2024.01.08
30年足らずの間に3度の大地震に見舞われた日本列島、2024年は能登半島地震と羽田航空機事故で明けた
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
昨年暮れ、自民党政治資金(裏金)疑惑をめぐる東京地検特捜部の安倍派事務所・二階派事務所の強制捜査が始まり、日本政界に衝撃が走った。「パンドラの箱」を開けた――とまではいかないが、情勢によっては今後思いもかけない展開が待っているかもしれない。だが、積年にわたる金権腐敗の腐臭に慣れた政権与党の面々はいっこうに動こうとしないし、汚泥を取り除こうともしない。風向きが変われば、そのうち何処かへ消えてゆくとでも思っているらしい。
そんなどす黒い空気が漂っている所為か、新年を迎えても何だかお祝いの言葉を交わす気持ちになれなかった。そんな元旦の午後、能登半島で大地震が発生し、翌日には羽田空港で日航機と海上保安機が衝突して炎上する大事故が起こったのである。能登半島地震は震源地が広範囲にわたっているからか、日本海沿岸はもとより近畿地方でも大きな横揺れを感じた。京都伏見の拙宅にも30秒を超える横揺れが続き、全ての電源を切って飛び出す用意をしなければならないほどだった。
「天災は忘れた頃にやってくる」という有名な言葉がある。科学者であり随筆家でもあった寺田寅彦の言葉だ。だが、今は違う。「天災は忘れないうちにやってくる」ようになった。1995年1月の阪神・淡路大震災、2011年3月の東日本大震災、そして2023年1月の能登半島地震とこの30年足らずの間に日本列島は3度にわたる大地震に襲われ、とりわけ東日本大震災ではチェルノブイリ原子力発電所事故に続く福島原発事故によって、現在においても広範な地域が放射能汚染によって「居住制限区域」に指定されて無人地帯となっている。東日本大震災については、拙ブログ「広原盛明のつれづれ日記」で2011年3月17日から2013年2月28日までの2年間、200回を超える長期シリーズとして連載した。今となっては見るも恥ずかしい駄文の連続だが、当時の現況を伝える現地記録としては一定の意味があると考えている。今回は東日本大震災をさておき、まだ拙ブログを始めていなかった阪神・淡路大震災にのことついて語りたい。
私が最初に遭遇した大地震は、1995年1月真冬の阪神・淡路大震災である。淡路島から神戸の中心市街地にかけて震度7の「激震ベルト」が走り、一帯のビルや家屋が根こそぎなぎ倒壊した。20万棟余に及ぶ建物倒壊によって死者は6000人を超え、神戸の私の知人や友人、その家族も多くが被災者となった。当時私が勤務していた京都市内の大学には、神戸や尼崎周辺から多数の学生が通学していた。一刻も早く安否を確かめるためあらゆる手段を講じたが、電話がつながらず交通が途絶していたためいっこうに埒が明かない。新聞(神戸新聞社が壊滅し、京都新聞社が代わりに印刷していた)やエフエム放送での呼びかけも効果がなく、最後はクラスメートや教員が集団で現地まで行って直接確かめるほかなかった。一行は辛うじて動いていた阪急電車で西宮北口駅(それ以遠は途絶)まで行き、そこから神戸市内まで数時間以上かけて歩いた。幹線道路は緊急車両や霊柩車(全国から動員されていた)で溢れ、沿道の小学校は遺体安置場になっていた。地元の火葬場が壊滅していたため、近畿一円の火葬場に遺体を運ぶヘリコプターが小学校校庭からひっきりなしに離着陸していた。
被災地支援にはいろんな段階がある。地震発生直後は被災者の救出・救命活動が最優先されることは勿論だが、地震が収まると継続的な生活復旧支援が求められ、その次は長期にわたる都市計画やまちづくりが課題となる。この期間がどれぐらいになるかは、それぞれの地域の姿(大都市・地方都市・農山漁村など)によって異なり、被災状況によっても異なる。しかし大事なことは、復旧復興支援の方法を誤るとそれが「二次災害」の原因になり、「復興災害」に化す場合もあるということである。
兵庫県や神戸市は災害対策の先進自治体だと言われているが、実態は必ずしもそうとは言えない。そのことは、原田純孝編『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』(東大出版会、2001年)の「阪神・淡路大震災における震災復興都市計画の検証――20世紀成長型近代都市計画の歴史的終焉」、『開発主義神戸の思想と経営、都市計画とテクノクラシー』(日本経済評論社、2001年)で検証した。その後、兵庫県医師会長や震災復興研究センター事務局長らとの共著『神戸百年の大計と未來』(晃洋書房、2017年)、市民検証研究会編『負の遺産を持続可能な資産へ、新長田南地区再生の提案』(クリエイツかもがわ、2022年)、日本災害復興学会編『災害復興学事典』(朝倉書店、2023年)の「復興概念の政治性」の中で阪神・淡路大震災の歴史的総活を試みた。
阪神・淡路大震災の特徴を一言で言えば、日本が1991年のバブル崩壊を機に低経済成長と人口減少などを基調とする「失われた20年=ポスト成長期」に移行していたにもかかわらず、兵庫県や神戸市は依然として高度経済成長時代の夢を捨て切れず、震災を「千載一遇のチャンス」として阪神地域の大改造を決行しようとしたことである。とりわけ「開発主義の権化」とも言うべき神戸市は、震災発生5時間後に市長命を受けた総務局長が都市計画局・住宅局職員2百数十名に(救出・救命活動を二の次にして)被災地図の作成を命じるという信じられないような行動に出た。そして、この被災地図をもとに10数日間で(秘密裏に)「震災復興都市計画案」を作り、地震発生2ヶ月後に都市計画審議会を開き、会場を取り囲んだ被災者や市民の反対を押し切って計画決定を強行したのである。避難所に被災者が溢れているという非常事態の中で強行決定された神戸市の震災復興都市計画は〝災害便乗型復興都市計画〟そのものであり、〝ショック・ドクトリン政策〟の日本版ともいえる世紀的暴挙だった。(能登半島の被災地において、もし市町村職員が救出・救命活動を二の次にして被災地図の作成を最優先したとしたら、それがどんな結果をもたらすかを想像してほしい)。
私は1960年代後半から神戸市の住宅政策に関わり、心ある市職員とともに長田区の下町(木造密集市街地)のすまい・まちづくりを支援してきた。それが災害便乗型都市計画によって断ち切られたことへの憤りと抗議の意味を込めて、震災発生後1年目に『震災・神戸都市計画の検証~成長型都市計画とインナーシティ再生の課題~』(自治体研究社、1996年)を書いた。全ての図書館が閉鎖されているなかでの極めて困難な作業であったが、それが市幹部の怒りを買ったのか、程なくして20数年間務めてきた住宅審議会委員を解任された。神戸でのまちづくり研究と実践については、『現代のまちづくりと地域社会の変革』(学芸出版社、2002年)で詳しく解説している。
それから30年近い時間が流れた現在、震災復興都市計画事業の目玉ともいうべき「新長田南地区災害復興計画」(焼け野原となった市街地に計画された日本最大級20ヘクタールの復興再開発事業)は2300億円近い予算を投入したにもかかわらずいまだ完了せず(さらに赤字500億円余を予測)、しかも中心街の巨大商店街はシャッター通りと化して「ゴーストタウン」さながらの様相を呈している。高度経済成長時代の夢を実現しようとした災害便乗型復興計画事業はいまや〝20世紀の負の遺産〟と化し、人口減少に悩む神戸市の持続的発展を阻んでいるのである。
しかしながら、阪神・淡路大震災はその一方で「阪神・淡路まちづくり支援機構」という日本で初めての災害支援を目的とする専門家集団を生み出したことを特記しなければならない。私も及ばずながらその設立に尽力したが、同支援機構は東京・東海を始め全国各地での専門家集団設立のモデルになり、また東日本大震災では調査団の派遣、現地での地元専門家集団と交流など全国各地で活発な活動を続けている。同機構のホームページには、設立趣旨や経過が次のように記されている。
――1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、約20万棟を越える建物が全半壊・全半焼しました。阪神・淡路まちづくり支援機構は、この阪神・淡路大震災による被災地における市民のまちづくりを支援するために設立された団体です。まちづくりの主体となるのは、あくまでも当該地域の市民にほかなりません。しかし、まちづくりは、土地、建物という不動産にかかわることであり、法律問題一般の他、登記、測量、税務、不動産の評価、設計という多くの専門知識が必要になります。これは単一の専門家では対応できるものではなく、このようなニーズに十分応えるためには、弁護士、司法書士、土地家屋調査士、税理士、不動産鑑定士、建築士という専門家の連携が必要となります。そこで支援機構は、専門家が垣根を越えてワンパックで被災地の市民のまちづくりを支援するために設立したものです。
――このように支援機構は、上記の専門家である6職種・9団体が連携して被災地の市民のまちづくりを支援できるようにするとともに、日本建築学会、都市住宅学会の協力を得て1996(平成8)年9月4日に設立されました。支援機構は個人の組織した団体ではなく、専門家団体が組織した我が国で初めての横断的NPOです。構成団体は以下のとおりです。大阪弁護士会、兵庫県弁護士会、近畿税理士会、近畿司法書士会連合会、土地家屋調査士会近畿ブロック協議会、社団法人日本不動産鑑定協会近畿地域連絡協議会、社団法人日本建築家協会近畿支部、近畿建築士会協議会、建築士事務所協会近畿ブロック協議会。
――まちづくりを行うには、国、自治体等の行政との連携も不可欠であり、支援機構は行政とも協力しながら活動をしています。支援機構は、主に都市計画決定のなされていない地域(これを「白地地域」といいます)におけるまちづくりの支援を行うことにしていますが、いたずらに行政と対抗関係に立つのではなく、また行政の下請けになるのでもなく、対等な立場で行政と連携しながら市民のまちづくりを支援するものです。被災地の経験や蓄積されたノウハウを他の地域に伝えるのは、被災地の義務であると考えられます(これを神戸大学の室崎益輝教授は「被災地責任」と呼びます)。支援機構は今後も、被災地責任をはたすために、全国に対し、被災地の市民のまちづくりを支援するため、専門家、行政、NPO及び研究者の連携による支援機構の設立を呼びかけて行きたいと考えています。なにとぞ、ご理解とご協力をいただきますようお願い申し上げます。
支援機構の活動は、東日本大震災の震災復興都市計画にも大きな影響を与えている。「巨大施設はつくらない」「持続可能なまちづくりを目指す」「国や自治体の行政計画を丸のみしない」「信頼する専門家集団のアドバイスを受ける」「自分たちの頭で考え、自分たちで実行する」などなど、阪神・淡路大震災の教訓が生きた形で受け継がれている。能登半島地震は目下救出・救命活動が先行する緊急事態にあるが、その後の生活復旧支援やまちづくりの段階においては、支援機構の経験や助言を大いに活用してほしい。(つづく)
2019.06.15
大阪都構想にブレーキが掛かった、堺市長選の大接戦が次の展望を切り開いた
大阪維新のこれから(8)
全国注視の中で堺市長選が2019年6月9日(日)に投開票された。翌10日(月)は新聞休刊日なのでどうしようかと思っていたら、当日深夜に「堺からのアピール・市民1000人委員会」から選挙結果についてのメールが送られてきた。6月11日(火)の各紙朝刊と読み比べてみても、内容は正確であり、かつ分析も的確なので以下に再録したい。
「堺市長選へのご支援ありがとうございました。得票が確定しました。維新・永藤137,862票(得票率49.5%)、無所属・野村123,771票(得票率44.4%)、諸派・立花14,110票(得票率5.1%)、投票総数278,808票(投票率40.8%)でした」
「当初はダブルスコアの差を付けられていた野村が、選挙戦での論戦を通じて猛追。大阪ダブル選挙での維新圧勝、堺市議選での維新陣営の3万の得票増、竹山問題での維新のアドバンデージ、候補者擁立の決定的遅れ(永藤は大型連休前4月末に擁立決定、野村は5月17日出馬表明)など、維新が得票を大きく上積みするのではないかと思われましたが、結果は、維新は前々回の市長選で140,569票(得票率41.5%)、前回が139,930票(得票率46.2%)、今回が137,862票(得票率49.5%)と票を減らし続けています。よく言って頭打ちです。維新支持者は強固ですが広がっていません」
「他方、我々側は候補擁立の出遅れや政治不信の蔓延、選挙疲れなどで得票率を上げることができませんでした。一時は30%台まで落ちるかもと懸念されたものの、選挙が熱気を帯びる中で何とか40%台を確保しました。しかし橋下が堺に襲い掛かってきた前々回の51%、前回の44%には及びませんでした。維新を落とすためには投票率が決定的です。もう一歩足りませんでした」
「論戦では維新が都構想論議を隠し、抽象的な『府市一体の成長』を叫び、あとは政治とカネなどで様々なフェイクをばらまき、こちら側への口汚い攻撃に終始したのに対して、野村・チーム堺側は地道で細やかな政策をこれまでの成果と今後の見通しを提起し、そのためにも政令市維持が必要だと愚直に訴え続けました」
「選挙態勢でも共産党も加わる『住みよい堺市をつくる会』の活動や『1000人委員会』など市民グループの創意を包み込み連携する態勢が作られました。『1000人委員会』では若い人の立ち上がりと下からの創意工夫、自発性も育ちました。私たちはこれから4年間の維新・永藤市政と対峙し、市民生活破壊は許さない陣形をさらに強化していきます。とりあえず急ぎのご報告とお礼に変えます」
立派な総括なのでもはやこれ以上付け加えることもないが、マスメディア関連の記事も含めて多少の感想を述べてみたい。まず、大手紙の見出しと記事はいずれも得票数の「僅差」や選挙戦における両陣営の「接戦」を強調するもので、とりわけ反維新陣営の「猛追」に注目した記事が多かった。例えば...
〇産経新聞
―「反維新のとりで」とも呼ばれた前市長の竹山修身氏が「政治とカネ」の問題で失脚。追及の先頭に立ってきた維新に追い風が吹く中で迎えた選挙戦だったが、蓋を開けてみれば次点候補に1万4千票差という「薄氷」の勝利だった。この結果について維新代表の松井一郎・大阪市長は、「やはり都構想への拒否感ではないか。これを解消できなかったのは、われわれの力不足だ」と反省を口にした。そのうえで、大阪市のみを廃止・再編する現状の都構想の取りまとめに集中したい」と述べた。
―一方、永藤氏を猛追した元堺市議、野村友昭氏の反維新陣営も結果に一定の手応えを感じている。野村氏を支援した自民党の岡下昌平衆院議員は取材に「都構想に『ノー』と唱えた野村氏に自民支持層の半数以上が票を投じた」と指摘し、維新への融和を打ち出す渡嘉敷奈緒美会長を牽制。自民の堺市議団を中心に、今後も反都構想の運動が継続されるとの見方を示した。
〇日本経済新聞
―都構想の賛否を問う住民投票が2020年秋にも実施される見通しの中、永藤氏は都構想の堺市の参加を巡る議論を〝封印〟した選挙戦を展開した。会見でも永藤氏は「まだ堺市では検討もされていない。大阪市の議論を見守りたい」と述べるにとどめた。...「本当に大変な選挙だった。対立候補を応援した人の意見にも耳を傾けながら、堺のために必要なことを進めたい」。9日夜、接戦を制した永藤氏に笑みはなく事務所に集まった支持者らに引き締まった表情で挨拶した。
―野村氏を支援してきた自民の岡下昌平衆院議員は、辞職した竹山前市長を自民が支えてきたことに触れ「今回はマイナスからのスタートだった」と振り返る。「当初は大差で敗れるとの予想もあったのに、ここまでやれたのは驚き。都構想に反対するスタンスは一切変わらない」と力を込めた。一方、自民大阪府連の渡嘉敷奈緒美会長は9日夜に記者会見し、「国政で対極にある共産党と連携しているように見えたことが敗因」と分析した。渡嘉敷会長は21日に再開される法定協議会までに都構想に対するスタンスを明確にするとしている。「共産と立ち位置を変えて、住民投票に賛成する立場を明確にする」と述べた。
このように、大阪都構想の実現に肯定的であり、大阪維新を支援している産経、日経両紙でさえが、堺市民に通底する強い「都構想への拒否感」の存在を認めざるを得なかったことは注目に値する。このことは、都構想を封印して選挙争点から逸らし、「政治とカネ」問題に有権者の目を引きつけ、「府市一体の成長」キャンペーンで漠然とした期待を盛り上げるという維新陣営の選挙戦略を根底から突き崩すものとなった。維新候補自身の「大変な選挙だった」との嘆息や、松井代表の「われわれの力不足」といった発言は、この「想定外」の事態に対する彼らなりの反省の弁でもあろう。
ところが笑止千万なのは、渡嘉敷自民大阪府連会長が「(野村氏の)敗戦の理由は共産党と連携しているように見えたこと」と断言し、「共産との連携を断ち切るのが大切だ」と言い放ったことだ(朝日新聞6月11日)。自民大阪府連が反維新陣営の候補を支援せずに傍観したうえ、あまつさえ大阪都構想に反対する市民の連携を非難したことは、この人物をはじめとする大阪自民国会議員の大半が公明と同じく維新の側に立っていることを意味する。まさに反維新陣営は「身内から鉄砲玉が飛んでくる」(毎日新聞6月10日)状況に置かれていたのであり、このことが今後の国政選挙に多大な影響を及ぼすことは避けられないだろう。より具体的に言えば、反維新陣営に非協力的だった自民国会議員は今後地方議員からの支援を受けることが難しくなり、次の国政選挙では呵責のない洗礼を受けると言うことだ。
一方、反維新陣営に結集した会派や市民グループは、次の目標に向かって確かな橋頭堡を築いたと言える。これから激化する市議会での攻防はともかく、次期市長選までの4年間に市民の間でどれだけ「反維新=反都構想」のネットワークを拡げることができるかがカギとなる。僅か3週間で維新陣営と対等の選挙戦を展開するまでに成長した集団なのだ。4年間の月日が経過する中で次々と明らかになってくる大阪都構想の欺瞞と矛盾を暴き出し、大阪市民とも連携して来年秋の都構想住民投票で勝利する体制を整えることが堺での勝利につながる。6月23日には市民レベルの総括集会が開かれると聞くが、その時には来年の大阪市住民投票についても話し合ってほしい。(つづく)
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
全国注視の中で堺市長選が2019年6月9日(日)に投開票された。翌10日(月)は新聞休刊日なのでどうしようかと思っていたら、当日深夜に「堺からのアピール・市民1000人委員会」から選挙結果についてのメールが送られてきた。6月11日(火)の各紙朝刊と読み比べてみても、内容は正確であり、かつ分析も的確なので以下に再録したい。
「堺市長選へのご支援ありがとうございました。得票が確定しました。維新・永藤137,862票(得票率49.5%)、無所属・野村123,771票(得票率44.4%)、諸派・立花14,110票(得票率5.1%)、投票総数278,808票(投票率40.8%)でした」
「当初はダブルスコアの差を付けられていた野村が、選挙戦での論戦を通じて猛追。大阪ダブル選挙での維新圧勝、堺市議選での維新陣営の3万の得票増、竹山問題での維新のアドバンデージ、候補者擁立の決定的遅れ(永藤は大型連休前4月末に擁立決定、野村は5月17日出馬表明)など、維新が得票を大きく上積みするのではないかと思われましたが、結果は、維新は前々回の市長選で140,569票(得票率41.5%)、前回が139,930票(得票率46.2%)、今回が137,862票(得票率49.5%)と票を減らし続けています。よく言って頭打ちです。維新支持者は強固ですが広がっていません」
「他方、我々側は候補擁立の出遅れや政治不信の蔓延、選挙疲れなどで得票率を上げることができませんでした。一時は30%台まで落ちるかもと懸念されたものの、選挙が熱気を帯びる中で何とか40%台を確保しました。しかし橋下が堺に襲い掛かってきた前々回の51%、前回の44%には及びませんでした。維新を落とすためには投票率が決定的です。もう一歩足りませんでした」
「論戦では維新が都構想論議を隠し、抽象的な『府市一体の成長』を叫び、あとは政治とカネなどで様々なフェイクをばらまき、こちら側への口汚い攻撃に終始したのに対して、野村・チーム堺側は地道で細やかな政策をこれまでの成果と今後の見通しを提起し、そのためにも政令市維持が必要だと愚直に訴え続けました」
「選挙態勢でも共産党も加わる『住みよい堺市をつくる会』の活動や『1000人委員会』など市民グループの創意を包み込み連携する態勢が作られました。『1000人委員会』では若い人の立ち上がりと下からの創意工夫、自発性も育ちました。私たちはこれから4年間の維新・永藤市政と対峙し、市民生活破壊は許さない陣形をさらに強化していきます。とりあえず急ぎのご報告とお礼に変えます」
立派な総括なのでもはやこれ以上付け加えることもないが、マスメディア関連の記事も含めて多少の感想を述べてみたい。まず、大手紙の見出しと記事はいずれも得票数の「僅差」や選挙戦における両陣営の「接戦」を強調するもので、とりわけ反維新陣営の「猛追」に注目した記事が多かった。例えば...
〇産経新聞
―「反維新のとりで」とも呼ばれた前市長の竹山修身氏が「政治とカネ」の問題で失脚。追及の先頭に立ってきた維新に追い風が吹く中で迎えた選挙戦だったが、蓋を開けてみれば次点候補に1万4千票差という「薄氷」の勝利だった。この結果について維新代表の松井一郎・大阪市長は、「やはり都構想への拒否感ではないか。これを解消できなかったのは、われわれの力不足だ」と反省を口にした。そのうえで、大阪市のみを廃止・再編する現状の都構想の取りまとめに集中したい」と述べた。
―一方、永藤氏を猛追した元堺市議、野村友昭氏の反維新陣営も結果に一定の手応えを感じている。野村氏を支援した自民党の岡下昌平衆院議員は取材に「都構想に『ノー』と唱えた野村氏に自民支持層の半数以上が票を投じた」と指摘し、維新への融和を打ち出す渡嘉敷奈緒美会長を牽制。自民の堺市議団を中心に、今後も反都構想の運動が継続されるとの見方を示した。
〇日本経済新聞
―都構想の賛否を問う住民投票が2020年秋にも実施される見通しの中、永藤氏は都構想の堺市の参加を巡る議論を〝封印〟した選挙戦を展開した。会見でも永藤氏は「まだ堺市では検討もされていない。大阪市の議論を見守りたい」と述べるにとどめた。...「本当に大変な選挙だった。対立候補を応援した人の意見にも耳を傾けながら、堺のために必要なことを進めたい」。9日夜、接戦を制した永藤氏に笑みはなく事務所に集まった支持者らに引き締まった表情で挨拶した。
―野村氏を支援してきた自民の岡下昌平衆院議員は、辞職した竹山前市長を自民が支えてきたことに触れ「今回はマイナスからのスタートだった」と振り返る。「当初は大差で敗れるとの予想もあったのに、ここまでやれたのは驚き。都構想に反対するスタンスは一切変わらない」と力を込めた。一方、自民大阪府連の渡嘉敷奈緒美会長は9日夜に記者会見し、「国政で対極にある共産党と連携しているように見えたことが敗因」と分析した。渡嘉敷会長は21日に再開される法定協議会までに都構想に対するスタンスを明確にするとしている。「共産と立ち位置を変えて、住民投票に賛成する立場を明確にする」と述べた。
このように、大阪都構想の実現に肯定的であり、大阪維新を支援している産経、日経両紙でさえが、堺市民に通底する強い「都構想への拒否感」の存在を認めざるを得なかったことは注目に値する。このことは、都構想を封印して選挙争点から逸らし、「政治とカネ」問題に有権者の目を引きつけ、「府市一体の成長」キャンペーンで漠然とした期待を盛り上げるという維新陣営の選挙戦略を根底から突き崩すものとなった。維新候補自身の「大変な選挙だった」との嘆息や、松井代表の「われわれの力不足」といった発言は、この「想定外」の事態に対する彼らなりの反省の弁でもあろう。
ところが笑止千万なのは、渡嘉敷自民大阪府連会長が「(野村氏の)敗戦の理由は共産党と連携しているように見えたこと」と断言し、「共産との連携を断ち切るのが大切だ」と言い放ったことだ(朝日新聞6月11日)。自民大阪府連が反維新陣営の候補を支援せずに傍観したうえ、あまつさえ大阪都構想に反対する市民の連携を非難したことは、この人物をはじめとする大阪自民国会議員の大半が公明と同じく維新の側に立っていることを意味する。まさに反維新陣営は「身内から鉄砲玉が飛んでくる」(毎日新聞6月10日)状況に置かれていたのであり、このことが今後の国政選挙に多大な影響を及ぼすことは避けられないだろう。より具体的に言えば、反維新陣営に非協力的だった自民国会議員は今後地方議員からの支援を受けることが難しくなり、次の国政選挙では呵責のない洗礼を受けると言うことだ。
一方、反維新陣営に結集した会派や市民グループは、次の目標に向かって確かな橋頭堡を築いたと言える。これから激化する市議会での攻防はともかく、次期市長選までの4年間に市民の間でどれだけ「反維新=反都構想」のネットワークを拡げることができるかがカギとなる。僅か3週間で維新陣営と対等の選挙戦を展開するまでに成長した集団なのだ。4年間の月日が経過する中で次々と明らかになってくる大阪都構想の欺瞞と矛盾を暴き出し、大阪市民とも連携して来年秋の都構想住民投票で勝利する体制を整えることが堺での勝利につながる。6月23日には市民レベルの総括集会が開かれると聞くが、その時には来年の大阪市住民投票についても話し合ってほしい。(つづく)
2019.06.04
堺市長選が始まった、合同選対本部の設置なしには、堺自民・共産・立憲・市民ボランティアの「混成部隊」は維新・公明の「正規軍」に惨敗するだろう
大阪維新のこれから(7)
5月26日から堺市長選が始まった。6月9日(日)が投開票日なので、選挙運動期間は僅か2週間しかない。人口80万人の政令指定都市の市長選がたった2週間とあっては、それ以前の準備状態で勝敗が決まると言っても過言ではない。しかし、反維新側の自民堺市議が離党して立候補表明したのは選挙公示日直前の5月18日(土)のこと、それ以前に万全の準備を整えて出馬表明した維新側候補に比べると、情勢が極めて不利なことは否めない。
加えて今年4月7日(日)投開票の堺市議選では、大阪維新が前回の14議席(得票数9万9千票・得票率31%)から18議席に(13万1千票・39%)に躍進し、ダントツの第1党に躍り出た。公明は現状維持の11議席(6万票・19%、→5万9千票・18%)、自民は1議席増の9議席(5万7千票・18%→5万9千票・18%)を死守して何とか支持層を固めたが、割を食ったのは共産、立憲、無所属だった。共産は6議席(4万票・13%)から4議席(3万5千票・10%)へ、立憲は2議席(1万9千票・6%)から1議席(1万6千票・5%)へ、無所属も7議席(4万2千票・13%)から5議席(3万5千票・10%)へとそれぞれ大きく後退した。要するに、共産・立憲・無所属が大阪維新に票を喰われたのである。
堺市長選の公示日、5月26日(日)の維新・公明の合同記者会見で、公明が維新に屈服表明したことの影響も大きい。このことは、衆院選大阪16区(堺市の中心区)が地盤の北側一雄氏(公明党副委員長)に対して、維新が対抗馬を出さないことを約束し、その代り堺市長選で公明が維新側候補を支援するという取引(ディール)が成立したことを意味する。直前の堺市議選の政党別得票数を基礎にして、維新・反維新の両候補の基礎数を計算すると以下のようになる。
〇維新側候補20万7千票=維新13万1千票+公明5万9千票+無所属1万7千票〈1/2〉
〇反維新側候補12万7千票=自民5万9千票+共産3万5千票+立憲3万8千票+無所属1万7千票〈1/2〉
5月28日(火)の午後から夜にかけて、私は市民ボランティアの事務所や集会の様子を見て回ったが、集会では参加者の発言を聞いて衝撃を受けた。反維新側はそれぞれ勝手連的に選挙運動を展開しているのだが、それが候補者の運動に結びついていないのだ。例えば、駅前の街頭演説で候補者が雨中で懸命に訴えているにもかかわらず、周辺には運動員がチラホラとしかいないといった状況があちこちで見られるという。
大阪維新と公明が構成する選挙陣営は〝正規軍〟なのである。彼らの陣営には選挙参謀としてプロの大手広告会社が常駐し、選挙情勢を分析して宣伝活動や集票活動の指揮を執っている。街頭宣伝には近畿地方の維新議員が組織的に動員されて宣伝活動を担い、地元の維新堺市議団はもっぱら業界や地域を回って集票工作を担当するなど、分業体制も徹底している。そして決起集会には、吉村知事や松井市長が駆け付けて候補者と揃い踏みをするという演出も凝らされているのである。
これに対して、反維新陣営は勝手連的な〝混成部隊〟でしかない。それぞれのグループでは頑張っているが、それらのエネルギーを束ねて大きなうねりを作っていく参謀本部や司令部が不在なのだ。大阪ダブル選挙では反維新候補として有為な人材を擁立したにもかかわらず、維新陣営の際立った組織戦に負けた。反維新陣営の中核となるべき自民大阪府連が分裂し、選対本部が機能せず、自主的に支援する各政党や市民グループとの協力体制が成立しなかったためだ。
堺市長選では大阪ダブル選挙の誤りを繰り返してはならないだろう。堺自民はもはや大阪自民からの支援は得られない以上、支援政党や市民グループと共闘体制を組むしかない。その要となる「(暫定)合同選対本部」を直ちに設置し、選挙態勢を立て直さない限り勝利の展望は見えてこない。待っているのは“惨敗”だけだ。残る時間は僅かであり、関係者の決断が迫られている。(つづく)
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
5月26日から堺市長選が始まった。6月9日(日)が投開票日なので、選挙運動期間は僅か2週間しかない。人口80万人の政令指定都市の市長選がたった2週間とあっては、それ以前の準備状態で勝敗が決まると言っても過言ではない。しかし、反維新側の自民堺市議が離党して立候補表明したのは選挙公示日直前の5月18日(土)のこと、それ以前に万全の準備を整えて出馬表明した維新側候補に比べると、情勢が極めて不利なことは否めない。
加えて今年4月7日(日)投開票の堺市議選では、大阪維新が前回の14議席(得票数9万9千票・得票率31%)から18議席に(13万1千票・39%)に躍進し、ダントツの第1党に躍り出た。公明は現状維持の11議席(6万票・19%、→5万9千票・18%)、自民は1議席増の9議席(5万7千票・18%→5万9千票・18%)を死守して何とか支持層を固めたが、割を食ったのは共産、立憲、無所属だった。共産は6議席(4万票・13%)から4議席(3万5千票・10%)へ、立憲は2議席(1万9千票・6%)から1議席(1万6千票・5%)へ、無所属も7議席(4万2千票・13%)から5議席(3万5千票・10%)へとそれぞれ大きく後退した。要するに、共産・立憲・無所属が大阪維新に票を喰われたのである。
堺市長選の公示日、5月26日(日)の維新・公明の合同記者会見で、公明が維新に屈服表明したことの影響も大きい。このことは、衆院選大阪16区(堺市の中心区)が地盤の北側一雄氏(公明党副委員長)に対して、維新が対抗馬を出さないことを約束し、その代り堺市長選で公明が維新側候補を支援するという取引(ディール)が成立したことを意味する。直前の堺市議選の政党別得票数を基礎にして、維新・反維新の両候補の基礎数を計算すると以下のようになる。
〇維新側候補20万7千票=維新13万1千票+公明5万9千票+無所属1万7千票〈1/2〉
〇反維新側候補12万7千票=自民5万9千票+共産3万5千票+立憲3万8千票+無所属1万7千票〈1/2〉
5月28日(火)の午後から夜にかけて、私は市民ボランティアの事務所や集会の様子を見て回ったが、集会では参加者の発言を聞いて衝撃を受けた。反維新側はそれぞれ勝手連的に選挙運動を展開しているのだが、それが候補者の運動に結びついていないのだ。例えば、駅前の街頭演説で候補者が雨中で懸命に訴えているにもかかわらず、周辺には運動員がチラホラとしかいないといった状況があちこちで見られるという。
大阪維新と公明が構成する選挙陣営は〝正規軍〟なのである。彼らの陣営には選挙参謀としてプロの大手広告会社が常駐し、選挙情勢を分析して宣伝活動や集票活動の指揮を執っている。街頭宣伝には近畿地方の維新議員が組織的に動員されて宣伝活動を担い、地元の維新堺市議団はもっぱら業界や地域を回って集票工作を担当するなど、分業体制も徹底している。そして決起集会には、吉村知事や松井市長が駆け付けて候補者と揃い踏みをするという演出も凝らされているのである。
これに対して、反維新陣営は勝手連的な〝混成部隊〟でしかない。それぞれのグループでは頑張っているが、それらのエネルギーを束ねて大きなうねりを作っていく参謀本部や司令部が不在なのだ。大阪ダブル選挙では反維新候補として有為な人材を擁立したにもかかわらず、維新陣営の際立った組織戦に負けた。反維新陣営の中核となるべき自民大阪府連が分裂し、選対本部が機能せず、自主的に支援する各政党や市民グループとの協力体制が成立しなかったためだ。
堺市長選では大阪ダブル選挙の誤りを繰り返してはならないだろう。堺自民はもはや大阪自民からの支援は得られない以上、支援政党や市民グループと共闘体制を組むしかない。その要となる「(暫定)合同選対本部」を直ちに設置し、選挙態勢を立て直さない限り勝利の展望は見えてこない。待っているのは“惨敗”だけだ。残る時間は僅かであり、関係者の決断が迫られている。(つづく)
2019.05.31
沖縄の民意を足蹴にしながら、大阪の民意には追随する公明党の究極のご都合主義、変節を繰り返す政党は民意によって必ず淘汰される、 大阪維新のこれから(6)
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
5月12日(日)に続いて26日(日)朝刊の各紙(大阪本社版)はまたもや1面トップで、「大阪都構想」に関する公明党の方針転換(変節)を大々的に伝えた。公明党がこれまでの態度を一変(豹変)し、10年来反対してきた大阪維新の「大阪都構想」に賛成して維新と正式に合意を交わしたというのである。
維新・公明両党は25日合同記者会見を開き、佐藤茂樹・公明党大阪府本部代表は満面の笑みを浮かべて、「統一地方選で都構想を進めてほしいという当初の予想を上回る民意を感じた」と、これまでの反対姿勢から賛成の立場へ方針転換したことの理由をまことしやかに説明した。その上で賛成の条件として、①70歳以上が地下鉄を1回50円で利用できる敬老パスの維持など住民サービスを低下させない、②特別区再編コストを抑制する、③窓口サービスを低下させない、④各特別区へ児童相談所を設置する―の4条件を提示し、維新はこれを即座に受け入れたという(各紙、2019年5月26日)。
一方、松井一郎・維新代表はゆとりに満ちた表情で、これもにこやかに「公明との激烈な戦いを展開したが選挙は終わった。政治家は選挙後の民意に沿った形で行政運営するのが責務だ。法定協議会で1年を目途に協定書(制度案)を作り上げ、速やかに可決して住民投票を実施することで合意した」と述べたという(同上)。
政令指定都市・大阪市を解体して大阪府と一体化する「大阪都構想」は、大都市制度に関する戦後最大の改変であるにもかかわらず、公明党が敬老パスや窓口サービスの維持といった「子供だましの約束」で賛成に回ったことは、この政党の地方自治制度に対する認識レベルの(余りもの)低さと貧しさを物語っている。大阪市の権限や自治を大阪府知事に譲り渡すという一大事を、僅か「敬老パス」や「児童相談所」と引き替えに賛成するというのだから、これはかって世界大陸の侵略者に対して一片の贈り物と引き替えに自らの領土を譲り渡した(無知な)原住民の態度と変わらない。
今回の公明党の変節はまた、公明党支持者や創価学会員などに対する侮辱・侮蔑でもある。公明党の支持者が幹部の言うまま行動するというこれまでの上意下達の慣習に照らして、今回もこの程度の「言い訳」で支持者が納得するとでも思っているのだろうか。高齢者には「敬老パス」、子どもには「児童相談所」というわけだが、支持者を馬鹿にしてはいけない。公明党が10年来反対してきた「大阪都構想」に対してこれで支持者が納得するとでも思ったら大間違いだ。国政選挙で維新がわざわざ刺客を立てなくても、支持者や選挙民が公明党を見限るときが必ずやってくる。次期参院選や総選挙で、公明党が有権者から手痛いしっぺ返しを喰らうことを覚悟しておいた方がいい。
これは自民党大阪府連も同じだが、大阪ダブル選挙や統一地方選の結果をどうみるかという大問題がある。自民党大阪府連は25日、府内選出の国会議員や府議、市議ら幹部が集まって都構想や参院選などへの対応を協議した。大阪ダブル選挙の敗北の責任を取って辞任した前任者に代わって新しく府連会長に就任した渡嘉敷氏は、今月11日の就任早々「民意を受けて住民投票に賛成したい」として、維新が主張する都構想住民投票に対して容認する考えを表明した。国会議員の間では、これまで首相官邸のエージェントと地元の意向を尊重するグループで「大阪都構想」に対する意見が分かれていたが、今回の選挙結果を受けて官邸派がイニシアティブを握り、それが渡嘉敷会長の態度表明になったというわけだ。25日の会合後、渡嘉敷会長は記者団に「府連として一枚岩になって方向性を決めるのが必要だ。大阪自民は維新の抵抗勢力と見られている。負けた方が道を譲るのがスジだ」と述べ、維新に歩み寄るべきだとの考えを改めて示した。
しかし上から言いなりの公明党市議団と違って、自民党大阪市議団の北野妙子幹事長は、都構想に反対する考えは「1ミリも変わらない」と改めて表明。「地方自治の精神から言っても、一つの市がなくなるのであれば、そこの議員が頑張るのは当たり前。市議団に一任いただきたい」と主張した。また公明党に対しては、「理解できない。支持者にどう説明するのか。支持母体のメンバーであっても、やはり人間。ついてきてくれるのか」と痛烈に批判した(朝日、2019年5月26日)。
自公両党が大阪ダブル選挙や統一地方選の「選挙結果=民意」を尊重するというのであれば、沖縄でこれまで行われてきた数多くの「選挙結果=民意」も尊重しなければならない。憲法で保障された「地方自治」の精神とはそういうものだろう。沖縄の民意は尊重しないが、大阪の民意は尊重するということでは(渡嘉敷会長が言うように)「スジが通らない」のではないか。
沖縄では、1996年の「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しの賛否を問う県民投票」では89%が基地縮小と日米地位協定見直しに賛成、2014年の名護市長選、知事選、衆院選では辺野古基地建設に反対する候補が当選、2018年知事選では基地建設反対の玉城デニー候補が圧勝、2019年の「辺野古米軍基地建設のための埋立に対する賛否を問う県民投票」では玉城知事の39万7千票を上回る43万4千票が埋立反対に投じられるなど、いずれも圧倒的な〝民意〟が示されているのである。
公明党の方針転換が伝えられた5月26日(日)、奇しくも堺市長選がはじまった(というよりは、この日に合わせて発表された)。堺市民が自民大阪府連や公明党の方針転換(変節)に巻き込まれるのか、それとも維新候補に鉄槌を下して堺市民の〝民意〟を示すのか、いまその帰趨が全国から注視されている。(つづく)
2019.05.30
丸山穂高・長谷川豊両氏の発言で維新への風向きが急速に変わり始めた、堺市長選や参院選へどう影響するか、大阪維新のこれから(5)
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
大阪政界の風向きは変わり目が早い。またこれに劣らず、有権者の心変わりも早いという。大阪ダブル選挙と統一地方選で「維新台風」が府下一円に吹き荒れたと思っていたら、今度は一転して丸山穂高衆院議員(維新、大阪19区選出)や長谷川豊氏(維新参院選比例候補、元フジテレビアナウンサー)の発言が切っ掛けで、大阪維新が乱気流(突風)に巻き込まれ始めたのである。大阪維新を「大阪復権の旗手」としてイメージチエンジさせることに成功したと思っていた矢先、丸山暴言でそのマントが剥がれ始めたのだから、松井代表が目下火消しに躍起なのも無理はない。問題は、それが目前に迫った堺市長選や夏の参院選にどう影響するかということだ。
『週刊文春』(2019年5月22日、文春オンライン)が伝えるところによれば、丸山氏は、国後島への「ビザなし訪問」の最中、団長に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」などと発言したことに加えて、その後「俺は女を買いたいんだ」と禁じられている外出を試み、事務局スタッフや政府関係者ともみ合いになったというのである。売買春は日露両国で共に違法行為なので、実行していれば(日本の)国会議員の逮捕・勾留ということになりかねない稀代の不祥事であり、外交問題にも発展する可能性があった。
このことは、共同通信社(同5月22日電子版)によっても「丸山氏『女性いる店で飲ませろ』 北方領土訪問中に外出試みる」として配信(確認)されている。記事の内容は、「訪問団員によると11日夜、宿舎の玄関で丸山氏が酒に酔った様子で『キャバクラに行こうよ』と発言して外出しようとし、同行の職員らに制止された。ある政府関係者は『女のいる店で飲ませろ』との発言や、『おっぱい』という言葉は聞いた」というものだ。いずれも国会議員としてはもとより日本国民としても絶対に許されない行為であり、「国辱もの」というしかない。
一方、これまで数々の暴言、例えば「自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担させよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」といったブログで批判を浴びてきた維新参院選比例候補の長谷川氏が、今度は今年2月の東京都内の講演会で江戸時代の被差別部落に関して差別発言をしたという問題が急浮上した。毎日新聞(5月22日電子版)によると、同氏は「人間以下と設定された人たちも、性欲などがあります。当然、乱暴なども働きます」と指摘し、被差別民が集団で女性や子どもに暴行しようとした時、侍は刀で守ったという話をしたという。
長谷川氏は22日、公式ホームページに「私自身の『潜在意識にある予断と偏見』『人権意識の欠如』『差別問題解決へ向けた自覚の欠如』に起因する、とんでもない発言」と認め、「謝罪するとともに、完全撤回させてください」と陳謝するコメントを掲載したというが、馬場維新幹事長は毎日新聞の取材に対して、「大変な無知による事実誤認の発言。党紀委員会を開き、処分を含めて議論する」と語ったとされる(同上)。
大阪市民はもう忘れているかもしれないが、維新の創始者である橋下氏が市長当時、旧日本軍の慰安婦問題に関して「慰安婦の制度的必要性」に理解を示したことをはじめとして(彼自身も神戸・福原の高級風俗店のコスプレイ常連客だった)、
維新にはおよそ国会議員にはあるまじき人物(群)が要職に就いている。「民主党はアホ」「石破氏などは犯罪者」「朝日新聞は死ね!」などの暴言を吐いて何度も国会の懲罰動議を受けながら、現在は馬場幹事長の片腕として「活躍」している足立康史衆院議員(維新幹事長代理)もそうなら、丸山氏も発言前は維新政調副会長だった。『新潮45』にLGBT(性的少数者)に対する差別論文を寄稿して国民的批判を浴びた杉田水脈衆院議員(現在は自民党)も、最初は維新から国会議員に出馬して当選した。
丸山・長谷川両氏の暴言は、足立・杉田氏らの言動とも通底する維新の暴力的政治体質に根ざしている。人間の尊厳を踏みにじることに平気で何度も繰り返す、物理的・言語的暴力で相手を屈服させることを厭わない、ウソとデマをまき散らすことに長けている――、こんなファッショ的体質が余すところなく露出しているというべきではないか。こんな危険な政治集団が「官邸別動隊」として表舞台に出てきたのだから、これが堺市長選や参院選を通して全国的に波及していくとなると、事態は容易ならざる様相を帯びることになる。
堺市長選の反維新陣営の候補が漸く決まったという。若手の自民党堺市議が離党して「反維新」「反大阪都構想」を掲げ、維新元府議と対決する構図だ。共産党や立憲民主党は自主的支援に回り、市民団体が選挙母体を作って選挙戦を戦うのだという。しかし、問題は自民と公明がどう動くかと言うことだろう。自民大阪府連は渡嘉敷会長の下で反維新候補は支援しないとすでに態度表明しているし、公明は自主投票を表明しているものの、情勢次第でこれからどう転ぶかわからない。事前の予想からすれば、維新候補の圧倒的優勢が伝えられていて「ダブルスコア」どころか「トリプルスコア」もあり得ると言われていた。果たしてこの情勢が丸山・長谷川暴言で変化するのかしないのか、今後の行方が注目される。(つづく)
2019.05.29
自民・公明両党が維新に屈服、議席欲しさに政策を投げ棄てる究極の〝政党ロス現象〟、大阪維新のこれから(4)
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
産経新聞が大阪維新を天まで持ち上げている「だけ」だと思っていたら、今度は全国紙全て(大阪本社版)が5月12日(日)朝刊の1面トップで、自公両党が維新に屈服し、大阪都構想の住民投票に対する態度を翻したことを伝える始末になった。ついこの前の大阪ダブル選挙まで「大阪都構想反対!」「住民投票反対!」と絶叫していた自民・公明両党が、今度は手のひらを反して住民投票に協力するというのである。自民・公明の公約を信じて反維新候補に投票した有権者は、開いた口が塞がらないのではないか。
政党は政策を同じくする者が結集する組織だ。理由もなく政策を変えれば(これを「豹変」という)、政党の立ち位置はたちまち崩壊する。自民・公明は「維新への民意を受け止めなければならない」として態度を変えたというが、それなら反維新候補に投票した有権者の〝民意〟はいったいどうなるというのか。彼らが言う「維新への民意」を受け止めるということは、取りも直さず、自らの支持者の〝民意〟を踏みにじることだということがわからないのか。
また、選挙に負けた政党が政策を変えるとなると、これは「翼賛体制=政党ロス(消滅)」に直結する。政党が時の権力に対して批判もせず、ただ従うだけの存在になれば、政党政治そのものが崩壊するからだ。太平洋戦争で諸国民に塗炭の苦しみを与えた軍部独裁政権(天皇制ファシズム)を支えたのは「翼賛体制」であり、その反省の上に立って生まれたのが戦後の議会制民主主義であるなら、今度の自公両党の豹変は、戦後民主主義の否定につながることになる。以下、各紙の代表的な記事を抜粋しよう。
〇毎日新聞、「都構想 来秋にも住民投票、自民府連会長も容認」「自公、維新に屈服、都構想住民投票 容認表明、統一選1カ月 困惑、市民ら 共産は反対変わらず」「大阪都構想 住民投票へ、同日選の影 公明転換、強い維新になびく」
―「今回の民意を受けて、より充実した協定書(都構想の制度案)のため、積極的、建設的に改革を進める立場で前向きの議論をする」。11日の公明党大阪府本部会議で住民投票実施容認の方針を決め、記者会見に臨んだ佐藤茂樹代表(衆院議員)はにこやかな表情で方針転換の理由を説明した。安倍晋三首相が衆参同日選に踏み切るとの憶測もある中、議席を死守したい公明としては住民投票の容認方針で維新に対し、関係修復に向けたシグナルを早期に送り国政選挙の不安要素を取り除きたい考えだ。
―ダブル選や衆院大阪12区補選で惨敗した自民党大阪府連も11日、国会議員や地方議員が参加する会合を開き、引責辞任した佐藤章府連会長の後任に渡嘉敷奈緒美・衆院議員を選任。渡嘉敷氏は「今回の民意を受けて住民投票は賛成したい。維新と対立するのではなく、ちゃんと歩み寄っていく」と述べた。ただ、自民はこれまで住民投票の実施も含めて一貫して反対。ダブル選でも「都構想に終止符を打つ」と訴え戦ってきただけに、松井氏も「党内でコンセンサスが取れているのか」といぶかった。
〇朝日新聞、「自公、住民投票を容認、大阪都構想巡り 来年以降にも」「住民投票へ自公急転、衆参同日選意識し焦り、維新『実施確約』求める」
―「民意に応える大阪の改革をさらに強めていくという党の立場を、より鮮明にしなければならない」。11日、公明党大阪府本部での記者会見。佐藤茂樹代表が住民投票の容認を表明した。実態は、地方選に負けたうえで国政選挙を意識させられる中、追い込まれた格好での決断だった。
―大阪ダブル選前は住民投票実施に一定の理解を示していた公明よりも強硬だったのが、自民党大阪府連だ。一貫して住民投票の実施に反対だったが、「反維新」候補が大敗して方針を大転換した形だ。夏の国政選挙を控えて党勢を立て直すため、この日就任したばかりの渡嘉敷奈緒美会長は実施容認を表明した。渡嘉敷氏は「国政では野党が反対ばかりしているイメージがあるが、それと同じような声が(大阪では)上がっていた」と強調した。ただ、いきなりの方針転換に両党の足元は揺らいでいる。公明府議の一人は「うちはもう維新の言いなりだ」。自民府連幹部はこう反発した。「府連でもまだ議論はできていない」。
〇読売新聞、「都構想 再び住民投票、来秋にも 自民・公明が容認」「住民投票『民意』で転換、公明 参院選注力を狙い、自民『寝耳に水』憤りも」
―4月の統一地方選で地域政党・大阪維新の会が圧勝した「民意」は、これまで一貫して大阪都構想に反対してきた「反維新」勢力の住民投票への対応を一転させた。4年前、大阪を二分した都構想の賛否を問う住民投票が再び現実味を帯びてきた。公明党は11日、府本部代表の佐藤茂樹衆院議員が大阪市内で記者会見を開き、住民投票の実施容認を表明。統一選の結果について「維新の行政運営を有権者が高く評価した」などと維新を持ち上げた。統一選の期間中は維新を「壊れたレコードのように都構想としか言えない連中」と批判していたが、転換の背景には支持母体の創価学会の突き上げがあった。だが、住民投票の容認は、前回に続き2度目で、決裂と歩み寄りとを繰り返す党の姿勢には「日和見」との批判も出かねない。ある公明議員は「党の方針を支持者に説明するのは大変だが、現実的にはこれしかない」と複雑な心境を吐露した。
―「住民投票(の実施)には賛成したい。今までの路線とは違う形で再生していく」。11日、自民党府連の議員が一堂に集まる全体会議後、新府連会長に選出された渡嘉敷奈緒美衆院議員は記者団に唐突に告げた。党関係者によると、全体会議前の幹部の集まりで渡嘉敷氏が住民投票の実施容認を提案。反対意見も出たが、多くの国会議員の賛成で決まったという。だが、渡嘉敷氏は全体会議で方針転換を説明しておらず、そのことをニュースなどで知った多くの地方議員は「寝耳に水だ」と戸惑った。大阪市議団からは「支持者に説明できない」と憤る声が続出。ある府連幹部は「全くガバナンス(統制)利いておらず、危機的状況と嘆いた。
〇産経新聞、「都構想 来秋にも住民投票、維新・松井氏 自公、協力へ転換」「都構想住民投票を容認、自公、民意受け白旗、国政選挙にらみ維新と対決回避、『もう終わりや』府連内に反発 自民」
―「大都市制度のあり方と衆院選はまったく関係がない」。公明府本部の佐藤茂樹代表は11日、住民投票容認と衆院選との関連性を記者に問われ、言下にこう否定した。だが、そんな佐藤氏の言葉とは裏腹に、支持母体の創価学会や党本部からは、維新との関係見直しを求める声が強まっていた。公明が前回投票に協力したときは、衆院選での維新との対決を避けたい学会本部の強い意向が動いたとされる。「常勝関西」と呼ばれるほど、関西の地盤を固めてきた公明にとって、大阪、兵庫の衆院6議席は党として絶対に失うことのできない〝生命線〟とされる。学会や党本部では「反維新」の旗を振り続けることによる逆風が、国政選挙に及ぶことに日増しに危機感が強まった。大型連休明けの今月7、8日には、公明の府市両議員団の幹部が都構想の賛否を含めた見直しを明言。8日には関西の学会幹部と3期以上の公明市議団が集まり、「維新への民意を受け止めなければならないとの共通認識が形成された」(公明関係者)という。
―「民意を得た維新と連携を目指す。従来の立ち位置を変えていく」。自民大阪府連の新会長が会見の冒頭で訴えたのは、不倶戴天の敵であるはずの維新との関係改善だった。ダブル選で完敗しただけでなく、安倍晋三首相も応援に駆け付けた衆院大阪12区補選で維新候補に膝を屈した自民府連。府議・市議ともに議席を減らし、「解党的」とまで言われた現状について、この日就任した衆院議員の渡嘉敷奈緒美会長は「負けは神様がくれた贈り物」と表現。「対立からは何も生まれない」と維新への歩み寄りを明確に打ち出した。会見に先立って行われた府連の総務会では、都構想の住民投票容認について賛成多数で承認が得られたと強調したが、大阪市議団を中心に維新へのアレルギーは強い。ある自民市議は渡嘉敷氏の融和路戦について「全体会議では一切そんなことは聞いていない。国会議員は自分らの選挙のことだけ。府連はもう終わりや」と猛反発した。
以上が各紙記事の抜粋だが、公明は学会と党本部の圧力で、自民は国会議員の主導で維新への「関係改善=屈服」が突如表明されたことがわかる。自公与党が学会の支援の下で戦わなければならない国政選挙を目前にして、首相官邸の別動隊である維新との関係改善は急務の課題だったのであり、自公の惨敗は「神様の贈り物」だったというわけだ。このことの堺市長選に及ぼす影響は、関西空港を襲った台風どころではないだろう。自民・公明が維新候補に組する事態も想定されないことはない。さて、堺市のリベラル勢力はいかなる戦略を構築するのか。キーワードは、「堺のジャンヌダルクよ、出でよ!」といいたい。(つづく)
2019.05.23
堺市長選、維新候補は維新市議団の「汚れた体質の刷新」を選挙公約に掲げるべきだ、大阪維新のこれから(3)
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
2019年5月7日、大阪維新は元府議・永藤氏を党公認の市長候補として擁立することを発表し、同氏が記者会見を行った。毎日新聞によると、当人は「市民の信頼を取り戻し、希望の持てる堺の未来をつくっていきたい」と述べたという。「市民の信頼を取り戻す」とは、竹山前市長が政治資金問題で辞職したことを指すのだろうが、維新堺市議団も決して「政治とカネ」問題には無関係でない。むしろ「真っ黒!」と言っていいほどに汚れ切った体質のグループなのだ。例えば...
まだ記憶にも新しい数年前の2014年、当時の維新市議団団長がウソの領収書をつくって政務活動費1千万円余を不正支出し、メディアや議会の激しい追求を受けて辞職に追い込まれた。翌年の2015年にはこれに懲りず、今度は中堅(男性)と若手(女性)の維新市議2人が架空のチラシ代など政務活動費約1300万円を不正支出。しかも証言拒否を続けて逃げ回るなど、議員にあるまじき悪質性が糾弾されてこれも相次いで辞職に追い込まれた。大阪維新が市長候補を擁立するのであれば、真っ先に自らの「汚れた体質」の自己批判から始めるべきだが、記者会見でそのことに果たして言及したかどうか、また記者団が追求したのかどうか、私にはわからない。
竹山前市長の「政治とカネ」問題も、堺市政全般の体質にかかわる(通底する)問題としてきわめて深刻だ。自民、公明、旧民主、共産などの市議会与党が、竹山氏の政治資金管理に日頃から監視の目を向けていたかどうかさっぱりわからないからだ。今年2月、竹山氏の問題が発覚したとき、自らの体質は棚に上げて即刻辞職を迫った維新の政治的思惑はともかく、心ある市民からも少なからず竹山氏への厳しい追求の声が上がっていた。この時、市長与党が毅然とした態度をとって真相を解明し、竹山氏が責任を取って辞職していれば、堺市長選は統一地方選の大きな焦点となり、「政治とカネ」問題の追求によって維新は大きな打撃を受けたであろう。
だが、市長与党は「市長が説明責任を果たすべき」として真相究明を怠った結果、竹山氏にまつわる「政治とカネ」問題はさらに不透明感を深め、もはや抜き差しならぬ泥沼状態に陥ったのだ。そのことがこれまでの維新の「汚れた体質」の問題を相対化させ、竹山氏の「政治とカネ」問題を追求する維新があたかも「クリーンハンド」の持ち主であるかのような印象を有権者に与えることになった。と同時に、竹山氏の問題を曖昧にしようとする市長与党が「同じ穴の狢(むじな)」と見られ、市民の信頼を失う原因となったことも否めない。そのことが与党会派の後退につながり、維新の躍進につながったことは間違いないのである。
もう一方の「希望の持てる堺の未来をつくっていきたい」という点についてはどうか。維新候補は「新しい堺を創る」をテーマに、(1)大阪府市との連携、(2)市内行政区の権限拡大による自治機能強化、(3)民間の活用――などを公約に掲げた。注目される大阪都構想については、ただちに議論を始めるのは「時期尚早」であり、今後の市長選で改めて市民に賛否を問うと語った。ただし、大阪の副首都化を目指す大阪府市の「副首都推進本部会議」には参加する方針を示した。しかし、これだけでは選挙戦でどのような具体策を打ち出すのかよくわからないので、今後の選挙戦をフォローしながらその狙いを分析していきたいと思う。
ただ、松井大阪市長(維新代表)や吉村知事(同政調会長)の戦略は明確だ。産経新聞の単独インタビューによると(産経4月24日)、松井氏は「大阪府市と堺市が一体となって、成長する都市圏をつくっていきたい」と述べ、大阪府市との成長戦略の共有が維新候補擁立の公約になると言明した。具体的には、2025年万博の用地となる人工島・夢洲を中心とするベイエリア活性化策に堺市を加え、堺泉北港までを含めた拠点づくりを目指すのだという。一方、吉村氏は「堺特区構想」を堺市長選の公約に掲げ、「堺市と大阪市の垣根を取り払う」と語った。大阪府市の重要課題を話し合う副首都推進本部会議に堺市を加え、観光戦略などを共同で構築していくべきだと主張している。
ただし、松井・吉村両氏とも大阪都構想は今回の堺市長選の争点にはならない(しない)としており、まずは大阪府市の都構想を実現した後、次の段階で堺市や周辺自治体を含めた「グレーター大阪」の形成を考えるとしている。この「大阪都構想の段階的戦略=争点隠し」に対して反維新候補が如何に切り込むか、これが今回の堺市長選の帰趨を分けることになるだろう。このことは、反維新側の候補者が決まってから検討したい。(つづく)
2019.05.22
橋下(元大阪市長)がつぶやき産経が拡散する政治再編戦略、公明を脅かし改憲ロードへ、大阪維新のこれから(2)
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
5月4日の産経紙を読んでたまげた。橋下氏の単独インタビュー記事が大々的に掲載されているばかりか、その解説記事を1面トップに祭り上げ、真正面から政治再編と改憲を煽っているではないか。橋下氏といえば、大阪市長当時、大阪都構想住民投票に敗れてテレビタレントに転身し、それ以降はツイッターで好き勝手放題のことをつぶやいてきた御仁である。テレタレントだから何でも言っていいということにはならないが、それでも政治家ではないのだから多少は大目に見られていたのだろう。橋下氏の発言は、ゴシップ記事の類として時々紙面の片隅に載る程度の扱いだった。
ところが前回の拙ブログでも紹介したように、産経紙は竹山堺市長の辞職表明後堰を切ったように大阪維新の支援に乗り出し、堺市長選関係の大型記事を連打している。そればかりではない。今度は大阪を舞台にした政治再編劇のシナリオライターとして橋下氏を表舞台に再登場させ、改憲の旗振り役としての活躍の場を与えるところにまで踏み切ったのだ。橋下氏の政界復帰に関しては話題に事欠かないが、産経紙がここまで肩入れするとなると、あながち「フェイクニュース」だとは言い切れなくなってきた。まずは、産経紙の解説記事を紹介しよう(要約)。
「日本維新の会の創設者で、政界引退後も同党に大きな影響力を持つ橋下徹元大阪市長が産経新聞の単独インタビューに応じ、2025年大阪・関西万博の誘致なので安倍晋三政権の協力を得てきた維新に対し、『安倍首相が実現したいと強く願っている憲法改正に協力するための行動を起こすべきだ』と訴えた。橋下氏は憲法改正の妨げになっているのは公明党と、選挙で同党の支援を受ける自民党の国会議員だと強調。4月の大阪府知事・市長のダブル選挙を制した維新を率いる大阪市の松井一郎市長を『首相に匹敵する改憲論者』とした上で、『ダブル選挙の勢いに乗じて、公明を潰しにいくことを考えている』との認識を示した」
「公明党が大阪府知事・市長のダブル選で維新に大敗した余波で苦境に立たされた。(略)公明は、支持母体の創価学会に改憲への抵抗がなおあり、改憲論議に距離を置いてきた。一昨年の衆院選で議席を減らしたことも懸念材料にあり、『参院選で改憲が争点になることは避けたい』(党幹部)のが本音だ。そうした公明の急所を突くように、橋下氏はインタビューで『改憲を阻んでいるのは公明』と断じた。改憲で安倍政権に協力すると強調して公明を揺さぶり、都構想で協力を引き出す狙いがある」
橋下氏の手法はトランプ大統領とよく似ている。相手を極限まで脅かして屈服させ、譲歩を勝ち取るという「恫喝的ディール」の手法だ。この手法は脅かす側に力がないと足元を見られて成功しないが、今回の大阪ダブル選挙における維新の圧勝によって一気に現実味を増してきた。「ここが勝負!」とばかり橋下氏が張り切っているのは、その政治力学の効用を骨の髄まで知っているからだろう。
橋下氏の恫喝は大阪自民に対しても向けられている。自民市議の離反と維新への協力を呼び掛けているのもそれなら、現職の自民国会議員の選挙区に対抗馬を立てると喧伝しているのもその一つだ。背景には、「旧い自民」を潰して「新しい自民」をつくろうとする維新戦略があるのだろう。事実、大阪維新は「仮の名称」であり、全国的に通用する政党名だとは思っていないのである。
「旧い自民」を潰して「新しい自民」つくろうとする動きは、統一地方選前半の各地の知事選にもあらわれている。福岡県知事選では自民党公認候補が大差で負け、安倍政権を支える麻生副総理の求心力が目に見えて低下した。島根県知事選でも中堅・若手県議が推す保守候補が自民党公認候補を破り、青木元参院議員会長が仕切ってきた竹下王国の崩壊が囁かれている。政権中枢につながる派閥領袖の地元であるにもかかわらず、その意向に従わない動きが公然化しているのである。一方、北海道知事選では、菅官房長官が大学の後輩である鈴木前夕張市長を「新しい自民」を代表する候補として担ぎ、野党統一候補を破って当選させた。
首長選挙において権力争いのため保守が分裂するのは、分裂しても勝てるほど野党勢力が弱いから...というのが通り相場になっている。だが、実態はそうではないだろう。野党勢力の弱体化にともなって保守の中に「改革」を唱える勢力が生まれ、既得権益にあぐらをかいている旧来保守との間で激しい党内闘争が生じているからだ。このような「旧い自民」と「新しい自民」との争いが、大阪では維新と自民の対決となり、それが公明にまで波及していると見るべきなのだ。
橋下氏はインタビューの中で、「最近、『ポスト安倍』の候補として菅さんが注目されていますが、大阪にとっては大変ハッピーな話。維新を率いる松井一郎大阪市長は菅さんと良好な関係を築いており、菅さんからは引き続き大阪のために力を貸してもらえると思います」と明け透けに語っている。北海道知事選の勝利で力をつけた菅官房長官と大阪維新の動きは、いずれも「新しい自民」をつくる政治再編の萌芽として注目する必要があるだろう。
5月7日、大阪維新推薦の堺市長選候補者が出馬会見を行った。次回はその公約の分析を中心に筆を進めたい。(つづく)
2019.05.21
堺市長選がいよいよスタート、産経新聞が総力をあげて維新支援に乗り出した、大阪維新のこれから(1)
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
10連休最後の5月6日午後、堺市産業振興センター(南海・地下鉄御堂筋線、中百舌鳥駅の近く)で「市政を刷新し清潔な堺市政を取り戻す市民1000人委員会、スタートの集い」が開かれた。会場は100人規模程度のセミナー室だったが、倍以上の市民が詰めかけたため立錐の余地もない大混雑となった。私もNPО関係の知人から知らせを受けて様子を見るため参加したが、なにしろ席がない人たちが周り一面に立っていたので、司会者や講演者の顔も見えない始末、声だけを聴くような有様だ。
中百舌鳥駅といえば、昔は総合運動競技場「なかもずグラウンド」の最寄り駅でよく通った駅だ(私は大阪府立高校時代、陸上競技部に属していた)。だが、もう半世紀以上の前のことだから、駅周辺の光景もすっかり変わってしまって様子が全くわからない。しばらく周辺を歩いてみたが、さっぱり記憶が戻らないので会場に戻った。堺市が大都市に変貌していることを改めて実感した次第だ。
前置きはさておき、この市民集会の様子をどのように書くかでかなり悩んだ。市民集会の後で主催者側の方々と懇談の時間を持ったのだが、短い時間だったので選挙情勢がよくわからない。とにかく維新側はイケイケドンドンの調子で勢いが凄いとのこと、それに比べて反維新側は候補者もなかなか決まらず立ち遅れていることだけが分かったくらいだ。
これでは話にならないので、この間の情勢についてマスメディアがどのように伝えているかを調べてみた。私は4紙を定期購読しているが、読売・産経紙は取っていない。必要なときには近くのコンビニに買いに行ったり、図書館で調べることにしている。そんなことで今回は大学図書館で念入りに調べてみたところ、驚いたことには他紙とは比較にならないほど産経新聞(大阪本社版)が大々的に(しかも系統的に)堺市長選を取り上げているではないか。朝日・毎日・日経などは通り一遍の事実経過を書いているだけなので選挙構図がよく分からないが、産経紙を読んでみるとその意図がよく分かる。4月後半からの主だった記事の見出しを並べてみよう。
〇4月23日(火)1面トップ、「竹山・堺市長が辞職願、6月にも市長選、政治資金不記載 維新『候補擁立』」
〇同上、27面トップ、社会面特集「激流、1強の衝撃(上)」、「堺市長辞職願、2.3億円不記載 自公が引導」「強気一転 竹山氏謝罪、『納税者の感覚ない』松井氏が批判」
〇4月24日(水)、1面トップ、「大阪府市と堺 成長戦略共有、堺市長選 維新の公約に、松井市長『都市圏に』、吉村知事は特区構想」
同上、27面トップ、社会面特集「激流、1強の衝撃(中)」、「橋下氏の宿敵 突然自滅、『都構想』に立ちはだかり10年」
〇4月25日(木)、27面トップ、社会面特集、「激流、1強の衝撃(下)」、「浮上する『大大阪』、都構想の発展型、堺市長選にらみ議論活発化」
〇4月27日(土)、3面トップ、「堺市長選、維新 永藤氏軸に調整、竹山氏の辞職 議会同意、反維新勢力 出足鈍く」
〇5月4日(土)、1面トップ、「橋下氏『公明 改憲の妨げ』、首相への協力 維新に促す」「公明苦境、大阪都構想めぐり溝、衆院選で維新対抗馬」
〇同上、4面トップ、「単刀直言」、「橋下徹 元大阪市長、改憲の運命 大阪が握る、公明が都構想協力なら矛収める」
産経紙が今回の堺市長選に対してどれだけ力を入れているかは、この間の見出しを見ただけでも明らかだろう。出るという記事が全て1面トップ、関連記事もトップ扱いだから力の入れ様が凄まじい。おまけに、竹山市長の辞職表明直後から大型特集を組み、3回にわたってその背景を詳しく解説している。この特集記事は維新側の選挙戦略に関する解説記事とも言えるもので、その抜粋を読んだだけでも狙いがよくわかる。以下、該当する部分を抜粋しよう。
「竹山は、大阪維新の会反対派の急先鋒として知られる。前回、前々回の市長選では維新の看板政策『大阪都構想』反対を掲げ、自民など『反維新勢力』からの支援を受けて維新候補を退けた。大阪で府知事、大阪市長ポストを維新に押さえられた自民にとり、堺市長は『最後のとりで』だった」(激流、上)
「『松井・吉村体制は、都構想実現のため堺市長を取りに行く』。22日、堺市長の竹山修身の辞職が報じられると、大阪維新の会前代表の橋下徹は早速ツイッターに立て続けに投稿。維新の次のターゲットを『宣言』した。竹山は橋下の『宿敵』だ。10年前、府政策企画部長だった竹山を堺市長選に担いだのは、府知事だった橋下と府議だった松井。竹山は絶大な橋下人気を追い風に初当選したが、翌年、橋下が大阪市や堺市を再編する『大阪都構想』を打ち出すと、『堺に二重行政はない』と反対に回り、たもとをわかった。橋下は『裏切り者』と竹山を激しく攻撃したが、『堺はひとつ』を唱えた竹山は『反都構想』を旗印に結集した自民、民主(当時)、共産各党の支援を受け、平成25年の市長選では維新候補が敗北。大阪での『維新不敗神話』が初めて崩壊した」(激流、中)
「竹山さんは『堺のことは堺でやる』と言っていたが、これからは堺も含めて府域全体が成長する形を、新市長のもとで一緒につくっていきたい。大阪市長の松井一郎は24日、記者団にこんな展望を語った。『堺も含む成長モデル』は、大阪府市と堺の3自治体で広域行政を連携して行う――という意味にとどまらない。視線の先にあるのは大阪都構想の発展型『グレーター大阪』の青写真だ。維新前代表の橋下徹が提唱した当初の大阪都構想は、まず府と大阪市、堺市を統合し、次の段階で周辺市を特別区に再編するものだった。面積、財政とも拡張し、東京23区に対抗しうる大都市とする最終形態を大ロンドン市(グレーターロンドン)にならい、グレーター大阪と呼んだ」(激流、下)
大阪都構想はもとより「グレーター大阪」も夢ではない――、こんな大阪維新の大それた野望の解説記事を読むと背筋が寒くなるが、問題はそれに止まらないことだろう。それは、5月になって新たに登場した橋下徹氏の「公明は改憲の妨げ」と題するインタビュー記事の紹介だ。 (編注)堺市長選は6月9日投開票(つづく)
2018.10.04
『神戸百年の大計と未来』(晃洋書房、2017年)の出版後日談
身辺雑話(2)
話は少し以前に遡るが、今からちょうど1年前に神戸市政を総括した『神戸百年の大計と未来』を神戸在住の友人3人とともに出版した。出版社は、学術書を広く手がけている京都の出版社・晃洋書房。350頁余のかなり分厚い本なので定価が相当高くなり、出版社が「このままでは売れない」というので思い切って3千円ぐらいまで下げた(印税ゼロはもとより、著者たちが逆に出版社に金を出して)。ところが、それでも売れないのである。
神戸市政に関する本を出版するのは、今回が初めてではない。阪神・淡路大震災の翌年に神戸の都市計画決定(震災発生から僅か3カ月後)を批判した『震災・神戸都市計画の検証』(自治体研究社、1996年1月)と5年後にその詳細を論じた「阪神・淡路大震災における震災復興都市計画の検証―20世紀成長型近代都市計画の歴史的終焉」(原田純孝編著、『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』、東大出版会、2001年5月に所収)、そして神戸市政の体質を歴史的に論じた『開発主義神戸の思想と経営―都市計画とテクノクラシー』(日本経済評論社、2001年10月)などがある。それからしばらく間を措き、満を持して出版したのが今回の『神戸百年の大計と未来』というわけだ。
私が神戸市政と関わったのは 今から50年前の原口市長・宮崎助役の時代からだ。それ以降、様々な研究活動や市の審議会委員として神戸市政に関わってきた。半世紀以上にわたる神戸市政との関わりを通して書いたのが今回の出版だったが、神戸新聞が立派な書評を書いてくれた割には売れ行きが芳しくないのである。神戸での出版記念会は昨年8月、討論会は今年5月にそれぞれ開いたが、本の売れ行きはいっこうに伸びない。我々の本の出来が悪いのか、それとも神戸市民は市政に関心がなく市役所に任せきりなのか、その市役所の職員は今までの市政に反省がないのか、あるいはほかに原因があるのか...いろいろ考えてみたが答えが出てこない。
そこで、今年5月の討論会に報告した出版趣旨のレジュメを再掲し、改めて原因を考えてみることにした。以下は、そのレジュメの「ポスト宮崎市政に向けて~いま考えること、為すべきこと~」の要旨である。
(1)はじめに、『神戸百年の大計と未来』をなぜいま書いたのか
(2)神戸のいま、輝ける都市から黄昏の街へ
(3)「計画され過ぎた」都市、神戸の悲劇
(4)神戸はどんな街か、国際港を核とする近代都市・急進都市
(5)「大神戸」構想の背景と推進力
(6)戦禍の中での戦後高度成長型都市計画を布石
(8)阪神・淡路大震災時におけるショック・ドクトリン型復興計画の展開
(9)ポスト平成時代、ポスト宮崎市政に向けての3つの課題
広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)
話は少し以前に遡るが、今からちょうど1年前に神戸市政を総括した『神戸百年の大計と未来』を神戸在住の友人3人とともに出版した。出版社は、学術書を広く手がけている京都の出版社・晃洋書房。350頁余のかなり分厚い本なので定価が相当高くなり、出版社が「このままでは売れない」というので思い切って3千円ぐらいまで下げた(印税ゼロはもとより、著者たちが逆に出版社に金を出して)。ところが、それでも売れないのである。
神戸市政に関する本を出版するのは、今回が初めてではない。阪神・淡路大震災の翌年に神戸の都市計画決定(震災発生から僅か3カ月後)を批判した『震災・神戸都市計画の検証』(自治体研究社、1996年1月)と5年後にその詳細を論じた「阪神・淡路大震災における震災復興都市計画の検証―20世紀成長型近代都市計画の歴史的終焉」(原田純孝編著、『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』、東大出版会、2001年5月に所収)、そして神戸市政の体質を歴史的に論じた『開発主義神戸の思想と経営―都市計画とテクノクラシー』(日本経済評論社、2001年10月)などがある。それからしばらく間を措き、満を持して出版したのが今回の『神戸百年の大計と未来』というわけだ。
私が神戸市政と関わったのは 今から50年前の原口市長・宮崎助役の時代からだ。それ以降、様々な研究活動や市の審議会委員として神戸市政に関わってきた。半世紀以上にわたる神戸市政との関わりを通して書いたのが今回の出版だったが、神戸新聞が立派な書評を書いてくれた割には売れ行きが芳しくないのである。神戸での出版記念会は昨年8月、討論会は今年5月にそれぞれ開いたが、本の売れ行きはいっこうに伸びない。我々の本の出来が悪いのか、それとも神戸市民は市政に関心がなく市役所に任せきりなのか、その市役所の職員は今までの市政に反省がないのか、あるいはほかに原因があるのか...いろいろ考えてみたが答えが出てこない。
そこで、今年5月の討論会に報告した出版趣旨のレジュメを再掲し、改めて原因を考えてみることにした。以下は、そのレジュメの「ポスト宮崎市政に向けて~いま考えること、為すべきこと~」の要旨である。
(1)はじめに、『神戸百年の大計と未来』をなぜいま書いたのか
神戸にとっての2010~2020年代は、神戸港開港150年、市政施行130年、神戸都市計画策定100年、戦災70年、阪神淡路大震災25年という歴史的画期を迎える節目だ。現在は「成長と拡大の時代」から「縮小と成熟の時代」への歴史的移行期、折しも平成時代(1989~2018年)は終わり、「ポスト平成時代」(2019年~)に変わろうとしている。この節目に宮崎市政を批判的に継承し、「ポスト宮崎市政」への転換を図ることは、神戸市民と神戸市政に課せられた歴史的課題ではないか。本書は「批判の書」ではなく「再生の書」であることを心掛けた。
(2)神戸のいま、輝ける都市から黄昏の街へ
神戸はいま、「輝ける都市」から「黄昏の街」へ変貌しつつある。インバウンド(訪日外国人旅行者)が素通りする街になったのだ。海上都市(ポートアイランド、六甲アイランド)の空洞化、郊外ニュータウンのオールドタウン化、新長田駅前再開発地区のゴーストタウン化はその象徴である。
(3)「計画され過ぎた」都市、神戸の悲劇
神戸市政ではいまだに高度成長時代の開発主義・拡大主義の伝統が拭いきれていない。肥大化した市役所機構の下で計画万能主義のテクノクラート行政の継続し、計画官僚が市全体を支配している。しかし「開発」と「再開発」だけでは街は再生しない。市民の「暮らしの文化」に根ざした都市の「自然成長力」が基本であり、そこから滲み出る「街の佇まい」が都市の光景を形づくるのである。これをいかに育てるかが、これからのカギとなる。神戸は都市の成熟段階に入った。都市発展のサイクルには、成長、成熟、衰退、再生・成熟の4段階がある。成熟段階の都市に求められるものは、「自然成長力=持続力」(サステナビリティ+イノベーション)の涵養であり、「まちなか文化」の再生である。そのカギは「都市内分権」と「市民力」にある。
(4)神戸はどんな街か、国際港を核とする近代都市・急進都市
神戸は近代都市計画のトップランナーだ。神戸は「官主導」により近代都市の形成(都市計画)に成功し、効率的な都市経営によって驚異的な都市成長を遂げてきた。市人口は神戸開港から僅か20年で人口は全国第5位、半世紀で全国第3位の急成長を遂げたが、急激な人口流入が狭隘な市街地と摩擦を引き起こし、都市問題の激化が周辺町村大合併による市域拡張、「大神戸」への動きへとつながった。
(5)「大神戸」構想の背景と推進力
「大神戸」構想の原点は大正期の都市計画。関市長の「大大阪」の向こうを張って斎藤千次郎(日本船舶協会理事)が「大神戸計画意見」をぶち上げ、勝田銀次郎(船舶業、後の神戸市長)が「大神戸市論」を展開した。戦時中には、野田文一郎市長が戦時体制に呼応する「大港都神戸建設計画」「神戸大本営移転構想」を構想し、戦時体制便乗型計画の嚆矢を放った。このとき、戦後の公共デベロッパー方式に連なる「不動産資金特別会計」が創設された。
(6)戦禍の中での戦後高度成長型都市計画を布石
「大神戸」構想を下敷きにした神戸市戦災復興計画は、戦後高度成長型都市計画の原型だった。戦後神戸を牽引したのは、2人のテクノクラート市長、豪放なカリスマリーダーの原口忠次郎(土木工学者)と市生え抜きの都市官僚・宮崎辰雄だった。20世紀の神戸を方向づけた1965年マスタープラン・マスタープランは「一つの哲学である」と権威付けされ、神戸市政の教本となった。神戸を西日本経済・瀬戸内経済の中枢拠点として発展させようとする1965年マスタープランは、1974・75年世界同時不況によって修正を余儀なくされたが、「大神戸」構想とマスタープラン行政はその後も変わらなかった。
(7)市役所一家体制の形成と桎梏 2人のテクノクラート市長による異例の長期政権(8期)は、その後も助役出身市長体制の継続によって70年余も続き、「市役所一家体制」の形成と官僚主導行政が定着した。神戸市政の特徴は「民主主義なき近代主義」と称され、市議会のオール与党化(共産党を含む)と労使協調体制が完成した。市民団体・業界団体・労働団体も系列化され、審議会メンバーの有識者も固定化されて知識人の系列化も進んだ。
(8)阪神・淡路大震災時におけるショック・ドクトリン型復興計画の展開
震災を「千載一遇のチャンス」とする都市計画決定が強行された。下河辺委員会による震災便乗型復興計画策定の下で、貝原兵庫県知事の「創造的復興」をスローガンとする被害総額をはるかに上回る巨大インフラ事業が計画され、事業化された。市民の反対を押し切って神戸空港建設が着工され、ポートアイランド第2期(医療産業都市)や新長田南再開発事業など巨大プロジェクトが次々と実行に移された。だが、人口減少時代の到来という時代の趨勢を読み誤った震災関連プロジェクトは、膨大な借金財政の肥大化を招き、職員の3分の1(7000人)をリストラするという荒療治に終わった。背景には、職員大リストラに手を貸した労組幹部の癒着と妥協があり、「元気が出ない症候群」が蔓延する行政現場があった。
(9)ポスト平成時代、ポスト宮崎市政に向けての3つの課題
・まず何よりも、「市役所一家体制」の刷新による行政組織の活性化が挙げられる。それには、市民参加の推進による市役所中央集権的機構の分権化すなわち区役所への行財政権限の移譲や区長準公選制の導入が不可欠だ。「まちづくり議会」を創設し、「まちづくりNPО」による政策提案権の保障および支援制度の確立することも必要となる。各分野の「市民政策委員会」(オンブズマン)の立ち上げによる市政点検および政策提言や審議会メンバーの刷新による新政策の展開も望まれる。
・ポスト平成時代のシンボル事業の展開が必要だ。時代の変わり目である「成長と拡大の時代」から「縮小と成熟の時代」への移行を象徴する「シンボル事業」の立ち上げ、「ポスト平成時代の神戸を考える」ミーティングを各行政区で開催する。市民提案の中から選ばれた「シンボル事業」を各行政区で具体化し、実行委員会を結成して推進する。「ポスト平成時代」という新しい時代に「ポスト宮崎市政」という新しい市政を市民とともにつくり上げる。
・全国の話題になるような神戸型プロジェクトの提起が必要だ。2020年東京五輪に全国が席巻されるなかで、神戸は「ポスト宮崎市政」を印象づけるシンボル事業に取り組む。たとえば、ゴーストタウン化した長田南再開発事業の「再・再開発」や空き商店街の都市ホテルへ転換、多国籍型大学の誘致による学生街への転換など。
・ポスト平成時代のシンボル事業の展開が必要だ。時代の変わり目である「成長と拡大の時代」から「縮小と成熟の時代」への移行を象徴する「シンボル事業」の立ち上げ、「ポスト平成時代の神戸を考える」ミーティングを各行政区で開催する。市民提案の中から選ばれた「シンボル事業」を各行政区で具体化し、実行委員会を結成して推進する。「ポスト平成時代」という新しい時代に「ポスト宮崎市政」という新しい市政を市民とともにつくり上げる。
・全国の話題になるような神戸型プロジェクトの提起が必要だ。2020年東京五輪に全国が席巻されるなかで、神戸は「ポスト宮崎市政」を印象づけるシンボル事業に取り組む。たとえば、ゴーストタウン化した長田南再開発事業の「再・再開発」や空き商店街の都市ホテルへ転換、多国籍型大学の誘致による学生街への転換など。