2025.04.02
「村から農民が消え、農民が作る作物が消える」
東京の「令和の百姓一揆」に3200人
3月30日(日)午後2時から、東京都港区の青山公園南地区・多目的広場で、「令和の百姓一揆」と題するトラクターデモと集会が行われた。
スローガンは「日本の農、食、いのちを守ろう!」であった。
今回の集会は、トラクター30台によるデモと参加者によるメイン集会&デモの2つが企画されていた。そのため、集会開始30分後の2時30分にトラクターデモが出発し、参加者は集会を一旦中断してトラクターデモを見送った。
《出発直前のトラクター》
トラクターデモの出発にあたっては、トラクターの搭乗者の紹介があり、各地から集まった搭乗者は、いずれも自前のトラクターでこの「一揆」に参加したとのことで、各人から決意表明があった。
集会では、実行委員会を代表して菅野芳秀氏(山形県)から、集会アピールの発表があった。
それは、まず「今、日本の農業は崩壊局面にある」とし、「村から農民が消え、農民が作る作物が消え、村自体が消えようとしている。滅びゆく農業を多くの国民が知らない。それにより、最も犠牲となるのは消費者であることを理解してもらいたい」と述べていた。
続けて「『墓じまい』という言葉があるが、『農じまい』は許されない」と、いのちの危機を訴えた。
また、「この闘いは『長い闘いのはじまり』であり、できるだけ早く、政治的立場を超え、民、官を問わず、農の再建への幅広い連携を築かなければならない。
よって、『令和の百姓一揆』は対立・対決を煽るためのものではない。人々の、命の危機を回避するための大連携への呼びかけであり、未来世代に繋げる運動だ。その先頭に立つ」と訴えた。
政党からは、立憲民主党、れいわ新選組、日本共産党、無所属などに属する国会議員や地方議員らから応援のメッセージが寄せられた。
集会参加者は主催者発表で3200人であったが、4500人という報道をした新聞社もあった。
〇集会では、東京の行動に呼応する全国一斉行動が14か所で取り組まれているという報告もあった。
先発のトラクターデモは広尾方面へ明治通り、恵比寿を経由して代々木公園まで、参加者は表参道、原宿駅前を通って代々木公園B地区まで行進した。

《集会場所が米軍のヘリポートの傍であったため、米軍ヘリの爆音(3機)により集会が一時中断したことも記しておく。下段》

《こんなムシロ旗もありました。》
門村充明(都内ミニコミ誌編集者)
3月30日(日)午後2時から、東京都港区の青山公園南地区・多目的広場で、「令和の百姓一揆」と題するトラクターデモと集会が行われた。
スローガンは「日本の農、食、いのちを守ろう!」であった。
今回の集会は、トラクター30台によるデモと参加者によるメイン集会&デモの2つが企画されていた。そのため、集会開始30分後の2時30分にトラクターデモが出発し、参加者は集会を一旦中断してトラクターデモを見送った。

トラクターデモの出発にあたっては、トラクターの搭乗者の紹介があり、各地から集まった搭乗者は、いずれも自前のトラクターでこの「一揆」に参加したとのことで、各人から決意表明があった。
集会では、実行委員会を代表して菅野芳秀氏(山形県)から、集会アピールの発表があった。
それは、まず「今、日本の農業は崩壊局面にある」とし、「村から農民が消え、農民が作る作物が消え、村自体が消えようとしている。滅びゆく農業を多くの国民が知らない。それにより、最も犠牲となるのは消費者であることを理解してもらいたい」と述べていた。
続けて「『墓じまい』という言葉があるが、『農じまい』は許されない」と、いのちの危機を訴えた。
また、「この闘いは『長い闘いのはじまり』であり、できるだけ早く、政治的立場を超え、民、官を問わず、農の再建への幅広い連携を築かなければならない。
よって、『令和の百姓一揆』は対立・対決を煽るためのものではない。人々の、命の危機を回避するための大連携への呼びかけであり、未来世代に繋げる運動だ。その先頭に立つ」と訴えた。
政党からは、立憲民主党、れいわ新選組、日本共産党、無所属などに属する国会議員や地方議員らから応援のメッセージが寄せられた。
集会参加者は主催者発表で3200人であったが、4500人という報道をした新聞社もあった。
〇集会では、東京の行動に呼応する全国一斉行動が14か所で取り組まれているという報告もあった。
先発のトラクターデモは広尾方面へ明治通り、恵比寿を経由して代々木公園まで、参加者は表参道、原宿駅前を通って代々木公園B地区まで行進した。


《集会場所が米軍のヘリポートの傍であったため、米軍ヘリの爆音(3機)により集会が一時中断したことも記しておく。下段》


《こんなムシロ旗もありました。》
2025.03.14
学校現場の実情を無視した愚策
高校無償化の何が問題か
今国会で高校無償化法案が成立しそうである。政権が予算案を通すために日本維新の会の求めに乗った形である。「無償化」自体に悪い響きはないこともあり、大きな声での反対は聞こえてこないが、学校現場の実情を無視した乱暴な政策というしかない。
義務教育が無償である意味
憲法第26条に「義務教育は、これを無償とする」と規定されている。保護者が子どもに学校教育を受けさせる義務を負わせている。すべての国民に健康で文化的生活を営むことを可能とするよう、保護者の所得・財産の多寡とは無関係に無償とするのである。
思い違いをしている人もあるようだが、義務は子どもに課されているのではなく、保護者である。今となっては想像も難しいだろうが、第一次産業中心の社会では、子どもは大切な労働力であった。学校に通わせるよりは子どもを働かせたい親が多かったのである。しかし産業の発展を図る国家にとって、義務教育の徹底は重要な課題であった。
世界的には義務教育期間は4年間程度で始まったが、徐々に延長され、現在では多くの先進国は9年間から10年間程度、つまり中等教育の前半までを義務教育期間としている。それも学年で切るのではなく、文字通り年齢で切るケースが多い。先進諸国では学校制度を7・5制や6・6制など中等教育を一つにまとめている国が多く、中等教育の修了(18歳程度)まで授業料を徴収しない国が多い。
もちろん保護者には子どもを私立学校に通わせる権利が認められるが、公的支援は限られるから多額の授業料が発生する。日本の場合、一般に授業料80万円程度に加えて施設費などの名目で20万円程度が必要になるから年間100万円程度はかかる。これを無償化しろという声はほとんど聞かれない。
高校教育が有償であった理由
日本では戦前の旧制中学校が公私立とも一定額の授業料を徴収し、それが新制高校に移行したため、そのまま授業料が課されることになった。民主党政権が公立高校授業料の無償化を実施するまでは、各府県とも年間10万円あまりの「授業料」を徴収していた。ただ法的には「施設利用料」であった。
私立高校は授業料を徴収したが、「公教育の一環を担っている」との理由で、地方自治体から一定の補助金が支給されてきた。とくに私立高校が多かった東京都では、財政的な余裕があったこともあり、比較的手厚い補助がなされていた。私立高校の扱いに関しては、それぞれの歴史的事情の違いもあり府県によって異なった。
高度経済成長と公立・私立の関係
どの先進諸国でも中等教育の後半は、高等教育(大学)に進む生徒向けの一般教育と職業訓練教育などが並列的に用意される。日本の場合、高度経済成長期、政府の職業高校増設策に基づき公立高校では職業課程の高校が増えていった。しかし一方で国民所得の向上に伴い、とくに大都市圏の大学進学率も上昇し、普通科高校志向も高まった。高校教育のあり様に、さらに混乱をもたらしたのは、1971年~74年生まれの第二次ベビーブーム人口の高校進学であった。
70年代半ばには高校進学率は90%を超え、保護者にとっては子どもを高校に通わせるのは義務として感じられるようになり、受験競争の深刻化が予想された。しかし高度経済成長期、大都市圏の都府県ではいわゆる革新系知事が選出されていたこともあり、ベビーブーム人口に対応するために公立高校の大幅な新増設が進められた。これらの動きは、高校の普通科・職業科比率や公私学校数比率、さらには公私学校の序列にも大きな影響を与えた。
下のグラフの「首都圏」は東京、千葉、埼玉、神奈川の4都県を示している。また「関西圏」は大阪、京都、兵庫の3府県を示している。2000年以降は公立高校の統廃合が進められてきたことがわかる。今後とも少子化の勢いが止まることはなく、公立高校はさらに統廃合が行われることが想定されるが、私立高校の存続も厳しいものとなる。「無償化」は、私立にしてみれば少子化の崖を目前に控えた救いの手になるだろう。
今後の公私関係のあり方
一部には無償化によって公立と私立が競争し、よりよい教育が提供されるようになれば良いではないかと議論する向きもあるが、そう簡単な話ではない。
第一に、私立は生徒募集に大きなアドバンテージが与えられている。私立高校の多くはかつて公立高校の滑り止めとされてきた経緯から、進学相談会と称する受験生とその保護者との事前の個別相談が行われ、中学校の学習成績を提示することによって、試験当日の出来に関わらす、合格の「確約」がなされるという慣行が一般化してきた。
一方の公立高校は教育委員会が設定する2月末ないし3月初めの入試日程でのみ生徒募集が行われる。私立の授業料負担が無くなれば、とくに学力中間層の生徒の間では、私立高校が自分のプライドを満たすブランド力をもっていれば、確約を出された時点で進学を決める傾向が強まるだろう。
第二に、私立高校は経営の自由が認められている。例えば通学バスを手配し、公共交通手段では通えない遠隔地の生徒を集める「努力」をする学校も少なくない。公立高校にはあり得ない話である。また私立高校では、募集段階から学力別のクラス編成を前提として、「効率的」な進学指導体制を組むことにより、「進学実績」をアピールする学校も少なくない。公立高校では、そのようなクラス編成をすることは一般的に避けられる。
第三に、私立高校は制服や独自の学校行事などをアピールする傾向があるが、それらに魅力を感じる受験生にとっては学校選択の理由となりうる。一般に授業料以外の諸費用は私立高校のほうが高額になる傾向があるが、授業料無償化はその負担感を軽減し、より多くの受験生を私立高校に誘導することにつながる。
以上から、授業料の無償化は受験生の私立への流れを強め、公立高校の定員割れを促進する。この数年間の大阪府ですでに明確になりつつあることである。
私立学校の指導・監督体制の必要性
私立学校が公教育の一翼を担っているから公的補助を行うとする論理は、私立大学への補助金にも援用される。大学では国公私立全体の定員の8割が私学である。この私学助成金にはペナルティがある。最近でいえば東京女子医科大学や日本大学の例のように、不祥事を起こし教育機関としてのガバナンスに問題あり、と判断されれば、全額不支給という措置もある。
しかし、高校の「無償化」は、実際には私立高校を運営する学校法人への補助となるのだが、保護者の支払う授業料を国が負担するという法的位置づけとなっている。そのため、私学助成金のようなペナルティは想定されていない。しかし数年前、大阪府の私立高校では億単位の使途不明金が明るみに出たことがあった。有力スポーツ選手の生徒を確保するための裏金として使われたのではないかとの噂があった。その他、いじめ問題なども含めて教育委員会の管轄下にある公立高校に比べれば、私立高校では不祥事が潜在化しやすい。
私立高校が大幅な公的資金の助成を受けるのであれば透明性や責任説明が求められ、より厳しい監督・指導体制の下に置かれるべきである。しかし今回の無償化政策導入に私立高校(学校法人)の監督強化の必要性はまったく議論されなかった。施設費などの名目で集める高額な費用なども監督、指導の対象となるべきである。これらの問題を脇に置いたままの高校授業料無償化は不適切なものと言わざるをえないのである。
小川 洋 (大学教員)
今国会で高校無償化法案が成立しそうである。政権が予算案を通すために日本維新の会の求めに乗った形である。「無償化」自体に悪い響きはないこともあり、大きな声での反対は聞こえてこないが、学校現場の実情を無視した乱暴な政策というしかない。
義務教育が無償である意味
憲法第26条に「義務教育は、これを無償とする」と規定されている。保護者が子どもに学校教育を受けさせる義務を負わせている。すべての国民に健康で文化的生活を営むことを可能とするよう、保護者の所得・財産の多寡とは無関係に無償とするのである。
思い違いをしている人もあるようだが、義務は子どもに課されているのではなく、保護者である。今となっては想像も難しいだろうが、第一次産業中心の社会では、子どもは大切な労働力であった。学校に通わせるよりは子どもを働かせたい親が多かったのである。しかし産業の発展を図る国家にとって、義務教育の徹底は重要な課題であった。
世界的には義務教育期間は4年間程度で始まったが、徐々に延長され、現在では多くの先進国は9年間から10年間程度、つまり中等教育の前半までを義務教育期間としている。それも学年で切るのではなく、文字通り年齢で切るケースが多い。先進諸国では学校制度を7・5制や6・6制など中等教育を一つにまとめている国が多く、中等教育の修了(18歳程度)まで授業料を徴収しない国が多い。
もちろん保護者には子どもを私立学校に通わせる権利が認められるが、公的支援は限られるから多額の授業料が発生する。日本の場合、一般に授業料80万円程度に加えて施設費などの名目で20万円程度が必要になるから年間100万円程度はかかる。これを無償化しろという声はほとんど聞かれない。
高校教育が有償であった理由
日本では戦前の旧制中学校が公私立とも一定額の授業料を徴収し、それが新制高校に移行したため、そのまま授業料が課されることになった。民主党政権が公立高校授業料の無償化を実施するまでは、各府県とも年間10万円あまりの「授業料」を徴収していた。ただ法的には「施設利用料」であった。
私立高校は授業料を徴収したが、「公教育の一環を担っている」との理由で、地方自治体から一定の補助金が支給されてきた。とくに私立高校が多かった東京都では、財政的な余裕があったこともあり、比較的手厚い補助がなされていた。私立高校の扱いに関しては、それぞれの歴史的事情の違いもあり府県によって異なった。
高度経済成長と公立・私立の関係
どの先進諸国でも中等教育の後半は、高等教育(大学)に進む生徒向けの一般教育と職業訓練教育などが並列的に用意される。日本の場合、高度経済成長期、政府の職業高校増設策に基づき公立高校では職業課程の高校が増えていった。しかし一方で国民所得の向上に伴い、とくに大都市圏の大学進学率も上昇し、普通科高校志向も高まった。高校教育のあり様に、さらに混乱をもたらしたのは、1971年~74年生まれの第二次ベビーブーム人口の高校進学であった。
70年代半ばには高校進学率は90%を超え、保護者にとっては子どもを高校に通わせるのは義務として感じられるようになり、受験競争の深刻化が予想された。しかし高度経済成長期、大都市圏の都府県ではいわゆる革新系知事が選出されていたこともあり、ベビーブーム人口に対応するために公立高校の大幅な新増設が進められた。これらの動きは、高校の普通科・職業科比率や公私学校数比率、さらには公私学校の序列にも大きな影響を与えた。
下のグラフの「首都圏」は東京、千葉、埼玉、神奈川の4都県を示している。また「関西圏」は大阪、京都、兵庫の3府県を示している。2000年以降は公立高校の統廃合が進められてきたことがわかる。今後とも少子化の勢いが止まることはなく、公立高校はさらに統廃合が行われることが想定されるが、私立高校の存続も厳しいものとなる。「無償化」は、私立にしてみれば少子化の崖を目前に控えた救いの手になるだろう。

今後の公私関係のあり方
一部には無償化によって公立と私立が競争し、よりよい教育が提供されるようになれば良いではないかと議論する向きもあるが、そう簡単な話ではない。
第一に、私立は生徒募集に大きなアドバンテージが与えられている。私立高校の多くはかつて公立高校の滑り止めとされてきた経緯から、進学相談会と称する受験生とその保護者との事前の個別相談が行われ、中学校の学習成績を提示することによって、試験当日の出来に関わらす、合格の「確約」がなされるという慣行が一般化してきた。
一方の公立高校は教育委員会が設定する2月末ないし3月初めの入試日程でのみ生徒募集が行われる。私立の授業料負担が無くなれば、とくに学力中間層の生徒の間では、私立高校が自分のプライドを満たすブランド力をもっていれば、確約を出された時点で進学を決める傾向が強まるだろう。
第二に、私立高校は経営の自由が認められている。例えば通学バスを手配し、公共交通手段では通えない遠隔地の生徒を集める「努力」をする学校も少なくない。公立高校にはあり得ない話である。また私立高校では、募集段階から学力別のクラス編成を前提として、「効率的」な進学指導体制を組むことにより、「進学実績」をアピールする学校も少なくない。公立高校では、そのようなクラス編成をすることは一般的に避けられる。
第三に、私立高校は制服や独自の学校行事などをアピールする傾向があるが、それらに魅力を感じる受験生にとっては学校選択の理由となりうる。一般に授業料以外の諸費用は私立高校のほうが高額になる傾向があるが、授業料無償化はその負担感を軽減し、より多くの受験生を私立高校に誘導することにつながる。
以上から、授業料の無償化は受験生の私立への流れを強め、公立高校の定員割れを促進する。この数年間の大阪府ですでに明確になりつつあることである。
私立学校の指導・監督体制の必要性
私立学校が公教育の一翼を担っているから公的補助を行うとする論理は、私立大学への補助金にも援用される。大学では国公私立全体の定員の8割が私学である。この私学助成金にはペナルティがある。最近でいえば東京女子医科大学や日本大学の例のように、不祥事を起こし教育機関としてのガバナンスに問題あり、と判断されれば、全額不支給という措置もある。
しかし、高校の「無償化」は、実際には私立高校を運営する学校法人への補助となるのだが、保護者の支払う授業料を国が負担するという法的位置づけとなっている。そのため、私学助成金のようなペナルティは想定されていない。しかし数年前、大阪府の私立高校では億単位の使途不明金が明るみに出たことがあった。有力スポーツ選手の生徒を確保するための裏金として使われたのではないかとの噂があった。その他、いじめ問題なども含めて教育委員会の管轄下にある公立高校に比べれば、私立高校では不祥事が潜在化しやすい。
私立高校が大幅な公的資金の助成を受けるのであれば透明性や責任説明が求められ、より厳しい監督・指導体制の下に置かれるべきである。しかし今回の無償化政策導入に私立高校(学校法人)の監督強化の必要性はまったく議論されなかった。施設費などの名目で集める高額な費用なども監督、指導の対象となるべきである。これらの問題を脇に置いたままの高校授業料無償化は不適切なものと言わざるをえないのである。
2025.03.13
東日本大震災、原発事故から14年
韓国通信NO766
小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)
3月8日、代々木公園で開かれた「さようなら原発全国集会」に参加。この時期には珍しい寒さにもかかわらず三千人(主催者発表)が集まった。
原発を次世代への「贈り物」にしたくない。集会に参加者した人たちに共通する願いだ。だが、あれほど過酷な原発事故を経験した日本はいまだに原発をなくせないでいる。
「わかっちゃいるけどやめられない」。スーダラ節の世界そのものだ。
日本と日本人であることがつくづくイヤになることがある。集会に参加する度に隣接する巨大なNHK本社ビルを見上げてはため息が出る。こいつがもう少ししっかりしていれば「やめられた」はずだ。八つ当たりではない。NHKが大々的に「脱原発は国民の願い」というキャンペーンを原発がゼロの日までやってもよかったと思ってきた。そのNHKに今年も完全に無視されてしまった。
表現の自由、健全な民主主義の発展に資する放送法の精神からはほど遠く、政権に忖度して政府から「愛される」存在。放送受信料で生活するNHKのトップから一般職員まで一体何を考えているのか。原発に反対する集会を取材もせず、「記憶の風化」などと公共放送であるNHKには言われたくない。
戦争や老後の不安と物価高騰による生活苦を訴える人たちが多い時代。地球温暖化に危機感を募らせる人も多い。どれも重い問題だが、資本主義では解決不能という主張が説得力を持ち始めるほどに世界全体に危機感か広がる。「楽しい日本」を地で行くようなテレビや新聞は見放されているように見える。「年収の壁」の議論に夢中になっているようでは何も解決しない。集会やデモに行くと脳が刺激を受けるせいか考えることが多くなるようだ。
デモが終わって帰宅したのは6時過ぎ、雨は雪になっていた。
夜7時のニュースで尹大統領の保釈をトップ扱いで報じていた。信じ難いことに保釈を喜ぶ市民の声をいくつか紹介して、まるでNHKが保釈を歓迎しているような報道の仕方に仰天した。
NHKの権力への迎合癒着ぶりに怒りを新たにして帰宅したらこのざまである。
国家権力の掌握を狙った大統領に対する寛大さに驚いた。韓国の大統領にまで忖度する必要はないだろう。権力に弱い体質が身についてしまったのか。原発事故は「すべて解決ずみ」から始まり「モリ・カケ・サクラ」で嘘を繰り返した首相を思い出した。尹大統領も自分にかけられた犯罪行為はすべて嘘だと主張する。

<写真/得意顔で出所する大統領/ロイター時事>
トランプ米大統領の「言いたい放題、やりたい放題」に多くの人が不安を感じている。トランプと心中はごめんだ。カナダに次ぐ52州目になるかもしれない。地球温暖化が加速して地球破滅の日が早まるかも。新聞もテレビもアメリカに向かって主張すべきことは主張すべきだ。日本国憲法のもとに団結しよう。ジコチュートランプは地球を滅ぼす。
2025.03.10
原発事故の責任はだれがとるのか
福島原発事故から14年、東京で「さようなら原発全国集会」
世界を震撼させた東京電力福島第一原子力発電所の事故から14年を経た3月8日(土)、東京の代々木公園で、「さようなら原発3・8全国集会」が開かれた。集会を主催したのは、「さようなら原発」一千万署名市民の会。関東を中心に3000人(主催者発表)が集まったが、事故から14年たっても今なお福島第一原発の廃炉のめどがたたないのに、石破政権が「原発推進」強化を決めたうえに、最高裁が事故を起こした東電の旧経営陣を無罪にしたとあって、会場からは「絶大な被害をもたらした原発事故の責任をいったい誰が負うのか」と怒りの声が上がった。
「さようなら原発一千万署名市民の会」は、福島第一原発の事故直後に、作家の大江健三郎、落合恵子、澤地久枝、瀬戸内寂聴、ルポライターの鎌田慧、音楽家の坂本龍一の各氏らの呼びかけで結成された市民団体。福島第一原発の事故直後から毎年3月に、東京で「さようなら原発全国集会」を開いてきたが、コロナ禍のため2020年から2022年までは集会中止や集会規模の縮小を余儀なくされた。しかし、コロナ禍が下火になった2023年に4年ぶりの全国集会を再開、今年は再開3年目の全国集会となった。
会場には、日教組、自治労、全港湾など旧総評系の労組員、平和団体関係者、一般市民らが集まった。昨年同時期のさよなら原発全国集会の参加者は6000人だったから、ちょうど半分。「きょうは、大変な冷え込みと、午後から雨になるという予報が出足をくじいた」と、主催団体関係者。
原発事故はまだ終わっていない
集会は午後1時30分に開会。まず、主催者を代表して評論家の佐高信さんが「自民党はヤクザで維新は半グレ。私たちが反原発を掲げて政治をヤクザと半グレから取りもどすことを宣言します」とあいさつ。
次いで登壇した福島県平和フォーラムの瓶子髙裕さんは、まず「福島第一原発事故から14年を迎えるというのに、郷里に帰れない避難民がまだ2万6000人もいる」と切り出し、「大きな被害を受けた人の生業や精神的苦痛は今なお強い。帰還困難区域もまだ残っており、解除された区域でも帰還する人は限られている」「原発事故は終わっていない。原発事故を風化させてはいけない」と訴えた。
原発再稼働加速には賛成できない
さらに、瓶子さんが問題にしたのは、さきに政府が閣議決定した「第七次エネルギー基本計画」だ。これは「原発再稼働の加速に向け官民挙げて取り組む」「廃炉が決まった原発を建て替える」「青森県六カ所村の再処理工場の具体化を進める」「電源構成に占める原発の割合を2割にする」といった内容だが、瓶子さんはこれらに強く反対し、「国民の理解を得られたんでしょうか」と問うた。
福島県民の気持ちを逆なでした最高裁判決
やはり福島県からやってきた大河原さきさん(原発事故被害者団体連絡会)は、最高裁が3月5日付で東電の旧経営陣に福島第一原発事故の責任はないと判決を出したことを取り上げ、「毎年、3・11が近づくと気持ちがわざわざする福島県民の気持ちを逆なでする残酷な判決でした」と切り出した。そして、「日本最大の公害事故の責任が誰にもないという。これは判決が間違っています。最悪の原発事故を起こした者が裁かれず、そのまま無責任体制が続くなんて、第2、第3の惨事が起こりかねません」と断じた。
再稼働の是非を県民投票で――新潟
新潟県から参加した池田千賀子さん(柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民で決める会)は、東電柏崎刈羽原発の再稼働問題について報告した。
それによると、同原発の再稼働について、県知事は態度を明らかにしていない。で、柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民で決める会は、再稼働の是非を問う県民投票の実施を目指す署名運動を行った。その結果、15万128筆が集まった。知事に県民投票を行うのに必要な条例を制定させる直接請求をするには、有権者の50分の一、約3万6000筆の有効署名が必要だが、それを大きく上回った。「知事が県民投票の条例案を県議会へ出すのは間もなくでしょう。4月の県議会が山場なので、皆さん、ご支援を」と池田さんが訴えると、会場から激しい拍手。
閉会のあいさつで登壇したルボライターの鎌田慧さんは、各地で原発再稼働の動きが盛んになっている現況を踏まえ、「限りなく早く原発を停めようという事故直後の誓いを破り、少しでも多くやるというのは絶対に認められない」「30数年かかっても完成しない青森六カ所村の再処理工場を43兆円もかけて完成させようとしている。とんでもない話だ」と話した。

集会の後、参加者は2コースに分かれてデモ行進した
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
世界を震撼させた東京電力福島第一原子力発電所の事故から14年を経た3月8日(土)、東京の代々木公園で、「さようなら原発3・8全国集会」が開かれた。集会を主催したのは、「さようなら原発」一千万署名市民の会。関東を中心に3000人(主催者発表)が集まったが、事故から14年たっても今なお福島第一原発の廃炉のめどがたたないのに、石破政権が「原発推進」強化を決めたうえに、最高裁が事故を起こした東電の旧経営陣を無罪にしたとあって、会場からは「絶大な被害をもたらした原発事故の責任をいったい誰が負うのか」と怒りの声が上がった。

「さようなら原発一千万署名市民の会」は、福島第一原発の事故直後に、作家の大江健三郎、落合恵子、澤地久枝、瀬戸内寂聴、ルポライターの鎌田慧、音楽家の坂本龍一の各氏らの呼びかけで結成された市民団体。福島第一原発の事故直後から毎年3月に、東京で「さようなら原発全国集会」を開いてきたが、コロナ禍のため2020年から2022年までは集会中止や集会規模の縮小を余儀なくされた。しかし、コロナ禍が下火になった2023年に4年ぶりの全国集会を再開、今年は再開3年目の全国集会となった。
会場には、日教組、自治労、全港湾など旧総評系の労組員、平和団体関係者、一般市民らが集まった。昨年同時期のさよなら原発全国集会の参加者は6000人だったから、ちょうど半分。「きょうは、大変な冷え込みと、午後から雨になるという予報が出足をくじいた」と、主催団体関係者。
原発事故はまだ終わっていない
集会は午後1時30分に開会。まず、主催者を代表して評論家の佐高信さんが「自民党はヤクザで維新は半グレ。私たちが反原発を掲げて政治をヤクザと半グレから取りもどすことを宣言します」とあいさつ。
次いで登壇した福島県平和フォーラムの瓶子髙裕さんは、まず「福島第一原発事故から14年を迎えるというのに、郷里に帰れない避難民がまだ2万6000人もいる」と切り出し、「大きな被害を受けた人の生業や精神的苦痛は今なお強い。帰還困難区域もまだ残っており、解除された区域でも帰還する人は限られている」「原発事故は終わっていない。原発事故を風化させてはいけない」と訴えた。
原発再稼働加速には賛成できない
さらに、瓶子さんが問題にしたのは、さきに政府が閣議決定した「第七次エネルギー基本計画」だ。これは「原発再稼働の加速に向け官民挙げて取り組む」「廃炉が決まった原発を建て替える」「青森県六カ所村の再処理工場の具体化を進める」「電源構成に占める原発の割合を2割にする」といった内容だが、瓶子さんはこれらに強く反対し、「国民の理解を得られたんでしょうか」と問うた。
福島県民の気持ちを逆なでした最高裁判決
やはり福島県からやってきた大河原さきさん(原発事故被害者団体連絡会)は、最高裁が3月5日付で東電の旧経営陣に福島第一原発事故の責任はないと判決を出したことを取り上げ、「毎年、3・11が近づくと気持ちがわざわざする福島県民の気持ちを逆なでする残酷な判決でした」と切り出した。そして、「日本最大の公害事故の責任が誰にもないという。これは判決が間違っています。最悪の原発事故を起こした者が裁かれず、そのまま無責任体制が続くなんて、第2、第3の惨事が起こりかねません」と断じた。
再稼働の是非を県民投票で――新潟
新潟県から参加した池田千賀子さん(柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民で決める会)は、東電柏崎刈羽原発の再稼働問題について報告した。

それによると、同原発の再稼働について、県知事は態度を明らかにしていない。で、柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民で決める会は、再稼働の是非を問う県民投票の実施を目指す署名運動を行った。その結果、15万128筆が集まった。知事に県民投票を行うのに必要な条例を制定させる直接請求をするには、有権者の50分の一、約3万6000筆の有効署名が必要だが、それを大きく上回った。「知事が県民投票の条例案を県議会へ出すのは間もなくでしょう。4月の県議会が山場なので、皆さん、ご支援を」と池田さんが訴えると、会場から激しい拍手。
閉会のあいさつで登壇したルボライターの鎌田慧さんは、各地で原発再稼働の動きが盛んになっている現況を踏まえ、「限りなく早く原発を停めようという事故直後の誓いを破り、少しでも多くやるというのは絶対に認められない」「30数年かかっても完成しない青森六カ所村の再処理工場を43兆円もかけて完成させようとしている。とんでもない話だ」と話した。

集会の後、参加者は2コースに分かれてデモ行進した
2025.03.01
倍賞千恵子さん、60年前のこと覚えていますか
下町担当の記者たちとの交流
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
「えー、彼女が芸術院会員に」。2月21日(金)の朝、新聞各紙を読んでいたら、朝日新聞の社会・総合面の下段に「芸術院新会員に15人」という見出しの記事が載っており、3月1日付で文部科学相が発令する新しい芸術院会員15人の氏名、経歴と顔写真が紹介されていた。15人を初めから1人ひとり見て行ったら、一番最後が、俳優の倍賞千恵子ん(83歳)であった。
朝日新聞によると、芸術院とは各分野の優れた芸術家を経済的に優遇するための栄誉機関。会員は非常勤の国家公務員で年に250万円が支給されるという。倍賞さんの芸術分野は「映画」。芸術院会員に選ばれたのは、「民衆の生活感情を全身で表現する演技で映画やテレビ、舞台で活躍」してきたからという。
芸術院会員の定員は120人で、今回の15人を含めると計115人。このうち、「映画」分野の会員は映画監督の山田洋次氏、タレントの黒柳徹子さん、それに今回会員になった倍賞さんとアニメーション映画監督の富野由悠季氏を加えてわずか4人である。つまり、倍賞さんは映画界で稀有な存在となったのだ。それだけに、私は朝日新聞の朝刊で倍賞さんが芸術院会員になったのを見て、飛び上がらんばかりに驚いたわけである。
実は、飛び上がらんばかりに驚いたのには、もう一つ理由があった。ちょうど60年前に、当時朝日新聞社会部記者だった私が属していた、東京の「下町記者クラブ」が倍賞さんに感謝状を贈呈していたからだ。
そのいきさつは、かつてウエブサイトで書いていた連載『もの書きを目指す人びとへ~わが体験的マスコミ論~』に「ひょうたんから駒が出る」の題で書いているので、その大半を以下に掲載する。
◇ ◇ ◇
一九六四年(昭和三十九年)二月から私が担当することになった警視庁第七方面本部管内(東京の墨田、江東、江戸川、葛飾、足立の五区)は、事件・事故が多発していた地域だった。だから、この地域をフォローする本所署記者クラブ(下町記者クラブとも墨東記者会とも いった)には、加盟各社のほとんどがそれぞれ二人の記者を常駐させていた。
殺人、強盗、かっぱらい、盗み、スリ、脅し、とばく、短銃発射、誘拐、放火、火事、爆発、水死、自殺、交通事故、ひき逃げ……。事件記者として、ありとあらゆる犯罪や事故に出合った。社会の現実とじかに向き合う多忙な日々だった。
が、一日中、朝から深夜までのべつ幕なしに事件・事故に追いまくられていたわけではない。時によっては事件・事故のない平穏な日もあった。まして雨降りの日などは、管内の盛り場や名所に遊びがてらに出かける気にもなれず、狭くて暗い記者クラブで時間をつぶすほかなかった。昼食で短時間外に出ることがあるものの、午前十時からから夜十時までそうやって過ごすのは退屈きわまりなく、記者クラブ員は本を読んだり、居眠りをしたり、他社の記者 と麻雀卓を囲んだりして、時を過ごした。クラブにテレビはなかった。
夏が去り、九月に入ったころだったと思う。その日も事件がなく、クラブ員は暇をもてあましていた。とりとめもない雑談にあきたころ、毎日新聞の瀬下恵介記者が叫んだ。
「倍賞千恵子さんに来てもらおうじゃないか」
倍賞千恵子さんといえば、当時、新進の若手女優であり、歌手だった。『下町の太陽』という歌が大ヒット。彼女主演で映画化もされた。今ふうにいえば、人気上昇中のアイドルといってよかった。
「下町記者クラブとして感謝状を贈ろうじゃないか。彼女、下町の出身でもあるし」と瀬下記者。クラブ員はみな仰天した。彼の、そのとっぴょうしもない発想というか、思いつきに、である。が、「こんなむさくるしい所にくるわけがない」と、だれも相手にしなかった。
そんな中で、瀬下記者は記者クラブの隅にあった公衆電話に硬貨を入れ続けながら、どこかに電話をかけた。いったん切ると、またかける。いずれも随分長い電話だった。そして、彼はついに叫んだのである。
「おーい、みんな、倍賞千恵子がくるぞ」
おちょぼ口をして満面笑みをたたえた瀬下記者のその時の表情はいまでも忘れられない。瀬下記者によれば、松竹本社に電話し、倍賞さんを表彰したいから派遣してくれるよう頼んだ。相手は最初、難色を示していたが、どうしてもとねばったら、ついに「行かせましょう」と言 ってくれたという。
「都民の日」の十月一日、彼女は本所署に一人でやってきた。私たちは署長室を借り、彼女を招き入れた。
私たちはコーヒーとケーキで彼女と懇談した。感謝状を渡したが、そこには「あなたは、『下 町の太陽』で、下町の良さを全国に知らしめた」といった意味のことが書かれていたと記憶している。それに、太陽をかたどったガラスの盆を贈った。それは、何を贈ろうかと思案したあげく、他のクラブ員と私が、両国駅近くのインテリア専門店の倉庫内を物色中に見つけたものだった。もちろん、みんなで金を出し合って買った。
当時、彼女は二十三歳。それはそれは美しかった。「きれいだな。こりゃ、掃きだめに鶴だ」。クラブ員から、そんな声がもれた。
彼女自身も驚いたようだった。後にもれ聞いたところでは、本所署を訪ねる前、「わたし、何も悪いことをしていないのに、どうして警察に行かなくてはならないのかしら」と周囲にもらしていたという。
本所署記者クラブのこの“壮挙”は、他の警察記者クラブに波紋を広げた。「おれたちは吉永小百合を招くんだ」などという威勢のいい声が聞こえてきた。しかし、結局、女優さんを招くことができた警察記者クラブは他には一つもなかった。
それに、これには後日談がある。九年後、私たちは倍賞千恵子さんと再会することになる。
すでに本所署記者クラブを去っていた、私たちかつてのクラブメンバーから、「また、倍賞さんに会いたい」という声が起こり、私たちが、映画『男はつらいよ』シリーズのヒットを祝って、寅さんの妹さくらを演じていた倍賞さんを招いたのだ。こんどは、すぐ承諾してくれた。私たちは、山田洋次監督、寅さん役の渥美清さんも一緒に招いた。
一九七三年十二月十六日、銀座のレストラン「三笠会館」。あの「下町の太陽」娘はいまや大スターに変身していたが、本所署署長室での初対面で感じさせた庶民的な雰囲気を失ってはいなかった。この時の楽しいひとときは忘れ難い。
以来、私は『男はつらいよ』は欠かさず見てきた。スクリーンに「さくら」が登場すると、私は本所署での、次いで、レストランでの倍賞さんを思い出しては、当時を懐かしみ、心の中で声援を送った。
私は、本所署記者クラブでの珍事から一つのことを学んだ。人間、時には、とっぴょうしもないことを考えてみるものだ。そして、あれこれ思案するだけでなく、思いついたら、失敗を恐 れず果敢に挑戦してみることだ。そしたら、思いがけない道が開けるかもしれない。瀬下記者の挑戦は、そのことを教えてくれたような気がする。
◇ ◇ ◇
珍事から60年。珍事の発案者だった瀬下氏はすでに故人。が、いまなお健在の、かつての下町記者クラブのメンバーは、新聞で倍賞さんの芸術院会員就任を知り、思い思いの感慨にふけったろうと思う。いずれにしても、「下町の太陽」だった倍賞さんと下町担当記者だった新聞記者たちの出会いと交流を懐かしく想い出していたに違いない。
私は、倍賞さんが、「下町の民衆の生活感情を全身で表現する演技」をいつまでも映画や歌で続けて欲しい、と願わずにはいられない。

2025.02.26
アジア・太平洋地域の2025国際協同組合年がスタート
東京でキックオフイベント
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
東京・渋谷の国連大学で2月19日、「2025国際協同組合年キックオフイベント」が開かれた。日本の協同組合によって結成された「2025国際協同組合年(IYC2025)全国実行委員会」、国際協同組合同盟アジア太平洋地域(ICA―AP)、国際労働機関(ILO)駐日事務所の3者共催で、日本をはじめとするアジア・太平洋地域の29カ国の協同組合団体の関係者750人(うち500人はオンライン参加)が集まり、この地域の2025国際協同組合年を本格的にスタートさせた。

2025国際協同組合年のロゴ
国連が推進する「国際年」とは、各国に共通する特定のテーマに国際社会が1年間を通して集中的に取り組む企画である。最初の国際年は1957年の「国際地球観測年」。その後、「国際婦人年」「国際児童年」「国際平和年」などが設定された。そのテーマに協同組合が初めて選ばれたのは2009年の国連総会で、そこで「2012年を国際協同組合年とする」と決議された。
世界で10億人を超える協同組合組合員
世界には農業、漁業、林業、信用、保険、住宅、エネルギー、消費生活、労働などあらゆる分野の協同組合があり、国際協同組合同盟(ICA)に結集している。ICAの本部はジュネーブにあり、現在、112カ国の318の協同組合全国組織が加盟している。ICA傘下の組合員は10億人を超える。
日本からは、15団体(全国農業協同組合中央会、全国農業協同組合連合会、全国共済農業組合連合会、農林中央金庫、家の光協会、日本農業新聞、全国漁業組合連合会、全国森林組合連合会、日本生活協同組合連合会<、日本コープ共済生活協同組合連合会、日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会、全国労働者共済生活協同組合連合会、全国労働金庫協会、全国大学生活協同組合連合会、日本医療福祉生活協同組合連合会)がICAに加盟しており、傘下の組合員数は延べ(重複加盟)て1億820万人にのぼる。日本国民の大半が協同組合員なのだ。
第1回の国際協同組合年は2012年に実施されたが、施行前の国連決議は、次の3つの目標に向けて国連、各国政府、協同組合関係者が活動するよう奨励していた。
① 協同組合についての社会的認知度を高める
② 協同組合の設立や発展を促進する
③ 協同組合の設立や発展につながる政策を定めるよう政府や関係機関に働きかける
SDGsの実現に向けた協同組合の実践に期待
2025年に実施される国際協同組合年は、いわば2回目となったわけだが、これに向けて昨年11月3日に採択された国連総会宣言は「協同組合の取り組みをさらに広げ進めるため、また、持続可能な開発目標(SDGs)の実現に向けた協同組合の実践、社会や経済の発展への協同組合の貢献に対する認知を高めるために、国連、各国政府、協同組合が、この機会を活用することを求めています」としていた。
SDGsとは、国連が定めた、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」「ジェンダー平等の実現」「質の高い教育をみんなに」「人や国の不平等をなくそう」など17項目の国際目標である。
日本でも目下、協同組合や企業がこれらの目標の実現のために活動しているが、国連としては、協同組合陣営にさらに大いに頑張ってほしいというわけだ。国連としては、2012年に国際協同組合年を実施してみて、協同組合がもつ実行力、結集力に改めて目を見張ったということだろう。
「格差と分断の世界で連帯の力を発揮しよう」
さて、19日の2025国際協同組合年キックオフイベントは多彩なプログラムであった。
第1部は式典で、山野徹・日本協同組合連携機構会長/全国農業協同組合中央会会長の挨拶、アントニオ・グテーレス国連事務総長のビデオメッセージ、橘慶一郎内閣官房副長官(石破首相の代理)の日本国政府挨拶、森山裕・協同組合振興研究議員連盟会長(自民党幹事長)の挨拶、アリエル・グアルコICA会長のビデオメッセージ、チャンドラ・パル・シン・ヤダフ国際協同組合同盟アジア太平洋地域(ICA―AP)会長の挨拶、高碕慎一・国際労働機関(ILO)駐日事務所代表の挨拶、シメル・エシム国際労働機関(ILO)協同組合・社会的連帯経済ユニット長のショート・プレゼンテ―ション、イラン協同組合会議所代表とマレーシア協同組合中央会代表による活動計画紹介などがあった。

キックオフイベントの会場は国連大学国際会議場
いずれも、協同組合をさらに発展させる決意を語ったが、とくに印象に残った挨拶やメッセージの1つはグレーテス国連事務総長のビデオメッセージだ。その中で、同事務総長は「皆さまは…貧困や社会的排除と闘い、食料安全保障を強化し、地域の事業者が、国内市場・国際市場にアクセスできるよう支援し、さらに多くのことを行っています。私たちの世界が複雑な課題に直面し、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向け取り組む中で、皆さまの団結した努力は不可欠です」「皆さまのテーマにあるように、協同組合はよりよい世界を築きます。国連は、この重要な取り組みにおいて皆さまとともにあることを誇りに思います」と述べた。
高碕ILO駐日事務所代表の「これから先、世界は一層、格差と分断が深まるだろう。協同組合が、連帯の力を発揮するよう祈念します」という挨拶も印象に残った。
協同組合のねらいはBetter Worldをつくること
キックオフイベントの第2部は国内・海外からのプレゼンテーションや組合員・役職員からのメッセージだった。さまざまな協同組合関係者から活動報告があったが、全国大学生活協同組合連合会の髙須啓太・理事がプレゼンテーションの中で「協同組合のねらいは、Better World(よりよい世界)をつくることにある」と発言した。
キックオフイベントの最後は、比嘉政浩・国際協同組合年(IYC2025)全国実行委員会幹事長(日本協同組合連携機構代表理事専務)による行動提起。その中で、比嘉氏は、国際協同組合年(IYC2025)全国実行委員会の活動目標は「持続可能で活力ある地域社会の実現に資することにある」として、次の4つの活動を進めようと呼びかけた。
1 協同組合に対する理解を促進し、認知度を高めること
2 協同組合の事業・活動・組織の充実を通じてSDGs達成に貢献すること
3 地域課題解決のため協同組合間連携やさまざまな組織との連携を進めること
4 国際機関や海外の協同組合とのつながりを強めること
2025.02.08
高校無償化の前に考えるべきこと
公立と私立の関係の整理が必要
「市立高校」とは何か
公立高校には都道府県立の他、市町村立がある地域も多い。昨年度段階で、全国の公立高校3400校余中、32道府県に184校の市町村立高校があった。2020年度には205校あったのだが、20校以上減少したのは大阪府の事情による。これについては後述する。地元に長く住んでいる人でも、市町村立の高校がある理由を知る人は少ないだろう。
小学校教育は戦前から国民皆学とされ、国民の基本的な資質・能力の形成を図る教育として普及した。教育内容は文部省の仕事であったが、校長などの人事は内務省の管轄であり、政府にとっては治安対策的な意味もあった。これに対し、中等教育(男子の旧制中学と女子の女学校)はエリート養成の一部であり、政府はその普及に抑制的であった。各府県が設置した旧制中学校は各地で、「第一」、「第二」と呼称され、東京府(当時)でさえ、初和初期までは9校(第九は現・都立北園高校)しかなかった。
しかし大正デモクラシーの時代に中等教育の需要は拡大し、市町村による中等教育学校や女学校の開設が広がり、さらには私立学校の設立の動きも広がった。いまでは東大進学で知られる灘中高(神戸市灘区)も、灘の酒造業経営者たちが、関係子弟たちの教育機会を確保するために開設した学校であった。市町村立の学校の多くは、地域経済の担い手養成のための商業科であったり、地場産業の人材養成のための工業科であったりした。女学校は当時、増えつつあった中産階級の家庭を支える「主婦」として必要な教養や家事能力の養成を教育の目的とした。
新制高校の序列
戦後、旧制中学校は新制高校となったが多くの場合、高校の序列は、エリート養成=都道府県立(大学進学)、地域人材養成=市町村立、その他=私立の順となった。私立は一部を除き、社会的地位も低く学費負担も大きく、「金のかかる滑り止め」の地位に甘んじていた。高校進学率は70年代に全国で90%を超えたが、地方では70%前後に留まっていたところが多かったのは、この構造ゆえであった。
このような私立学校の地位の低さは、現在に至る監督体制の緩やかさにもつながっている。公立高校については、都道府県の各教育委員会の中に高校教育課が置かれ、人事や各校の教育課程、教材選択など教育活動全般を監督している。例えば公立高校では修学旅行などの学校外行事については日程や経費に上限を設け、すべての生徒が参加できるように配慮している。
一方の私立高校については、府県によって異なるが、知事部局の総務部などに置かれた私学課など10数名程度の職員で指導・助成業務に当たっている。しかも私学課は一般に、私立大学から私立幼稚園、さらには宗教法人までを扱うのである。県によっては高校に対して「係」や「班」組織が担当している場合もある。したがって教育活動については届け出の受理が基本であり、よほどの問題がない限り指導することはない。修学旅行も長期間の海外旅行を実施し、保護者に大きな経済負担を求める学校も少なくない。
「弱い立場」の私立の生徒募集法
私立高校は公立高校の前に入試を行う。さらに多くの学校は年内の「相談会」と称する個別面談で、業者テスト結果や学校の成績表など持参した受験予定者に対して、「確約」なるものを出す。公立高校を第一志望とする生徒に対しては、より高いレベルの成績を要求し「併願確約」、当該私立校を第一志望とする生徒に対しては、入試当日の結果に関係なく合格を約束する「単願確約」を出すケースが多い。
一方の公立高校入試は、ほとんどの府県で同一日程での実施である。推薦入試を実施する府県もあるが、受験機会は限られる。受験生は公立高校入試の模擬テストである業者テストの算出する偏差値を参考に合格可能性の高い出願先を選択する。大学進学と異なり「浪人」が許されない条件のもとで発達してきた仕組みである。1993年、埼玉県教育長が「業者テスト追放」を主張し、文部省(当時)も同調し、偏差値「追放」の指導を行ったが、全国的にも完全に復活しているのは周知のとおりである。
公私序列の揺らぎ
私立高校が公立の補助的な地位に甘んじている間は公立高校の優位性は安定していた。しかし70年代から80年代にかけて大都市圏を中心に、この公私関係が揺らいできた。東京都では1968年に導入された「学校群制度」が契機となった。また80年代の第二次ベビーブーム世代の受け入れのため、多くの地方自治体は多数の新設校を開設し、その多くが「底辺校」などとも呼ばれる非進学校となり「公立離れ」を招いた面もあった。
その一方で私立を運営する学校法人の多くは、少子化を見越して拡張には抑制的で、進学対策に力を入れて評価を高める努力をしたものも多い。中学校を併設して「中高一貫」教育による進学教育の徹底の道を選択する学校も増えていった。とくに親の代に移住してきた大都市圏の住民にしてみれば、大学進学実績が高校評価の大きなポイントになるから、学費負担さえ厭わなければ私立高校の選択も以前よりも抵抗感が少なくなった。「伝統校」とは地域の伝統を共有する住民の間でのみ意味のあるものであった。
無償化のもたらすもの
現国会で日本維新の会が高校無償化を要求している。しかし、このような現状のなかで無償化を実施すれば何が起きるか。公立に先立って募集する私立のうち、とくに進学校としての地位を高めてきた高校に合格した生徒は、公立校の受験を前に私立高校への入学手続きをするだろう。また大学付属高校の場合は、その大学の社会的評価に保護者や生徒本人が満足するのであれば、積極的な選択理由になろう。公立校に進んで、大学進学に向けての塾費用などを考えればより賢明な選択となるからだ。この現象は、私立高校進学者への学費負担軽減を拡大した大阪府ですでに始まっている。2024年度入試では、全府立高校の半数近くの70校で定員割れする事態となっている。
維新大阪府政下で懸念されること
大阪府の市立高校は、維新府政以前の2010年段階では27校あったが、維新府政と維新市政が協力し2022年度、市から府に全面的に無償譲渡された。今後は定員割れを理由として半ば機械的に廃校とする大阪府教育条例が適用されることになった。先述のように市立高校は商業科や工業科が多く、大阪府の場合も同様である。高学歴化のなかで職業課程の高校進学者数は減少傾向にあり、定員割れする学校が多い。
旧市立の工業高校のうち4校がすでに3年連続で定員割れしている。さらに3校の旧市立商業高校も連続して定員割れしている。これらの高校は80年代に大都市周縁部に開設された新設校と異なり、市街地にある。これらの高校が廃校となれば、跡地は府にとって大きな財産となる。赤字が確定的とされている関西・大阪万博の負担が重くのしかかってくる大阪府は不動産などの資産の売却を急ぐことになるだろう。大阪市民の財産だったものが、いつの間にか関西万博の赤字補填に使われるという可能性も考えられるのである。
いま考えるべきこと
高校教育が義務教育化したといわれて久しい。しかし小中学校と異なり、歴史的にも複雑な事情で普及してきた経緯がある。高校教育の経済負担の軽減に異論はないが、無償化実施の前に整理すべき課題は多い。公立学校と私立学校との棲み分けをどうするのか、公費投入が拡大されるのであれば、私立高校の監督行政を強化すべきだろうが、どのような仕組みが適当かなどなど、である。
小川 洋 (教育研究者)
「市立高校」とは何か
公立高校には都道府県立の他、市町村立がある地域も多い。昨年度段階で、全国の公立高校3400校余中、32道府県に184校の市町村立高校があった。2020年度には205校あったのだが、20校以上減少したのは大阪府の事情による。これについては後述する。地元に長く住んでいる人でも、市町村立の高校がある理由を知る人は少ないだろう。
小学校教育は戦前から国民皆学とされ、国民の基本的な資質・能力の形成を図る教育として普及した。教育内容は文部省の仕事であったが、校長などの人事は内務省の管轄であり、政府にとっては治安対策的な意味もあった。これに対し、中等教育(男子の旧制中学と女子の女学校)はエリート養成の一部であり、政府はその普及に抑制的であった。各府県が設置した旧制中学校は各地で、「第一」、「第二」と呼称され、東京府(当時)でさえ、初和初期までは9校(第九は現・都立北園高校)しかなかった。
しかし大正デモクラシーの時代に中等教育の需要は拡大し、市町村による中等教育学校や女学校の開設が広がり、さらには私立学校の設立の動きも広がった。いまでは東大進学で知られる灘中高(神戸市灘区)も、灘の酒造業経営者たちが、関係子弟たちの教育機会を確保するために開設した学校であった。市町村立の学校の多くは、地域経済の担い手養成のための商業科であったり、地場産業の人材養成のための工業科であったりした。女学校は当時、増えつつあった中産階級の家庭を支える「主婦」として必要な教養や家事能力の養成を教育の目的とした。
新制高校の序列
戦後、旧制中学校は新制高校となったが多くの場合、高校の序列は、エリート養成=都道府県立(大学進学)、地域人材養成=市町村立、その他=私立の順となった。私立は一部を除き、社会的地位も低く学費負担も大きく、「金のかかる滑り止め」の地位に甘んじていた。高校進学率は70年代に全国で90%を超えたが、地方では70%前後に留まっていたところが多かったのは、この構造ゆえであった。
このような私立学校の地位の低さは、現在に至る監督体制の緩やかさにもつながっている。公立高校については、都道府県の各教育委員会の中に高校教育課が置かれ、人事や各校の教育課程、教材選択など教育活動全般を監督している。例えば公立高校では修学旅行などの学校外行事については日程や経費に上限を設け、すべての生徒が参加できるように配慮している。
一方の私立高校については、府県によって異なるが、知事部局の総務部などに置かれた私学課など10数名程度の職員で指導・助成業務に当たっている。しかも私学課は一般に、私立大学から私立幼稚園、さらには宗教法人までを扱うのである。県によっては高校に対して「係」や「班」組織が担当している場合もある。したがって教育活動については届け出の受理が基本であり、よほどの問題がない限り指導することはない。修学旅行も長期間の海外旅行を実施し、保護者に大きな経済負担を求める学校も少なくない。
「弱い立場」の私立の生徒募集法
私立高校は公立高校の前に入試を行う。さらに多くの学校は年内の「相談会」と称する個別面談で、業者テスト結果や学校の成績表など持参した受験予定者に対して、「確約」なるものを出す。公立高校を第一志望とする生徒に対しては、より高いレベルの成績を要求し「併願確約」、当該私立校を第一志望とする生徒に対しては、入試当日の結果に関係なく合格を約束する「単願確約」を出すケースが多い。
一方の公立高校入試は、ほとんどの府県で同一日程での実施である。推薦入試を実施する府県もあるが、受験機会は限られる。受験生は公立高校入試の模擬テストである業者テストの算出する偏差値を参考に合格可能性の高い出願先を選択する。大学進学と異なり「浪人」が許されない条件のもとで発達してきた仕組みである。1993年、埼玉県教育長が「業者テスト追放」を主張し、文部省(当時)も同調し、偏差値「追放」の指導を行ったが、全国的にも完全に復活しているのは周知のとおりである。
公私序列の揺らぎ
私立高校が公立の補助的な地位に甘んじている間は公立高校の優位性は安定していた。しかし70年代から80年代にかけて大都市圏を中心に、この公私関係が揺らいできた。東京都では1968年に導入された「学校群制度」が契機となった。また80年代の第二次ベビーブーム世代の受け入れのため、多くの地方自治体は多数の新設校を開設し、その多くが「底辺校」などとも呼ばれる非進学校となり「公立離れ」を招いた面もあった。
その一方で私立を運営する学校法人の多くは、少子化を見越して拡張には抑制的で、進学対策に力を入れて評価を高める努力をしたものも多い。中学校を併設して「中高一貫」教育による進学教育の徹底の道を選択する学校も増えていった。とくに親の代に移住してきた大都市圏の住民にしてみれば、大学進学実績が高校評価の大きなポイントになるから、学費負担さえ厭わなければ私立高校の選択も以前よりも抵抗感が少なくなった。「伝統校」とは地域の伝統を共有する住民の間でのみ意味のあるものであった。
無償化のもたらすもの
現国会で日本維新の会が高校無償化を要求している。しかし、このような現状のなかで無償化を実施すれば何が起きるか。公立に先立って募集する私立のうち、とくに進学校としての地位を高めてきた高校に合格した生徒は、公立校の受験を前に私立高校への入学手続きをするだろう。また大学付属高校の場合は、その大学の社会的評価に保護者や生徒本人が満足するのであれば、積極的な選択理由になろう。公立校に進んで、大学進学に向けての塾費用などを考えればより賢明な選択となるからだ。この現象は、私立高校進学者への学費負担軽減を拡大した大阪府ですでに始まっている。2024年度入試では、全府立高校の半数近くの70校で定員割れする事態となっている。
維新大阪府政下で懸念されること
大阪府の市立高校は、維新府政以前の2010年段階では27校あったが、維新府政と維新市政が協力し2022年度、市から府に全面的に無償譲渡された。今後は定員割れを理由として半ば機械的に廃校とする大阪府教育条例が適用されることになった。先述のように市立高校は商業科や工業科が多く、大阪府の場合も同様である。高学歴化のなかで職業課程の高校進学者数は減少傾向にあり、定員割れする学校が多い。
旧市立の工業高校のうち4校がすでに3年連続で定員割れしている。さらに3校の旧市立商業高校も連続して定員割れしている。これらの高校は80年代に大都市周縁部に開設された新設校と異なり、市街地にある。これらの高校が廃校となれば、跡地は府にとって大きな財産となる。赤字が確定的とされている関西・大阪万博の負担が重くのしかかってくる大阪府は不動産などの資産の売却を急ぐことになるだろう。大阪市民の財産だったものが、いつの間にか関西万博の赤字補填に使われるという可能性も考えられるのである。
いま考えるべきこと
高校教育が義務教育化したといわれて久しい。しかし小中学校と異なり、歴史的にも複雑な事情で普及してきた経緯がある。高校教育の経済負担の軽減に異論はないが、無償化実施の前に整理すべき課題は多い。公立学校と私立学校との棲み分けをどうするのか、公費投入が拡大されるのであれば、私立高校の監督行政を強化すべきだろうが、どのような仕組みが適当かなどなど、である。
2025.02.03
労働組合を考える―フジテレビの奇跡
韓国通信NO764
銀行で労働組合の活動をするとは夢にも思っていなかった。
入社した銀行の組合は分裂していた。ユニオン・ショップで自動的に加入した組合は明らかに会社のための多数組合だった。転職も考えたが将来に夢を託して少数第一組合へ加入、少し辛い選択だった。55歳で退職するまで仕事と組合活動に打ち込んだ。出世をしなかったかわりに多くの素晴らしい友人に恵まれた。
退職後、それまで大きな比重を占めていた組合活動は胡散霧消した。その後の三つの職場は組合活動と無縁だったが、労働運動については関心を持ち続けてきた。
わが国の労働運動が大きく変化したのは90年代後半からだ。驚天動地の首相のメーデー参加。政府と財界の後押しで賃上げが行われる異常事態。4割近い非正規雇用労働……。労働運動への疑問と失望のなか、今、フジテレビ労組が脚光を浴びている。フジテレビで起きた、タレントとの不祥事件が発端となった。
<存在感を示した労働組合>
迂闊だったが、フジテレビに労働組合があるとは知らなかった。何千人もいる社員のうち、たった80人という組合の人数が物語るように、組合活動はさぞかし苦労が多かったはずだ。労働条件の改善、放送の表現の自由、健全な民主主義の発展を掲げる民放労連(民間放送労働組合連合会)に加盟する同労組が存在感を示して、一躍500名を超す組合となった。
まぎれもなく日本の労働組合史上特筆すべき出来事である。余談だが、私がいた銀行は解雇という脅しをかけて組合加入を阻止しようとした。フジテレビの経営者にとっては腰を抜かすほどの衝撃だったはずだ。
組合は会社の責任、社長、会長を歴任した実力者の日枝久相談役の記者会見への出席を求め経営の刷新を求めた。1月27日から28日未明にかけて開かれた記者会見では、組合の主張に経営者は真摯に対応すると約束せざるを得なかった。
「経営刷新」という名の経営者退陣要求は、政府と財界の庇護にある労働組合では到底考えられないことだ。労働組合が社員の希望の星となった。会見席上に居並ぶ役員たちは二名の役員退陣と「おわび」の連発で火消しを図ったが、このまま視聴者とスポンサーから見放されれば倒産の可能性も否定できない。
民主主義の危機が叫ばれ、なかでも表現の自由と直接かかわる放送への国民の期待が高まるなか、人員削減による休暇の取得、時間外手当など放送現場の不満も多いはずだ。娯楽に特化したテレビ局の政権への過度な忖度まで指摘されるフジテレビが、経営刷新とともに今後どう変わるか注目したい。
困ったときに頼りにされてこそ真の労働組合。少数でも孤塁を守り、期待されて多数組合となって経営の民主化に乗り出したフジテレビ労組から学ぶことは多い。金融再編成の藻屑と消えた銀行のかつての少数組合員、テレビの一視聴者の独り言である。
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)
銀行で労働組合の活動をするとは夢にも思っていなかった。
入社した銀行の組合は分裂していた。ユニオン・ショップで自動的に加入した組合は明らかに会社のための多数組合だった。転職も考えたが将来に夢を託して少数第一組合へ加入、少し辛い選択だった。55歳で退職するまで仕事と組合活動に打ち込んだ。出世をしなかったかわりに多くの素晴らしい友人に恵まれた。
退職後、それまで大きな比重を占めていた組合活動は胡散霧消した。その後の三つの職場は組合活動と無縁だったが、労働運動については関心を持ち続けてきた。
わが国の労働運動が大きく変化したのは90年代後半からだ。驚天動地の首相のメーデー参加。政府と財界の後押しで賃上げが行われる異常事態。4割近い非正規雇用労働……。労働運動への疑問と失望のなか、今、フジテレビ労組が脚光を浴びている。フジテレビで起きた、タレントとの不祥事件が発端となった。
<存在感を示した労働組合>
迂闊だったが、フジテレビに労働組合があるとは知らなかった。何千人もいる社員のうち、たった80人という組合の人数が物語るように、組合活動はさぞかし苦労が多かったはずだ。労働条件の改善、放送の表現の自由、健全な民主主義の発展を掲げる民放労連(民間放送労働組合連合会)に加盟する同労組が存在感を示して、一躍500名を超す組合となった。
まぎれもなく日本の労働組合史上特筆すべき出来事である。余談だが、私がいた銀行は解雇という脅しをかけて組合加入を阻止しようとした。フジテレビの経営者にとっては腰を抜かすほどの衝撃だったはずだ。
組合は会社の責任、社長、会長を歴任した実力者の日枝久相談役の記者会見への出席を求め経営の刷新を求めた。1月27日から28日未明にかけて開かれた記者会見では、組合の主張に経営者は真摯に対応すると約束せざるを得なかった。
「経営刷新」という名の経営者退陣要求は、政府と財界の庇護にある労働組合では到底考えられないことだ。労働組合が社員の希望の星となった。会見席上に居並ぶ役員たちは二名の役員退陣と「おわび」の連発で火消しを図ったが、このまま視聴者とスポンサーから見放されれば倒産の可能性も否定できない。
民主主義の危機が叫ばれ、なかでも表現の自由と直接かかわる放送への国民の期待が高まるなか、人員削減による休暇の取得、時間外手当など放送現場の不満も多いはずだ。娯楽に特化したテレビ局の政権への過度な忖度まで指摘されるフジテレビが、経営刷新とともに今後どう変わるか注目したい。
困ったときに頼りにされてこそ真の労働組合。少数でも孤塁を守り、期待されて多数組合となって経営の民主化に乗り出したフジテレビ労組から学ぶことは多い。金融再編成の藻屑と消えた銀行のかつての少数組合員、テレビの一視聴者の独り言である。
2025.01.15
性別によらぬ長子相続を真剣に考えよ
皇室の未来をどうするか
有識者会議の報告書
明仁上皇の生前退位を契機に、皇室の将来を考える有識者会議が設置され、2021年暮れ、その報告書が発表された。清家篤元慶応義塾塾長を座長とし、10回余の会議を開催して参考人からの意見聴取などを行った。
現行の皇室典範に従えば、今上天皇の後継者は現実的には秋篠宮家の悠仁親王ただ一人であることはよく知られている。親王が結婚し男子が産まれて成長しなければ、皇位は途絶える。しかし親王の結婚相手が出現するだろうか。民間から皇室に入った美智子上皇后、雅子皇后が経験した苦労はよく知られている。皇室に自ら進んで入る女性が現れるかという問題も立ちはだかる。
この報告書は安倍政権の置き土産ともいえるもので、安倍政権に不自然に重用されていた人物たちが議論の足を引っ張り、有効性がないだけでなく建設的な議論を進めるうえで障害となっている。政治的にも経済的にも安倍時代を清算しないと日本の将来は開けない。皇位継承問題も同様である。
奇妙な前提-男系継承
報告書は、そもそも前提が間違っている。「(126代の)歴代の皇位は、例外なく男系で継承されてきました」としているのだ。日本史を高校段階程度まで学習した者なら知っているように、日本書紀に記された10代から20代あたりまでの天皇の実在性は疑わしいし、天皇の系図は当時の政治的意図に基づいて作成されたはずだ。
我が国最初の正史である「日本書紀」の編纂を手掛けたのは天武・持統朝である。この王朝は皇族間の軍事紛争(壬申の乱)の勝者であり、正史作成の目的は、自らの正統性を主張することだったと考えられる。また持統天皇(女帝)が藤原京の建設を進めたように、中国(唐王朝)に倣った国造りに邁進した時代である。そのため、わが国の王朝も中国と同じく男系で継承されてきたとする系図が作られたのであろう。実際には日本の古代社会は父系・母系の双系制であり、皇位継承も同様だったと考えられる。
報告書は女性天皇あるいは女系天皇を否定することを前提としているため、以下のように実現可能性のない提案しか示せていない。この報告書を前提として安定的な皇位継承に向けての議論を進めることは不可能である。
報告書が示す3つのオプションと旧「宮家」
会議報告では、3つのオプションが示された。
ひとつは女性宮家の創出である。現行法では女性は結婚すれば皇籍から離脱することになっている。法律を変更して、女性も宮家の当主となって皇族として残ってもらう。第二は、現行法では禁止されているが「皇統に属する」男性を養子縁組(女性宮家に婿入り)で皇室に入れる。第三に、「皇統に属する男系男子」を皇族の一員に迎えるという案である。ただし、さすがに報告書も第三の選択肢は非現実的としている。
第一の選択肢は根本的な解決策にならず、実際には第二の選択肢のみが示されたといえる。週刊誌などの報道によれば、安倍元首相は、戦後に廃止された旧宮家に属する男性は「皇統」に属するとし、新たに創設される女性宮家の内親王(具体的には、愛子内親王と佳子内親王)と結婚してもらうことを考えていたという。夫婦の間に男子が産まれれば、その子は天皇の血筋を引く者であるから、成長して天皇に即位してもらえばいいというのである。
報告書には明記されていないが、ここで想定されている「皇統に属する」男子は、戦後に離籍した伏見宮系の11の旧宮家の男性であるらしい。伏見宮家は南北朝の動乱が続いていた15世紀初め、創設された宮家であり、明治初期たまたま当主が17男15女もの子宝に恵まれる偶然があって多数の宮家が創設された。しかし、森暢平成城大教授らが指摘するように、伏見宮家は皇位継承とは縁のない状態で残ってきた宮家で、天皇の血筋からは非常に遠い存在となっていた。
宮家を整理した時点では、大正天皇に4人の男子がいて、昭和天皇を除く3人がそれぞれ秩父宮家などの宮家を創設しており、皇位継承者に困ることはないだろうと考えられていたこともあり、伏見宮系の宮家が廃止されたのは自然な流れであった。
天皇の血筋を引くものとは
皇統とは「天皇の血筋を引くもの」であるが、伏見宮家は数百年にわたって皇位から遠ざかっていた傍系で、その血筋は薄いと考えられていた。また血筋を引いているとするには、数百年間の間に後継者を産んだ女性たちの一人もが「間違いを犯していない」ことが絶対的な条件となる。戦後の離脱以前にも、宮家の当事者のなかには皇族として扱われることに居心地の悪さを感じ、離脱をよしとする者もいたという。
また伏見宮家が創設された室町初期、南朝の天皇及び公家たちは、一時、京都に戻ったものの、待遇に不満を募らせて再び吉野に戻っている。彼らは戦国時代半ばまで様々な勢力に担がれて歴史のあちこちに姿を現している。その間にも南朝系の天皇の血筋の子孫が残されているはずである。世界のどの地域どの時代でも、有力者の血が広く薄く広がった歴史がある。現代日本人の間にも、高貴な方々の血が広がっていると考えるのが自然だろう。
どうしても女性天皇を見たくない人たち
報告書は男系一貫を主張したため、旧宮家の再利用という奇妙な選択肢を示したが、会議の参考人として意見を述べた宍戸常寿東大教授は、そのような議論に危惧の念を示している。「(皇族数を不自然な形で増やすことは)他国から見て天皇制、ひいては日本社会に対する誤解を招く可能性がある」と指摘している。旧宮家の復活による皇位継承者の確保という議論は、日本は理解困難な不気味な国だ、という印象を諸外国に与え、国の評価を危うくすることになろう。
有識者会議に参考人として呼ばれた人物の人選にも大いに疑問がある。例えば櫻井よしこ氏である。氏は、「天皇の役割は基本的に祈りにあり、その存在と祭主(であること)」だと言う。また皇族の役割は「皇統継続の男系男子の人材を供給する」ことだと主張する。皇族は「人材供給源」だそうである。何とも無礼な物言いではないか。女性宮家の創設については、「女系天皇容認論につながる可能性があり、極めて慎重であるべき」、「天皇の地位は長い歴史の中で一度の例外もなく男系で継承されてきた」とも言う。信仰というか妄想というべきか。
もう一人、八木秀次氏は「皇位継承資格を女系に拡大することは、一般国民と質的に変わらない人物が天皇・皇族になることであり、その正統性が疑われるばかりか、敬愛・尊崇の対象ともならない」と主張する。氏によれば、「女性皇族は一般国民と同質」なのだそうだ。この奇妙な主張を理解するためには、氏が「日本人は古来、神武天皇のY染色体を引き継いだ天皇を尊んできた」という説(『本当に女帝を認めてもいいのか』、洋泉社、2005)を唱えていたことがヒントになるだろう。遺伝子レベルで天皇を論じる珍説だが、安倍元首相やその周辺の人たちにはそれなりの影響を与えてきたといわれる。
ひとつ提案がある。旧宮家の復活を画策するのであれば、八木氏たちに候補者と面接していただいたらどうか。八木氏ら特殊な能力の持ち主たちに旧宮家の男性が真正の天皇の染色体をお持ちかどうか確認してもらう。真正の染色体をもっていれば、彼らには自然と尊崇の念が湧いてくるようだし、まがいものであれは、敬愛・尊崇の念が湧かないはずである。ただ八木氏らの心に敬愛・尊崇の念が湧いたか否か、誰が判断するのだろうか。
国民の総意として、「国民統合の象徴」である天皇を維持しようとするのであれば、当面は、国際的な情勢にも応じ、性別によらぬ長子相続を真剣に考えるべきである。それだけで候補者が増える。皇位継承問題は急がれている。まともな政治的主導力が求められている。
小川 洋(教育研究者)
有識者会議の報告書
明仁上皇の生前退位を契機に、皇室の将来を考える有識者会議が設置され、2021年暮れ、その報告書が発表された。清家篤元慶応義塾塾長を座長とし、10回余の会議を開催して参考人からの意見聴取などを行った。
現行の皇室典範に従えば、今上天皇の後継者は現実的には秋篠宮家の悠仁親王ただ一人であることはよく知られている。親王が結婚し男子が産まれて成長しなければ、皇位は途絶える。しかし親王の結婚相手が出現するだろうか。民間から皇室に入った美智子上皇后、雅子皇后が経験した苦労はよく知られている。皇室に自ら進んで入る女性が現れるかという問題も立ちはだかる。
この報告書は安倍政権の置き土産ともいえるもので、安倍政権に不自然に重用されていた人物たちが議論の足を引っ張り、有効性がないだけでなく建設的な議論を進めるうえで障害となっている。政治的にも経済的にも安倍時代を清算しないと日本の将来は開けない。皇位継承問題も同様である。
奇妙な前提-男系継承
報告書は、そもそも前提が間違っている。「(126代の)歴代の皇位は、例外なく男系で継承されてきました」としているのだ。日本史を高校段階程度まで学習した者なら知っているように、日本書紀に記された10代から20代あたりまでの天皇の実在性は疑わしいし、天皇の系図は当時の政治的意図に基づいて作成されたはずだ。
我が国最初の正史である「日本書紀」の編纂を手掛けたのは天武・持統朝である。この王朝は皇族間の軍事紛争(壬申の乱)の勝者であり、正史作成の目的は、自らの正統性を主張することだったと考えられる。また持統天皇(女帝)が藤原京の建設を進めたように、中国(唐王朝)に倣った国造りに邁進した時代である。そのため、わが国の王朝も中国と同じく男系で継承されてきたとする系図が作られたのであろう。実際には日本の古代社会は父系・母系の双系制であり、皇位継承も同様だったと考えられる。
報告書は女性天皇あるいは女系天皇を否定することを前提としているため、以下のように実現可能性のない提案しか示せていない。この報告書を前提として安定的な皇位継承に向けての議論を進めることは不可能である。
報告書が示す3つのオプションと旧「宮家」
会議報告では、3つのオプションが示された。
ひとつは女性宮家の創出である。現行法では女性は結婚すれば皇籍から離脱することになっている。法律を変更して、女性も宮家の当主となって皇族として残ってもらう。第二は、現行法では禁止されているが「皇統に属する」男性を養子縁組(女性宮家に婿入り)で皇室に入れる。第三に、「皇統に属する男系男子」を皇族の一員に迎えるという案である。ただし、さすがに報告書も第三の選択肢は非現実的としている。
第一の選択肢は根本的な解決策にならず、実際には第二の選択肢のみが示されたといえる。週刊誌などの報道によれば、安倍元首相は、戦後に廃止された旧宮家に属する男性は「皇統」に属するとし、新たに創設される女性宮家の内親王(具体的には、愛子内親王と佳子内親王)と結婚してもらうことを考えていたという。夫婦の間に男子が産まれれば、その子は天皇の血筋を引く者であるから、成長して天皇に即位してもらえばいいというのである。
報告書には明記されていないが、ここで想定されている「皇統に属する」男子は、戦後に離籍した伏見宮系の11の旧宮家の男性であるらしい。伏見宮家は南北朝の動乱が続いていた15世紀初め、創設された宮家であり、明治初期たまたま当主が17男15女もの子宝に恵まれる偶然があって多数の宮家が創設された。しかし、森暢平成城大教授らが指摘するように、伏見宮家は皇位継承とは縁のない状態で残ってきた宮家で、天皇の血筋からは非常に遠い存在となっていた。
宮家を整理した時点では、大正天皇に4人の男子がいて、昭和天皇を除く3人がそれぞれ秩父宮家などの宮家を創設しており、皇位継承者に困ることはないだろうと考えられていたこともあり、伏見宮系の宮家が廃止されたのは自然な流れであった。
天皇の血筋を引くものとは
皇統とは「天皇の血筋を引くもの」であるが、伏見宮家は数百年にわたって皇位から遠ざかっていた傍系で、その血筋は薄いと考えられていた。また血筋を引いているとするには、数百年間の間に後継者を産んだ女性たちの一人もが「間違いを犯していない」ことが絶対的な条件となる。戦後の離脱以前にも、宮家の当事者のなかには皇族として扱われることに居心地の悪さを感じ、離脱をよしとする者もいたという。
また伏見宮家が創設された室町初期、南朝の天皇及び公家たちは、一時、京都に戻ったものの、待遇に不満を募らせて再び吉野に戻っている。彼らは戦国時代半ばまで様々な勢力に担がれて歴史のあちこちに姿を現している。その間にも南朝系の天皇の血筋の子孫が残されているはずである。世界のどの地域どの時代でも、有力者の血が広く薄く広がった歴史がある。現代日本人の間にも、高貴な方々の血が広がっていると考えるのが自然だろう。
どうしても女性天皇を見たくない人たち
報告書は男系一貫を主張したため、旧宮家の再利用という奇妙な選択肢を示したが、会議の参考人として意見を述べた宍戸常寿東大教授は、そのような議論に危惧の念を示している。「(皇族数を不自然な形で増やすことは)他国から見て天皇制、ひいては日本社会に対する誤解を招く可能性がある」と指摘している。旧宮家の復活による皇位継承者の確保という議論は、日本は理解困難な不気味な国だ、という印象を諸外国に与え、国の評価を危うくすることになろう。
有識者会議に参考人として呼ばれた人物の人選にも大いに疑問がある。例えば櫻井よしこ氏である。氏は、「天皇の役割は基本的に祈りにあり、その存在と祭主(であること)」だと言う。また皇族の役割は「皇統継続の男系男子の人材を供給する」ことだと主張する。皇族は「人材供給源」だそうである。何とも無礼な物言いではないか。女性宮家の創設については、「女系天皇容認論につながる可能性があり、極めて慎重であるべき」、「天皇の地位は長い歴史の中で一度の例外もなく男系で継承されてきた」とも言う。信仰というか妄想というべきか。
もう一人、八木秀次氏は「皇位継承資格を女系に拡大することは、一般国民と質的に変わらない人物が天皇・皇族になることであり、その正統性が疑われるばかりか、敬愛・尊崇の対象ともならない」と主張する。氏によれば、「女性皇族は一般国民と同質」なのだそうだ。この奇妙な主張を理解するためには、氏が「日本人は古来、神武天皇のY染色体を引き継いだ天皇を尊んできた」という説(『本当に女帝を認めてもいいのか』、洋泉社、2005)を唱えていたことがヒントになるだろう。遺伝子レベルで天皇を論じる珍説だが、安倍元首相やその周辺の人たちにはそれなりの影響を与えてきたといわれる。
ひとつ提案がある。旧宮家の復活を画策するのであれば、八木氏たちに候補者と面接していただいたらどうか。八木氏ら特殊な能力の持ち主たちに旧宮家の男性が真正の天皇の染色体をお持ちかどうか確認してもらう。真正の染色体をもっていれば、彼らには自然と尊崇の念が湧いてくるようだし、まがいものであれは、敬愛・尊崇の念が湧かないはずである。ただ八木氏らの心に敬愛・尊崇の念が湧いたか否か、誰が判断するのだろうか。
国民の総意として、「国民統合の象徴」である天皇を維持しようとするのであれば、当面は、国際的な情勢にも応じ、性別によらぬ長子相続を真剣に考えるべきである。それだけで候補者が増える。皇位継承問題は急がれている。まともな政治的主導力が求められている。
2024.12.28
パンなどでなくお米を選ぶ理由は「おいしいから」
日本生協連がお米についてアンケート調査
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
日本生活協同組合連合会(日本生協連・組合員3000万人)は、主食であるお米の利用実態を把握し、生産者と産地の取り組みや応援に役立てることを目的に、2021年度から毎年、「お米についてのアンケート」(WEBアンケート)をおこなってきたが、2024年度の調査結果がまとまった。調査期間は10月の1日~8日、有効回答数は6436件だった。調査結果の主なトピックを拾うと――
お米を「いつもどおり購入できた」人は18.4%
2024年7月から9月ごろ、一部地域で、お米を購入しづらかったり、購入できなかったりする状況が発生した。各家庭における当時の状況を尋ねたところ、「いつもよりも購入はしにくかったが、購入はできた」が41.9%、「購入する必要がなかった」が27.6%、「いつもどおり購入できた」が18.4%だった。
お米の入手先を見ると、「いつもよりも購入しにくかったが、購入はできた」人では、「生協の宅配」が27.3%、「スーパー(生協以外)」が27.0%、「いつもどおり購入できた」人では、「生協の宅配」が27.1%を占めていて、生協による宅配がお米の消費で重要な位置を占めていることが分かった。
炊くお米の量は若い世代ほど多い
各家庭で1週間に炊くお米の量は、「2合~5合」「5合~10合」「10合~15合」が上位を占めた。1週間に炊くお米の量は、若い世代ほど多く、ピークは40代で、調査結果は「家族構成が影響しているのでは」としている。
よく買うお米の量は、「5㎏」が最多で64%、前回調査と比較すると、「10㎏」購入は減少し、「1㎏」未満の購入が増加しているという。
お米を選ぶ理由では「米が好き、おいしいから」が第1位に浮上
パンや麺などではなく、お米を選ぶ理由について尋ねたところ、「米が好き、おいしいから」が63.1%で、前年度より2.8ポイント増加した。2021年の調査開始から2023年の調査まで、「米を食べるのが習慣になっているから」が第1位を占めていたが、今年の調査で初めて「米が好き、おいしいから」が第1位になった。
一方、「米は安い、経済的だから」の回答数は11.6%で、前年より5.9ポイント減少した。回答数は毎回、徐々に減少しているそうで、調査結果は「お米の相場上昇の影響が如実に表れる結果となった」と述べている。
安くなれば、もっとお米を食べたくなる
もっとお米を食べたくなる条件を尋ねたところ、「安くなる・増量される」が40.8%で、前年より6.2ポイント増加した。2021年の調査開始から2023年の調査までは、「おいしくなる」が第1位を占めていたが、今回の調査で初めて、「安くなる・増量される」が第1位になった。調査結果は、米の相場上昇の影響を受けた面もあるのではと推測している。