アマゾンから送ってくる空き箱の処理に困ってます、森田です。
さて土曜日に文殊山という山に登ってきました。山といっても標高350メートルほどで、一時間半も歩けば三角点にたどりつきますが。地図で見ると、ちょうど福井市と鯖江市の堺にある山です。ここは名前のとおり、文殊菩薩の信仰の厚い霊山で、山岳修験の道場でもありました。開基はあの泰澄と言われており(さも、誰でも知ってるように書いた。ウィキあるし、ググって下さい。)、実際、文殊山の登り口からも近い浅水地区には泰澄寺という泰澄伝説の重要ポイントもあります。そんな、文殊山にのぼってまいりました。
旅の出発点、JR大土呂駅。電車を乗り継いでやってきました。駅前に文殊山へのマップの看板が二種置いてあります。登山口までは20分ほど。なお、文殊山はいろんなルートで登れますが、今回は二上(ふたかみ)という登山口から登りました。どうも文殊山ルートの中でもかなりメジャーな道のようです。
駅から10分ぐらいの光景。このあたりは奈良時代の東大寺荘園糞置荘に比定されています。今でも古い景色が残っているところです。ところで、糞置っていくら古代の地名とはいってもひどいですよね。ゴリラでもいたのか。
だいぶ、登山道に近付いてきました。この鳥居の左側から登山道が始まります。なお、鳥居をくぐって山に突っ込むと神社に出るものの、そこから先の道はありませんでした。
神社からちょっとだけ離れた丘に観音堂があって、重文の十一面観音があります。けっこう、薄気味悪いところです。ただ、さすが重要文化財を保存しているだけあって、お堂はなかなかしっかりした作りでした。一方、神社のほうはほとんど廃墟と言っていいほどにボロボロでした・・・。
登山道は非常に良く整備された道。岩肌にせり出したような道を途中歩くので景色もいいです。
このルートは日当たりもいい道なので、選んで正解でした。
平野の中にこんもりある山というのがイメージしていただけると思います。そして、そういう山が信仰対象になるというのも、日本共通なんでしょうか。
40分ほどで小文殊のお堂につきました。隣の杉は昔、天狗が住んでいたらしいです。ここは阿弥陀さんを祀ってるお堂です。
さらに10分ほど歩くと大文殊。もちろん文殊菩薩を祀ってます。山の上のさえぎるものもないところにお堂があります。なお、このあたりには縄文時代の遺跡も発掘されているそうで、仏教が入るはるか以前から、信仰の場所とされていたことが想像されます。お堂には登山1000回記念の絵馬が飾ってあり、一種の毎日登山が行なわれているみたいです。
大文殊をすぎると、また一度下って、尾根伝いの道を行きます。急に細くなる道。
奥の院の手前には巨石があり、石の裂け目を歩く胎内くぐりができます。ここで地震来たら嫌だなと思いながらくぐりました。ここまで書いたことからもわかるように、典型的な修験の霊山ですね。
あと、カタクリの群生地が多く、今はちょうど開花の時期でしたが、曇っていたためか、花が閉じていたのが残念。
そして、奥の院へ。勢至菩薩を祀っているそうです。信じられないほど小さいお堂ですが、このすぐ横に三角点があります。まあまあ登ってる人もいて、地元の信仰を強く受けている山という印象でした。観光ガイドになんて絶対に載らない場所ですが、来てよかったです。
なお、帰りは角原8つのはら)という集落に降りる道を選択しましたが、谷筋を下っていく道で全体的に薄暗く、ぬかるんでいるところもあったりして、二上とはかなり雰囲気の違う道でした。行ったことある場所だと、京都北山に近いのかな。角原の集落から福井鉄道浅水駅まで、また30分歩いたので、なかなかハードでした。公共交通機関がもうちょっとほしいです。
※角原からのバス便もありますが、さほど本数は多くないです。下山直後に15:46発のがあってラッキーだと思ったら土日運休のやつで、次のは一時間先の終バスしかなかった……。
しかし、どうして文殊菩薩を信仰しているのか。天橋立のあたりにも智恩寺という有名な文殊信仰の寺がありますが、何か関係があるのか。まあ、原発もんじゅは除くとしても。
さて土曜日に文殊山という山に登ってきました。山といっても標高350メートルほどで、一時間半も歩けば三角点にたどりつきますが。地図で見ると、ちょうど福井市と鯖江市の堺にある山です。ここは名前のとおり、文殊菩薩の信仰の厚い霊山で、山岳修験の道場でもありました。開基はあの泰澄と言われており(さも、誰でも知ってるように書いた。ウィキあるし、ググって下さい。)、実際、文殊山の登り口からも近い浅水地区には泰澄寺という泰澄伝説の重要ポイントもあります。そんな、文殊山にのぼってまいりました。
旅の出発点、JR大土呂駅。電車を乗り継いでやってきました。駅前に文殊山へのマップの看板が二種置いてあります。登山口までは20分ほど。なお、文殊山はいろんなルートで登れますが、今回は二上(ふたかみ)という登山口から登りました。どうも文殊山ルートの中でもかなりメジャーな道のようです。
駅から10分ぐらいの光景。このあたりは奈良時代の東大寺荘園糞置荘に比定されています。今でも古い景色が残っているところです。ところで、糞置っていくら古代の地名とはいってもひどいですよね。ゴリラでもいたのか。
だいぶ、登山道に近付いてきました。この鳥居の左側から登山道が始まります。なお、鳥居をくぐって山に突っ込むと神社に出るものの、そこから先の道はありませんでした。
神社からちょっとだけ離れた丘に観音堂があって、重文の十一面観音があります。けっこう、薄気味悪いところです。ただ、さすが重要文化財を保存しているだけあって、お堂はなかなかしっかりした作りでした。一方、神社のほうはほとんど廃墟と言っていいほどにボロボロでした・・・。
登山道は非常に良く整備された道。岩肌にせり出したような道を途中歩くので景色もいいです。
このルートは日当たりもいい道なので、選んで正解でした。
平野の中にこんもりある山というのがイメージしていただけると思います。そして、そういう山が信仰対象になるというのも、日本共通なんでしょうか。
40分ほどで小文殊のお堂につきました。隣の杉は昔、天狗が住んでいたらしいです。ここは阿弥陀さんを祀ってるお堂です。
さらに10分ほど歩くと大文殊。もちろん文殊菩薩を祀ってます。山の上のさえぎるものもないところにお堂があります。なお、このあたりには縄文時代の遺跡も発掘されているそうで、仏教が入るはるか以前から、信仰の場所とされていたことが想像されます。お堂には登山1000回記念の絵馬が飾ってあり、一種の毎日登山が行なわれているみたいです。
大文殊をすぎると、また一度下って、尾根伝いの道を行きます。急に細くなる道。
奥の院の手前には巨石があり、石の裂け目を歩く胎内くぐりができます。ここで地震来たら嫌だなと思いながらくぐりました。ここまで書いたことからもわかるように、典型的な修験の霊山ですね。
あと、カタクリの群生地が多く、今はちょうど開花の時期でしたが、曇っていたためか、花が閉じていたのが残念。
そして、奥の院へ。勢至菩薩を祀っているそうです。信じられないほど小さいお堂ですが、このすぐ横に三角点があります。まあまあ登ってる人もいて、地元の信仰を強く受けている山という印象でした。観光ガイドになんて絶対に載らない場所ですが、来てよかったです。
なお、帰りは角原8つのはら)という集落に降りる道を選択しましたが、谷筋を下っていく道で全体的に薄暗く、ぬかるんでいるところもあったりして、二上とはかなり雰囲気の違う道でした。行ったことある場所だと、京都北山に近いのかな。角原の集落から福井鉄道浅水駅まで、また30分歩いたので、なかなかハードでした。公共交通機関がもうちょっとほしいです。
※角原からのバス便もありますが、さほど本数は多くないです。下山直後に15:46発のがあってラッキーだと思ったら土日運休のやつで、次のは一時間先の終バスしかなかった……。
しかし、どうして文殊菩薩を信仰しているのか。天橋立のあたりにも智恩寺という有名な文殊信仰の寺がありますが、何か関係があるのか。まあ、原発もんじゅは除くとしても。