はてなキーワード: 上位互換とは
韓国人って韓国に関することだと何でも頭にkをつけて「k-◯◯」と言いがち。
「k-民主主義」。韓国人は民主主義への自負心がめちゃくちゃ強いので、民主主義にもkをつける。
これは、この20年間延々と韓国で作られている「もし現代の韓国が立憲君主題だったら」という設定の作品群のことをそう呼ぶ。こんな言葉が出来るくらい、架空の現代韓国王室(または現代韓国皇室)を舞台にしたドラマやネット小説は数多く韓国国内で作成されているのだ。今年4月からもその設定のドラマが放映されているらしい。
民主主義への自負心を強く抱く一方で、立憲君主制にロマンを抱く韓国人は実はかなり多いようだ。かといって、パフラヴィー朝復活を支持する国民が一定数いるイランとは違って、韓国人は本気で君主制復活を夢見ている訳ではない。朝鮮王朝末期の王族の評判はすこぶる悪い。
この現象、なかなか興味深い。
韓国ドラマで頻繁に登場する財閥の上位互換の存在として立憲君主制の王族にロマンを抱いているのは間違いなくあるだろうが、それだけでもないようだ。
「再召喚された帝国ロマン「皇室復元」チートキーはなぜ不滅なのか」という韓国のWEB記事( 다시 소환된 제국 로망 ‘황실 복원’ 치트키는 왜 불멸하는가 (출처 : 네이버 연예) naver.me/5Z1G82Jl )を読んだら、このあたりの韓国人の心情が分析されていた。
存在しない皇室がコンテンツで絶えず復活する理由は何だろうか。その裏面には美学的憧れだけでなく、現代社会欠乏と叙事的欲望が複雑に絡み合っている。
最初に目立つ要因は歴史的負債感に起因する「代理満足」だ。国権侵奪という痛い歴史は大衆の無意識の中に「私たちがその時強かったら」という仮定を残した。皇室復元物は、堅固な大韓帝国の立地を通じて歴史的「恨」を洗い流すカタルシスを提供する。ここに制服を着た皇太子とシャンデリアがついた景福宮という「K-ファンタジー」美学が加わり、民族的誇りを極大化する。
この件、日本人の立場で興味津々な態度でいるのも何やら無神経だよなぁと我ながら思うので少し言及し辛いが、今後もこの架空の、現代韓国王室が存在する世界線というジャンルの作品は繰り返し作られていきそうだなと思った。
ハメネイ師はじめ国家首脳陣がほぼ米軍に全滅させられてしまったイランのことね。
これまで「無敵の人」という存在は一般的だったし、何かの事件という形で定期的に出現するものだった。
でも無敵の人が何かしらやっても、警察が捕まえて裁判にかけて刑務所に送ることで解決した。
今のイランを見ていると、アメリカ・イスラエルだけでなく、湾岸諸国の民間施設やタンカーを手あたり次第に攻撃している。
イランという国がこのまま滅ぼされるくらいなら、周囲も道連れにしてやる。座して死すつもりはないのだ、と考えているのでは。
秋葉原の加藤や、大阪池田小の宅間みたいなことを、国家レベルでやっている。
こんな手の付けられない「無敵の国」はどうすればいいのだろう。
最近ふと思い立って The Giving Pledge を調べてみたんだけど、まあ、なんというか「やっぱりそういう感じか」という感想しか出てこなかった。バフェットだのゲイツだの、世界の富豪が「財産の半分以上を寄付します」と宣言する、あの有名なやつ。宣言文は立派だし、写真も豪華だし、英語も妙にポエティックで、読んでいると「人類の未来が明るく見える」みたいな気分になれなくもない。が、実際のところはどうなのかといえば、まあ、うん、察してほしい。
まず、あれ、法的拘束力ゼロなんですよね。ゼロ。0%。「やります!」と言ってるだけで、やらなくても誰も困らないし、怒られない。はてな匿名ダイアリーでよく見る「やるって言っただけで偉いと思ってるタイプの人」みたいな話が、世界規模で展開されているだけというか。もちろん、実際に寄付している人もいるんだけど、全体として見ると「宣言したけど特に進捗なし」の人が普通にいる。いや、別にいいんだけどさ。金持ちの人生だし。
しかも、寄付するといっても、だいたい自分の財団に寄付するんですよね。財団って便利で、税金は減るし、資産は自分の影響下に残るし、運用益は増えるし、なんなら子孫に仕事も作れる。これを「慈善」と呼ぶのは、まあ、言葉の使い方としては間違ってないんだけど、なんというか、庶民が想像する「困ってる人に直接お金が届く」みたいなイメージとはだいぶ違う。寄付というより、資産管理の一環というか、節税の上位互換というか。
で、バフェットやゲイツが悪いかといえば、別にそういう話でもない。彼らは彼らで、資本主義のゲームを極めた結果として、こういう形の「善行」を選んでいるだけだと思う。むしろ、何もせずに豪邸でワイン飲んでるだけの富豪よりは、多少なりとも社会に還元しようとしている分、まだマシなのかもしれない。ただ、The Giving Pledge を「世界を変える壮大なプロジェクト」みたいに扱うのは、ちょっと違うよね、という話。
結局のところ、あれは「金持ちが自分のイメージを良くするための宣言」であり、「資産をうまく処理するための仕組み」であり、「なんとなく良いことをしている気分になれるイベント」なんだと思う。別にそれが悪いわけじゃない。人間なんて、誰だって自分のために生きてるし、善意と打算はいつだって混ざっている。ただ、あれを見て「世界は金持ちの善意で救われる!」みたいな気分になるのは、ちょっと純粋すぎる。
まとめるなら、「金持ちが金持ちらしい方法で善行っぽいことをしているだけで、別に世界はそんなに変わらない」という、身も蓋もない結論になる。けれど、そういう冷めた視点を持っておくのも、現代を生きる上では大事なんじゃないかと思う。期待しすぎると疲れるしね。
悪の象徴がヒトラーから別の人物に変わるためには何が必要か、について考えている
ぼんやりと
気分転換に
現代においては一般にヒトラーが引き合いに出されるが、この手の論理的誤謬は、第二次世界大戦以前から存在しており、純粋な悪の代名詞として引用される歴史上の人物は他にもいる[11]。
18世紀から20世紀初頭にかけては、『出エジプト記』のファラオは、歴史上最悪の人物として一般に見られていた[11]。アメリカ南北戦争の前年には、奴隷廃止論者は奴隷所有者のことを現代のファラオと侮蔑していたし、戦争中は南軍の一部でリンカーンのことを「現代のファラオ」と呼ぶ者もいた[11]。ナチスドイツが破れた後でも、ファラオはキング牧師の演説の中によく登場した。イスカリオテのユダやポンテオ・ピラトもまた、純粋な悪人の代名詞的存在であった[11]。しかし、普遍的な価値観としてのヒトラーのような人物は存在せず、地域や時代によって変わっていった。アメリカ独立後の数年間は、アメリカではしばしばジョージ3世が悪人の代表的存在であった。第7代アメリカ合衆国大統領のアンドリュー・ジャクソンは(その王のような独裁的手法を踏まえて)アンドリュー1世と揶揄された[11]。
「聖書に登場する悪」やね
世界……キリスト教社会での普遍的な悪から、非キリスト教社会でも意味が通じる普遍的な悪に更新されたわけか(ヒトラー以前、日本において「悪の象徴」は誰だった?を調べるのも楽しいかもな)
「悪とはこのようなことである、という全世界的に使用できるベンチマーク」が生まれた、と言い換えてもいいか
今の時代、どんなに酷いこと、暴政をしても「ヒトラーの再話」と解釈されるのでは、という感覚
であればずっと、ずーっと、100年後も200年後も絶対悪のアイコンはヒトラーなのか?
(ヒトラーというか、ナチスというか……どちらで考えるべきなのだろうな)
それこそ何か、思いもよらぬ新しい悪を発明しないと絶対悪のアイコンの座は奪えないのかもなあ
被害(被害って何?どう測る?)がナチスのそれより多いとしても、「ヒトラーの上位互換」として語られる悪名になるのかもなあ
「ヒトラーを超えた」みたいな煽りがあったとしても(事実本当に超えたとしても)、依然として基準点はヒトラーである、みたいな
悪を測る原器、ヒトラー原器
与太話は気楽やね
私は例の増田とは別人だが、女の面倒くさいところはもう挙げれてるし割と共感できるので男と付き合った時の面倒くささバージョンを挙げようと思う。
・自分の上位互換(自分の恋人含む)が現れたとわかった瞬間、何らかの手段での妨害するかめちゃくちゃメンヘラになる。その時に冷静にさせようとすると非常に面倒くさい上事が大きくなりやすい。女はオンリーワンという説得法があるだけ楽だし、上位互換の人間を見て足を引っ張る人はあまりいない印象(大事な事だが、例外はある。美醜などの異性からの人気関連になりそうなものを除く。)
・ギバーに見せかけた潜在的なテイカーがめちゃくちゃ厄介。少なくない数いる。決定権や責任を他人にすり替えるが金を出すなど恩を売って発言権だけ持ってるタイプ。このタイプを引いた男も女も酷い目にあってる印象。たまに女にもいるが男に多い印象。中には金あげることだけで尽くしてる愛してると思ってるやつもいる。
・格下認定されるとテコでも言うことを聞かなくなるやつの多さ。それに悪癖を直すにあたっての根気の強さが女子よりも段違いでめんどくさい。
リベラル(古典的自由主義)とリベラル(社会自由主義) と リベラル(特にアメリカ(および日本)での共産主義者や社会主義者の方便)
古典的自由主義が最初にあってそのアンチテーゼとして、社会主義や共産主義がうまれ、また別の流れで古典的自由主義のアンチテーゼとして社会自由主義がうまれた。(いずれも、程度の差はあるが、)社会主義・共産主義も社会自由主義も共に不平等の是正を掲げる。その共通点をもって、社会主義者・共産主義者がリベラルの名称を使用する。
そのプロパガンダで語られるのは「個人は自由であり権利があり、”社会”に強制されない」という文言。
実質的社会主義/共産主義者たちすらも自身をよく見せるために自身をリベラルだと名乗り”自由であり、強制されないのが素晴らしい”と説く。
その思想洗脳を受けた人にとって「リベラル」であるとは”自由であり、社会に強制されない”。
世の中の若者がリベラルであるというのはこの洗脳を受けた結果、古典的自由の残り香の個人の自由や権利を良いものとし、かつ、既に現実の社会が行っている社会自由主義的な部分に古典的な自由と衝突する部分にも特に批判を持たない。みたいな感じ。
フルHDと4K、8Kの比喩は、スペック的に4K、8KはフルHDの上位互換で、たしかにお金を払ってわざわざ買い換えないかもしれないが、無償で交換できるのなら特段拒否しない。
いっぽうで、「自由であり、「社会」に強制されない」のが素晴らしいと感じている人にとって「平等のために個人の自由が制限される」は上位互換ではない
君の言葉からは、真理への渇望ではなく、計算機資源への卑近な最適化への執着しか感じられない。
「GPSが動くから時空は実在する」?笑わせないでくれたまえ。その論理は「デスクトップのアイコンをクリックしたらファイルが開くから、コンピュータの中には小さな書類フォルダーが物理的に実在している」と主張するのと同じレベルのカテゴリー・ミステイクだ。
GPSが機能するのは、一般相対論が「有効場の理論(Effective Field Theory)」として、低エネルギー領域における素晴らしい「近似」だからに他ならない。
僕が言っているのは、その近似が破綻する領域、すなわちプランクスケールにおける存在論の話だ。
君はUIの操作性の良さを、OSのソースコードの正当性と履き違えている。
時空は便利なGUIだと言ったはずだ。GPSはそのGUIが正常に動作している証拠であって、背後のコードが幾何学であることを証明するものではない。
むしろ、ブラックホールの情報パラドックスや特異点において、その「時空」というGUIがクラッシュするという事実こそが、時空が基本的な実在ではないことの決定的な証拠ではないか。
それは量子系が古典的な測定器とエンタングルした結果、波動関数が特定の固有状態に射影されるプロセスだ。
つまり観測とは、無限次元のヒルベルト空間から、君の貧弱な脳が理解できる低次元部分空間への情報の劣化コピーを作る作業だ。
君が言う「検出器のクリック」とは、導来圏の対象が持つコホモロジー的な情報が、実験室という局所的な座標近傍において「事象」として解釈されただけの影だ。
影を見て「実体がある」と叫ぶのは勝手だが、それは洞窟の住人の論理だ。
君は「言い換え」と「否定」を混同していると言うが、それは違う。
古典的な多様体論では特異点で物理が破綻するが、圏論的記述(例えば非可換幾何や行列模型)では特異点は単なる非可換な点の集積として滑らかに記述される。記述能力に差があるのだ。
これは「言い換え」ではない。「上位互換」だ。記述不可能な領域を記述できる言語体系こそが、より根源的な実在に近いと考えるのは科学の常道ではないか。
「実験で区別できるか」と君は問うが、君の貧弱な加速器がプランクエネルギーに到達できないからといって、理論の真偽が保留されるわけではない。
超弦理論が予言する「沼地(Swampland)」条件、すなわち一見整合的に見える有効場の理論のうち、量子重力と整合しないものが排除されるという事実は、すでに現代物理学に巨大な制約を与えている。
これが予測でなくて何だ?君は「新しい粒子が見つかるか」といった三次元的な興奮を求めているようだが、真の予測とは「どの理論が存在を許されるか」というメタレベルの選別だ。
壁越え公式(Wall-crossing formula)が数え上げ不変量の変化を正確に予言し、それが物理的なBPS状態の生成消滅と一致すること、これこそが「実験」だ。
数学的整合性という実験場において、時空モデルは敗北し、圏論モデルが勝利している。
それを「ポエム」と呼ぶなら呼べばいい。
だが、アインシュタイン方程式が特異点で無限大を吐き出して沈黙するとき、その先を語れるのは僕の言う「ポエム」だけだ。
君がGPSの精度に満足してカーナビを眺めている間、我々はホログラフィー原理を用いて、ブラックホールのエントロピーを数え上げている。
エネルギー保存則は時間並進対称性という「帳簿の整合性」から導かれるネーターの定理だ。
物理量とは本質的に保存量、つまり会計上の数字だ。宇宙は巨大な分散台帳であり、物理法則はその監査プログラムに過ぎない。
君が言う「物理的実在」こそが、脳が作り出した幻覚、すなわちユーザーイリュージョンなのだ。
最後に言っておく。観測と予測がすべてだと言うなら、君はプトレマイオスの天動説も否定できないはずだ。なぜなら周転円を十分に増やせば、天動説は惑星の軌道を完璧に「予測」し、観測と一致するからだ。
しかし我々が地動説(ニュートン力学、そして一般相対論)を選ぶのはなぜか?
それは「構造として美しいから」であり、より少ない原理でより多くを説明できるからだ。
時空という複雑怪奇な周転円を捨て、圏論という太陽を中心に見据えたとき、宇宙のすべての相互作用は、極めてシンプルな図式の可換性として記述される。
これを「解釈の違い」と片付けるのは、知性の敗北だ。
いや、俺別に高市好きなわけじゃないけど、現況下で一番仕事できそうなの高市じゃん。仕事してるし。
だけど嫌いだから自民には入れられないわけだよ。そうすると悩むわけだ。
立憲はさ、割と議席持ってて自民と二大政党制まで行けそう。今度こそ!って思ったけど、論戦しようと思ったら自民に対する攻撃になっちゃったね。譲れないところもあったんだろうけど高市政権が見た目の軸足を国家・日本国の未来みたいなとこに置くもんだから、国民の目からしたら立憲が反逆者みたいなイメージになっちゃった。そこへきて窮余の策だったのか公明との野合ですよ。創価には投票できないです。陽に創価なんで。暗に統一教会とは違うのよ。創価は支持できない。無理。終了。立憲の政策とかじゃないの。創価無理終了。
社民、みずぽ無理。もう面白くもない。気持ち悪い。社民ってなんか質実剛健なイメージ(土井たか子による)あったけど霧散した。
共産、高齢化して立候補減っちゃった。小選挙区にも候補いなくなって、もうダメだよ。
れいわ、人気なくなって先鋭化しちゃった。終わり。3年前、参政党が出てくる前は、自民に入れられない立憲も無理なポワポワ層の受け皿だったけど、そういう人たちは雰囲気に敏感なので切り捨てられてしまった。無惨。
参政党、頑張ってるけど高市以前の政権批判で大きくなった政党で、高市が上位互換になってしまったから無意味になってしまった。れいわからの流れはもらってるけどやっぱり怪しいので、ポワポワした人たちは入れられないよね。バカの野合だし。神谷バカそうだし。仕事できなさそうだし。
日本保守?いやあれは一定のファンに対するサービスですね。原口さんも同じ。ファンサ。
国民民主、方向性が高市さんと同じだからねぇ。自分たちを律してる立憲。参政の神谷よりは頭良さそう。仕事できそう。対抗軸になれるかね。どうだろうね。まぁ、消去法で考えたら残る。残るけどまだ弱小だから候補者の質が悪い。辛い。
という状況下のチームみらい。高学歴、技術強そう、仕事できそう。若い。他の政党に入れるくらいなら、まぁ頑張れ。
俺はチームみらいが候補者擁立しなかったので小選挙区は国民に入れた。自民は嫌いだけど、創価に票入れられない。参政党には投票できない。共産は候補者いない、社民・日本保守・れいわは論外。比例はチームみらい。
結果見ると、同じような感じの人いたんだろうなと思った次第。
数学とか物理で歴史に名が残ってるレベルの人たちだと、そういう人たちが存命中でかつ複数いたときに、ある基準で比べたら定量化可能でそういう意味でどっちの方が賢いとか比べることもできたかもしれないけど、実際はそんなこと当時でもしてないだろうなって思うじゃん。それぐらい賢い人達になると「どっちもすごい。オンリーワン。」で終わる。
(といってもたとえばニュートンはドモアブルを数学において自分より優れていると認めていた話があるが)
んでひるがえって現代において東大に行くとだいたい必ず自分より上位互換がいて劣等感を持つって話があるじゃん?
つまりその程度の賢さだと自分や周りは「あなたはあなたでオンリーワンに賢いところがある」って認知ではなくあくまで比較可能だとみなされるってことだよね。
じゃあオンリーワンだと認識されるその下限ってどのあたりなんだろうって話なんだよ。
dorawiiより
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