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東方SS「二人のアヤの物語」

どもども、森田です。なんでも、噂によると今日は関西のほうで東方のでかいイベントがあったそうで。もし、福井で開催してくれればいけるのですが、インテックスは遠すぎる……。

ただ、なんか祭りに参加できないのは寂しいので過去に趣味で書いていた東方の短篇をアップすることにしました。射命丸文と稗田阿求の話です。設定とか誤認があるかもしれないですが、その場合はご指摘いただけるとありがたいです。あるいはご容赦下さい……。



二人のアヤの物語

「ですから、あなたのやり方は間違っています」
 阿求(あきゅう)は机の前に来た天狗を突き刺すように睨んだ。筆は硯に入ったままだ。あまりいい姿勢ではない。口論が激してくると、この筆を敵の胸元にでもけしかけてやりたくなるから。あるいは袴の帯に挿してある万年筆で突き刺してやりたくなるから。筆を持つ者が暴力に訴えるなどあってはならないことなのに。
 でも、こんな目の前で喧嘩を売られて黙っていられるほど、阿求も気が弱いタチではない。健全な肉体に健全な魂が宿ると俗諺は言うが、弱々しい肉体の魂まで弱々しいとは限らない。むしろ、体が弱いからこそ、心は猛る一方だ。千年前から当然のように生きている天狗を前にしても、物怖じしたりはしない。
「え~。でも、ちゃんとワタシなりに取材はしたんですよ~」
 天狗はまだ怒っているというほどではないにしろ、不愉快なようではあった。この天狗が笑いながら怒るタイプということは長い付き合いの阿求も知っている。いや、長い付き合いだろうか? ええと、ブランクが長すぎるが、前回から計算すれば長いと言えなくもない。
「いったいどこの誰に取材をしたんですか」
「地元の里の皆々様に。あのあたりにはそんな伝承があったかと、幼子から古老までこの足で逐一聞いてまわりました!」
「だから、それでは意味がないのだと何度言ったら!」
 ずっと、これの堂々巡りだ。やはり、歴史家と記者では事実に対する根本のところが違う。現代人の言葉なんて無意味だとまでは言わないが、せいぜい傍証にしかならない。歴史というのは過去をかんがみて、未来に生かすための人間の叡智の証しなのだ。現代の人間の価値観をそのまま流用すれば、その時の価値観が何よりも正しいということになりかねない。だから、歴史家には厳密性が要求されるのだ。
 この天狗は歴史家でもなんでもない。今を後世に伝える使命も義務もない。報道する者に必要なのは何よりもまず迅速性だということもわかっている。
 わかってはいるけれど、私のところに来るからには私のやり方もおもんぱかってほしい――そう阿求は言いたくなる。
「あのですねっ!」
 阿求はたまりかねて体を書き物机の前に乗り出した。こんなに苛立っていては作業にならないし、また寿命が縮みかねない。しかし、じっと耐え偲んでいるよりはいくらか健康的かもしれない。
 それに、耐え偲ぶ生活はじゅうぶんやってきた。この天狗は存じ上げないかもしれないが。
「あっ」
 天狗はとぼけたような声をあげた。
「な、なんですか?」
「墨が服についてますよ、ほら、そこ。袖に」
「あ、あ、あ、ああああああああああああっ!」
 阿求の悲鳴が屋敷内に響き渡った。
「とにかくっ! あなたはうかつすぎますっ!」

 事の起こりは竹林で見つかった一つの遺跡だった。
 遺跡といっても、巨大な前方後円墳だとか二千年前の鉄剣が何十本出土なんてものではない。ただ、竹林には不自然な大きな石がごろごろと出てきて、字のかすれた折れた板碑が見つかったのだ。
 もちろんながら、木はぼろぼろに朽ちている。すべて土に還らなかったのが奇跡的なほどだ。文字としての判別はほぼ不可能。それでも、これは世紀の大発見に違いない――――と新聞には書かれていた。
 その第一報を届けたのは、もちろん射命丸文(しゃめいまるあや)だ。さしたる事件もなく、日ごろ、幻想郷内の人間のゴシップばかりで記事を作ることにもいいかげん嫌気が差していたところだったから、文は張り切った。張り切りまくった。里の人間に片っ端からインタビューをして回った。
 そして、一面にばーんとこんな見出しを付けたのだ。

古代の墓発見 秘められた幻想郷の歴史が明らかに

 新聞はそれなりに好評だった。幻想郷の連中も平和すぎる日常に飽き飽きしていたから、その平和を平和な範囲で乱してくれる出来事は大歓迎だったわけだ。文のやる気はさらに増した。次はさらに詳しい話を載せなければならない。
 早速、文は友達の歴史学者に話を聞きにいった。自分も知らないような詳しい話を彼女なら教えてくれるに違いない。知らない仲ではないし、そう数は多くないが幻想郷の史跡とやらを一緒にめぐったこともある。
 なのに、その歴史家はあまりいい顔をしなかった。いや、そんなに楽しそうな顔をするタチの相手ではないのだけど、それにしても渋い顔だった。そして、三日続けて通った挙句、

「あなたはうかつすぎます!」

 の雷と相成ったわけだ。
「え……どうしてそんなに怒ってらっしゃるんですか、阿求さん?」
 文もなんで怒られているのか飲み込めずにいた。ゴシップのネタにした相手から恨まれたりすることは多々あれど、取材に行っただけで怒られるとは思っていなかった。
「何が『古代の墓発見』ですか。どうして板碑一枚と石の並びだけで、墓とわかるのです! 文、あなたは妄説を垂れ流してしまっているのかもしれないのですよ! 恥を知りなさい!」
「もうせつ?」
 ついに文がキレかける。職務に対しては真剣というのが、文のスタンスだ。別に誤情報を意図的に流したわけでもない。自分なりに取材を繰返した結果を書いたまでだ。それをこのように言われたら黙ってはいられない。
「では、阿求さん、あなたの現在の説は何なんですか?」
 文がまた身を乗り出す。文だってブン屋の矜持がある。まして天狗が人間に殴りかかるなんて、弱いものいじめでしかないから手は出さない。でも、多少の圧迫をかけるぐらいはいいだろう。
「それは……まだ言えません」
 阿求の顔色が悪くなる。阿求はその生まれのゆえに病弱で結果的になかば箱入り娘のように育っている。だから、堂々と嘘八百を並べ立てることなんてできない。千年前から幻想郷をうろちょろしている海千山千の文とは違うのだ。
「ほほう、それはどうしてですか?」
「もし、しゃべればすぐにあなたが新聞に私の説として載せますから。説として語るにはまだ未確定のことが多すぎます。実地調査もしていません――――」
 いくらテキストクリティークを重んじる歴史学者にしても、発掘現場は見ざるを得ない。別にこれは考古学者だけの特権ではない。
 もし、これを全然別の歴史学者が言ったなら文も納得したかもしれない。
 しかし、阿求の場合は例外だった。
「だから、ずっと連れて行ってあげると言っていたじゃないですか」
 文の声のトーンが変わる。完全に駄々をこねる子供を相手にする時のそれだ。それほどに阿求の言っていることは論理が通らない。文は阿求を現場まで運ぶと何度も言っていたからだ。
「私は文とは行きたくないと言っているでしょう」
 決まり悪そうに阿求は言った。その言葉がひどい侮辱になることは阿求も知っていた。だけど、そうとでも伝えるほかになかった。
「今まではちゃんと、ついてきてたじゃないですか」
「でも、もう嫌…………なんです……」
 予想通り、文は失望した顔になる。子供相手にも怒っても無駄だ。
「歴史を編纂するあなたがそうやって出ていくことを怖がっているから、みんなが幻想郷の歴史を知らないままなのです。もう、勝手にして下さい。ワタシはワタシで勝手に調べますから」
 阿求も自分の言葉が変なのはわかっているから、何も言えない。
「まったく。先代はもっと大人でしたよ」
 その言葉は阿求に針のように襲いかかる。もし、文が見ていれば、すぐに異変に気づいただろうけれど、彼女はすでに空に飛び立っていた。
 とてもじゃないが、阿求と顔を合わしてなんていられなかった。
 その日、文はいつもよりずいぶんと早く寝た。頭がろくに働かなかったからだ。別に不貞寝ではない、そう自分に言い聞かせる。そうでないと、阿求に敗れたみたいでいい気はしない。明日になればすべてはリセットされている。そのあたりの切り替えは文は得意だ。だてに千年以上生きてはいない。多少のイライラで動けなくなっていたらブン屋などできない。取材を冷たくあしらわれることだって珍しくないのだから。

 なのに、夢の中でまた阿求に「あなたはうかつすぎます!」と言われてしまった。

 なんのことはない。起きている間に気にしていたことが夢にも繰り返して出ただけのことだ。よくあること、よくあること。だからといって楽しいわけもないし、まして記事をまとめようとしてもちらちらと頭に阿求の憎たらしい顔が浮かんできたらそれはもう――――
「いいかげんにして下さいっ!」
 自分の仕事場で、文は文花帖を壁にぶちつけた。取材道具を粗末に扱うなど、ブン屋にはありえないことだ。雨が降れば自分が代わりにぬれてでも守らないといけないものなのに。
 それくらい、文は荒れていた。
「どこまで、子供なんですか、阿求さんは!」
「先輩、戻ってくるなりどうしちゃったんですか!?」
 心配げな声をかけてくるのは後輩の椛だ。後輩といってもオフの日だけ文が一方的に手伝わせているのだが。ていのいいただ働きだ。
「ごめんね、せっかくのスクープだっていうのに、イライラしちゃってるな~」
「ああ、重要な記事ですもんね。文章の一つ一つに気を遣いますよね」
 いや、そんな理由じゃないのだけど。かといって、後輩に一から事情を説明するのも恥ずかしい。なにより、それでは阿求のせいで仕事にならないと言っているようなものじゃないか。
「よし、今日は発掘現場に行くっ! 気分を切り替える!」
「はいはい、付き合わせていただきますよ」

 空は肌寒かった。寒い程度でどうこうなるほど天狗は弱い生き物ではないが。薄着が好きな文としては少しだけ辛い。
「ちょっと、温度が低いですね、先輩」
 文の左後ろから椛がついてくる。上下関係をやたらと気にする椛は真横には来ない。
「そうですね~。里の人間がいたら風邪を引いちゃうかもね」
「え、でも、里の人間がこんなところ来るわけじゃないですか」
 椛がはははと笑う。
「ううん、ちょっと前に、百四十年ほど前かな、乗せてたことがあるの、背中に」
「へえ……どうしてそんな……」
「空を飛んでみたかったんだって。仕事柄、家にこもりがちだったしねえ」
「仕事って、何ですか?」
「ううんとねえ、歴史家?」

 そういえば、あの日も空は肌寒かった。でも、阿弥(あや)は寒そうな顔などせずに空からの景色にずっと目を奪われて、「ほお」とか「へえ」とか気の抜けた声を出していた。
「そんなに珍しいですか? 阿弥さんなら幻想郷のことはずっと過去からずいぶんお詳しいはずなのに」
「わたしの知識はずっと紙の上のものだけですから。今日は無理を言って申し訳ありませんでした」
 八人目の御阿礼(みあれ)の子である阿弥は恐縮して答えた。それは背中に乗っていることへの気まずさのせいというより、矮小な人間が強大な天狗に対して持つおびえのようでもあった。
 彼女らは三十年と持たずに死んでしまう。それが記憶の一部を受け継いで生まれる御阿礼の子の宿命なのだ。阿一から阿七まで例外は一度もない。
 そんな短命な生き物はいったい何を考えているのだろう。
 文が稗田阿弥に近づいたのも、そんな興味のせいだ。自分たち天狗とあまりにも時間の使い方の異なった人間、しかもそんな人間が自分と同じように真実を記録する仕事をしているのだ。いったい、どんな奇怪な人間なのだろう。
 だが、会ってみれば、阿弥はどこにでもいるような小娘にすぎなかった。
 知識はあるが、ほかは七十や八十まで生きる人間となんら違いはない。
 空を飛んでみたいかと聞いたら、食いついてくるほどに。
「ふああ、はわあ、ほおお」
 本当に阿弥はそんな幼児語めいた感嘆の言葉しか出てこないようだった。
「こんなことぐらいなら、いつでも呼んでいただければ。どうせ、事件らしい事件もなくて暇ですからね。事件もないのに号外と呼ばわって売るのもジャーナリストとしてどうかと思いますし」
「あ、ああ、あありがとうございます!」
 あんまりうれしかったのか、阿弥は体を乗り出してきた。できるだけ耳元で感謝の言葉を告げようとしているみたいに。
「危ないですよ! 落ちたらおしまいです。気をつけて下さい!」
「はい、その代わり、また空に連れていって下さいね」
 阿弥は念を押す。本当に子供だ。ああ、阿弥はまだ十五だったか。
「はい、いいですよ」
「お願いしますね。わたしが生まれ変わっても」
 その言葉の意味は何百年もこのあたりの景色を見てきた天狗には上手く飲み込めなかった。ただ、ひどく寂しい響きだけが胸に残った。

 それからは、幻想郷のいろんな場所を阿弥を連れてまわった。阿弥は地名なら文よりもはるかに詳しいのにもかかわらず、ほとんどどこにも行ったことがなかった。せいぜい近所の地蔵にお参りに行くくらいで、どこを見せても関心しているのか呆れているのかわからないような声をあげた。
 二年もすると、いつのまにか文のとっておきの場所を阿弥に見せて驚かせるのが目的になっていた。まあ、それはそれでよかったと文は飛び慣れた航路を行きながら思う。馬鹿正直に興奮と感動を夕焼けや朝焼けに対してできる阿弥も幸せだったに違いないから。
 二人は姉妹のように時間を過ごした。阿弥が資料がほしい時は、そこに文が飛んだ。同じ名前の二人はまるで分身のように正しい歴史を伝えることに尽力した。今でも文はあの頃のことを思い浮かべて微笑んでそれからだんだんと泣きたくなるのだった。幸せはそう長く続かないようにできている。阿弥の体はその幸せを受け止められるほど強くなかった。

 ――稗田阿弥、転生の定めにより衰弱し、死去。享年二十五歳。

 稗田の者は歴史を紡ぐために幻想郷の記憶を残したまま死ぬ。それは閻魔も認めた特例だ。その代わり、一代の寿命は三十年もない。
「ごめんなさい、文さん……、わたし、今日は外には出れそうにありません」
 阿弥はなんとか布団から這い出して、発育不全のままの小さな手で文の手をとる。
「ワタシは暇ですから。いつでもいいですよ。ほら、今は体調を整えて下さい」
 文も無理をして微笑む。悲しい顔をしても阿弥が苦しむだけだ。
「また、元気になったらどこへなりとも連れて行ってあげますから」
「大丈夫ですよ。自分の病状ぐらい知っていますから」
 咳をしつつ、阿弥は微笑みかけてくる。文にはその姿がとても高貴に映った。そして、目先の高潔さなどより生きることのほうがよほど大事なのだと、つまらない感心を示した自分の気持ちに悔しくなった。
「諦めるには早すぎますよ。この世の中には奇跡だって起こります」
 阿弥の手を文は静かに握る。その手は勿論まだ温かくて彼女が生きているということを無言のまま主張していた。
「いいえ」わずかに阿弥は首を横に振った。「やってくるものを受け入れること、それが歴史家のあるべき姿ですよ。奇跡にばかり頼るようでは歴史の積み重ねの意味がなくなってしまいます。でもね――――」
 細い手で文の頭は小突かれた。
「わたし、少しだけ文さんに嫉妬します」
 阿弥は青白い顔でいたずらっぽく笑う。
「同じ『あや』なのに、文さんだけそんなに元気だなんて不公平です」
「そうですね、確かにもう少し釣合いがとれていればいいのに思いますね」
 文は阿弥が自分に指をからめようとしているのを見守っていた。
「約束して下さい。転生したわたしもいろんなところに連れていってくれるって。いろんな景色を見せてくれるって」
 文はゆっくりとうなずいた。
 その二日後、阿弥は亡くなった。

 そして、阿弥の死からの百三十二年後、阿求が生まれた。
 阿求は阿弥の記憶などろくに覚えていなかったし、幻想郷じゅうを案内するなんて約束も覚えてなかったけれど、幼い頃は文によくなついた。
「ここは阿弥さんがとくに気に入っていたスポットですよ」
「そっか、先代の人は夕焼けが好きだったんですね」
 阿求も阿弥と同じようにとくに夕焼けを好んだ。先代の記憶は幻想郷縁起に関するものを除けばほとんど残らないが、それでもまったく残っていないわけでもないというし、どこかで趣味が一致していたのかもしれない。
 阿弥との時間は短すぎた。だから、今度は一日でも長く阿求といよう。文は阿求が生まれた時からそう決めていた。笑顔の裏で文はいつも真剣だった。きっと里の者はこの天狗がどうして、阿求という娘のところばかり通ってくるのだろうと不思議に感じただろう。保護者と言っても間違いでないほどに、文は阿求と時間を共に過ごした。
 阿求も生まれた時からそばにいてくれる文のことを信頼していた。少なくとも、文はそう信じている。年が長じてくるに連れ、自分のことを呼び捨てで呼ぶようになったが、その程度は大目に見てやろう。いつまでも母親のように扱われるのも面白くはないし。どうせなら二人対等に、いろいろな場所を見たい。阿求が生まれてくるまでの間、景勝の地はさんざんチェックしてきたのだ。
 なのに、ここ最近、阿求の様子がおかしい。
 外に連れていこうとしても、「行きたくない」とかたくなに拒む。不承不承、出ていくことを受け入れても、冷めた顔をしている。今までのように景色を楽しむなんてこともない。生来、丈夫なたちでもなかったし、疲れるのが嫌なのだろうかと思ったが、発掘現場にすら行きたくないと言い出したあたりで、文の不信も限界に達しようとしていた。
 もし、これが阿弥の生まれ変わりでなかったら、フィールドワークを軽視する歴史家などと記事にしていたかもしれない。ああ、思い出したらまたまたイライラしてきた!
「先輩、通りすぎちゃいますよ!」
 怒りのせいで危うく目的地を通り過ぎてしまうところだった。

 現場は竹林脇の斜面。先日の雨で地盤が緩み、小規模ながら地すべりが起こった。その地すべりのあとに不自然に並んだ石が見つかったのだ。発掘現場とは言いながら、現実には石のほうからこの世に出てきたようなものだ。
 現場では今日も上白沢慧音が担当として指揮をしていた。ほかに専門家がいないので駆りだされてきたのだ。
「こんにちは、あれから進展はありましたか?」
 慧音は目をつぶって否定の意味で首を振った。
「まだだな、発掘調査も完全には終わってないし、これから新しい板碑なり石碑なりが見つかるかもしれん。こういうのは根気よくやらんといかんからな、すぐには成果は出んよ」
「まあ、それもそうですね」
 文も答えを予想していたのでとくに失望もしない。
「でも」少しだけ慧音の声が明るくなった。「今日の作業ははかどりそうだ。もう一人専門家が来てくれているからな」
「専門家?」
 そして、文は信じられないものを見た。
 阿求が現場で様子を見ているのだ。
 斜面のまん前でじっと調査報告書のようなものを眺めている。いつも筆記に使っている筆はもちろん持っていない。このぐらいのものは阿求はすべて暗記するから。帯の万年筆はいざという時の予備か何かだろうか。
 文はつかつかつかと阿求の元に寄る。ただし、その足は立ち入り禁止のロープのところで止まる。これ以上先に進む必要はない。声ぐらいならここから届く。
「ちょっと! どうやってここまで来たんですか! 里から一里は離れてますよ!」
 文は険のある声で言った。問いたださないといけないことがある。だけど、阿求はちらりとこっちを見て、また無視する。いいかげんにしろ、自分をないがしろにするな。
「どういう風の吹き回しですか?」
 もう一度声を荒らげると、阿求は文の顔をやっと見つめて少し嫌そうな表情になった。
「何ですか、仕事の邪魔です。実際の様子も見ないといけないですからね、ここに来るのはそんなに不思議なことじゃないでしょう」
「違いますよ、そんなことじゃないです」この分からず屋が。どうしてこんなに強情に育ってしまったのだろう。「どうして一人で歩いてきたんですか。顔だってずいぶんしんどそうです。ふだん出歩かないあなたがこんな遠くまで足を運ぶなんて。今も気を抜いたら倒れてしまいそうですよ」
 とても、気が気じゃない。文には阿求を守る義務があるのだ。阿弥と出会って以来、自分で課した義務だ。寿命の長さは違うけれど、だから、せめて自分は彼女たちを見守ってやろうと。
「言ってくれればここまで連れていってあげました。そのほうが現場での仕事だってはかどったでしょう。変な意地を張るのはもうやめて下さい! 先代はこんなつまらないことをしない真摯な人でしたよ!」
 でも、文はそれ以上は阿求には近づけない。
 阿求は阿弥とは違うのだ。
 阿求が拒絶したなら、それを無視することはできない。
 そろそろ幻想らしきものを捨てるべき時だろうか。文はそう思った。自分は阿求に阿弥を重ねすぎてきた。二人を同じもののように扱おうとしてきた。だからといって二人が同一人物なのでもなんでもない。阿弥なら自分をうとましく思うはずがないなんてつまらない自信は誰も幸せにしない。目の前の少女は阿弥ではないのだから。
「どうして、あなたはそんなに私にこだわるんですか?」
 試すように阿求は言った。その声はいつもの調子と違って震えていた。ほんの少しだけ、文は気後れした。何か、阿求のことを傷つけてしまっただろうか。でも、すぐに仮にそうだとしてもたいしたことじゃないと迷いを殺す。心のつながらない二人なら、何を言ったって困ることはない。たとえ、気持ち悪いと思われようと三行半を突きつけられようとかまわない。
 文と阿弥は特別な二人だったかもしれない。
 文と阿求は特別な二人なんかじゃなかった。残念だけど、錯覚だった。
 だから、そろそろ種明かしをしてやる。
「あなたは阿弥さんの生まれ変わりですから。あなたの性格がどれだけ捻じ曲がっていようとそれは間違いのない事実なんです。生前の阿弥さんにはずいぶんお世話になったので、あなたにもベタベタしてしまったというわけです」
「ああ、やっぱりそうなんですね」
 阿求はとても寂しそうに笑った。そんな表情は阿弥は死ぬ前しか見せなかった、ふと文はそう思った。
「それが私が一人で来た理由です」
「ああ、気づいていたんですね。ごめんなさい」文は清算のために言葉に心をこめる。「なんていうのかな、阿弥さんには好かれたんですよね~。だから阿求さんにも好かれるだろう、好かれるはずだって思いこんじゃって」
「ほんとに迷惑です」
「はい、すみませ――――」
 下げた頭に、予想外の言葉が覆いかぶさってきた。
「阿求として愛してくれないだなんて迷惑です」
 その妙な言葉に文は顔をあげる。
「だって、私は阿弥じゃない。阿求なんです、稗田阿求、どうせすぐに死んでしまうかもしれないけれど、一人の別の人間なんです。先祖といっしょくたに愛されちゃうなんて嫌です」
「え……?」
 文は目の前の少女の苦しみを長く誤解していたような気がした。
「あなたは私にたくさん知らないものを見せようとしてくれる。私のことをかまってくれる。でも、それは私が阿弥の分身でしかないからだって今更ながら気づきましたよ。だから、一緒に行くのも嫌だった」
 自分は阿弥とは違うから、出かける必要もない。阿求は自分の口でそれを語る。縁起のどこにも書かれていない自分だけの言葉で。
「馬鹿な話ですよね。自分の恋心に気づいた途端、相手が自分のことを見てないことに気づくんですから」
 阿求の心の中は火傷しそうな熱い部分と凍りつきそうなほど冷えた部分が重なり合っていた。かろうじて冷静さを保たせていられるのが信じられないほどだ。言葉の力が強すぎて感情をコントロールできないのかもしれない。
 文は自分に興味なんてないんだ。
 ずっと阿弥しか見ていないんだ。
 記憶もろくに残っていない生まれ変わる前の自分しか。
 三十年生きられない身の上での失恋にしては遅すぎた。
 生まれ変わる前の自分がライバルとか、そんな無茶な話があるか!
「私を見て下さい。目の前の私を見て下さい。あなたは新聞記者なんでしょう。幻想じゃなくて事実を見て。私は阿弥じゃないんだっ!」
 その絶叫のせいか、それとも昨日降った雨のせいか、ぴしりと何かが割れるような音がした。
 そして、ぱらぱらと阿求の近くに土が落ちる。すぐにそれは土から砂に、砂から落石に変わりだす。地すべりが再び始まろうとしていた。
「阿求さん!」
 文はロープを越えて駆け出そうとする。放っておけば阿求は生き埋めになってしまう。
「来ないで!」
 でも、それを阿求は許さない。
「私は阿求だから! 阿弥しか愛してない人に助けられたくなんかない! それなら阿求として死んでやる! 文のことを愛していた阿求としてっ!」
 そして、帯の万年筆を阿求は腕にあてた。
「もし、来たら、これで腕の血管を切ります」
「どうしてそんなことするんですか!」
「このお揃いの万年筆が私の愛の証しだから」
 文ははっと息を飲んだ。阿求は黙ったまま、訴えていたのだ、自分の気持ちを。
「私が筆記は筆しか使わないの知ってますよね。つまり、そういうことです。ふざけた少女趣味ですけどね」
 壮絶な笑みが阿求の顔には浮かぶ。
 それは命懸けのプライドを見せつけた勝利の笑みだ。
 あなたが私より長く生きるなら、その分私のことを思い出して苦しめばいい。
「ごめんなさい!」
 文はその場で思いきり、頭を下げた。すべてを終わりにするための謝罪だ。
 そっか、やっぱり文が好きだったのは先代のことなのだ。
 これでいいんだ。
 阿求の心が最後に晴れた。これで稗田阿求は個人として死ねる。一族の歴史の糸から断ち切られて一人の人間として。
 その勇気だけはこの天狗が、自分が愛した人が書き残してくれるだろう。
「さよなら、文」
 でも、さよならは来なかった。文は謝罪の頭を上げると、ものすごい勢いで阿求に向かって突っ込んできた。
「誤解ですっっっ!」
 そして、そのまま阿求に抱きつくようにして倒れこんでくる。そこに石や岩が降り注ぐ。無茶苦茶だ! これじゃ無理心中だ。でも、阿求は声も出すこともできず、万年筆で腕を刺すことなんてもちろんできず、土に放り出される…………………………………………。

 気づいたら阿求は土の上に倒れていた。埋もれることはなかった。その代わり、手だけを出して文が土に埋もれていた。
「あ、文、どうして……?」
 でも心配より先に文の顔が土から出てきた。
「これぐらい平気です」
 そして文は笑う。
「ごめんなさいね。私、自分の気持ちを正直に伝えられていませんでした。私、阿弥さんのことが好きでした。その阿弥さんの生まれ変わりの阿求さんはもちろん大事です」
「だったら――」
「でも、阿弥さんにこんなにイライラさせられたことなんてないです。会ってケンカしたことなんてないです。こんなに心を動かされてることなんてないですっ! こんなに自分の心をもてあそぶ人を放っておけますか?
 というか、そんな意味で阿弥さんを愛していただなんて言いましたっけ? 早とちりですよ、それは」
「ほ、ほんとですか……?」
 土に汚れた顔が元気に笑っていた。
「そうですよ。記者のモットーは誠実さと正確さですから」

 一か月後、発掘結果が出た。
「あれは古代の史部(ふひとべ)の一族の墓だったようですね。出てきた板碑からわかりました」
「ふひとべ?」
 記録をつけながら、文が尋ねる。
「史部とは文書に記録を残す古代の役人ですね。仕えていた政権が没落した時に命が危うくなって、幻想郷にたどりついたのでしょう」
 阿求は自分の書いた文章を指でたどりながら話す。
「つまり、もしかすると彼らは阿求さんの先祖かもしれないということですか?」
 目の前では少し意地の悪い笑みを文が浮かべている。
「そうかもしれませんね。もちろん、そんな証拠はありませんし、よくわからないことを語るべきではありませんが。それは歴史家のすることではありませんから」
「でも、先祖が私たちを結びつけてくれたのかもしれませんね。昔の人たちは幻想郷にも気楽に出入りしていたようですから」
 こういうことを言わせると文のほうが強い。阿求は少しだけ困った顔になる。これが生きてきた時間の違いだろうか。
「だから、そういう不確定なことは――――」
「どこにも書きませんよ。私と阿求さんの間だけの秘密です」
 文はそっと文字を追う阿求の手をとる。
 阿求も諦めたように指をからめる。
 二人の間だけの小さなゆびきり。
「今度は幸せなうちにできました」
「どういうことですか?」
「なんでもありません」
 文は余ったほうの手で阿求の肩を軽く抱いた。
「先代のことは忘れておきます」

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