2009.09.30
「社会主義市場経済」の「工会」は労組にあらず
〔書評〕増田英樹著『階級のない国の格差 誰も知らない中国労働事情』
(教育評論社、¥1680)
中国の政治経済体制に関して、一般にどれだけ内容が理解されているかは別として、それが使われていることはかなり広く知られるようになった用語がある。中国共産党が中国の現行の体制についてうたった「社会主義市場経済」の規定である。これは、社会主義=計画経済、資本主義=市場経済というそれまでの一般的な理解を超えたものであった。
この規定が登場したいきさつや受け入れられ方については後述するが、本書は、中国へ進出した日本の精密企業の役員として中国ビジネスに深く関わった著者によるもの。中国が1990年代後半から“大躍進”を遂げる間、担当役員として辛酸をなめた。それによって味付けされた知見と体験を盛り込んだ本書は、これまであまり取り上げられなかった労務問題という角度から社会主義市場経済の現実の在り様に切り込んだ点がユニークである。
一例を引こう。「日本のように、労使の代表が話し合って労働問題を解決するシステムが存在しない。市場経済を標榜していても、労使関係は市場主義ではないのが、中国的社会主義市場経済の特異なところだ」(本書79ページ)。
引用文に「中国的社会主義市場経済」とあるのだが、この「中国的」をどう理解するか。これも中国共産党お得意のスローガンに「中国的特色のある社会主義」というものがある。中国語では「中国の」という意味だが、日本語では「中国的な、中国式の」という意味をも含む。
この特異な体制規定は、1992年冬、小平が中国の南方を巡察して発した「社会主義にも市場があっていい」などの「南巡講話」が発端となった。それでハッパをかけられた江沢民党総書記が同年10月、第14回党大会で行った報告にこの規定を盛り込み、公式デビューとなった。
実は、その前段にあった天安門事件が、この新体制の伏線となっていた。1989年、大学生や市民の民主化運動が人民解放軍の武力で鎮圧され、西側諸国に日本も加わって中国に経済制裁を科した。中国国内では、80年代末期に高まっていた自由化、民主化要求ばかりでなく、市場経済化を促進しようという動向にもブレーキがかかったからである。
(教育評論社、¥1680)
丹藤佳紀(ジャーナリスト)
中国の政治経済体制に関して、一般にどれだけ内容が理解されているかは別として、それが使われていることはかなり広く知られるようになった用語がある。中国共産党が中国の現行の体制についてうたった「社会主義市場経済」の規定である。これは、社会主義=計画経済、資本主義=市場経済というそれまでの一般的な理解を超えたものであった。
この規定が登場したいきさつや受け入れられ方については後述するが、本書は、中国へ進出した日本の精密企業の役員として中国ビジネスに深く関わった著者によるもの。中国が1990年代後半から“大躍進”を遂げる間、担当役員として辛酸をなめた。それによって味付けされた知見と体験を盛り込んだ本書は、これまであまり取り上げられなかった労務問題という角度から社会主義市場経済の現実の在り様に切り込んだ点がユニークである。
一例を引こう。「日本のように、労使の代表が話し合って労働問題を解決するシステムが存在しない。市場経済を標榜していても、労使関係は市場主義ではないのが、中国的社会主義市場経済の特異なところだ」(本書79ページ)。
引用文に「中国的社会主義市場経済」とあるのだが、この「中国的」をどう理解するか。これも中国共産党お得意のスローガンに「中国的特色のある社会主義」というものがある。中国語では「中国の」という意味だが、日本語では「中国的な、中国式の」という意味をも含む。
この特異な体制規定は、1992年冬、小平が中国の南方を巡察して発した「社会主義にも市場があっていい」などの「南巡講話」が発端となった。それでハッパをかけられた江沢民党総書記が同年10月、第14回党大会で行った報告にこの規定を盛り込み、公式デビューとなった。
実は、その前段にあった天安門事件が、この新体制の伏線となっていた。1989年、大学生や市民の民主化運動が人民解放軍の武力で鎮圧され、西側諸国に日本も加わって中国に経済制裁を科した。中国国内では、80年代末期に高まっていた自由化、民主化要求ばかりでなく、市場経済化を促進しようという動向にもブレーキがかかったからである。