2012.02.15
諏訪湖の御神渡り
八ヶ岳山麓の四季 70
暦の上では大寒にあたる1月下旬に入ってから連日厳しい冷え込みがつづき、1月29日には諏訪湖がほぼ全面結氷、諏訪に住む人々の間に「御神渡り」(おみわたり)出現への期待が高まってきました。
全面結氷した湖面の氷が昼夜の温度差で膨張・収縮を繰り返し、数百メートルにわたって亀裂が走り、それが山脈状にせり上がる自然現象によって湖面に氷の道筋ができ、これを「御神渡り」と呼んでいます。諏訪大社上社(諏訪市)の男神が下社(下諏訪町)の女神のもとへ通った道筋と言い伝えられてもいます。
諏訪湖がほぼ全面結氷したといっても1月29日に撮影した《写真(1)》に見られるように湖の真ん中辺りはまだ薄氷状態で気温が上がる日中には融けてしまいます。
《写真(1)》
「御神渡りができるためには零下10度前後の冷え込みがあと数日間続くことが必要」という八剣(やつるぎ)神社宮坂宮司の見解が新聞紙上に報じられていました。
八剣神社(諏訪市・小和田)は14世紀ごろから御神渡りの記録(「御渡り帳」)を続けていて、御神渡りの権威として諏訪地方では広く認められている神社。諏訪湖に御神渡りができたかどうかはこの神社の判定で決まるのです。
1月末から2月にかけて(諏訪湖沿岸の)諏訪市の最低気温は零下10度前後の冷え込みが続き(下記)、諏訪湖は完全に全面凍結状態になりました。
-11.3℃(1/29)、-11.3℃(1/30)、-9.3℃(1/31)、-8.8℃(2/1)、
-8.0℃(2/2)、-13.9(2/3)、-9.1℃(2/4)
八剣神社の宮司・総代たちは諏訪湖の全面結氷が始まると毎朝6時過ぎころから諏訪市、岡谷市、下諏訪町の湖周7か所をまわり、沖へ出て氷の筋や厚みの状態を見回ります。
2月3日の見回りの結果、「御神渡りの兆候が確認された」と宮司がコメントしたと伝えられ、御神渡り出現はほぼ間違いなかろうとの見方が大勢をしめてきました。
2月4日朝、諏訪市の沖合200m位の湖上で見回り中の宮坂宮司(右側)と総代たちを撮りました。氷を三角形に切り取り、厚みを計測していました。スケールで氷の厚みを計測した総代が大声で「12cm!」と報告している声が聞こえてきました。
《写真(2)》
この日の朝、私は八剣神社関係者の見回りの様子を撮ろうと早朝まだ暗いうちに出かけて現場で待機。思い切って湖上に出てカチカチに凍ったつるつるの油氷の上をおそるおそるソロリソロリと歩いて近づいて撮影。子供の頃真冬の諏訪湖の上をスケートで走り回った経験が多少は生きたかな、と内心苦笑。凍った湖面上の寒気の中にいると手はかじかみ、顔が硬わばり、耳たぶが痛くなりました。
2月4日の見回りの結果、「御神渡りができたといえる」との判定が出されました。4年ぶりの御神渡りの出現が確認されたのです。老若男女を問わず諏訪に住む人たちにとっては心にポッと灯りが灯るような、思わず顔がほころんでくるようなうれしいニュースで、TV・新聞などが報道、とりわけ地元紙は「御神渡り出現、歓喜」などの見出しで大きく報じました。
御神渡りが出来たと確認された2月4日の氷の盛り上がりはまださほど大きくなってはいませんでしたが、翌5日になるとかなり大きく成長してはっきりとしてきました。TVニュースで報じられ、日曜日でもあり大勢の見物の人たちが諏訪湖へ押しかけ、湖周道路は車で渋滞。
《写真(3)》は岡谷市・湊・小坂地区の湖岸から下諏訪方面へ延びている御神渡りです。
《写真(3)》
〔写真はいずれもクリックすると拡大されます〕
撮影年月日と場所
(1)・・・・・・2012年1月29日 諏訪市にて
(2)・・・・・・2012年2月4日 諏訪市にて
(3)・・・・・・2012年2月10日 岡谷市・湊にて
小口隆三
暦の上では大寒にあたる1月下旬に入ってから連日厳しい冷え込みがつづき、1月29日には諏訪湖がほぼ全面結氷、諏訪に住む人々の間に「御神渡り」(おみわたり)出現への期待が高まってきました。
全面結氷した湖面の氷が昼夜の温度差で膨張・収縮を繰り返し、数百メートルにわたって亀裂が走り、それが山脈状にせり上がる自然現象によって湖面に氷の道筋ができ、これを「御神渡り」と呼んでいます。諏訪大社上社(諏訪市)の男神が下社(下諏訪町)の女神のもとへ通った道筋と言い伝えられてもいます。
諏訪湖がほぼ全面結氷したといっても1月29日に撮影した《写真(1)》に見られるように湖の真ん中辺りはまだ薄氷状態で気温が上がる日中には融けてしまいます。
《写真(1)》
「御神渡りができるためには零下10度前後の冷え込みがあと数日間続くことが必要」という八剣(やつるぎ)神社宮坂宮司の見解が新聞紙上に報じられていました。
八剣神社(諏訪市・小和田)は14世紀ごろから御神渡りの記録(「御渡り帳」)を続けていて、御神渡りの権威として諏訪地方では広く認められている神社。諏訪湖に御神渡りができたかどうかはこの神社の判定で決まるのです。
1月末から2月にかけて(諏訪湖沿岸の)諏訪市の最低気温は零下10度前後の冷え込みが続き(下記)、諏訪湖は完全に全面凍結状態になりました。
-11.3℃(1/29)、-11.3℃(1/30)、-9.3℃(1/31)、-8.8℃(2/1)、
-8.0℃(2/2)、-13.9(2/3)、-9.1℃(2/4)
八剣神社の宮司・総代たちは諏訪湖の全面結氷が始まると毎朝6時過ぎころから諏訪市、岡谷市、下諏訪町の湖周7か所をまわり、沖へ出て氷の筋や厚みの状態を見回ります。
2月3日の見回りの結果、「御神渡りの兆候が確認された」と宮司がコメントしたと伝えられ、御神渡り出現はほぼ間違いなかろうとの見方が大勢をしめてきました。
2月4日朝、諏訪市の沖合200m位の湖上で見回り中の宮坂宮司(右側)と総代たちを撮りました。氷を三角形に切り取り、厚みを計測していました。スケールで氷の厚みを計測した総代が大声で「12cm!」と報告している声が聞こえてきました。
《写真(2)》
この日の朝、私は八剣神社関係者の見回りの様子を撮ろうと早朝まだ暗いうちに出かけて現場で待機。思い切って湖上に出てカチカチに凍ったつるつるの油氷の上をおそるおそるソロリソロリと歩いて近づいて撮影。子供の頃真冬の諏訪湖の上をスケートで走り回った経験が多少は生きたかな、と内心苦笑。凍った湖面上の寒気の中にいると手はかじかみ、顔が硬わばり、耳たぶが痛くなりました。
2月4日の見回りの結果、「御神渡りができたといえる」との判定が出されました。4年ぶりの御神渡りの出現が確認されたのです。老若男女を問わず諏訪に住む人たちにとっては心にポッと灯りが灯るような、思わず顔がほころんでくるようなうれしいニュースで、TV・新聞などが報道、とりわけ地元紙は「御神渡り出現、歓喜」などの見出しで大きく報じました。
御神渡りが出来たと確認された2月4日の氷の盛り上がりはまださほど大きくなってはいませんでしたが、翌5日になるとかなり大きく成長してはっきりとしてきました。TVニュースで報じられ、日曜日でもあり大勢の見物の人たちが諏訪湖へ押しかけ、湖周道路は車で渋滞。
《写真(3)》は岡谷市・湊・小坂地区の湖岸から下諏訪方面へ延びている御神渡りです。
《写真(3)》
〔写真はいずれもクリックすると拡大されます〕
撮影年月日と場所
(1)・・・・・・2012年1月29日 諏訪市にて
(2)・・・・・・2012年2月4日 諏訪市にて
(3)・・・・・・2012年2月10日 岡谷市・湊にて
八剣神社では総代会を開き、御神渡りを正式認定する神事、拝観式を2月6日に行うことを決定。6日朝7時、神社での神事の後、舞台を諏訪湖の氷上へ移し「拝観式」が行われました。《写真(4)》は拝観式の様子です。諏訪八剣太鼓が勇壮に鳴り響く中、八剣神社の氏子や報道陣、アマチュアカメラマン、見物人など約200人が湖上に出て拝観式を取り囲んで大賑わい。諏訪署の警官がハンドマイクで「湖上へ出ないように」と呼びかけていてそれが気になって、式が行われている場所に近づけず、少し離れたところから撮りました。
《写真(4)》
拝観式は数ヵ所で行い、各所での亀裂の状態や到達地点および氷の筋(方向)を最終決定します。《写真(5)》は、人々が次の拝観式の場所へ移動した後、せり上がった氷の近くへ行って御神渡りを間近で撮ったものです。
《写真(5)》
拝観式を終わった八剣神社の関係者は神社に伝わる記録と今日の拝観の結果とを照らし合わせて今年の世相を占います。今年は「厳しい中だが明るい兆しが見える」「農作物の作柄は中の上」と出たそうです。
昨年の諏訪湖は全面結氷には至らず、御神渡りは出来ませんでした。これについて昨年2月中旬に八剣神社宮坂宮司が地元紙(長野日報)に寄稿した中で「例年だと一番早く凍結する岡谷・湊・小坂沖が今冬は最後まで凍らず、そのため全面結氷に至らなかった。これは何か大異変の前兆ではないかと思われる。」というような意味のことを述べました。
そして3月11日の東日本大震災。その後しばらくの間地元では宮司の予言が当たったのではないかと話題になったことがありました。
「御神渡り」は他郷に暮らす諏訪出身の人たちからも注目されています。全国ニュースで御神渡りのことが伝えられると郷里のさまざまなことが思い浮かんでくるようで、便りを寄せてくれる友人もいます。冬の厳しい諏訪の自然の中で過ごした経験がなつかしく蘇り、忘れられないようです。
諏訪に住む人々にとって「御神渡り」の出現は冬がピークに達したサインであり、ピークを過ぎた後は一日ごとに明るい春に向かって季節がすすむという希望が湧いてくるのだと思います。「御神渡り」は近づく春へのあこがれを呼び起こすのだと思います。
八ヶ岳山麓の厳しかった冬は終わりに向かって徐々に歩み始めています。
〔写真はいずれもクリックすると拡大されます〕
撮影年月日と場所 (4)(5)・・・・・2012年2月6日 諏訪市にて
《写真(4)》
拝観式は数ヵ所で行い、各所での亀裂の状態や到達地点および氷の筋(方向)を最終決定します。《写真(5)》は、人々が次の拝観式の場所へ移動した後、せり上がった氷の近くへ行って御神渡りを間近で撮ったものです。
《写真(5)》
拝観式を終わった八剣神社の関係者は神社に伝わる記録と今日の拝観の結果とを照らし合わせて今年の世相を占います。今年は「厳しい中だが明るい兆しが見える」「農作物の作柄は中の上」と出たそうです。
昨年の諏訪湖は全面結氷には至らず、御神渡りは出来ませんでした。これについて昨年2月中旬に八剣神社宮坂宮司が地元紙(長野日報)に寄稿した中で「例年だと一番早く凍結する岡谷・湊・小坂沖が今冬は最後まで凍らず、そのため全面結氷に至らなかった。これは何か大異変の前兆ではないかと思われる。」というような意味のことを述べました。
そして3月11日の東日本大震災。その後しばらくの間地元では宮司の予言が当たったのではないかと話題になったことがありました。
「御神渡り」は他郷に暮らす諏訪出身の人たちからも注目されています。全国ニュースで御神渡りのことが伝えられると郷里のさまざまなことが思い浮かんでくるようで、便りを寄せてくれる友人もいます。冬の厳しい諏訪の自然の中で過ごした経験がなつかしく蘇り、忘れられないようです。
諏訪に住む人々にとって「御神渡り」の出現は冬がピークに達したサインであり、ピークを過ぎた後は一日ごとに明るい春に向かって季節がすすむという希望が湧いてくるのだと思います。「御神渡り」は近づく春へのあこがれを呼び起こすのだと思います。
八ヶ岳山麓の厳しかった冬は終わりに向かって徐々に歩み始めています。
〔写真はいずれもクリックすると拡大されます〕
撮影年月日と場所 (4)(5)・・・・・2012年2月6日 諏訪市にて
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諏訪湖のお神渡りは有名ですが、北海道屈斜路湖のお神渡りのほうが規模はでかいです。
諏訪湖のように伝説がアイヌ神話にはないのか気になるところです。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120214/scn12021417550003-n1.htm