奉太郎らしくない行動に見えて、実はとても奉太郎らしかったという面白さ。 氷菓 第18話 『連峰は晴れているか』 のレビューです。
「連峰は晴れているか」というサブタイトルは、ヒトラーの言葉である「パリは燃えているか」のもじりでしょうか。 遠い場所での重要な出来事の知らせが届くのを、焦りながら待っていることが共通していて、朗報は届かないという悲劇を予感させる、いいサブタイトルです。
ヘリコプターと落雷、という時点では分かりませんでしたが、山について言及された時点で「あぁ」と繋がりました。 でもこの作品は、謎解き自体よりも、それにまつわる人間模様や心の機微に良さがありますね。
奉太郎の省エネポリシーは、怠け者というよりは、「余計なことはしない」というように、自らを律しているように見えます。 他人にすごく気を遣う性格なので、自分が余計なことをして、周囲に迷惑をかけるのを恐れているのではないでしょうか。 なので彼は、単なる「好奇心」だけで動くことはありません。
一方でえるは、好奇心の塊のような、好奇心を満たすことが我慢できない人で、奉太郎とは好対照になっています。 えるはそれを自覚しているので、今回奉太郎が好奇心で動いたように見えたのが、意外だったのでしょう。
学校の先生って、生徒にとっては格好のおちょくりの対照ですよね。 変な口癖だとか、見た目の特徴だとかをあげつらって笑い物にするのは、生徒にとって貴重なエンターテイメントです。
奉太郎が小木先生の話をしたのも、「ヘンな先生がいてさー」という、ちょっとした笑い話のつもりでした。 たしかに、かなり印象的な奇行ですよね。 でもあの行動に、隠された意図があった可能性に思い当り、彼は真相を突き止める義務があると思ったのでした。 重い意味があったかもしれないのに、それを笑い話にしてしまったことを反省したからです。
「好奇心に動かされた」としたら、とても奉太郎らしくない行動でしたが、他人を傷つけたたことを償うために行動するのは、いかにも奉太郎らしい行動です。 たとえ実質的に、なんの迷惑にもなっていなくても。
生徒にとって、先生は学校の付属物のような認識なのですが、先生も人間であって、背負ってきた人生があります。 奉太郎は、自分が知らなかった小木先生の人生に敬意を払い、彼のために少しだけ悲しんだのでした。 奉太郎の性格の根幹は、「他人に敬意を払う」ところにあるのかもしれません。 それはあのパワフルなお姉さんの影響なのかも。 だから優しくて、生真面目で、あまり自分を主張しないのでしょう。 えるは言葉が見つからなかったようですが、「とても奉太郎らしくて、とても優しい」ということが、言いたかったのではないでしょうか。
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