どもども、森田です。
今回は箱根湯本からずっと旧東海道を歩いていきます。
ただ、かなり長いので、今回は途中の宿場町、畑宿まで。
箱根湯本の駅前。いかにも温泉街っぽい雰囲気です。まずは資料館に寄りましょう。
休館。
気を取り直して、早雲寺。これで、北条氏と関係ない寺だったら逆にすごいですが、もちろん関係あります。
大永元年(1521年)、伊勢盛時(いわゆる早雲)の死後、氏綱が創建した臨済宗の寺です。
この寺は小田原征伐の時に、なんと秀吉本営が置かれて、そのあと、焼かれるという最悪な目にあっていますが。江戸時代に再興されています。やっぱり、鬼畜的なことをすると、将来罰が当たりそうなので、人間、ほどほどに生きるべきだと思います。
北条五代の墓はぎりぎり大名として命脈を保った大阪狭山市にあった狭山藩主の北条氏が建立したものだそうです。
お墓を堂々とアップするのもあれなんで、看板だけ。地味に宗祇の墓もありますね。
そのあと、旧街道のほうへてくてく歩いていくと、足湯のある正眼寺へ。
ここは地蔵信仰の寺で、箱根を歩く人はここで道中安全を祈願したそうです。
一里塚の碑が。
いよいよ市街地を抜けて、山のほうへ。
説明板。
ちょっと山っぽいところを歩きますが、遊歩道レベルなので問題なし。
このあと、江戸時代の石畳残っているところも出てきますが、これは最近作った部分だと思います。
そのうち道路に出て、そのままてくてく歩きます。どうも地図を見るとそのまま山中歩ける道もあるらしいですが、見つけられませんでした。気分は駅伝選手。
鎖雲寺には、歌舞伎で有名になった夫婦の墓があるそうですが、その歌舞伎についてとくに知らないので、ことさら感動もせず。
山道に入って、どんどん進みます。
このへんで駅から4キロぐらいか。
このあたりは江戸時代の石畳です。ある意味、江戸時代の国道。
このあたりも江戸時代の石畳です。なんでわかるんだと思われるかも知れませんが、ちゃんと案内が出てます。
畑宿に到着! 写真は本陣跡。
今はごく普通の集落ですが、おそらく江戸時代はかなり栄えたと思います。
次回は箱根の旧街道後半戦です。
今回は箱根湯本からずっと旧東海道を歩いていきます。
ただ、かなり長いので、今回は途中の宿場町、畑宿まで。
箱根湯本の駅前。いかにも温泉街っぽい雰囲気です。まずは資料館に寄りましょう。
休館。
気を取り直して、早雲寺。これで、北条氏と関係ない寺だったら逆にすごいですが、もちろん関係あります。
大永元年(1521年)、伊勢盛時(いわゆる早雲)の死後、氏綱が創建した臨済宗の寺です。
この寺は小田原征伐の時に、なんと秀吉本営が置かれて、そのあと、焼かれるという最悪な目にあっていますが。江戸時代に再興されています。やっぱり、鬼畜的なことをすると、将来罰が当たりそうなので、人間、ほどほどに生きるべきだと思います。
北条五代の墓はぎりぎり大名として命脈を保った大阪狭山市にあった狭山藩主の北条氏が建立したものだそうです。
お墓を堂々とアップするのもあれなんで、看板だけ。地味に宗祇の墓もありますね。
そのあと、旧街道のほうへてくてく歩いていくと、足湯のある正眼寺へ。
ここは地蔵信仰の寺で、箱根を歩く人はここで道中安全を祈願したそうです。
一里塚の碑が。
いよいよ市街地を抜けて、山のほうへ。
説明板。
ちょっと山っぽいところを歩きますが、遊歩道レベルなので問題なし。
このあと、江戸時代の石畳残っているところも出てきますが、これは最近作った部分だと思います。
そのうち道路に出て、そのままてくてく歩きます。どうも地図を見るとそのまま山中歩ける道もあるらしいですが、見つけられませんでした。気分は駅伝選手。
鎖雲寺には、歌舞伎で有名になった夫婦の墓があるそうですが、その歌舞伎についてとくに知らないので、ことさら感動もせず。
山道に入って、どんどん進みます。
このへんで駅から4キロぐらいか。
このあたりは江戸時代の石畳です。ある意味、江戸時代の国道。
このあたりも江戸時代の石畳です。なんでわかるんだと思われるかも知れませんが、ちゃんと案内が出てます。
畑宿に到着! 写真は本陣跡。
今はごく普通の集落ですが、おそらく江戸時代はかなり栄えたと思います。
次回は箱根の旧街道後半戦です。