義母、退院決定! - 2018.06.30 Sat
My 56th.birthday - 2018.06.23 Sat
あなたと手をつなぐこと - 2018.06.21 Thu
おかげさまで、
義母の容態は日に日に良くなっている。
私は、大抵仕事帰りに病院に顔をのぞかせるのだが、
毎日病院に行くたびによくなっているのが分かる。
義母の表情も日に日に明るくなり、病室から高らかな笑い声も聞こえるようになった。
日曜日のことだ。
その日はまだ入院して間も無く、
義母は元気がなかった。
その日の午後、付き添いを義父と代わり、妻と一緒に私の靴を買いに行った。
あれこれ靴を見て回りながら妻を見ると、表情が固い。
義母の様子を見て、ふと不安を感じたようだった。
私は、「この靴どうかね。」とか、
「これ、候補に入れとこう。」とか、
妻に話しかけてみた。
妻は、にこやかに返答するのだが、
どうも無理してるように見えた。
「おばあちゃん(義母)のこと、心配?」
すると、
妻はこっくり頷いた。
私は、
どんな言葉をかけてやったらいいのか、
そして、妻の不安をどう処理してやったらいいのか、
さっぱり言葉が見つからず、
何をどうしていいのかも考えが及ばず、
・・・・・・・・・
咄嗟に・・・・・・
妻と手をつないだ。
・・・それからしばらく、
妻と手を繋いだまま店の中を歩いた。
客も店員もそこにはいなかったからできたことだ。
家に帰ると、真っ先にそのことを感謝された。
「手を繋いでくれてありがと。」
谷川俊太郎の作品に「生きる」という詩がある。
この詩の中に「あなたと手をつなぐこと」という一節がある。
手をつなぐこととは、「生きる」ということ。
「あなたの手のぬくみ」を感じることこそが「命」ということ。
その詩は、
日常、芸術、生きているという瞬間、自然、小さなカタツムリ、
様々なものから「生きているということ」「今生きているということ」に想いを馳せながらも、
最後は、「手のぬくみ」に「いのち」を感じさせて終わっている。
肌と肌が触れ合うことは、
生きることにとってとても大切なことかもしれない。
生きているということは、人の温もりを感じられるということなのかもしれない。
たとえ心臓が動いていても、
たとえ呼吸をしていても、
「あなたの手のぬくみ」を感じられなければ、
「生きている」とは言えないのかもしれない。
肌と肌との触れ合いは、
言葉や表情以上に深い想いを伝える。
何も言わず、ただ手をつないでいるだけで、
人の心は安らぎ、人の思いを受け取ることができる。
そんなことを、
あの日からずっとずっと考えている。
「あなたと手をつなぐこと」
今、この無能な隊長が唯一妻にしてやれることなもかもしれない。
(「 」内の言葉は谷川俊太郎の詩「生きる」より引用)
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義母の容態は日に日に良くなっている。
私は、大抵仕事帰りに病院に顔をのぞかせるのだが、
毎日病院に行くたびによくなっているのが分かる。
義母の表情も日に日に明るくなり、病室から高らかな笑い声も聞こえるようになった。
日曜日のことだ。
その日はまだ入院して間も無く、
義母は元気がなかった。
その日の午後、付き添いを義父と代わり、妻と一緒に私の靴を買いに行った。
あれこれ靴を見て回りながら妻を見ると、表情が固い。
義母の様子を見て、ふと不安を感じたようだった。
私は、「この靴どうかね。」とか、
「これ、候補に入れとこう。」とか、
妻に話しかけてみた。
妻は、にこやかに返答するのだが、
どうも無理してるように見えた。
「おばあちゃん(義母)のこと、心配?」
すると、
妻はこっくり頷いた。
私は、
どんな言葉をかけてやったらいいのか、
そして、妻の不安をどう処理してやったらいいのか、
さっぱり言葉が見つからず、
何をどうしていいのかも考えが及ばず、
・・・・・・・・・
咄嗟に・・・・・・
妻と手をつないだ。
・・・それからしばらく、
妻と手を繋いだまま店の中を歩いた。
客も店員もそこにはいなかったからできたことだ。
家に帰ると、真っ先にそのことを感謝された。
「手を繋いでくれてありがと。」
谷川俊太郎の作品に「生きる」という詩がある。
この詩の中に「あなたと手をつなぐこと」という一節がある。
手をつなぐこととは、「生きる」ということ。
「あなたの手のぬくみ」を感じることこそが「命」ということ。
その詩は、
日常、芸術、生きているという瞬間、自然、小さなカタツムリ、
様々なものから「生きているということ」「今生きているということ」に想いを馳せながらも、
最後は、「手のぬくみ」に「いのち」を感じさせて終わっている。
肌と肌が触れ合うことは、
生きることにとってとても大切なことかもしれない。
生きているということは、人の温もりを感じられるということなのかもしれない。
たとえ心臓が動いていても、
たとえ呼吸をしていても、
「あなたの手のぬくみ」を感じられなければ、
「生きている」とは言えないのかもしれない。
肌と肌との触れ合いは、
言葉や表情以上に深い想いを伝える。
何も言わず、ただ手をつないでいるだけで、
人の心は安らぎ、人の思いを受け取ることができる。
そんなことを、
あの日からずっとずっと考えている。
「あなたと手をつなぐこと」
今、この無能な隊長が唯一妻にしてやれることなもかもしれない。
(「 」内の言葉は谷川俊太郎の詩「生きる」より引用)
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妻の病室レポート - 2018.06.17 Sun
義母が腰痛で、近くの総合病院に入院した。
この病院、本来は夜間の付き添いは禁止なのだが、
義母が不安がるので、特別に義父と妻が交代で病室に泊まって看病することになった。
とはいえ、
腰痛は次第に回復し、
義母も夜は熟睡できるようになって一安心である。
後は、しばらくリハビリに励んで、
ある程度、日常生活が送れるまでに回復したら退院だそうだ。
昨夜は、妻が付き添った。
妻は、その様子を逐一ラインでレポートしてくれる。
今朝、ラインを開くと、妻からこんなコメントが・・・。
「おばあちゃん(義母)は静かに寝てるけど、自動車工場が操業を開始するぞー」21:25
・・・消灯後、病室の外から、患者さんのいろんな声が聞こえてくるらしいのだが、
その声が凄まじいらしい。
「キュルキュルキュルキュル・・・」
「ギュルルるるるるる・・・」
「をををををををををををををををををををを・・・」
「よーーーい!よーーーい!よーーーーい!!!」
どう聞いても機械の音に聞こえるそうだ。
それは、あたかも自動車の工場がフル稼働しているかのよう、と妻は言う。
そして、
ラインに、妻はこう付け加えていた。
「その声を聞いてると、『おじいちゃん、おばあちゃん、頑張れ!』って言いたくなっちゃうよね。」
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俺は隊長 - 2018.06.16 Sat
義母が腰痛で数日間入院することになった。
妻は朝から病院に行っている。
私は、休日だが仕事に行き、
畑を耕して帰ってきた。
帰宅後しばらく休んで、
昼過ぎに妻にtel。
たけ:
「おお。お母さん、今から病院に行くよ。何かいるもの、ない?」
妻:
「くる途中でマッ○ス・○リューに寄って、『トップ・○リューの500mlの麦茶、49円のやつ3本買ってきて。」
・・・いつもながら、妻の注文は的確で細かい。
家を出ようとすると、玄関に、
っていう張り紙が。
「隊長」と「せんたくのとりこみ」。
二つの言葉のイメージのギャップに思わず苦笑いした。
それから病院に、麦茶とiPadを持って行って、
義母にグーグルアースを見せてあげた。
これが今日のTEAMたけ隊長の仕事。
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