2010.08.31
黒船来航の緊張した展開、ほのぼのと安らぎを感じさせる江戸の娘・登鯉
〔書評〕河治和香著『国芳一門浮世絵草紙4浮世袋』(小学館、¥571+税)
雨宮由希夫 (書評家)
河治和香のシリーズ『国芳一門浮世絵草紙』第4作目である。主人公・幕末の浮世絵師歌川国芳(くによし)の娘登鯉(とり)と、ほぼ一年ぶりの再会である。
デビュー当時、「まだ15になったばかり。色白、凛とした目元が涼やかで、どこか近寄りがたいような雰囲気がある」お俠(きゃん)な美少女で、「草双紙から錦絵、求めに応じて怪しげな春画まで何でもこなす一端(いっぱし)の女絵師」であった登鯉に、シリーズ第4目の本書ではさまざまな変化が生じている。20歳をとうに過ぎ、自分が年を食ったことを今さらのごとく実感している登鯉の個人的な変化の第一、第二は登鯉の母親のこと、登鯉の病のことである。
登鯉の母親はこれまで、「国芳がまだ無名の頃、当時わりない仲になっていた芸者で、今もその行方は知れない」とされていたものだが、「むかし……登鯉の母親は赤ん坊だった登鯉を国芳に押し付けて、去った」という人もいれば、国芳を捨てて、遠山の元に走ったのだ」という人もいる。また、当の遠山が「むかし、芳さんと、一人の女を取りあった」と語ったということをも人伝に登鯉は聞いている。「あたい……本当は国芳の子じゃないんだ」と知った登鯉は、「二人の男に思われた女にできる精一杯の事は姿を消すことだけだったのでは」、と母を想うのだ。
加えるに、この頃、登鯉は激しく咳き込むと血を吐くようになっていた。ある日、登鯉は大塚道庵(どうあん)の診察を受ける。道庵はもと北斎の弟子で、シーボルトに海老蔵を引き合わせてご公儀の大目玉をくらい、隠居して長崎に行き蘭方医となった人物である。やがて登鯉は道庵の筋から「青山の方に、腕のいい蘭方医のお医者さんがいるらしい……」と知る。
青山の蘭方医とは、蛮社の獄で入牢した小伝馬町の牢屋を破獄して、今は脱獄犯として追われている身の高野長英で、青山百人町に潜伏した長英は町医者の沢三伯として登鯉と相対する。かつて国芳一家で匿(かくま)ってもらったことなど、つゆほどにも口にせず、顔半分以上を焼け爛させた長英は「胸をやられているな」という。登鯉は労咳(ろうがい)であった。ほどなくして、長英は町奉行に踏み込まれ、駕籠で護送される最中に絶命する。長英捕縛事件に登鯉は大きな衝撃を受ける。