2013.08.31 病気とは何か
病気は「けが」を含むか?

松野町夫 (翻訳家)


病気になって初めて健康のありがたさが身にしみる。病気と健康は対立した概念のようだ。キリスト教の結婚式の誓いの言葉でも、「病めるときも 健やかなるときも」と、病気と健康とは対立して表現する。つまり、病気とは心身が健康でない状態といえる。(illness is an unhealthy condition of body or mind.)

それでは健康とは何か?WHO(世界保健機関)の憲章では、「健康とはただ疾病や傷害がないだけでなく、肉体的・精神的・社会的に完全に快適な状態であること」と定義されている。もちろん、そのような完璧な状態は現実には存在しない。しかし憲章や憲法は、理想的な立場から根本的なおきてを定めるものであり、現実をそのまま追認するものではない。理想(夢)を掲げ、現実を理想に近づけようということ。
健康は個人レベルでいうと、けがや病気がなく、食欲があり、便通がよく、ぐっすり眠れて、やる気が充満している状態といえる。

病気は「けが」を含むのだろうか?この問題は少々なやましい。病気は狭義には、「けが」を含まないが、広義には「けが」を含む場合が意外と多い。たとえば、

症状とは病気・きずの状態。(岩波国語辞典) → この場合の病気は「けが」を含まない。(狭義)
症状とは病気の状態。(広辞苑) → この場合の病気は「けが」を含む。(広義)
病院とは病人を診察・治療する施設。(広辞苑) → この場合の病人は「けが人」を含む。(広義)
病人とは病気にかかっている人。患者。(広辞苑) → この場合の病気は「けが」を含む。(広義)
患者とは病気で医者の治療を受ける人。(岩波国語辞典) → この病気は「けが」を含む。(広義)

病気の同義語に「疾病(しっぺい)」や「疾患」がある。病気=疾病=疾患。この「疾」の漢字は、やまいだれ(病垂れ)に「矢」と書く。つまり、「疾」は本来、弓矢によるきずを意味した。このことからも病気や疾病、疾患には「けが」が含まれていることがわかる。

病気を分類するのは容易ではない。国際的に採用されている国際疾病分類(ICD, International Classification of Diseases)では病気を17種に分類する。しかしこれは医師以外の一般人には詳細すぎる。そこで、わかりやすい分類方法をまとめてみた。

■ 患部による分類: 心臓病、肝臓病、腎臓病、肺病など。
この分類が一番わかりやすい。

■ 原因による分類:
1. 外因性疾病: 外部から体内へ微生物や物質が侵入して起る病気。感染症。風邪など。
2. 内因性疾病: 体内の構造的欠損や生理的な機能異常で起る病気。糖尿病など。
病気の因果関係は複雑だ。専門医のあいだでも見解が相違することもある。素人にはまず判断できない。しかし原因がわからなければ対処できない。重要なことなのでこの分類を省くわけにはいかない。

■ 医者の関与と治癒との関係による分類:
1. 医者がかかわってもかかわらなくても治癒する病気(自然治癒力や本人の努力で治癒するもの)
2. 医者がかかわることによってはじめて治癒する病気
3. 医者がかかわってもかかわらなくても治癒しない病気
これは脳外科専門医の岡本裕医師の提唱する分類で、どこかおかしくて、しかしとても興味深い。「病気は自然が治し、その報酬は医者が受け取る」という西洋の格言を若いころ読んだ記憶があるが、岡本裕医師の提唱する分類はそれを思い出させる。詳しくは、岡本裕著 『9割の病気は自分で治せる』 中経出版をご覧ください。

病気は痛み(pain)を伴うものが多い。日常生活でもよくある。たとえば、「どこが痛いの?」「お腹が痛い」「それでは正露丸飲んでみる?」というぐあいに。胃痛、腹痛、頭痛、歯痛、腰痛など。これらは病気(病名)ではなく、病気(disease)に伴う症状(symptom)である。発熱、悪寒、下痢などと同じように。

痛い病気といえば、痛風(gout)がある。痛風は体内で尿酸が異常に生成し、おもに足の母指などに蓄積して強い痛みを発する病気である。30~40歳代の飽食する男性に多い。私は20代からの痛風持ちである。痛風は発症すると激痛が走り いてもたってもいられない。足の母指の付け根あたりが赤くふくれあがり、息をするたびに突き刺すような激痛が走る。夜など眠ることもできない。シャワー水で冷やすと一時的に痛みがやわらぐ。いきおい、一晩中寝室とシャワー室を行ったり来たりすることになるが、あまりの痛さゆえに立って歩くこともできず、片足跳びのけんけん移動となる。痛くて情けなくてみじめな気分だ。

痛風は痛いが、それよりもさらに痛い病気に尿路結石がある。私は自慢するわけではないが、尿路結石の一つ、尿管結石症(ureterolithiasis)を一度体験したことがある。尿管結石は痛い病気ワースト3 のひとつで、この激痛(疝痛発作)は体験したものでなければわからない。夕食の後、寝転んでテレビを見ていたら、突然、下腹部に激痛を感じた。発作が始まり、それこそ死ぬ思いだった。「ああ、これで自分の一生は終わりそうだ。このまま もだえ苦しみながら死んでいくのか!?これが自分の運命だったのか…」と心底そう思った。救急車で病院に搬送され、病院のベッドの上で七転八倒の苦しみを味わったあと、死ぬはずの運命がどういうわけか、発症から2時間後、治療を受けたわけでもないのに痛みが嘘のように消失した。入院することもなく、医者からも帰宅の許可がおりた。その夜、妻と談笑しながら帰路についた。すがすがしい散策気分だった。ルートはいつもの散歩コースではなかったけれど。後でわかったことだが、尿管結石の発作は2時間前後で軽減することが多いのだそうだ。

痛みはつらい、耐えがたい。痛みなどなければいいのにと心から思う。しかしよく考えてみると、痛みがあるからこそ体の異常に気づき、痛みが強ければ強いほどその痛みから解放されたいという思いもいっそう強まる。病気を早く治して健康な状態に戻りたいという意欲も出てくる。生まれつき痛みを感じない先天性無痛症の患者は、体のいたるところにひどい傷あとや〈あざ〉をもち、関節は著しく変形し、やけどをしても肉の焦げるにおいがするまで気づかないという。痛みの感覚、痛覚(pain sensation)は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と同様に、環境に適応するのに重要な役割をもった感覚であるのはまちがいない。