2008.05.31 地震が台湾海峡を狭めた? ―国共両党のトップ会談
管見中国(9) 

田畑光永 (ジャーナリスト)

  台湾の政権党に復帰した国民党の呉伯雄主席は訪問中の北京で28日、中国共産党の胡錦濤総書記(国家主席)と会談し、1999年以来中断している中台対話を再開することで合意した。
  これを受けて翌29日、大陸側の窓口機関「海峡両岸関係協会」が台湾側の同「海峡交流基金会」に書簡を送り、同基金会の江丙坤会長に6月11日から14日まで北京を訪れるよう招請したのに対し、同会長も即日これに応ずる旨を明らかにした。この手回しの良さは事前に周到な話し合いが行われていたことをうかがわせる。
  再開される「対話」での議題もすでに決まっている。まず、現在、マカオ経由で飛んでいる中台間のチャーター便を直行便にすること、それとこれまで台湾側が難色を示していた大陸の観光客を台湾側が受け入れること、この二点で合意が成立して、いずれも7月には実現するはこびと見られている。
  この急進展は言うまでもなく、さる3月の台湾の総統選挙で国民党の馬英九候補が民進党候補を破って8年ぶりに政権を奪還したことによる。それにしても馬総統の就任式が今月20日で、それからまだ10日も経っていない。これには12日の四川大地震によって図らずも高まった両岸の同胞意識が与かって力があったのではなかろうか。そうとすれば6万を越える地震の犠牲者が台湾海峡両岸を引き寄せたといえない事もない。
  中台間の「対話」は1993年にシンガポールでおこなわれた双方の窓口機関のトップ、汪道涵(大陸)、辜振甫(台湾)両氏の会談が最初であった。当時、私も駐在していた香港からこの取材に出かけた。なにしろ激しい内戦と長い対立の時期を経ての初「対話」ということで、双方の緊張振りと些細なことでも相手に点を稼がれないようにという神経の使い方は大変なものであった。
  例えば、双方が向かいあって話すのでは、対等の会話と受け取られると大陸側が難色を示しているという話が伝わり、横に並んで座る案が検討されているとか、横では顔がよく見えないから「八の字」案が浮上したとかいった具合である。
  蓋を開けてみれば何のことはない、そんな非常識な形ではなくて、双方向かい合っての普通の「対話」がおこなわれたのだが、この時の「共同協議」(共同コミュニケ)には双方の面子の張り合いをうかがわせる痕跡がくっきりと残っている。それはこの文書には、4月29日という日付はあるが年が書かれていないのである。だから後世の人がこの文書を見ても、何年のことだかわからないという奇妙な文書なのである。
  その理由は極めて簡単。当時、というか今でもそうだが、大陸は西暦紀元の年号を使うのに対して、台湾は中華民国建国の1912年を元年とする中華民国暦を使っているからである。大陸側は中華民国暦を使うことは絶対に出来ないし、台湾側もれっきとした自前の公式年号があるのにそれを使わずに西暦などは使えない。そこでやむなく年号なし、日付のみという奇妙な公式文書が出来上がったという次第であった。


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