2013.02.28 社民党の2012年総選挙における解党的惨敗の原因は、連立政権からの離脱後も民主党との選挙協力を継続したことだった、革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ(7)
~関西から(91)~ 

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)


 前回に挙げた社民党の「第46回衆議院総選挙闘争総括(案)」の「敗北の要因」のなかでも、その最大要因は「旧社会党時代の体質を引きずったまま、縮小し続けている主体的力量の低下」であり、具体的には「民主党も社民党も連立していた同類と見られ、既成政党批判を受けたこと」であろう。社民党は民主党への政権交代に際して連立政権に参加し、沖縄の基地問題を契機にして翌年政権から離脱したとはいえ、第13回定期全国大会(2012年2月24、25日)においてもなお次のような「第46回衆議院総選挙闘争方針」(『社会新報』2012年3月7日号)を掲げていた。

 総選挙闘争方針は、「1.政治情勢の特徴」、「2.野田内閣・民主党に対する基本的姿勢」、「3.党の現状と課題」、「4.総選挙闘争への準備」の4部構成からなっているが、とりわけ問題なのが以下のような民主党に対する基本姿勢と選挙協力の内容だろう。

 「民主党をどう見るかは総選挙闘争の戦略・戦術にかかわる問題です。民主党全体を新自由主義・新保守主義の立場を取る自民党などと同列視できません。前述のように民主党内では政権交代の原点復帰を求める声は少なからずあり、また野田内閣の姿勢を批判し、それを支持する労働組合も存在します。その勢力はわが党と連携・共闘できる条件があります」

 「したがってわが党は、今や国民のなかに高まっている「自民党は嫌いだが、民主党もダメだ」と言う声に応えるべく、野田内閣と民主党の誤った政策や姿勢は厳しく批判しつつ、今日的な労働運動の動向や国会内の力関係も直視し、こうした「政治勢力と連携し、主体性を維持しながら具体的な政策課題の実現を目指す」ことが現状ではベターな選択だと判断し、的確に対応しなければなりません」

 「選挙協力は、「2009年の3党連立政権の『政策合意』を順守する」ことを基本に、合意できるものに限る。よって選挙協力(すみ分け、相互支援)の条件がある県(小選挙区間)で細部にわたる「選挙協定」を煮詰め、これを党本部間で承認し合うことを目指す」

 非常に回りくどくて分かりにくい文章だが、要するに、民主党との連立政権を解消した後も、旧社会党系を中心とする党内派閥と提携して、連立時代の3党合意にもとづく政策実現のために努力するというのが基本方針であり、この基本方針のもとに民主党と実質的に選挙協力して総選挙戦を戦おうとしたのである。

 しかし最初の政治情勢の特徴では、「沖縄の基地問題でわが党が政権から離脱し、鳩山内閣から菅内閣へ、そして野田内閣へと代わるにつれ、民主党政権は次々に政権公約を踏み外し、官僚主導によって「輸出主導と弱肉強食の政治」への回帰を強めています。特に野田内閣のこの4カ月の政治は、新自由主義的政治と言えます」と分析していたのだから、各県の小選挙区で民主党と選挙協力することになると、票のバーター取引となって社民党支持者が民主党候補者に投票しなければならなくなる。いくら政党の御都合主義とはいえ、これでは民主党も社民党も「同類=同じ穴のむじな」と見なされても仕方がない。

 社民党総選挙闘争方針は、独立した革新政党の選挙方針というよりはむしろ民主党内1派閥の選挙運動に近い水準のものでしかなかった。「民主党全体を新自由主義・新保守主義の立場を取る自民党などと同列視できません」などといった基本方針の下では、福島党首がいくら「社民党はその存在を懸けて戦い勝たなければならない」、「今度の選挙が正念場であり、生きるか死ぬかの戦いだ」、「社民党は消費税増税反対、TPP参加反対の先頭に立つ。野田内閣と対決していく」(大会冒頭あいさつ)と絶叫しても、その声が党内に届くことがなかったのではないか。

 事実、総選挙闘争方針に関する代議員の質疑や重野幹事長の答弁を見てみても、民主党に対する基本姿勢や選挙協力に関する討議の内容は全く出てこない。代議員が発言しなかったのか、あるいは発言はあったけれども『社会新報』に編集する段階で消えたのかその真相はわからないが、とにかくこの問題が第13回定期全国大会で大きな波乱を呼ぶこともなくクリアーされ、「目標7議席、400万票以上」の総選挙闘争方針が満場一致で可決・決定されたことは事実なのである。