿及び庫裏は1916年の建築で登録有形文化財。
本堂は1881年の建築で登録有形文化財。
ほかの伽藍から離れたところにある妙教寺清正公堂は1909年の建築で登録有形文化財。
本堂などがあるお寺の中心部分の横の道は坂になって上に延びてます。ここがなかなかかっこいい。
その道から見える寒松軒という建物は大正の建築で登録有形文化財。
妙教寺太鼓楼及び渡廊下という名前で文化財指定されてます。
明治のものを何度か修理しています。登録有形文化財。
妙教寺宝光閣は1909年の建築で登録有形文化財。
現在の神社エリアの本殿。とてつもなくデカい! これが稲荷建築の醍醐味! ちなみに最上稲荷の最上とはすごい稲荷だという意味ではなくて、最上位経王大菩薩という神格のことです。
妙教寺鐘楼は1862年の建築で登録有形文化財。
縁の末社と呼ばれているエリアへ。
縁引天王社は1888年の建築で登録有形文化財。
文化遺産オンラインによると、違う場所にあることになってますが、全く同名の天王社がここにあるので移転したのか?
もう一つ離別天王社もあります。
高台にある神社エリアのラスボス的ポジションの妙教寺霊応殿。
突き出ている部分は1897年築の前殿。登録有形文化財。
拝殿は1886年の建築で登録有形文化財。
拝殿部分をアップで。
拝殿の左側、本殿の手前はの部分は経王殿。1897年の建築。
霊応殿本殿は1741年の建築で岡山市指定文化財。
ここから摂社の天王社がずっと続きます。
大乗天王社は1917年の建築で登録有形文化財。以下、原則全部登録有形文化財です。左手の御厩舎(おんきゅうしゃ)も昭和前期の建築で登録有形文化財。
羽弥御崎(はやみさき)天王社は1921年の建築。
信受・照両(のぶ・あきりょう)天王社は1931年の建築。
朝日天王社は1909年の建築。
荒熊天王社は1919年の建築。
日車天王社は1908年の建築。こういう小さい社殿がずらっと霊応殿を囲んでます。
左手が妙正天王社。1917年の建築。
右手が夜守(よもり)天王社。昭和前期の建築。
三光天王社は1927年の建築。千鳥破風付入母屋造檜皮葺。ちょっとほかと構造変わってるな。
五社天王社は1896年の建築。
左の秀義(ひでよし)天王社は1870年の建築。
その隣の末廣天王社は1879年の建築。
備中高松城攻めの時の秀吉本陣跡があります。
こんな景色。
少し離れたところに六社天王社という登録有形文化財になっている天王社が並んでます。一番右が福崎天王社。明治の建築。
右から二番目の福恵(ふくよし)天王社。明治の建築。以下、順に列挙します。
白糸天王社は1895年の建築。
大元鬼(だいげんき)天王社は明治の建築。
(六社天王社の)夜守(よもり)天王社は1895年の建築。六社の中に含まれてない天王社も文化財指定されてるのでややこしい!
一番左の一富(いちとみ)天王社は1895年の建築。
とにかく、こういう天王社が異常に多い! しかも、これだけ文化財扱いになるほどしっかり残っているというのも貴重だと思います。
こんな感じの最上稲荷巡りでした。
次回は鬼太郎の聖地、境港を巡ります。
行き方
最上稲荷はバスがほとんどない状態なので、備中高松駅からタクシーを使うのが無難。帰りはゆるいくだりなので歩けなくはない。タクシー代は1200円ほど。