いわゆる「残業代ゼロ制度」、もう一つの視点
1.労働市場の流動化は好ましいことか
5月の東京都社会保険労務士会の発行する会報には、「中途採用者の採用と処遇」という特集記事が掲載されておりました。戦後の我が国の労働市場の大きな流れについて、終身雇用及び年功序列などの日本型雇用制度と呼ばれるものが確立されていきましたが、バブル崩壊後の長期不況やリーマン・ショックを経て、多くの企業は新卒者を一から育て上げるだけの余裕を失い、労働者からは一社に勤め上げればそれなりに報われるという価値観が徐々に失われているとの現状分析がなされています。こうなると、労働者は、専門技術を身につけて、よりやり甲斐のある仕事を求めて会社を渡り歩くことも一つの有力な選択肢になりますし、むしろキャリア形成の観点からは望ましいことであるという意見が当然に出てきます。このような傾向は、短期的に成果を上げるために即戦力を求める一部の経営者にとっても、好ましい変化のようです。
そのような労働市場動向に関する一般的な受け止め方を前提に、中途採用に関する特集記事が組まれることになったのでしょうが、敢えて異論を挟むとすれば、上記のような一部の職人やプロ野球選手のような専門技術をたてに会社を渡り歩くような労働者は、やはり例外扱いされなければならず、集団組織の中で自分の専門技術を生かし、磨いてゆき、同僚達との協力の中で長期的に会社に貢献するということがあくまで原則なのではないかということです。もちろん、技術革新の速度が増し、企業間競争が益々国際化してきている昨今、長く一社に勤めたいという本人の意思とは無関係に転職を余儀なくされる場合も多くなっている状況は推察されますが、それでも働き方の原則と例外を履き違える誤解は、できる限り排除した方が良いのです。
2.成果に基づく賃金制度の導入
今回俎上に上せられたいわゆる「残業代ゼロ制度」ですが、時間ではなく成果によって賃金を決定する制度とされています。まず、米国流の純粋な成果給制度はもちろんのこと、ここ数年試みられてきた成果給的な制度の多くは、我が国においてはほとんどの場合大した成果を上げることができなかったのではないでしょうか(無理やり賃金を引下げるという意味において、それなりに成果はあったのかもしれませんが)。
その第一の理由は、日本の労働者の一般的な働き方が、職務内容を契約で詳細に定めて、決められたことだけをやるという欧米流とは異なり、かなり広範囲で曖昧模糊とした内容について責任を負う仕組みであるため、定量的な評価に馴染みにくいということがあったと思われます。第二に、一人でできることが限られているという点は、日本も欧米も同じことですが、我が国の場合、様々な関係者に根回しを行い、協力して一つの仕事を仕上げるという傾向が強く、このような慣行も一人ひとりの成果を正確に評価することを難しくしていたと思われます。
要するに、伝統的な日本の会社の働き方では、超人的な成果を上げる個人は生まれにくかったのかもしれませんが、より多くの構成員が会社の事業に参画し、それなりに会社に貢献する仕組みになっていて、本来の自分の仕事ではない他者や他部署との境界にある仕事まで、必要に応じてこなされてしまうというものでした。
欧米流の仕事の流儀からすれば、何かすっきりしない、無駄が多いといった指摘はできるかもしれませんが、従業員が納得して仕事をしている限りにおいて、組織としては余裕があり、柔軟で組織としての強さが発揮できる仕組みではなかったかと見ることもできます。
新聞記事によれば、今回、成果に基づく賃金制度の対象とされるのは、為替ディーラー、資産運用担当者、経済アナリストなどの世界レベルで通用するような人材に限定する方針(厚労省案)とのことですが、産業競争力会議案では、(1)企業の各部門で中核・専門的な人材、(2)将来の管理職候補など、より対象者を拡げる考えが示されています。いずれにせよ、ごく一部の例外にとどめるべき成果に基づく賃金制度の適用を今後一般化していくことについては、成果給制度導入での失敗に見られたような点、すなわち我が国の労働慣行や労働者の意識の中にあった本質的な強みをさらに薄めてしまうおそれがあることを、この際認識しておくべきだと思うのです。
5月の東京都社会保険労務士会の発行する会報には、「中途採用者の採用と処遇」という特集記事が掲載されておりました。戦後の我が国の労働市場の大きな流れについて、終身雇用及び年功序列などの日本型雇用制度と呼ばれるものが確立されていきましたが、バブル崩壊後の長期不況やリーマン・ショックを経て、多くの企業は新卒者を一から育て上げるだけの余裕を失い、労働者からは一社に勤め上げればそれなりに報われるという価値観が徐々に失われているとの現状分析がなされています。こうなると、労働者は、専門技術を身につけて、よりやり甲斐のある仕事を求めて会社を渡り歩くことも一つの有力な選択肢になりますし、むしろキャリア形成の観点からは望ましいことであるという意見が当然に出てきます。このような傾向は、短期的に成果を上げるために即戦力を求める一部の経営者にとっても、好ましい変化のようです。
そのような労働市場動向に関する一般的な受け止め方を前提に、中途採用に関する特集記事が組まれることになったのでしょうが、敢えて異論を挟むとすれば、上記のような一部の職人やプロ野球選手のような専門技術をたてに会社を渡り歩くような労働者は、やはり例外扱いされなければならず、集団組織の中で自分の専門技術を生かし、磨いてゆき、同僚達との協力の中で長期的に会社に貢献するということがあくまで原則なのではないかということです。もちろん、技術革新の速度が増し、企業間競争が益々国際化してきている昨今、長く一社に勤めたいという本人の意思とは無関係に転職を余儀なくされる場合も多くなっている状況は推察されますが、それでも働き方の原則と例外を履き違える誤解は、できる限り排除した方が良いのです。
2.成果に基づく賃金制度の導入
今回俎上に上せられたいわゆる「残業代ゼロ制度」ですが、時間ではなく成果によって賃金を決定する制度とされています。まず、米国流の純粋な成果給制度はもちろんのこと、ここ数年試みられてきた成果給的な制度の多くは、我が国においてはほとんどの場合大した成果を上げることができなかったのではないでしょうか(無理やり賃金を引下げるという意味において、それなりに成果はあったのかもしれませんが)。
その第一の理由は、日本の労働者の一般的な働き方が、職務内容を契約で詳細に定めて、決められたことだけをやるという欧米流とは異なり、かなり広範囲で曖昧模糊とした内容について責任を負う仕組みであるため、定量的な評価に馴染みにくいということがあったと思われます。第二に、一人でできることが限られているという点は、日本も欧米も同じことですが、我が国の場合、様々な関係者に根回しを行い、協力して一つの仕事を仕上げるという傾向が強く、このような慣行も一人ひとりの成果を正確に評価することを難しくしていたと思われます。
要するに、伝統的な日本の会社の働き方では、超人的な成果を上げる個人は生まれにくかったのかもしれませんが、より多くの構成員が会社の事業に参画し、それなりに会社に貢献する仕組みになっていて、本来の自分の仕事ではない他者や他部署との境界にある仕事まで、必要に応じてこなされてしまうというものでした。
欧米流の仕事の流儀からすれば、何かすっきりしない、無駄が多いといった指摘はできるかもしれませんが、従業員が納得して仕事をしている限りにおいて、組織としては余裕があり、柔軟で組織としての強さが発揮できる仕組みではなかったかと見ることもできます。
新聞記事によれば、今回、成果に基づく賃金制度の対象とされるのは、為替ディーラー、資産運用担当者、経済アナリストなどの世界レベルで通用するような人材に限定する方針(厚労省案)とのことですが、産業競争力会議案では、(1)企業の各部門で中核・専門的な人材、(2)将来の管理職候補など、より対象者を拡げる考えが示されています。いずれにせよ、ごく一部の例外にとどめるべき成果に基づく賃金制度の適用を今後一般化していくことについては、成果給制度導入での失敗に見られたような点、すなわち我が国の労働慣行や労働者の意識の中にあった本質的な強みをさらに薄めてしまうおそれがあることを、この際認識しておくべきだと思うのです。
2014年05月30日 18:00 | 人事労務