パコ・デ・ルシア - 2010.07.30 Fri
上の画像は、先日福岡のキャナルシティーに行った時、携帯で撮影したもの・・・を、「例の」ソフトでミニチュア化したものである。キャナルシティーの広場で突然フラメンコのショーが始まった。だが、私が食い入るように見たのは、意外にも綺麗なおねいさん達のダンスではなく(!)、ひげを生やしたいかつい、フラメンコのギタリスト。やっぱ、上手かった。
たけは、大学時代クラブでクラシックギターをかじった。もっぱらバッハの曲ばかりを弾いていたが、ほんとにやりたかったのは、っていうより、ほんとに憧れていたのは、「フラメンコギター」だった。これは、いわゆるクラシックギターとは全然違う、卓越したテクニックが必要である。「こりゃ無理だ。」と早々に見切りをつけたのだが、やはり、私にとっての憧れは、今もフラメンコギターである。
フラメンコギターのギタリストには詳しくはないのだが、たぶんもっとも有名なギタリスト、パコ・デ・ルシアの演奏を。
オーレ!!
福岡で久々に生のフラメンコギターの演奏を聴き、感激したたけは、妻と娘を引き連れ、ギタリストのお兄さんに握手をしてもらいに行ったのだった。
暑中見舞い - 2010.07.29 Thu
尾張名古屋は城でもつ - 2010.07.28 Wed
テンプレートを変えてみた - 2010.07.26 Mon
テンプレートを変えてみた。トップ画像のギミックが面白くて。
使用したイラストに特に意図はないんだけど、大きさが近かったので使ってみた。
へん???
使用したイラストに特に意図はないんだけど、大きさが近かったので使ってみた。
へん???
早くも夏バテ??? - 2010.07.25 Sun
夏バテだろうか、食欲が出ない。
夏バテだろうか、水物ばかりが欲しくなる。
夏バテだろうか、体がだるい。
夏バテだろうか、胃もたれがする。
夏バテだろうか、気力が出ない。
夏バテだろうか、力が入らない。
夏バテだろうか、一日中ゴロゴロしている。
夏バテだろうか、明日は焼き鳥が食べたいな。
夏バテだろうか、小遣いがもうちょっと欲しい。
夏バテだろうか、そろそろ車を買い替えたい。
夏バテだろうか、ついでに新しいパソコンが欲しい。
夏バテだろうか、今日は妻が美しく見える・・・。
夏バテだろうか、水物ばかりが欲しくなる。
夏バテだろうか、体がだるい。
夏バテだろうか、胃もたれがする。
夏バテだろうか、気力が出ない。
夏バテだろうか、力が入らない。
夏バテだろうか、一日中ゴロゴロしている。
夏バテだろうか、明日は焼き鳥が食べたいな。
夏バテだろうか、小遣いがもうちょっと欲しい。
夏バテだろうか、そろそろ車を買い替えたい。
夏バテだろうか、ついでに新しいパソコンが欲しい。
夏バテだろうか、今日は妻が美しく見える・・・。
夏の思い出 2006 - 2010.07.25 Sun
暑くて・・・。 - 2010.07.24 Sat
続 た、たわん・・・。 - 2010.07.24 Sat
学生時代、バイトで働いていた「角屋」。
もちろん調理などできるわけがないから、私の仕事は、お客の注文をとったり料理を運んだりする、いわゆるウェイターの仕事だった。
その日は、2階で宴会があり、店はぶち(とっても)忙しかった。私も普段はウェイターだけやっとけばよかったのだが、この日ばかりは、皿を洗ったり、盛り付けをしたり、酒の燗をつけたりと、日頃しない仕事をさせられた。
忙しさがピークの時、店のマスターが、
「おい、兄ちゃん。この皿、奥の棚の一番上に片付けときや。」
と、14~5枚の皿を指差した。
「はい。」と返事をして、厨房の奥の戸棚に皿を持って行くと、戸棚の一番上の段は私の背がとどくかどうか微妙な高さだった。
ちょっと心配だったけど、大丈夫だろうとたかをくくって、15枚ほどの皿を両手で頭の上に持ち上げ、食器棚の一番上の段に載せようと、つま先立ったのだが・・・。
ギリギリだった・・・。
ちょっとでもかかとを下ろそうものなら、15枚の皿はバランスを失って落っこちてしまう。しかも、皿は、棚の上に中途半端に乗っかってしまい、奥に押し込むわけにも行かず、かといって、下におろすわけにも行かない状態になってしまった・・・。
つま先立って、身動きが取れなくなった私・・・。
その時口を突いて出てきた言葉が「たわん。」であった。
棚まで背がとどかない、という意味である。
私は、つま先立ちの「万歳ポーズ」のままで、
「マ、マスター! た、たいません・・・。」(マスター、背がとどきません。の意)と大声で叫んだのだが、
マスターも他の従業員も私に背を向けて、忙しそうに働いている。
「マ、マスターアア! 背がたわん! たいません!!」
もう一度言うと、マスターは振り向きもせず、
「何ゆーとんねん。はよしいや。」
と一言。
も、もう限界・・・。
ギリギリに爪先立った足も、筋肉が引きつりそうになるほど伸ばした腕も、も、もう限界だった。
「マ、マスター・・・。助けて・・・。」
その言葉に振り向いたマスター。
「な、何やっとんねや!!にーちゃん!!」
はじめて、何が起きていたかに気付いて、マスターは大声を張り上げたが、
時すでに遅く、その声と同時に私の頭上の15枚の皿は、私の頭の上をかすめながら落下していった。
ガシャーン・・・。
気付くと私の背後の床には、粉々に砕けたお皿が・・・。
その後、私はマスターに首根っこをつかまれ、店の裏口に引っ張り出され、「おおくじ」をくられた。
「にいちゃん。何でもっとはように言わへんねん。」
いや、私は何度も言ったのである。
「背がたわん。」・・・って。
当然その月のバイト代からは、私が割った皿の代金分が引かれていた・・・。
今では懐かしいトホホ話である。
た、たわん・・・。 - 2010.07.23 Fri
「秘密のケンミンショー」っていうテレビ番組が好きである。といっても、帰宅時刻の関係でそんなに見られはしないのだが・・・。山口県民の私にとって、他の都道府県の風習とか、言葉とか、そんなものにびっくりさせられることが多い。逆に自分では常識だと思っていたことが実は山口県でしか通用しないことだったりすると、とても不思議に感じたりする。
「幸せます」(しあわせます)という言葉がある。
「~していただくと幸せます。」などというふうに使う。「~していただくとありがたい。」「~していただきたい。」という意味。
これ、標準語だと思っていた。違っていた。方言であった。
山口県の方言で、有名なのは「のんた」っていう言葉だろうか。けど、他にも変わった山口弁はいくらでもある。
・いぬる・・・帰る
・えらい・・・しんどい、つかれた
・きっぽ・・・傷跡
・きびる・・・(紐などを)くくる
・くじをくる・・・叱る、怒る
・おおくじをくる・・・激しく叱る
・ぶち・・・とっても
(以上、「山口弁講座」より一部抜粋)
ところで、私は大学生時代、方言を方言と知らずに失敗したことがある。その言葉は、「たう」という言葉。いったいどういう意味か分かるだろうか?
実は、この言葉、標準語では「とどく」という意味の言葉である。ただし、「(手紙が)届く」という意味では使わない。主に「背が」とどくという意味で使うことが多い。「とどく」は「たう」、「とどかない」は「たわん」と言う。私は、この「たう」が標準語だと信じていたばっかりに失敗してしまったのだ。
私は、その頃、大阪の淡路っていうところでバイトをしていた。2階が宴会用の座敷、1階は、寿司カウンターとテーブルのある、「角屋」という店である。(数年前久しぶりに「淡路」に行ってみたが、もう潰れていて、別の店になっていた。まあ、25年も経っているんだから仕方ない。)・・・つづく・・・
「幸せます」(しあわせます)という言葉がある。
「~していただくと幸せます。」などというふうに使う。「~していただくとありがたい。」「~していただきたい。」という意味。
これ、標準語だと思っていた。違っていた。方言であった。
山口県の方言で、有名なのは「のんた」っていう言葉だろうか。けど、他にも変わった山口弁はいくらでもある。
・いぬる・・・帰る
・えらい・・・しんどい、つかれた
・きっぽ・・・傷跡
・きびる・・・(紐などを)くくる
・くじをくる・・・叱る、怒る
・おおくじをくる・・・激しく叱る
・ぶち・・・とっても
(以上、「山口弁講座」より一部抜粋)
ところで、私は大学生時代、方言を方言と知らずに失敗したことがある。その言葉は、「たう」という言葉。いったいどういう意味か分かるだろうか?
実は、この言葉、標準語では「とどく」という意味の言葉である。ただし、「(手紙が)届く」という意味では使わない。主に「背が」とどくという意味で使うことが多い。「とどく」は「たう」、「とどかない」は「たわん」と言う。私は、この「たう」が標準語だと信じていたばっかりに失敗してしまったのだ。
私は、その頃、大阪の淡路っていうところでバイトをしていた。2階が宴会用の座敷、1階は、寿司カウンターとテーブルのある、「角屋」という店である。(数年前久しぶりに「淡路」に行ってみたが、もう潰れていて、別の店になっていた。まあ、25年も経っているんだから仕方ない。)・・・つづく・・・
再び、古賀春江 - 2010.07.21 Wed
3連休最後の月曜日、久留米の石橋美術館に行った。古賀春江の展覧会を見に。古賀春江については、2,3の代表作を知っているだけで、あまり知識はない。だが、日本のシュルレアリスムを代表する人だから、一度は見ておきたかった。
行ってみて驚いたのは、色んな種類の絵があったこと。初めからシュールな作品を作っていたわけではなかった。セザンヌ風、ピカソ風、ブラック風、パウル・クレー風・・・。ほんとに上手に描いてるなあとは思った。でも・・・。
学の浅い私なんぞが、こんなことを言っちゃいけないんだろうけど、それらはみんな「借り物の絵」にしか見えなかった。セザンヌ風の色使い。構成。でも、それは、セザンヌの絵の女性が和服を着ているに過ぎず、ピカソの描くふくよかな女性の顔立ちが日本人っぽいだけに過ぎないと感じた。(単に私に絵を見る力がないからなのかもしれない。たぶんそうであろう。)
図録を買い求め、帰りの新幹線で解説を拾い読みした。
彼の画風の変化は、「カメレオン」に例えられたそうである。めまぐるしく画風を変え、色んな画家の表現をしてきたからだ。それぞれよくできているけれども、なんだか模倣に過ぎないような印象を受ける。あくまで、鑑賞のスキルの足りない、素人の私の印象なんだけど。正直なところ、あまり感動できなかったのである。
靉光もゴッホ風や印象派風?の油絵を残している。だが、どんな画家の技法に影響されても、その作品には、確かに靉光の絵だと納得させられる、強烈な個性があった。古賀の絵からはそれを感じなかった。だが、一方、彼のシュルレアリスム作品はやっぱりよかった。
古賀春江は、精神を患い、38歳の若さでなくなった。人と付き合うことを避けるようになり、その頃まだ珍しかった飼い犬のブルドッグだけが心を開ける相手だったという。古賀が様々な画家に影響を受け、まるでカメレオンのように、様々な表現を志向したのは、「自分」を表わすものを探し続けていたからなのかもしれない。そして、シュルレアリスムも、「行き着いたところ」ではなかったのかもしれない。最後の最後まで求め続けて、それでもまだ「答え」は出ていなかったのかもしれない。
「自分」という答えである。
↑題名は、調べるのが面倒なので省略。