2012.01.29
寒天つくり
八ヶ岳山麓の四季 68
真冬のこの時期、八ヶ岳山麓に広がる茅野市の一角では、秋のとり入れが終わった田んぼを舞台に、寒天つくりの作業が盛んに行われています。今回は八ヶ岳山麓の冬の風物詩ともいえる寒天つくりの様子を写真で紹介します。
写真1
寒天つくりの現場でまず目にはいるのは、ナマテン(生天)を並べた簀子(すのこ)状の板を一面に並べ連ねてある光景で、寒天つくりの工程の一つです。 (写真1) 。
この簀子状の板を現場の人たちは「カイリョウ」と呼んでいました。どんな文字を書くのか聞いてみましたがはっきりしたことは分からず、多分「改良」でよいだろうとのこと。寒天つくりの長い歴史の中から生まれてきた寒天業界独特の呼び名なのでしょう。
写真2
写真3
写真4
寒天の原料は天草(てんぐさ)です。大きな釜で天草を煮て(写真2)、その煮汁を冷まして固めたものがナマテンです。そのナマテンを「カイリョウ」に並べて(写真3) 、田んぼに並べ連ねます(写真4)。地元ではこの作業を「天出し」と呼んでいます。
写真5
外気に曝されたナマテンは夜間の寒気(氷点下10℃前後まで冷え込むことも珍しくない)の中で凍り、昼間の日光に当たって溶けて水分が抜ける、を何回か繰り返すと徐々に乾燥して、寒天が出来上がります。写真(5)は乾燥の最終段階に入っている寒天で、10日以上かけてここまで来たとのことでした。軽くなった寒天が風で飛ばされないように竹竿と縄を用いて押さえてあります。
茅野で寒天の製造が始まったのは1840年(天保11年)だったそうですから170年以上前。それ以来茅野の気候風土にあった産業として定着し、業者数は最も多かった1938年(昭和13年)には245人いたとのこと。その後次第に減少、昨年(2011年)には14人になっているそうです。また昨年の生産額は約8億7千万円とのこと。(長野県寒天水産加工業協同組合作成の「寒天生産統計」による。)
撮影年月日 (1)(2)(4)(5)・・・2012年1月25日
(3)・・・・・・・・・ 2012年1月23日
撮影場所 (1)(4)(5)・・・長野県 茅野市 金沢にて
(2)(3)・・・・・同市 西茅野にて
小口隆三
真冬のこの時期、八ヶ岳山麓に広がる茅野市の一角では、秋のとり入れが終わった田んぼを舞台に、寒天つくりの作業が盛んに行われています。今回は八ヶ岳山麓の冬の風物詩ともいえる寒天つくりの様子を写真で紹介します。
写真1
寒天つくりの現場でまず目にはいるのは、ナマテン(生天)を並べた簀子(すのこ)状の板を一面に並べ連ねてある光景で、寒天つくりの工程の一つです。 (写真1) 。
この簀子状の板を現場の人たちは「カイリョウ」と呼んでいました。どんな文字を書くのか聞いてみましたがはっきりしたことは分からず、多分「改良」でよいだろうとのこと。寒天つくりの長い歴史の中から生まれてきた寒天業界独特の呼び名なのでしょう。
写真2
写真3
写真4
寒天の原料は天草(てんぐさ)です。大きな釜で天草を煮て(写真2)、その煮汁を冷まして固めたものがナマテンです。そのナマテンを「カイリョウ」に並べて(写真3) 、田んぼに並べ連ねます(写真4)。地元ではこの作業を「天出し」と呼んでいます。
写真5
外気に曝されたナマテンは夜間の寒気(氷点下10℃前後まで冷え込むことも珍しくない)の中で凍り、昼間の日光に当たって溶けて水分が抜ける、を何回か繰り返すと徐々に乾燥して、寒天が出来上がります。写真(5)は乾燥の最終段階に入っている寒天で、10日以上かけてここまで来たとのことでした。軽くなった寒天が風で飛ばされないように竹竿と縄を用いて押さえてあります。
茅野で寒天の製造が始まったのは1840年(天保11年)だったそうですから170年以上前。それ以来茅野の気候風土にあった産業として定着し、業者数は最も多かった1938年(昭和13年)には245人いたとのこと。その後次第に減少、昨年(2011年)には14人になっているそうです。また昨年の生産額は約8億7千万円とのこと。(長野県寒天水産加工業協同組合作成の「寒天生産統計」による。)
撮影年月日 (1)(2)(4)(5)・・・2012年1月25日
(3)・・・・・・・・・ 2012年1月23日
撮影場所 (1)(4)(5)・・・長野県 茅野市 金沢にて
(2)(3)・・・・・同市 西茅野にて
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