2012.06.15 「ふじみ分水の森」
八ヶ岳山麓の四季 73 

小口隆三 


八ヶ岳山麓も梅雨に入り、雨天、曇天の下で木々の緑色が日々濃くなっています。私が住む富士見町(長野県諏訪郡。人口約15000。)は八ヶ岳連峰の西南麓(標高1000m前後)にあります。大都会に比べて、生き生きとした緑、きれいな空気、美味しい水、少ない騒音等々、街中(まちなか)の自然環境には恵まれている方だと思います。
その富士見町に今年4月、「ふじみ分水の森」(ぶんすいのもり)という、自然の地形を生かした、いわば自然公園的な場所ができました。そこへ行くと街中の自然環境とは一味ちがった「森林の空気」とでもいえるような澄んだ雰囲気が広がっていて、森の生態系の中に自分自身が入り込んだ気分になれます。拙宅から徒歩10分ということもあってたいへん気に入り、ちょっとした森林浴気分にひたりながらゆったりとウオーキングをしています。

「分水の森」整備の基本的コンセプトは、「樹木が成長して森が自然な形に整っていくのを今後数年かけて見守りながら慎重に間伐、遊歩道作りなどの手を入れていく」というものです。いわば時間の経過とともに変わっていく森の姿を大切に見守りながら整備していくのだともいえます。したがって目下は整備途上にあるのですが、トイレ(清潔な水洗式)と駐車場(30台分)の整備は終わっています。
「分水の森」の広さは約5ヘクタールで、外周にぐるりと総延長800mの遊歩道が通っていて、一周約10分間の歩行時間です。また林の中にもいくつかの小道が通っていて、小鳥の囀りを聞きながら静かな散策を楽しめます。遊歩道(小道)には間伐した樹木をチップにして敷き詰めてあるのでクションが利いて歩きやすく、雨が降ってもぬかるみません。勿論車類はまったく入ってきませんから安心して伸び伸びと歩けます。

「分水の森」になっている場所を地元の人たちは「渡辺別荘」と呼んでいました。昔ある人(渡辺家)が多額の相続税のために物納。国有地としてかれこれ50年間ほど放置されていたものを富士見町が国から買い取り、自然公園的な場所にするように整備を進めているのですが、ここに至るまでのさまざまなエピソードはいずれ折に触れて紹介したく思っています。

今後「ふじみ分水の森」に注目して写真に撮りながら、移り変わる森の姿を見守り、報告したいと思います。地味な写真に終始すると思いますが、この「八ヶ岳山麓の四季」に時折登場させることをご了解ください。
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写真(1)
外周遊歩道の一部です。左側の林は今後時間をかけて間伐する予定。


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写真(2)
外周遊歩道の一部。


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写真(3)
林の中の小道。

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写真(4)
間伐後の林に光が射し込んでいます

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写真(5)
林の中の開けた部分です。

写真をクリックすると拡大されます。
撮影年月日:2012年6月3日、4日
撮影場所 :長野県諏訪郡富士見町「ふじみ分水の森」にて
2012.03.28  彼岸の頃の甲斐路
八ヶ岳山麓の四季 72

小口隆三 

各地からは、厳しかった寒さの影響で花が咲くのが遅れている、との話が伝わってきます。例年ですと諏訪地方でも日当たりのよい所ではそろそろ白梅が咲き始めるのですが、今年はまだその気配はなくて、もうしばらくは辛抱しなければならないようです。
そこで思い切って諏訪よりも早く春が来る甲斐路(甲州・山梨県)へ出かけてみることにしました。春間近の3月の山々を眺め、春の訪れを告げる白梅に出会う、という期待がふくらんできます。
一般的に甲斐路といえば甲府、大月方面を含む山梨県の広い範囲を指します。しかしここでは八ヶ岳連峰の南麓に広がる北杜(ほくと)市とそれに隣接する韮崎(にらさき)市を甲斐路と呼ぶことにします。地図でみると山梨県の西北部にあたり、私が住む富士見町(信州・長野県諏訪郡)からは約30km以内ですから、遠路はるばる遠征というわけではありません。

小口7201
《写真(1)》富士見町とは地続きの北杜市小淵沢ではまだ春の気配は感じられませんが、甲斐駒ケ岳(2966m)が目前にどっしりと聳え立っていました。小淵沢から見上げる3月の甲斐駒ケ岳には凛とした気品がみなぎっています。甲斐駒ケ岳に敬意を表して1枚撮りました。

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《写真(2)》韮崎市にある新府城跡に登って八ヶ岳連峰を眺めました。山梨県側(東側)から見る八ヶ岳は、いつも諏訪側(西側)からの姿を見馴れている私には若干戸惑いもありますが、違った角度からだからこそ見えてくる新たな光景に新鮮な驚きを覚えます。
因みに新府城跡(国指定の史跡)について触れてみます。新府城は今から約430年前、武田勝頼が築いた城ですが完成直後に武田家は滅亡、廃城になったようです。城跡は小高い山の上にあり頂上には藤武神社と勝頼公霊社があります。頂上へは徒歩で登る道が通じていますが、その他に急峻な石段(段数250段)もあります。

小口7203
《写真(3)》山梨側からみる八ヶ岳連峰の中で特筆したいのは赤岳(2899m)です。八ヶ岳連峰の主峰としての威容を備えた赤岳の全体を見ることができて、私にとっては貴重な眺めです。諏訪側からは他の山にさえぎられて赤岳の一部しか見えず、いつも物足りない思いをしながら諦めています。やはり主峰には堂々とした全容を見せてもらいたいものです。主峰・赤岳の全体像を眺めていると何か得をしたような満足感を覚えます。

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《写真(4)》韮崎市に入るとどことなく暖かい感じがしてきます。白梅が咲いていました。富士見町、北杜市にくらべて春の訪れが早いことが分かります。麦の生き生きとした緑色が畑を明るくしています。遠景の山は鳳凰三山(左から薬師岳、観音岳、地蔵岳)です。

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《写真(5)》桃畑では農作業が始まっていました。今年の桃の花はやや遅れて、多分4月の中旬から下旬にかけて咲くのではないかと、農家のおばさんが話してくれました。遠景の山は鳳凰三山(左から薬師岳、観音岳、地蔵岳)です。
桃の花が満開の甲斐路には、「桃源郷」の名前がぴったりの風景が広がることでしょう。


撮影年月日と撮影場所
写真(1)(2)(3)(4)(5)
        2012年3月21日    山梨県北杜市及び韮崎市にて撮影
2012.03.13 2月の八ヶ岳の山々
 八ヶ岳山麓の四季 71

小口隆三 

                        
冬から春へ移り変わる時期になりました。山麓の標高1000m前後のところでは福寿草が顔を出し始め、日毎に春の気配が濃くなっています。一方3000mに近い八ヶ岳連峰の山々はまだ冬山です。平地に雨が降った翌日の山々は新雪に覆われて美しく輝いています。
しかし、そうは申しましても、3月になってからの冬山は2月の冬山とはかなり雰囲気は違ってきています。今日は2月上旬の八ヶ岳の山々の姿をご覧ください。

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《写真(1)》
午後の西日に輝いている阿弥陀岳(2805m)です。左後ろに見えるのが八ヶ岳連峰の主峰・赤岳(2899m)です。

小口7102
《写真(2)》
阿弥陀岳から右方向に権現岳(2715m)まですっきりと稜線が延びています。夕焼けが山肌に反射して山が赤く染まり始めています。いわゆるアーベントロートの始まりです。阿弥陀岳と権現岳と、それに加えて両山をつなぐ稜線とがこれだけくっきりと写っている写真は、八ヶ岳をよく知る方々にとっても見応えのある写真ではないかと思います。このような眺めに出会う機会はそう多くはありません。

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《写真(3)》
2月上旬の午後の西日を正面に浴びて聳え立っている権現岳です。

小口7104
《写真(4)》
横岳(2835m)は名前の通り横に長い山で、西壁には大同心、小同心などの奇怪な形をした岩峰が屹立している険しい山です。その横岳がガスに包まれて峨峨たる山容が幻想的な雰囲気を醸し出しています。

小口7105
《写真(5)》
天狗岳と隣接する山々で、これらの山々は北八ヶ岳の範疇に属しています。
天狗岳は東天狗と西天狗(2645.8m)の二つを合わせて天狗岳と称しています。
写真の左から、西天狗、東天狗(一番大きく見える)、根石岳(2603m)、箕冠山
(みかむりやま)、と並んでいます。

撮影年月日と撮影場所
写真(1)(2)(3)
        2012年2月3日    茅野市 豊平 東嶽(ひがしたけ)にて撮影
写真(4)(5)
       2012年2月10日   茅野市 泉野にて撮影

2012.02.15 諏訪湖の御神渡り
八ヶ岳山麓の四季 70 

小口隆三 


 暦の上では大寒にあたる1月下旬に入ってから連日厳しい冷え込みがつづき、1月29日には諏訪湖がほぼ全面結氷、諏訪に住む人々の間に「御神渡り」(おみわたり)出現への期待が高まってきました。
全面結氷した湖面の氷が昼夜の温度差で膨張・収縮を繰り返し、数百メートルにわたって亀裂が走り、それが山脈状にせり上がる自然現象によって湖面に氷の道筋ができ、これを「御神渡り」と呼んでいます。諏訪大社上社(諏訪市)の男神が下社(下諏訪町)の女神のもとへ通った道筋と言い伝えられてもいます。

諏訪湖がほぼ全面結氷したといっても1月29日に撮影した《写真(1)》に見られるように湖の真ん中辺りはまだ薄氷状態で気温が上がる日中には融けてしまいます。
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《写真(1)》

「御神渡りができるためには零下10度前後の冷え込みがあと数日間続くことが必要」という八剣(やつるぎ)神社宮坂宮司の見解が新聞紙上に報じられていました。
八剣神社(諏訪市・小和田)は14世紀ごろから御神渡りの記録(「御渡り帳」)を続けていて、御神渡りの権威として諏訪地方では広く認められている神社。諏訪湖に御神渡りができたかどうかはこの神社の判定で決まるのです。
 
1月末から2月にかけて(諏訪湖沿岸の)諏訪市の最低気温は零下10度前後の冷え込みが続き(下記)、諏訪湖は完全に全面凍結状態になりました。
-11.3℃(1/29)、-11.3℃(1/30)、-9.3℃(1/31)、-8.8℃(2/1)、
-8.0℃(2/2)、-13.9(2/3)、-9.1℃(2/4)
八剣神社の宮司・総代たちは諏訪湖の全面結氷が始まると毎朝6時過ぎころから諏訪市、岡谷市、下諏訪町の湖周7か所をまわり、沖へ出て氷の筋や厚みの状態を見回ります。
2月3日の見回りの結果、「御神渡りの兆候が確認された」と宮司がコメントしたと伝えられ、御神渡り出現はほぼ間違いなかろうとの見方が大勢をしめてきました。
2月4日朝、諏訪市の沖合200m位の湖上で見回り中の宮坂宮司(右側)と総代たちを撮りました。氷を三角形に切り取り、厚みを計測していました。スケールで氷の厚みを計測した総代が大声で「12cm!」と報告している声が聞こえてきました。
おぐち2
《写真(2)》

この日の朝、私は八剣神社関係者の見回りの様子を撮ろうと早朝まだ暗いうちに出かけて現場で待機。思い切って湖上に出てカチカチに凍ったつるつるの油氷の上をおそるおそるソロリソロリと歩いて近づいて撮影。子供の頃真冬の諏訪湖の上をスケートで走り回った経験が多少は生きたかな、と内心苦笑。凍った湖面上の寒気の中にいると手はかじかみ、顔が硬わばり、耳たぶが痛くなりました。

2月4日の見回りの結果、「御神渡りができたといえる」との判定が出されました。4年ぶりの御神渡りの出現が確認されたのです。老若男女を問わず諏訪に住む人たちにとっては心にポッと灯りが灯るような、思わず顔がほころんでくるようなうれしいニュースで、TV・新聞などが報道、とりわけ地元紙は「御神渡り出現、歓喜」などの見出しで大きく報じました。

御神渡りが出来たと確認された2月4日の氷の盛り上がりはまださほど大きくなってはいませんでしたが、翌5日になるとかなり大きく成長してはっきりとしてきました。TVニュースで報じられ、日曜日でもあり大勢の見物の人たちが諏訪湖へ押しかけ、湖周道路は車で渋滞。
《写真(3)》は岡谷市・湊・小坂地区の湖岸から下諏訪方面へ延びている御神渡りです。
        換え
《写真(3)》

〔写真はいずれもクリックすると拡大されます〕

撮影年月日と場所
(1)・・・・・・2012年1月29日  諏訪市にて
(2)・・・・・・2012年2月4日   諏訪市にて
(3)・・・・・・2012年2月10日  岡谷市・湊にて

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2012.02.09 全面結氷した諏訪湖
八ヶ岳山麓の四季 69  

小口隆三 


今冬は全国的に寒さが厳しく、また深刻な豪雪の被害も報じられています。八ヶ岳山麓でも連日氷点下15℃前後で、寒さに慣れているつもりでも「お手柔らかに!」と悲鳴をあげたくなります。しかし諏訪湖が凍り始めたと聞くと何故か「もっと寒くなればよいのに」と寒さを歓迎するような気分になるから奇妙なものです。諏訪湖が凍るということは諏訪地方に住む人々にとっては自然が順調に推移してくれているという一種の安堵感を覚えるような、更には自慢したくなるような自然現象なのです。

それはさておき、今年は諏訪湖が全面結氷しました。4年ぶりのことです。昔は冬になると諏訪湖の全面が凍結することはごく普通のことでした。しかし昨年までの最近33年間(昭和54(1979)年~平成23(2011)年)の記録をみると全面結氷した年が13回、全面結氷にまでは至らなかった年が20回という状態。昭和の10年間は7勝3敗でしたが、平成になってからの23年間でみると6勝17敗。今年は辛うじて4連敗を免れたというところです。

諏訪湖が全面結氷すると「御神渡り」(おみわたり)という珍しい現象が出現し、諏訪の住人たちの関心の的、話題の種になります。「御神渡り」については改めて取り上げたいと思っています。

全面結氷した諏訪湖を写真で紹介します。天候状態や撮影時間帯によって写真の色彩はまちまちですが、凍結した真冬の諏訪湖の様子をご覧ください。
小口1
《写真(1)》
放射冷却現象で氷点下13.9℃まで冷え込んだ晴れ上がった朝の諏訪湖です。湖面の青い部分は空の色が映った固く透明に凍結した「油氷」(あぶらごおり)と呼ばれる氷です。湖岸から撮りました。

小口2
《写真(2)》
結氷した湖面が雪に覆われて雪原のようにみえます。右手方向は雪面から油氷面に変わる様子で、薄曇りの午後の撮影です。

小口3
《写真(3)》
岡谷市・湊地区の集落の背後の山の頂上から諏訪湖を見下ろし、全面結氷している光景を眺めました。薄曇りの午後の撮影です。

小口4
《写真(4)》
諏訪湖から天竜川への出口「釜口水門」(かまぐちすいもん)です。水門の間際まで氷がびっしりと張りつめています。岡谷市・岡谷の山の手方面にある「雨峰」(あめみね)という場所からの眺めで、薄日がさしている午後の撮影。

小口5
《写真(5)》
結氷した諏訪湖の向こうに八ヶ岳連峰が見えます。岡谷市・湊地区で薄曇りの午後の撮影。

〔写真はいずれもクリックすると拡大されます〕

撮影年月日
(1)・・・・・・・・2012年2月3日
(2)(3)(5)・・・・・・・・・2月5日
(4)・・・・・・・・・・・・・・2月4日

撮影場
(1)・・・・・・・・・・・・諏訪市・渋埼地区にて
(2)(3)(5)・・・・・・・・岡谷市・湊地区にて
(4)・・・・・・・・・・・・岡谷市・岡谷地区にて
2012.01.29 寒天つくり
    八ヶ岳山麓の四季 68

小口隆三


真冬のこの時期、八ヶ岳山麓に広がる茅野市の一角では、秋のとり入れが終わった田んぼを舞台に、寒天つくりの作業が盛んに行われています。今回は八ヶ岳山麓の冬の風物詩ともいえる寒天つくりの様子を写真で紹介します。

寒天つくり
写真1

寒天つくりの現場でまず目にはいるのは、ナマテン(生天)を並べた簀子(すのこ)状の板を一面に並べ連ねてある光景で、寒天つくりの工程の一つです。 (写真1)
この簀子状の板を現場の人たちは「カイリョウ」と呼んでいました。どんな文字を書くのか聞いてみましたがはっきりしたことは分からず、多分「改良」でよいだろうとのこと。寒天つくりの長い歴史の中から生まれてきた寒天業界独特の呼び名なのでしょう。

寒天つくり
写真2

寒天つくり
写真3

寒天つくり
写真4

寒天の原料は天草(てんぐさ)です。大きな釜で天草を煮て(写真2)、その煮汁を冷まして固めたものがナマテンです。そのナマテンを「カイリョウ」に並べて(写真3) 、田んぼに並べ連ねます(写真4)。地元ではこの作業を「天出し」と呼んでいます。

寒天つくり
写真5

外気に曝されたナマテンは夜間の寒気(氷点下10℃前後まで冷え込むことも珍しくない)の中で凍り、昼間の日光に当たって溶けて水分が抜ける、を何回か繰り返すと徐々に乾燥して、寒天が出来上がります。写真(5)は乾燥の最終段階に入っている寒天で、10日以上かけてここまで来たとのことでした。軽くなった寒天が風で飛ばされないように竹竿と縄を用いて押さえてあります。

茅野で寒天の製造が始まったのは1840年(天保11年)だったそうですから170年以上前。それ以来茅野の気候風土にあった産業として定着し、業者数は最も多かった1938年(昭和13年)には245人いたとのこと。その後次第に減少、昨年(2011年)には14人になっているそうです。また昨年の生産額は約8億7千万円とのこと。(長野県寒天水産加工業協同組合作成の「寒天生産統計」による。)

撮影年月日  (1)(2)(4)(5)・・・2012年1月25日
            (3)・・・・・・・・・ 2012年1月23日
撮影場所   (1)(4)(5)・・・長野県 茅野市 金沢にて
               (2)(3)・・・・・同市 西茅野にて

2011.12.07 初冬の小景
八ヶ岳山麓の四季 67

小口隆三 


 晩秋から初冬へ移り変わる時期です。初冬の小景を探して八ヶ岳山麓に広がる原村(はらむら・長野県諏訪郡)の中を回りました。

 先ず目に飛び込んでくるのは眼前に聳え立つ阿弥陀岳(2805m)と横岳(2835m)です。(写真(1))。原村から眺める阿弥陀岳(写真中央)はどっしりと構えて迫力があり立派です。それもその筈、地図で調べると阿弥陀岳山頂は原村の村域内にあるのです。
横岳は名前の通り横に長い山、「大同心」「小同心」など険しい岩峰がいくつかあることでも知られています。(写真左側)。
阿弥陀岳山頂の右後ろにちょっと頭を覗(のぞ)かせているのは八ヶ岳連峰・最高峰の赤岳(2899m)の山頂です。阿弥陀岳の背後に隠れてしまっていて、その雄姿を見ることができないのは残念です。
山々の上部の岩陰には雪が見えます。この時期平地(1000m前後)に雨が降るとき、3千m近い山の上部では雪。雪は消えたり積もったりを繰り返しています。
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 初冬の空の下、たくさんの実をつけた柿の木がすっくと立っていました。(写真(2))。
この地域にある柿は渋柿で、晩秋までには収穫して皮をむき、藁縄やひもで吊るして日向に干して干柿にします。かつて諏訪地方では干柿は冬のお茶菓子として子供にも大人にも人気がありましたが、いつしか影がうすくなっています。日々時間に追われてインスタントに頼る現代人は手間暇かけて作った素朴な自然食品の良さを忘れてしまったようです。
写真の柿の木は何らかの事情で収穫されないままになっているのでしょう。木に生っている柿の実は熟してくると甘くなり、たくさんの鳥がそれを食べに来ます。鳥は甘くなった柿に的確にとりつき啄ばみ食べつくします。甘くなった柿を見分けるのが得意らしく、旺盛な食欲には脱帽です。
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 晩秋から初冬にかけての風物詩・野沢菜の収穫シーン(「おは採り」)です。(写真(3))。
 収穫した野沢菜は水で洗い(「おは洗い」)、漬け込みます。諏訪地方では野沢菜漬けを「おはづけ」と呼び、主婦はさまざまな工夫をこらして自家特有の自慢の味を作り出し、長い冬の期間のお茶請けや惣菜として日常的に食します。
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 原村は高原野菜、とりわけセロリの大生産地です。写真(4)は採り入れが終わり冬を迎える高原野菜の畑に稲藁の大きな束が並んでいるシーンです。珍しい光景に見とれていたら耕運機に乗った農家のおじさんがこちらへ来たので止まってもらい、聞いてみました。稲藁は田んぼから運んできたもので、これを畑に鋤(す)き込んで高原野菜栽培の肥料にするのだそうです。
 写真の遠景は蓼科山などの北八ヶ岳の山並みです。
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 初冬の薄日の中で二十基を超える「馬頭観世音」と「牛王尊」の石碑が整然と並んでいます。(写真(5))。
馬や牛は、農作業の機械化が進み近来全く見かけなくなりましたが、かつては農作業に欠かすことのできない大事なものでした。これらの石碑は農家の人たちが馬や牛の無病息災を切実に願って建てたものでしょう、往時が偲ばれます。
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撮影年月日  2011年11月27日
撮影場所   長野県 諏訪郡 原村にて

【写真はクリックすると拡大します】

2011.11.17 晩秋の夕空
 八ヶ岳山麓の四季 66

小口隆三 


秋の空は、[曇ったり晴れたり定めないことから]心の変わりやすいことのたとえに用いられることがあります。例えば「男心と秋の空」・・・。(広辞苑による)。
晩秋の八ケ岳山麓で二日にわたって日没前後の夕空で雲の動きを眺めました。
夕方近くまで山を蔽っていた雲が日没の少し前になって消え去り山々が姿を現したり、晴れていた空に雲が出てきて山が見えなくなってしまったり、秋の空は刻々と変貌します。
秋の空については、少年だった頃「女心と秋の空」と聞いた記憶がありますが、辞書によっては[異性の変わりやすい心の意にも用いられる](新明解国語辞典)と記してありますから、あながち間違いではないようです。蛇足ながら私も含めた男性諸氏の名誉のために付記します。(各画像はクリックで拡大します。)

(1)小口6601
《写真(1)》
夕日が沈みはじめて人里は日暮れに入りました。後景の八ケ岳連峰最南端の山・編笠山(あみがさやま)は夕日に映えていますが、上空には覆いかぶさるように不気味な雲が漂い、左側に続く山々は雲に蔽われて見えません。

(2)小口6602
《写真(2)》
夕日が西の山際に沈むとき、光を反射した周辺の雲が虹色に輝いていました。私にとっては珍しい眺めだったので望遠レンズを用いて撮りました。これも変化に富む秋の空が見せた一つの姿といえるでしょう。

(3)小口6603
《写真(3)》
日没直後、入笠山展望台から八ケ岳連峰全体の上空の様子を見渡しました。山々はすっかり日暮れて、黄昏時の下界は薄暗くなっていますが、上空の雲には夕日が当っています。

(4)小口6604
《写真(4)》
八ケ岳の稜線から月が昇ってくるのを入笠山展望台から眺めました。この日の月は権現岳の背後から昇ってきてぽっかりと中空に浮かびました。

(5)小口6605
《写真(5)》
日没後の八ケ岳中心部です。上空に浮かぶ月がアクセサリーのように見えます。

撮影場所:長野県諏訪郡富士見町  (1)井戸尻地区 (2)田端地区
                        (3)(4)(5)入笠山展望台
撮影年月日:(1)(2) 2011年11月13日   (3)(4)(5) 同年11月10日
2011.11.08 秋の八ヶ岳眺望
八ヶ岳山麓の四季 65

小口隆三 

私は八ヶ岳連峰の南麓(長野県諏訪郡富士見町)に住み、いつも目の前に聳え立つ八ヶ岳の山々を眺めていますが、その全体を遠望する機会は意外に少ないのです。今回霧ヶ峰方面から八ヶ岳の全体を眺める機会があり、いつも見慣れている光景とは異なった新鮮な姿を目にすることができました。
「八ヶ岳」という名前からは八つの山が直線上に並び連なっているように思えて山の名前を八つ上げたくなりますが、全体を遠望したり、地図を見たり、実際に縦走してみると、大小いくつもの山々が非整列に連なっていて、八つにこだわることもないと思えてきます。作家の深田久弥氏も著書「日本百名山」の八ヶ岳の項で、「漠然と多数を現したものと見なせばいいのだろう」と述べています。ついでになりますが深田氏は「日本百名山」の中の霧ヶ峰の項で、車山(霧ヶ峰の最高峰)の頂上からみた八ヶ岳を次のように記しています。「すぐ真向かいに蓼科・八ヶ岳の連峰が手に取るように見えた。殊に夕方、落日を受けた赤岳が、その名の通り赤く映えた姿は、美しさの限りであった。」

写真1
 
《写真(1)》
霧ヶ峰・踊り場湿原(標高1500m)から眺めた八ヶ岳連峰です。この湿原がある一帯は「池のくるみ」とも呼ばれ、稀少な植物の宝庫でもあります。

写真2

《写真(2)》
ビーナスラインから遠望した八ヶ岳連峰です。山麓の広がりも見て取れます。


写真3

《写真(3)》
八ヶ岳連峰の中枢部。右から阿弥陀岳(2805m)、赤岳(2899m)、横岳(2835m)。
横岳の手前の樹木に覆われた山頂は峰ノ松目(2567m)です。


写真4

《写真(4)》
 夕日に照らされて赤く染まりはじめた赤岳(左)と阿弥陀岳(右)です。


写真5

《写真(5)》
中枢部から南方向に約3km離れて位置する権現岳(2715m)です。画面の右端にあるのは編笠山(2524m)です。
≪画像をクリックすると拡大します≫
撮影場所:(1) 霧ヶ峰・踊り場湿原にて
    : (2)(3)(4)(5)
     白樺湖から車山方面へ向かうビーナスラインの道筋にて

撮影年月日:(1)   2011年10月4日
    :(2)(3)(4)(5)  2011年10月18日  
2011.10.26 北八ヶ岳 蓼科山周辺の秋
   
       八ヶ岳山麓の四季 64
        
小口隆三



蓼科山(2530m)は北八ヶ岳の北端に位置し、北八ッでは最も高い山です。山容が富士山に似ているところから地元では「諏訪富士」と呼ばれることもあります。蓼科山周辺の秋の様子を撮りました。
茅野市街地から白樺湖方面に向って国道152号線(通称大門街道)を進みます。沿道の山々の紅葉が見頃で素晴らしく、思わず車を止めてカメラを構えるほどでした。
白樺湖へ到達すると目前に蓼科山が聳え立ち、山麓の樹海は秋たけなわでした。
蓼科山の北麓を通る林道(蓼科スカイライン)を進むと大河原峠(2093m)に至ります。

深い谷にそって走っているこの林道は道幅が狭く更には「落石注意」の標識があり路面にはところどころに落石と思しき石が転がっていて、車がすれちがう度に緊張します。標高2000m前後まで登ると周囲の景色からは秋が深まった高山の趣きが感じ取れて、深山へ分け入ったような気分になりました。
 大河原峠から佐久方面へ下ると、鹿曲川(かくまがわ)林道を経て旧北佐久郡望月町(現・佐久市)に至ります。


小口①
《写真(1)》
「蓼科山」の全景です。山麓の樹海は秋たけなわ。

小口②
《写真(2)》
大門街道沿いの山の斜面の紅葉。

小口③
《写真(3)》
大河原峠へ向かう林道を進むと、かなり奥山へ分け入ったように感じました。

深い谷にそって走っているこの林道は道幅が狭く更には「落石注意」の標識があり路面にはところどころに落石と思しき石が転がっていて、車がすれちがう度に緊張します。標高2000m前後まで登ると周囲の景色からは秋が深まった高山の趣きが感じ取れて、深山へ分け入ったような気分になりました。
 大河原峠から佐久方面へ下ると、鹿曲川(かくまがわ)林道を経て旧北佐久郡望月町(現・佐久市)に至ります。

小口④
《写真(4)》
 赤い木の実は深まる秋の彩りといえるでしょう。

小口⑤
《写真(5)》
大河原峠の頂上から佐久平方面を眺めました。

撮影場所:(1)(2)(3)(4)
     大門街道(茅野市)から大河原峠(佐久市)に至る道筋にて
    (5) 大河原峠の頂上にて

撮影年月日:(1)(2)(3)(4)(5)   2011年10月18日