2011.06.30 東電株主総会は茶番か
―脱原発提案否決の意味―
             
半澤健市 (元金融機関勤務)


《89%の反対票の意味するもの》 
11年6月28日に一万人に近い本人出席をみた東京電力の株主総会はメディアのトップニュースとなった。出席株主が「この総会は茶番だ」と言ったと報じた。
私の最大の関心は、脱原発を定款に規定しようとする株主提案の帰結であった。結果は、脱原発への賛成は8%、反対が89%、棄権3%であった。脱原発票は従来の5%から増加したが勝負としては完敗である。怒号が飛び交い6時間をかけた総会は結局、全ての議題が会社側の当初提案通り可決されたのである。

6月29日読売と毎日の社説は脱原発提案の賛否についてこう書いている。
しっかりと覚えておきたい。
〈読売〉電力の安定供給に原発は欠かせない。撤退すれば、火力発電の燃料費などがかさんで収益が低下し、被災者への賠償にも支障が出る。否決は妥当な判断だ。
〈毎日〉否決はされたものの、一定の賛成を集めた意味は大きい。今年は、原発を保有する9電力会社のうち東電や、政府の要請で停止した浜岡原発(静岡県)を抱える中部電力など6社で、脱原発を求める株主提案があった。議決権行使助言会社が機関投資家に対し、「原発は民間企業が続けるにはリスクが大きすぎる」として「脱原発」提案に賛成するよう助言する動きもあった。

《株主保有構造というもの》
世論調査では脱原発論者が漸増しているのになぜこんな結果に終わるのか。
大企業の株式保有構造─株は誰がどのように持っているか─でそのカギを解明したい。
といっても読者が容易に予想する通り、実は「解明」など必要ないのである。
「機関投資家」の優位と法人による「持ち株い」の構造がその理由だ。

たとえば、東京電力の株主の上位5人は次の通りである。(東洋経済『会社四季報』11年夏版による)
① 日本トラスティ信託口 3.6(%、総発行株数比)
② 第一生命保険     3.4
③ 日本生命保険     3.2 
④ 日本マスター信託口  2.9
⑤ 東京都        2.6

「信託口」は聞き慣れない言葉だが、外国人投資家を含む投資信託、年金基金、ヘッジファンドなど機関投資家が一種の「名義借り」をしている口座と理解してほしい。大株主は、まずはこのように「投資信託」「年金基金」「生命保険」などの「機関投資家」と呼ばれる投資家がその中心を占める。それに続いて「事業法人」、「金融法人」などの会社が大株主を占める。ならば個人投資家はどこにいるのか。『会社四季報』は個人株主の比率を明示しないが「浮動株」が31.0%と書いている。これを全部個人株主と見ても全体の3割に過ぎない。

《株主は機関投資家と相互「持ち合い」》 
それでは東電大株主第2位「第一生命」の大株主を見てみよう。みずほコーポ銀行、日本トラスティ信託口、米系外銀信託口、日本マスター信託口、三菱UFJ信託銀行とある。ならば「みずほコーポ銀行」(上場会社としては「みずほフィナンシャルグループ」)の大株主を見に行こう。日本トラスティ信託口、日本マスター信託口、外資系信託口、バークレイズ・キャピタル証券、日本TS信託口と続く。

要するに、日本の大企業の大株主は機関投資家と大企業だということである。企業はそれらの株主の利益を最大にするために行動しているのである。それは80年代以降の新自由主義の跳梁跋扈で定説となった。機関投資家の目的は自分のうしろにいる投資家の投資成果の拡大である。「相互持ち合い」の目的は、乗っ取り防衛、本業での取引関係の円滑化である。それで株主となっているのである。
このような「株式保有構造」のなかで「脱原発」提案のような「非現実的」な提案に機関投資家や法人株主が賛成する筈はない。ここでの「非現実的」の意味は、「日本経団連」会長などの発言にある「非現実的」という意味である。脱原発を公然と発言した財界人はいるのか。私の知る限り城南信用金庫、ソフトバンク、楽天の経営者の3人だけである。

《茶番どころではないのだ》
 東電の株主総会で脱原発を決議させるにはどうしたらよいのか。
それは「第一生命」に対して「脱原発提案に賛成せよ」と迫り、拒まれたら生保契約を解約すればよいのである。「みずほコーポレート銀行」へ行って脱原発提案に賛成せよと迫り、拒まれたら口座を解約すればよいのである。自分の保有する「投資信託」の組み入れ銘柄に東電があったら、その投信会社に対して脱原発提案に賛成の一票を投ぜよと迫り、拒まれたらその投信を解約すればよいのである。「すればよいのである」と書いた。逆にいえば脱原発を決議させるには、それを「しなければならない」のである。

株主総会は「茶番」だというは容易である。
しかし東電とそれを包み込む「原子力村」は決して「茶番」だとは考えていない。彼らは必死である。日本の支配層の総力を結集して「原子力村」を護ろうとしているのである。そして、この村は戦後日本が、つまり我々自身が、あらゆる種類の自己犠牲を堪え忍んで、孜々営々と築き上げてきた日本の「政治経済システム」の象徴である。

《突きつけられたアイクチ》 
東電総会の「脱原発」提案否決は鋭いアイクチを我々に突きつけている。そのことの意味の解明はまだ緒についたばかりというべきであろう。