好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。
今回は曹洞宗の頂点(語弊ある表現)永平寺を久しぶりに巡ります。福井在住時代はさんざん行ったのですが、そのあと、多くの建築が重要文化財指定を受けることになって、再訪した次第です。拝観エリアから絶対に見られない建築以外はおそらく重要文化財部分は一応見られたと思います。
勅使門は1844年の建築。以下、とくにことわりがなければ重要文化財です。
山門の下の部分。なお、山門は1747年の建築です。あとで見える場所に移動します。
永平寺って本当に魔王の城っぽいですよね。
中雀門は1852年の建築。
山門両側に伸びる廊下も重要文化財です。この廻廊部分は1930年とかなり新しい部分。
鐘楼は新しいものなのか、重要文化財ではないです。
見えづらいですが、舎利殿及び祠堂殿は1926年の建築。どことなく多宝塔っぽさがあるのが舎利殿で右の大きそうな建物が祠堂殿です。
これも見えづらいですが、大庫院(だいくいん)は1929年の建築。正面見て右側の斜面に建ってる建物です。
入浴施設は文化財指定はされてないです。
こちらも右側斜面の先に建ってる松平家廟所の門。1647年頃の建築。なお、どっちみち見えないのでわかりませんが、廟所は文化財指定はされてません。
中雀門のある段の廻廊。この部分も重要文化財です。
中雀門あたりに来て、下の山門部分が見えるようになりました。
中雀門あたりから仏殿を見上げてます。仏殿は1902年の建築。
珍しく歩く人がいなくなった時間の廻廊。
今度は中雀門の段の左手にある僧堂をアップで。1901年の建築。
今度はさっきの右側の大庫院方面を見てます。
おそらく仏殿東方にあたる廻廊。この部分も重要文化財。西方のほうは新しいのか文化財指定されていません。仏殿は下から見て山門・中雀門に続く三層目です。
僧堂をアップで。
大庫院の入口部分。
瑞雲閣という名前の大庫院の中の接待所的な場所。重文の部分にさらに名称あるのでややこしい。
おそらく三層目の石の廊下。このあたりは多分文化財指定されてません。
一番上の層(四層目)の法堂(はっとう)を見上げる。1842年の建築です。
大光明蔵(だいこうみょうぞう)は1929年の建築。正面向かって右側の建築です。
その左手は妙高台という名前の特別貴賓室で、こちらは文化財指定はされてないです。
大光明蔵の右側は監院寮という建築。1929年のもの。
おそらく写真の白い壁部分が見えてるのが監院寮です。
承陽門は1881年の建築。この先の拝殿・本殿部分も重要文化財ですが、本殿部分は見えません。おそらく道元禅師などを祀っているエリアです。
拝殿部分は参拝はできますが、離れて撮影しづらい……。1881年の建築。なお、本殿も拝殿奥に接続されてます。
承陽門の奥にかすかに拝殿部分の唐破風が見えました。
正面向かって右側の奥にあるやたらと長い階段のぼった先に重要文化財の経蔵があるはずですが、こちらは近づけないので一切見えないので、これは諦めるしかないですね……。
舎利殿及び祠堂殿の祠堂殿部分の後ろ側とおぼしきもの。正面からは撮影できません。廊下でいろいろ連結されている構造なので、撮影は難易度上がる!
これで拝観エリアはだいたい全部見たのではないでしょうか! 次回は永平寺の周辺と、永平寺口駅方面の史跡をざっと巡ります。
行き方
永平寺には福井駅から特急バスが出ているので、往路はこれを利用した。ただ、本数が少ないうえに、座席予約などができないので、混雑すると乗れる保証がないのが怖い(観光バスのタイプなので、おそらく立ち客は認められてない)。
永平寺口駅からのバスもあるが、あまり本数は多くない。