はてなキーワード: 平沢唯とは
今日ようやく友達と言うか告白してOKもらったから彼女やねんけどその子が名古屋帰ってきて昼間から引っ越し作業に忙殺されてて終わったの19時位で今日は疲れたから晩飯外食しよか言うて一緒に風呂入って人生で初めて彼女に風呂でちょっと乳首責めと手マンとクンニしてもらってイかしてもらったりして身長182cmの私と168cmの彼女とではタチネコの役割違うん思ったけど私は生粋のバリネコやし彼女は高校時代はリアル平沢唯で通っててあのちゃんみたいなクソかわロリ系のルックスやのに責めるときは容赦ないから風呂でホント気持ちよくて手マンで中指がGスポットんとこ当たったときマジ気持ちよくてこんなんネットで知り合ったレズお姉さんにセクハラされた中学のとき以来やなクソ気持ちいい思ってたらアンタ他の女とセックスしたことあるやろ言われて正直に中学んとき年上のお姉さんに調教されて乳首と脇腹とクリ開発された言うたらほかにもなんかあるやろて問い詰められたからこないだ京都の妹分みたいな地雷女子とその連れの子とオフ会して吸うやつで何時間もクリ吸われて敏感なった言うたらめっちゃ怒られてアンタ私に告白したのに何やってん言われて嫉妬されてその京都の妹分みたいな地雷女子と連れの子呼び出して私がしばいたる言いよってアンタがはよ帰ってきたら私も浮気せんでええんやったんやで言うたらアンタが告白躊躇ってたからこうなったんや言われてそりゃそうやな思ってたら彼女になんで高校の頃告白せんかったん高校で一緒に軽音部してたとき私アンタのことちょっと好きやったしだから大学のとき一緒に住んでたんやで言われて風呂でお互いシクシク泣きながらチューしたりエッチなことしたりして気付いたら21時近くてひとまず飯食おか言うて近所の寿司屋でお互い10皿くらい食うたあと最寄りのドラッグストアでカップ麺とかお菓子買うて家帰ってきたけど彼女は帰ってきてすぐ引っ越しの疲れか今ソファでいびきかきながら口開けて寝とるしうちの猫もコイツ何者やって態度で寝てる彼女に近付いてはパンチしたりしゃーしゃー言うて威嚇しとるけどせっかく彼女がノーブラキャミと短パンの格好で無防備な姿で寝とるんやから昼間のお返しにエッチなことしたろ思ってるし彼女も乳首が敏感で勃起するとゲームのコントローラーのスイッチみたいな形状からコリコリの豆みたいなのに変化するの高校のときの夏休みにお泊りして彼女が寝てるときに検査済みやからこれからグースカ寝とる彼女にセクハラしまくって久々の好きな人とのレズセックスして明日も一日中そういうことする予定やから幸せやしもうここになんか書くことも無いやろうけど同性で結婚出来るように日本もなって欲しいなと心の底から思う次第ですわ
早見沙織:「魔法少女まどか☆マギカ」(鹿目まどか役)、 「ラブライブ!」(南ことり役)
花澤香菜:「魔法少女まどか☆マギカ」(美樹さやか役)、 「俺物語!!」(小野寺小咲役)
悠木碧:「鬼滅の刃」(竈門炭治郎役)、 「ソードアート・オンライン」(湯浅美咲役)
水瀬いのり:「ご注文はうさぎですか?」(保登モカ役)、 「Re:ゼロから始める異世界生活」(レム役)
佐倉綾音:「けいおん!」(秋山澪役)、 「聲の形」(西宮硝子役)
内田真礼:「魔法科高校の劣等生」(司波深雪役)、 「ハイスクール・フリート」(響良牙役)
高橋李依:「ご注文はうさぎですか?」(桐間紗路役)、 「ラブライブ!サンシャイン!!」(桜内梨子役)
徳井青空:「けいおん!」(平沢唯役)、 「アイドルマスターシンデレラガールズ」(緒方智絵里役)
上坂すみれ:「アイドルマスターシンデレラガールズ」(百瀬莉緒役)、 「ご注文はうさぎですか?」(ココア役)
小倉唯:「中二病でも恋がしたい!」(小鳥遊六花役)、 「ストライク・ザ・ブラッド」(沙音役)
これらは代表的な作品であり、彼女たちが出演するアニメやゲームは非常に多岐にわたります。
ChatGPT、何でこんなに全部間違えているんだろう。
逆に不思議
コロナ関連のコールセンター派遣で思ったよりも実入りがあり、漫画家になるための準備金として友人に借ていた100万を返済し始めることにした。
ゆうちょの振込で名前を入れる段になり、なにか巫山戯なきゃと思いヒラサワ_ユイと入力した(ダテナオトと入れようとも思ったが流石に失礼すぎるので止めている)。
名乗ってみるとその気になるもので、なんだか自分が唯になったような気がして、その日は漫画を描く作業中に放課後ティータイムの楽曲を流した。
何曲が聴いて「このアニメ見てたとき大学生だったな」などと当時を思い返していたが、Utauyo!!MIRACLEが掛かって脳がブッ飛ぶような衝撃を受ける。
この曲こんなに良かったか?他の曲と同様にフレーズは頭に残っていたが、こんなに圧倒されるような青さと迫力を持った曲だっただろうか。
意味がギリギリつながるような短い単語を羅列した歌詞に声優さん扮する平沢唯の上ずった歌声が乗り、まさに高校生バンドの1作といった風情でアニメOPとしてもキャラクターソングとしても良く出来ている。
いやよく出来過ぎだ。平沢唯の歌声はあまりにもカリスマに満ちていた。
この曲は進行していくにつれ感情のボルテージがぐんぐん上がり唯の声も上ずっていき、声が出なくなるのが先か感極まって泣き出してしまうのが先か、と聴いているだけでそう心配してしまうくらいの危うさを孕んでいる。
おそらく平沢唯というキャラクターはそのようなことを無自覚に、同時に自らの振る舞いを理解して、自身の音楽とはそういうものだと割り切って受け手に提供している。
こういうやつを天才と呼ぶのだろうと思った。
しかしここまで考えてとても困った事に気がついた。平沢唯は実在しない。
急に応援していたアイドルを取り上げられたような気持ちになった。一人で感極まっておいて身勝手な話だ。
しかしこう思うのは本当に俺だけだろうか。ここで蛸壺屋のけいおん二次創作同人誌を思い出してほしい。
かのサークルの二次創作は平沢唯が和製ジミヘンとして絶大な人気を得、またそのあだ名をなぞるように薬物で早世するという内容だった。残された者たちの群像劇が高い評価を得ていたことは記憶に新しい。
読んだ当時は変な本だとばかり思っていたが、この作者は『平沢唯の不在への気づき=平沢唯の死没』と置き換え鬱積した悲しみを昇華しようとしていたのではないだろうか。
蛸壺屋の同人誌では平沢唯の妹・憂が姉に扮して興奮したりバンドに潜り込んだりしている。
まるで俺じゃないか。
何ということだ、勝手に平沢唯を名乗った俺は唯ではなく憂だった。
蛸壺屋の同人誌では平沢唯亡き後周りの人間が歪み・あるいは折り合いを付けた様が描かれている。
違う。この程度のひずみは誰しも備えている(じゃなきゃ二次創作エロ同人買わない)。
この唯なき放課後ティータイムこそ俺たちだ。誰もが皆、諦めと悲しみの夜を越えてここにいる。
毎日お茶シバいてるだけなのに平沢唯という天才がミュージシャンやって軽音最高っていうアニメ
日常系アニメはもともと大好きだったのだが、あれだけ、けいおんだけは今でも苦手意識がある。
苦手だったので原作は読んでいない、ので原作版の事は言及しない。
あの作品だけはなぜか心の奥底の黒い部分がわきでてくる。だって、練習してないのに、バンドで出てくる曲がめちゃくちゃいい曲なんだ。
いったいいつ作った?どこで練習した?わからない。やっぱり天才だから?
自分と彼女たちの才能の差をまざまざと見せつけられるようで、見ていてとても辛かった。
あれから何年たったのだろう。
私は今でも何の才能もないただの凡人で、彼女たちのような天才にはなれなくて。
このままひとり死んでいくのだろう。私が私なりに「頑張った」と思ったものも、彼女たちのあのキラキラした音楽に全然かなわない。
それがとてもつらい。
といっても、ヒロインにありがちなアイテムの話は殆ど出てこないのでそこんとこヨロシク。
いや、自分も黒ニーソ好きだけど、今日書きたいことではないので。
さて、服の分類方法は色々あるが、その一つにオンボディとオフボディというのがある。
要するに体のラインを出す服か出さない服かという分類で、着用者の個性にマッチする=似合うかどうかという観点で、大事な要素の一つである。
つまりどっちが似合うかは人によるってこと。
例えば筆者はオンボディ、つまり身体の線にピッタリした、なおかつ薄手で柔らかく装飾的な服が似合うおっさんなので、体型維持が人一倍大変だったりする。
まあ最近の服はストレッチ多用だからそんなパッツンパッツンにはならないけど。
そんな観点でアニメのキャラを眺めた時、主要登場人物がほぼ全員女子高生の作品の女性主人公に見かけるが、そうでないアニメの女子高生ヒロインや準ヒロインではあんまり見たことないのが、服のオフボディ傾向だったり。
分かりやすく言うとゴワゴワ・モコモコ・ブカブカ・ざっくり・ゆったり・丈長・ワイドが似合ってるというか。
勿論全員が全員そうではないし、飽くまで自身の観測範囲に過ぎないし、女だらけの作品であっても「おっぱいとパンツしかないアニメ」は除外した上での話だが。
例えば平沢唯、高坂穂乃果、黄前久美子、最近だと各務原なでしこや玉木マリとか。あとは西住みほ・保登心愛辺りも多分そうかな(あんまりそういう格好しないけど)。
ちなみにオフボディの服が似合う人というのは、男性だと骨太な男臭さで独特のワイルドな雰囲気になり、女性だとこなれたカジュアル感が独特のスタイリッシュさを醸し出す。
一方で、男主人公を女性陣が取り巻く構図の作品だと、主要な女性キャラは「線が細くてオンボディのAラインやミニ丈がよく似合う美少女」か「ボン・キュッ・ボンのグラマーさんで、出てる所とそうでない所のメリハリを強調するアイテムを着こなす美人」のどちらかにほぼ集約されてしまう。
だから上述の「ラフで気取らない魅力」はとても新鮮に写り、いつしか引き込まれるようになった。
なんだろうね、この健康的というだけでは説明しきれない、良い意味で「どこにでもいそうだけど、素敵な子」という感じは。普通のヒロインにはない女らしさに胸ときめくよ。
すげーよかった。ハマる人がいるのも頷ける。
バトルものやスポーツものだと、どうしても対戦や勝ち負けが出てくる。
それで大体の登場人物は勝つために、「苦しい努力」することになる。
対戦においてもガチのバトルものなら命がかかっているし、スポーツものでも何故か人格やプライドといったものがかかってて、真剣勝負になる。
その結果作品全体から「弱いものは否定される」などといった厳しさが発生して、一定の辛さが出来てる気がする。
けいおん!はバトルでもスポーツでもないから、何とも戦わないし、何かを打ち負かしたり否定することはない。また、それをされることもない。
努力に関してもその演出がぬるい。個人の練習はそれなりにしているのかもしれないけど、特に平沢唯が家でしてる練習って多分「苦しい努力」じゃなくて、「好きなことを好きにやる楽しい努力」だよね。
そこからは、「戦わなくても何かを得ることはできる。そのために必要な努力も苦しいものとは限らない」というメッセージを受け取れた。
おそらくここら辺が、俺が今まで見てきたアニメや漫画と違うところなんだと思う。
ただ、二期は「卒業」「進路」「受験」「取り残される梓」などと割と辛い要素も出てきて、緩さと幸福感という意味ではちょっと違う方向だったかな。
よくフィギュアは一つ買うと終わりと言うがあれは本当なんだな・・・。
「平沢唯 が あらわれた!」
「平沢唯 は なかま をよんだ」
「秋山澪 が あらわれた!」
「琴吹紬 が あらわれた!」
「田井中律 が あらわれた!」
「中野梓 が あらわれた!」
「・・・おやっ!?本棚 のようすが・・・!」
「おめでとう!平沢唯 は ニート候補 から 軽音部 にしんかした!」
「ATMは自分の口座から財布に好きなだけ紙幣を追加できる!」
「財布に七万円を追加!!紙幣は希望のフィギュアを召喚できる!」
「歴戦の傭兵エキドナ を召喚!」
「流浪の戦士レイナ を召喚!」
「・・・・・・」
「誰がターンエンド宣言をした?」
「逢坂大河 を召喚!」
「フェイト・テスタロッサ バリアジャケットver を召喚!」
「真希波・マリ・イラストリアス を召喚!」
「アリカ・ユメミヤ を召喚!」
「>はい いいえ」
「それをすてるなんてとんでもない!」
「>はい いいえ」
「なんと 不知火舞(1/5スケール) がなかまになりたそうにこちらを見ている」
「なんと 呂蒙子明(1/4スケール) がなかまになりたそうにこちらを見ている」
「まだだ!まだ終わらんよ!!」
\(^o^)/オワレ
平沢唯ちゃんが誕生日を迎えて、ネット上ではたくさんの人が改めて「けいおんとはどういう物語なのか?」を語っている。
美少女所有願望を充たす為の物語であったり疑似青春体験装置であったり自己投影の対象であったり。恋人の代わり、娘の代わり、友達の代わり、現実よりも愛されている自分、元々手にしてない幸せの代わり。そんな話。
じゃあ私にとってけいおんがどういう物語なのか?っていうと、友達の代わりってのは確かにあると思う。私には律っちゃんに似た友達とムギちゃんに似た友達がいるので、けいおんを観ているとあるあるwってネタが多くて楽しい。
でも、でも、それ以上に私にとっては「終わらない日常を生きていくんだ」って事を理解する為の教材みたいな作品だったと思う。
バンド始めたからって武道館でライブできるわけじゃないし、劇的な何かが起きて人生観がすっかり変わるような事もないけど
毎日楽しく笑って、友達とおしゃべりして、ときどき喧嘩もして、小さな事で失敗して、反省して、友達に慰められて、努力ももちろんして、それで少しずつ成長していって、高校三年間が終わる頃には目を見張るような成長があって
この友達とはずっと友達なんだろうなぁってなんとなくだけど確信してて、そんな信頼があるから勇気が出て、新しい一歩を踏み出していける。
そんな、友達を大切にして、毎日を楽しく過ごす為に努力する事を良しとする人生観を、私はけいおんから学んだ。
と、昨日サウスパークを観ていて考えた。
サウスパークs11e14「The List」という話の中で(以下ネタバレ)、
カイルという少年がクラスのイケメンランキングで最下位にされて、人生に希望が見出せなくなって落ち込んでいると、夢の中にリンカーンが現れてこんな話をするんだ。
「クラスで一番のイケメンに選ばれた子は浮かれて女の子とのデートにばかり夢中になりなんの努力もしなくなり、40を過ぎた頃には美貌も衰えなんの価値もなくなる。でも不細工はそのぶん努力するから大人になった頃には立場が逆転してるよ」
と、ピアノの練習をしている不細工を見せながら言うんだ。
なんか、、、違くない?違うよね?絶対違うよね!不細工がピアノ練習してもあんま意味なくない?ピアノでプロになれる確率なんて天文学的な数字でしょ。プロになれるような才能あれば不細工だろうがイケメンだろうが関係なく練習するよ。
不細工だからとか、好かれないから、そういう負のエネルギーで頑張っても、大人になる頃には挫折するんじゃない?コミュニケーション能力がどうとかいってさ。
コミュニケーション能力ってなんだよ。周りの人間みんな嫌いだったら、嫌われてると思ったら、まともなコミュニケーションなんてとれるわけないじゃん。
だから、さ、不細工で、嫌われてる子供がするべき事は、大人になった時に役に立ちそうな勉強とか特殊技能の習得よりも先に
今、好かれる為の努力をして、友達を作って、人を好きになって、遠い将来に夢を託すのではなく、今の生活を楽しめるように最大限の努力をすること、なんじゃないのかな。
今の生活の延長が将来で、楽しいを作るためには努力が必要。そして、楽しむ事は悪い事じゃない。
こういう事を言ってくれる物語は少ないけど
もしくは、いかにして物語るために構成を必要とし、また必要としなくなったか。
「けいおん!!には物語が無く、その構成とはつまり、ついに物語ることを止めてなお作品であり得ることを示した」
この言説は、正しくもありまた正しくもない。
つまり、どの時点と比較して、何と比較してという点を明らかにしていないから矛盾が生じうる。
まず第一話にて平沢唯がギターを弾いている。それに合わせて主人公達が楽器を持って登校する。
これは前作からの繋ぎであると同時に、その成長を感じさせる。練習は新歓ライブのためのモノだ。
そして最終話は(番外編と銘打たれているが)、中野梓がまたギターを弾いている。
練習は新歓ライブのためのモノだ。それに合わせて主人公達は、楽器を持たず下校する。
非常に明確な代替わりの話であり、また、その前段の担任宅への訪問もそれを連想させる。
つまり、主人公達は居なくなるわけでも、物語が終わるわけでもなく、続いている。
写真を見る山中さわ子は学校に居続けるし、その彼女もまた高校生だった過去がある。
そして、当時のメンバーが訪ねてくる。
主人公達の話の枠外にも時系列が存在し、続いているという強烈なメッセージでもある。
さて、ではなぜこれを物語が無いと言って正当性があると言えるか。
演劇、特に高校演劇では顕著だが、ストーリーテリングにはいくつかの手法が確立されている。
簡単に説明すれば、
これらは誤解を恐れずに平たく言えば「日常には何も起こらない」と言っていることと等しい。
会話劇であって会話が無ければそれは劇ではない。そう言っているわけだ。
ごく当たり前と言える。
(何もない日常を描く場合、大抵それは通常でない人たちを集めた3つめの手法であることが多い。
たとえば究極超人あ〜るの何もない日など)
そう言う意味で、
ストーリーを動かす外部性が無く(イベントは起こるが日常を進める要因ではなく)、
外部性のみで描き出すわけでも無く(場面と場所は設定されているが、起こるのは日常)、
そこにはストーリーテリングが存在しないと言ってしまっても良い。
ここまで敢えて触れなかったが、「テーマ」もしくは「観客の感情を揺らすなにか」が演劇には必須であるとされている。
「何が主題なのか」「喜怒哀楽のどれを意図したモノなのか」が必要であると言われている。
サザエさんやドラえもんは、その環境(場面、キャラクタ)から何かを伝えようとしている。
(これは演劇屋さんによって言うことが違うので、酷く難しい問題ではある。「何を伝えたいか」と言い換えても良い)
ではボーイミーツガールでもなく、社会批判でもなく、人間の愚かさを示すわけでも、爽快感を意図したモノでもなく
「けいおん!!」は何を伝えたいのか。
成長と代替わりをずっと行おうとすることから何を伝えるか。
写真が記録の代名詞として何度も登場することから、そして色味を変えて何度も描き出すことから、それは「郷愁」だと言える。
いや、それは「同調」でも良いかも知れない。「憧憬」かも知れない。
「期待」かも知れないし、「絶望」かも知れない。
そう、過去があり未来がある「高校生活」というある時間と場所を切り出した作品なのだ。
外部性はなく、主張も見えない。
高校というシステムの永続性を描き出して、何も起こらない。
高校という枠の外にも時間軸があり、写真で時間を止めてもそれは切り出した一部であるという明確なメッセージがある。
つまり、一般的な過去の「こうすれば何かを相手に伝えられる」という手法からは逸脱した作品である。
そしてまた、日常生活を丁寧に描くことでそこに思い出と永続性と一時的な時間を同時に表現している。
始まりと終わりがある物語ではなく、始まりも終わりもない物語ですらない。
始まりも終わりも無い桜高軽音部を枠として、その枠の始まりから終わりまでを丁寧に描いた作品。
伝えるために手法を必要としていない、より原初の演劇。
池上彰「今回、なぜ、平野綾さんが恋愛経験を語っただけで騒動になったのでしょうか?ひとりさん分かります?」
劇団ひとり「え~っと 綾ちゃんがアイドル声優だからですか?」
池上彰「正解です。その通りなんですね。では、なぜアイドル声優だから、これ程騒がれるのか解説していきましょう。
キーワードは『アイドル神話の崩壊』です。従来、アイドルと呼ばれる人はトイレにもいかない、虚像的なイメージを持っていたんです。
それが80年代に入り、おニャン子クラブの登場でごくごく普通の女の子がアイドルになって、この神話は崩れました。でも、もうお判りですね。土田さん?」
土田「そのアイドルの代わりに声優さんが、このイメージを持つようになった……」
池上彰「そうなんです。アニメという二次元的なイメージと密接に関わる声優さんは、虚像的なイメージをもたれやすいです。
『声優は最後のアイドルだ』と言う人も少なくありません。彼女たちもこのことをわきまえて、アイドルを演じています。
その筆頭格の一人であった、平野綾さんが恋愛経験を語ったんだから、騒動になるのも当然なんですね」
柴田理恵「ああーなるほどー」
池上彰「いい質問ですね。この騒動で幻滅した平野綾さんのファンは、スフィアの四人に移行すると言われています。
彼女たちは11月に武道館ライブも決定しています。言わば、ノリにノッている声優グループです。
平野綾さんの騒動が彼女たちの更なる起爆剤になることが予想されています」
池上彰「そうなんです。ひとりさん!!いい所に気が付きましたね~
平野綾さんの代表作と言えば『涼宮ハルヒの憂鬱』ですね、彼女のファンの多くはハルヒからファンになったという人も少なくありません。
スフィアで一番人気と言われている、豊崎愛生さんは『けいおん!』の平沢唯役で大ブレイクしました。
土田さん、もう、お判りですね?」
池上彰「そうなんです!この現象は京アニブームの移り変わりを上手く象徴しています」
柴田理恵「じゃ……綾ちゃんはどうなるの?」
池上彰「またまた、いい質問ですね~ 恋愛経験を語ると同性に好かれます。
昨晩の騒動は熱狂的だったファンを減らして、代わりにライトな女性層を獲得する意図があったですよ。
これが成功したかどうかは、これからの彼女の頑張り次第です」
劇団ひとり「いやー、すごくよく分かりました」
池上彰「でも、皆さん、これだけはわかって下さい。演じるということは経験を積むということです。
普通の女性のように恋愛経験が合ったほうが演技に幅が出ると思いませんか?
彼氏が居ても、居なくてもファンは一途に応援しましょうよ」
柴田理恵「そうよね。22歳で恋愛経験が無い方がオカシイわ。アタシだって、綾ちゃん位の歳で彼氏居たわよ~」
池上彰「最後に答えづらい質問が来ちゃいましたね(汗)~
えー喜多村英梨さん、伊藤かな恵ちゃん、花澤香菜たん、スフィアの四人も当然好きですね。
一同「ハハハッ」
池上彰「いや〜でも、それだけ魅力的な声優さんが多いですよ〜 皆さんも好きな声優さんを見つけて素敵なボイスライフを送りましょうね。本日はここまで、ありがとうございました」